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第三章 初心者がやってきた!
逸話 アルコール騒動
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お酒は十六歳になってから。そう法律が改正されたのは、ほんの数年前のことだ。俺が小学六年生だった時。中卒が基本の昨今、十六歳の社会人が世の中には溢れている。社会人ともなると付き合いで飲みの席に参加することも多い。未成年だからと断っても無理やり飲ます輩は残念ながら山ほどいる。取り締まりが追い付かなくなり、飲酒制限の年齢を引き下げたのは苦肉の策だったようだ。アルコールの年齢制限の理由は、若い脳に悪影響だからと聞いたことがある。なので引き下げがニュースで発表されたときは、まるで国から見捨てられたような気がした。無知なガキは守ってやらないとでも言うように。だが「お酒は十六歳になってから」の文句の後には必ず「アルコールは成長途中の脳に悪影響を与えます。やむを得ない場合意外は控えましょう。二十歳になってからの飲酒を推奨しています」と注意喚起が添えられている。やむを得ない場合って何だよ。バカにしてんのか。
高校に入学してすぐの四月四日、この日はソウルの誕生日だったのだが──、
「酒飲める年齢になったけど、やめといた方がいいよな。今日帰ったら家族が誕生日パーティーしてくれるらしくて。せっかくだから味を知っとけって祖父と父は言ったけど、祖母と母はやめろって言うんだよ。ケン兄とタテ兄は父に賛成で、キキ姉とココは母に賛成」
やつは困ったように苦笑していた。山ノ内家はこの少子化の時代に珍しく五人兄弟だ。ソウル以外の兄弟姉妹は剣、盾、喜々来、誇心子という名前である。ソウルと幼なじみである俺は山ノ内家によくおじゃまするので、彼らとも本当の兄弟みたいに仲良くしてもらってる。
「また男女できれいに意見分かれてんな。ソウルん家、いつもそうなってる気がする」
「そうなんだよ。俺は一口だけなら試してもいいと思うんだけど大丈夫かな」
「一口だけなら、さすがに大丈夫な気するけど。脳への影響云々のやつだろ」
「あ、ううん。マンガとかでよく一口で泥酔する人いるだろ。ああならないかなって」
「そっちかよ。絶対大丈夫だろ」
だが結局、女性陣の強い反対で一口すら飲ませてもらえなかったらしい。残念だったなと言うと、別にどうしても飲みたいものではなかったし、と幼なじみは朗らかに微笑んでいた。
「小野と山ノ内、ちょっと聞きたいんだけどよ!」
まだ入部して間もなく、仲良くなれていない頃の昼休み、速見が威勢よく声をかけてきた。一年時は同じクラスだったのだ。ちなみにソウルも同じクラスである。ヒイロだけ二組。少子化・進学率低下・教師減少・高校数減少のコンボで、一クラス百人と大規模なくせに全二クラスしかないみたいな、わけのわからないことが起こっている。
「二人は誕生日いつなんだぜ?」
「六月二十九日だけど」「四月四日」
ソウルの答えに速見が息を飲んだので、察した彼は付け足した。
「けど、まだ酒は飲んだことないよ」
それを聞いて速見は嬉しそうにぺらぺら続きを喋った。くり返すが、まだ仲良くなれていない、入部間もない日の出来事である。コミュニケーション能力高すぎか。
「あーっ、よかったんだぜ! いやあオイラよ、九月一日が誕生日なんだけどよ。その日に酒デビューしようと思ってるんだぜ。さっき池原に聞きに言ったら七月十六日だって言ってたんだぜ。つまり一年生の中でオイラが一番後に十六歳になるんだぜ。だからその日に全員で居酒屋行って一斉デビューって思いついてよ! 山ノ内が四月って言うから焦ったんだぜ」
そういうわけで九月一日に四人で居酒屋に行くことが、当日の数か月も前に決まった。
一年時のヒイロは、今よりもっと取っつきにくい感じだった。入部当初からすこぶる才能に溢れていたが、誰に褒められても嫌そうに眉根を寄せて申し訳程度に頭を下げるだけ。そんなあいつを、俺は正直苦手に思っていた。試合中も練習中も終始つまらなさそうで先輩に対してでもすぐ舌打ちをした。なんで文バレ部に入ったのか謎でモヤモヤする。普通に話し掛けられる速見を不思議にも思っていた。今思えば速見のことだから、特に何も考えてなかったんだろう。やつがいなければ、ヒイロはもう数倍クールなままだったかもしれない。
去年の新古今高校のキャプテンは美々実さんという方で、男勝りな女性だった。
「ひーろ、文バレ嫌々やってるだろ。本当は他にやりたいことあるんだろ?」
彼女が心配そうにヒイロにそう言った時、やつは空虚な声色で返した。
「何もないです」
嘘をついている感じでもなく、本当に、何もない、悲しい遠い目をしていた。
ある梅雨の時期の水曜日、美々実さんは、
「ニッセー大希望なんかなあ。ひーろ」
と司馬遼太郎を読みながら困ったような笑みを浮かべた。練習中はオールバックのポニーテールでいる彼女だが、自習の水曜日はいろんな髪型になる。あの日の髪型をはっきりとは覚えていないが、確か三つ編みだったと思う。その頃のヒイロは水曜日全く来ていなかった。その日は、美々実さんと、当時の副キャプテンだった欅平さんと、速見とソウルと俺。ヒイロ以外が揃っていた。俺たちは彼女の独り言のような語りを、狭い部室で聞いた。
「文バレって、日本再生協会が推薦してる新球技だろ。だから、部員だと文系大学の入試で有利になるんだ。多分ひーろはさ、私の勝手な推測だけど、親が厳しい家庭なんじゃないかな。親の言うことずっと聞いてきて、文バレも、親に言われたから、大学入試の内申稼ぎのために入部したのかもしれない。だから別に文バレがやりたいことじゃないんだけど、特別やりたい他のこともないっていうか。うん。多分、そういう感じなんだよ」
文バレ好きになってもらいたいな、と美々実さんは呟いてから、
「しんみりしちゃったね、ごめんごめん、終わり!」
と手をパンと打ち合わせた。
この彼女の憶測は正解だった。それが分かったのが、あの九月一日だ。
誘いに乗ってくれたのがまず意外だったが、速見が言いだした居酒屋デビューにはヒイロも来た。その上、思いの他乗り気だったようで、注文の際スッと手を上げ、
「俺が言うがいいか」
と尋ねた。俺たちは何のことかわからず、別にいいけど、というふうに頷くとやつは真剣な顔で、大人たちがよく言うあのセリフで注文した。
「とりあえずビール」
それな! 言ってみたい気持ち分かる! だがヒイロにもその感覚があったとは。
チェーン経営の、超安いと言われている居酒屋だ。飲み放題メニューもあるのだが、それは二十歳以上でないと頼めない。脳云々の理由からだ。ジョッキのビールが四つ出てきて、
「速見誕生日おめでとう」
の声で乾杯する。一口飲んで、速見は「おお、美味いんだぜ!」と目を輝かせた。俺はこういう時は慎重になってしまう方で、皆の様子をまず見守った。ソウルは顔をしかめた。口に合わなかったようだ。ヒイロは仏頂面で何を考えているか分からないが、二口三口と続けて飲んだので気に入ったのだと思う。そして俺は直後、四月の頃の自分の発言を呪う事態になるのだった。一口で泥酔する人いるだろ。ああならないかなって。絶対大丈夫だろ。
ビールを口にした瞬間、視界が歪んだ。眩暈がして隣のソウルの肩に倒れかかった。
「え、小野どうした。気分悪い?」
「ごめん無理。酒これアレ、あのアレ、言い出しっぺがアレなやつ。マンガのアレ」
「めっちゃ語彙死んでる。大丈夫?」
「なに? 大乗仏教?」
「言ってない。文バレの出題じゃない」
「インド!」パアンッ。
「池原はボールじゃない!」
後でものすごく謝ったが、俺はヒイロの頭をボールを叩くみたいに平手で殴ったらしい。ここらへん、記憶が曖昧だ。ヒイロは「いて」と小さく言っただけで、何もなかったかのようにビールを飲み続けていたらしいが。速見が「水もらえますか」と大声を張り上げたのは何とか聞き取れて、うわ迷惑かけてしまった、誕生日を台無しにした、一口しか飲んでないのに、と悲しい気持ちが一気に押し寄せてきて、涙が出てきた。まじで一口なのに。
ソウルの「大丈夫だよ」が近くで何度も聞こえていた。水を貰ってようやく落ち着いた。
「まじでごめん、残りあげるわ」
涙を拭いながら一口ぶんしか減っていないビールジョッキを速見に譲った。
「おう、貰うんだぜ。いやあ、飲み会なのにこれじゃ小野ちゃんだけ飲めないんだぜ」
悪い悪い、と速見は頭をかいて大笑いする。
「いい。水すっげーおかわりする」
なんか酔いのせいで言葉選びがアホみたいになる。まだ少し気分が悪いので引き続きソウルの肩を借りて休んだ。思い返せば壁にもたれればよかった気がするが、酔っ払いのしたことなので気にしないでほしい。それにしてもヒイロが他人事のように無関心すぎてつらい。黙々と飲み続けている。始めのビールはもう無く、タッチパネルでいつの間にか注文していて既に五回は杏露酒やらカクテルやらが届いた。しかしそれは、いわゆる「そうゆう酔い方」だったようで徐々に顔が赤くなっているが一向に飲むのをやめない厄介なやつだった。
「池原ちょっとペース速すぎない? これ飲み放題じゃないぞ」
ソウルが心配そうに声をかけると、それが何かのスイッチを入れたようで、
「俺は!」
大声を張り上げてヒイロはジョッキを机に勢いよく置いた。お、おう、と三人の動揺した声が重なる。俺たちのテーブルだけ切り離されたように静かになった。
「俺は、俺の、やりたいことがわからない」
彼は呻くように呟いた。次は三人の「え、ええと」が重なった。参った。一年だった当時、九月になってもなおヒイロと仲良く話せる者はいなかった。少し距離のあるやつが急に語り出したのだから、笑うに笑えない。気まずいだけだ。ヒイロはため息をつき言葉を続けた。
「俺は初めからずっと母親の言いなりだ。自分の意志で何かをしたことがない。正直、文芸バレーボールも楽しいと思っていない。そもそも、何が楽しいことなのかわからない。母親が望む通りの子供でいることだけが義務になってる。すごく、生きるのが虚しい」
それだけ言って、またタッチパネルに手を伸ばしたので「うん、やめようねー」とソウルが取り上げた。俺はアルコールがまだ残っていたようで、ヒイロのその独白に涙腺崩壊した。
「あー、また。もう嫌。ソウル助けてしんどい。おみずちょーだい」
「おみずちょーだいて」
ヒイロは黙ったと思うと、数分後にはすやすや寝息をたてていた。憑き物が取れたかのように安らかに寝ていたので、起こすのが憚られた。それから俺だけはアルコールなしで楽しんだ。ソウルはビールは無理だったが甘いカクテルなら飲めた。だが脳への悪影響というワードが脳裏に焼き付いていて、速見もソウルも二杯で止める。ふと合計金額が気になり算出すると、ヒイロがほぼ無意識にどんどん頼んでいた酒だけで三万円を越していて酔いが覚めた。
「え待ってなんで怖っ、うそ、なんで? なんで何これ怖い。履歴見て履歴。池原何事?」
「お、おおう。げげっ、池原、一杯二千円の日本酒を三回も飲んじまってるんだぜ。他にも熟成梅酒とかドイツビールとか高級ワインとか高いのばっかりなんだぜ」
「グルメかよ! いや払えんの? 俺は立て替えるの無理だぞ」
起こすのが憚られた、とか言ってる場合じゃなくなりヒイロを叩き起こすと「ここはどこだ」と言い出す始末で、「何言ったか覚えてるか?」と聞いてみても「全く」とうなだれた。自分があんなことを語ったと知ると、繊細なこいつは心を閉ざすんじゃないかと思って、打ち合わせたかのように「まあ、ずっと寝てて何も言ってはなかったがな」「だよな」「なんだぜ」と俺たちは言った。それから三万円の件を告げる。やつは一瞬こそ目を丸くしたが、
「わかった」
と冷静に言ったのでこっちが困惑した。かの大俳優、ホームラン・ポンドフィールドの息子と知った今なら理解できるが、ヒイロは超金持ちなのではないかと示唆させる言動がしばしば出るのだ。レジでは「カードで。一括で」と言ったうえ、合計の約四万円を「奢る」ときた。「いやいい」と皆とっさに言ったが、内三万円はヒイロが飲んだ分だったし、予算二千円くらいの気持ちで来ていた俺たちは手持ちもなく、結局奢られた。悔しい。
で。数日もたたない内に、隠し事がド下手な速見が、
「それにしても教育ママってのは大変そうなんだぜ。オイラの家なんて超ゆとりよお」
昼休み中の学食にて、自然な会話の流れで明かしてしまった。ヒイロは箸を取り落とし慌てて拾い、怯えたように身構えた。親の前での不自由な顔が、一瞬出たように感じた。
「なぜ知っている」
このプライドが高いやつに、酒の席での失言を打ち明ける辛さを想像してみてほしい。聞いた直後のヒイロは、深く下を向いて固まってしまった。ソウルが励ますように声をかける。
「でも美々実さんからも聞いたことある話だったし。今さら誰も驚いてない。大丈夫だよ」
火に油な気がしないでもない。ヒイロはさらに顔をしかめた。
「なんであの人が、俺の母親のことを知っている」
「あっいや知ってたわけじゃないんだけど。かもしれないって話をしてたんだよ。池原がいなかったときに。親が厳しいのかもって。憶測なのに美々実さんすごく心配してたぞ」
憶測、心配、とヒイロは小さく復唱した。数秒間思案してから急に立ち上がり「ミミさんにお礼言ってくる」と走り去った。気づいてくれていたことが、嬉しかったんだろうか。
入部からだいぶ経ってしまったが、それからヒイロは先輩方とも打ち解けた。それどころか今までの挽回みたいに異様に懐いていて、端から見ていると笑いそうになるくらいだ。
酒の席が人の距離を近くするというジンクスは本当のようで、俺のヒイロへの苦手意識はあの日を境に薄れ始め、いつの間にか消えていた。
高校に入学してすぐの四月四日、この日はソウルの誕生日だったのだが──、
「酒飲める年齢になったけど、やめといた方がいいよな。今日帰ったら家族が誕生日パーティーしてくれるらしくて。せっかくだから味を知っとけって祖父と父は言ったけど、祖母と母はやめろって言うんだよ。ケン兄とタテ兄は父に賛成で、キキ姉とココは母に賛成」
やつは困ったように苦笑していた。山ノ内家はこの少子化の時代に珍しく五人兄弟だ。ソウル以外の兄弟姉妹は剣、盾、喜々来、誇心子という名前である。ソウルと幼なじみである俺は山ノ内家によくおじゃまするので、彼らとも本当の兄弟みたいに仲良くしてもらってる。
「また男女できれいに意見分かれてんな。ソウルん家、いつもそうなってる気がする」
「そうなんだよ。俺は一口だけなら試してもいいと思うんだけど大丈夫かな」
「一口だけなら、さすがに大丈夫な気するけど。脳への影響云々のやつだろ」
「あ、ううん。マンガとかでよく一口で泥酔する人いるだろ。ああならないかなって」
「そっちかよ。絶対大丈夫だろ」
だが結局、女性陣の強い反対で一口すら飲ませてもらえなかったらしい。残念だったなと言うと、別にどうしても飲みたいものではなかったし、と幼なじみは朗らかに微笑んでいた。
「小野と山ノ内、ちょっと聞きたいんだけどよ!」
まだ入部して間もなく、仲良くなれていない頃の昼休み、速見が威勢よく声をかけてきた。一年時は同じクラスだったのだ。ちなみにソウルも同じクラスである。ヒイロだけ二組。少子化・進学率低下・教師減少・高校数減少のコンボで、一クラス百人と大規模なくせに全二クラスしかないみたいな、わけのわからないことが起こっている。
「二人は誕生日いつなんだぜ?」
「六月二十九日だけど」「四月四日」
ソウルの答えに速見が息を飲んだので、察した彼は付け足した。
「けど、まだ酒は飲んだことないよ」
それを聞いて速見は嬉しそうにぺらぺら続きを喋った。くり返すが、まだ仲良くなれていない、入部間もない日の出来事である。コミュニケーション能力高すぎか。
「あーっ、よかったんだぜ! いやあオイラよ、九月一日が誕生日なんだけどよ。その日に酒デビューしようと思ってるんだぜ。さっき池原に聞きに言ったら七月十六日だって言ってたんだぜ。つまり一年生の中でオイラが一番後に十六歳になるんだぜ。だからその日に全員で居酒屋行って一斉デビューって思いついてよ! 山ノ内が四月って言うから焦ったんだぜ」
そういうわけで九月一日に四人で居酒屋に行くことが、当日の数か月も前に決まった。
一年時のヒイロは、今よりもっと取っつきにくい感じだった。入部当初からすこぶる才能に溢れていたが、誰に褒められても嫌そうに眉根を寄せて申し訳程度に頭を下げるだけ。そんなあいつを、俺は正直苦手に思っていた。試合中も練習中も終始つまらなさそうで先輩に対してでもすぐ舌打ちをした。なんで文バレ部に入ったのか謎でモヤモヤする。普通に話し掛けられる速見を不思議にも思っていた。今思えば速見のことだから、特に何も考えてなかったんだろう。やつがいなければ、ヒイロはもう数倍クールなままだったかもしれない。
去年の新古今高校のキャプテンは美々実さんという方で、男勝りな女性だった。
「ひーろ、文バレ嫌々やってるだろ。本当は他にやりたいことあるんだろ?」
彼女が心配そうにヒイロにそう言った時、やつは空虚な声色で返した。
「何もないです」
嘘をついている感じでもなく、本当に、何もない、悲しい遠い目をしていた。
ある梅雨の時期の水曜日、美々実さんは、
「ニッセー大希望なんかなあ。ひーろ」
と司馬遼太郎を読みながら困ったような笑みを浮かべた。練習中はオールバックのポニーテールでいる彼女だが、自習の水曜日はいろんな髪型になる。あの日の髪型をはっきりとは覚えていないが、確か三つ編みだったと思う。その頃のヒイロは水曜日全く来ていなかった。その日は、美々実さんと、当時の副キャプテンだった欅平さんと、速見とソウルと俺。ヒイロ以外が揃っていた。俺たちは彼女の独り言のような語りを、狭い部室で聞いた。
「文バレって、日本再生協会が推薦してる新球技だろ。だから、部員だと文系大学の入試で有利になるんだ。多分ひーろはさ、私の勝手な推測だけど、親が厳しい家庭なんじゃないかな。親の言うことずっと聞いてきて、文バレも、親に言われたから、大学入試の内申稼ぎのために入部したのかもしれない。だから別に文バレがやりたいことじゃないんだけど、特別やりたい他のこともないっていうか。うん。多分、そういう感じなんだよ」
文バレ好きになってもらいたいな、と美々実さんは呟いてから、
「しんみりしちゃったね、ごめんごめん、終わり!」
と手をパンと打ち合わせた。
この彼女の憶測は正解だった。それが分かったのが、あの九月一日だ。
誘いに乗ってくれたのがまず意外だったが、速見が言いだした居酒屋デビューにはヒイロも来た。その上、思いの他乗り気だったようで、注文の際スッと手を上げ、
「俺が言うがいいか」
と尋ねた。俺たちは何のことかわからず、別にいいけど、というふうに頷くとやつは真剣な顔で、大人たちがよく言うあのセリフで注文した。
「とりあえずビール」
それな! 言ってみたい気持ち分かる! だがヒイロにもその感覚があったとは。
チェーン経営の、超安いと言われている居酒屋だ。飲み放題メニューもあるのだが、それは二十歳以上でないと頼めない。脳云々の理由からだ。ジョッキのビールが四つ出てきて、
「速見誕生日おめでとう」
の声で乾杯する。一口飲んで、速見は「おお、美味いんだぜ!」と目を輝かせた。俺はこういう時は慎重になってしまう方で、皆の様子をまず見守った。ソウルは顔をしかめた。口に合わなかったようだ。ヒイロは仏頂面で何を考えているか分からないが、二口三口と続けて飲んだので気に入ったのだと思う。そして俺は直後、四月の頃の自分の発言を呪う事態になるのだった。一口で泥酔する人いるだろ。ああならないかなって。絶対大丈夫だろ。
ビールを口にした瞬間、視界が歪んだ。眩暈がして隣のソウルの肩に倒れかかった。
「え、小野どうした。気分悪い?」
「ごめん無理。酒これアレ、あのアレ、言い出しっぺがアレなやつ。マンガのアレ」
「めっちゃ語彙死んでる。大丈夫?」
「なに? 大乗仏教?」
「言ってない。文バレの出題じゃない」
「インド!」パアンッ。
「池原はボールじゃない!」
後でものすごく謝ったが、俺はヒイロの頭をボールを叩くみたいに平手で殴ったらしい。ここらへん、記憶が曖昧だ。ヒイロは「いて」と小さく言っただけで、何もなかったかのようにビールを飲み続けていたらしいが。速見が「水もらえますか」と大声を張り上げたのは何とか聞き取れて、うわ迷惑かけてしまった、誕生日を台無しにした、一口しか飲んでないのに、と悲しい気持ちが一気に押し寄せてきて、涙が出てきた。まじで一口なのに。
ソウルの「大丈夫だよ」が近くで何度も聞こえていた。水を貰ってようやく落ち着いた。
「まじでごめん、残りあげるわ」
涙を拭いながら一口ぶんしか減っていないビールジョッキを速見に譲った。
「おう、貰うんだぜ。いやあ、飲み会なのにこれじゃ小野ちゃんだけ飲めないんだぜ」
悪い悪い、と速見は頭をかいて大笑いする。
「いい。水すっげーおかわりする」
なんか酔いのせいで言葉選びがアホみたいになる。まだ少し気分が悪いので引き続きソウルの肩を借りて休んだ。思い返せば壁にもたれればよかった気がするが、酔っ払いのしたことなので気にしないでほしい。それにしてもヒイロが他人事のように無関心すぎてつらい。黙々と飲み続けている。始めのビールはもう無く、タッチパネルでいつの間にか注文していて既に五回は杏露酒やらカクテルやらが届いた。しかしそれは、いわゆる「そうゆう酔い方」だったようで徐々に顔が赤くなっているが一向に飲むのをやめない厄介なやつだった。
「池原ちょっとペース速すぎない? これ飲み放題じゃないぞ」
ソウルが心配そうに声をかけると、それが何かのスイッチを入れたようで、
「俺は!」
大声を張り上げてヒイロはジョッキを机に勢いよく置いた。お、おう、と三人の動揺した声が重なる。俺たちのテーブルだけ切り離されたように静かになった。
「俺は、俺の、やりたいことがわからない」
彼は呻くように呟いた。次は三人の「え、ええと」が重なった。参った。一年だった当時、九月になってもなおヒイロと仲良く話せる者はいなかった。少し距離のあるやつが急に語り出したのだから、笑うに笑えない。気まずいだけだ。ヒイロはため息をつき言葉を続けた。
「俺は初めからずっと母親の言いなりだ。自分の意志で何かをしたことがない。正直、文芸バレーボールも楽しいと思っていない。そもそも、何が楽しいことなのかわからない。母親が望む通りの子供でいることだけが義務になってる。すごく、生きるのが虚しい」
それだけ言って、またタッチパネルに手を伸ばしたので「うん、やめようねー」とソウルが取り上げた。俺はアルコールがまだ残っていたようで、ヒイロのその独白に涙腺崩壊した。
「あー、また。もう嫌。ソウル助けてしんどい。おみずちょーだい」
「おみずちょーだいて」
ヒイロは黙ったと思うと、数分後にはすやすや寝息をたてていた。憑き物が取れたかのように安らかに寝ていたので、起こすのが憚られた。それから俺だけはアルコールなしで楽しんだ。ソウルはビールは無理だったが甘いカクテルなら飲めた。だが脳への悪影響というワードが脳裏に焼き付いていて、速見もソウルも二杯で止める。ふと合計金額が気になり算出すると、ヒイロがほぼ無意識にどんどん頼んでいた酒だけで三万円を越していて酔いが覚めた。
「え待ってなんで怖っ、うそ、なんで? なんで何これ怖い。履歴見て履歴。池原何事?」
「お、おおう。げげっ、池原、一杯二千円の日本酒を三回も飲んじまってるんだぜ。他にも熟成梅酒とかドイツビールとか高級ワインとか高いのばっかりなんだぜ」
「グルメかよ! いや払えんの? 俺は立て替えるの無理だぞ」
起こすのが憚られた、とか言ってる場合じゃなくなりヒイロを叩き起こすと「ここはどこだ」と言い出す始末で、「何言ったか覚えてるか?」と聞いてみても「全く」とうなだれた。自分があんなことを語ったと知ると、繊細なこいつは心を閉ざすんじゃないかと思って、打ち合わせたかのように「まあ、ずっと寝てて何も言ってはなかったがな」「だよな」「なんだぜ」と俺たちは言った。それから三万円の件を告げる。やつは一瞬こそ目を丸くしたが、
「わかった」
と冷静に言ったのでこっちが困惑した。かの大俳優、ホームラン・ポンドフィールドの息子と知った今なら理解できるが、ヒイロは超金持ちなのではないかと示唆させる言動がしばしば出るのだ。レジでは「カードで。一括で」と言ったうえ、合計の約四万円を「奢る」ときた。「いやいい」と皆とっさに言ったが、内三万円はヒイロが飲んだ分だったし、予算二千円くらいの気持ちで来ていた俺たちは手持ちもなく、結局奢られた。悔しい。
で。数日もたたない内に、隠し事がド下手な速見が、
「それにしても教育ママってのは大変そうなんだぜ。オイラの家なんて超ゆとりよお」
昼休み中の学食にて、自然な会話の流れで明かしてしまった。ヒイロは箸を取り落とし慌てて拾い、怯えたように身構えた。親の前での不自由な顔が、一瞬出たように感じた。
「なぜ知っている」
このプライドが高いやつに、酒の席での失言を打ち明ける辛さを想像してみてほしい。聞いた直後のヒイロは、深く下を向いて固まってしまった。ソウルが励ますように声をかける。
「でも美々実さんからも聞いたことある話だったし。今さら誰も驚いてない。大丈夫だよ」
火に油な気がしないでもない。ヒイロはさらに顔をしかめた。
「なんであの人が、俺の母親のことを知っている」
「あっいや知ってたわけじゃないんだけど。かもしれないって話をしてたんだよ。池原がいなかったときに。親が厳しいのかもって。憶測なのに美々実さんすごく心配してたぞ」
憶測、心配、とヒイロは小さく復唱した。数秒間思案してから急に立ち上がり「ミミさんにお礼言ってくる」と走り去った。気づいてくれていたことが、嬉しかったんだろうか。
入部からだいぶ経ってしまったが、それからヒイロは先輩方とも打ち解けた。それどころか今までの挽回みたいに異様に懐いていて、端から見ていると笑いそうになるくらいだ。
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