文バレ!②

宇野片み緒

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第五章 そして、全国へ

「乗りな」

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 待ちに待った全国大会が始まる。学校から最寄りの駅前に私服で集まり、六人全員で現地に向かう約束だ。朝七時四十分。俺は濃藍のジーパンに、モノクロの絵が中央に大きくプリントされている白いシャツと、シンプルな赤いダウンジャケットで駅前広場の噴水のところに仁王立ちしていた。腕時計を見てから寒空を見る。
「だから早く着きすぎないかって言ったのに」
 かたわらのソウルが笑う。いつものように途中で誘い一緒に来たのだ。ソウルの私服は性格の体現のように落ち着いている。臙脂のジーパンに緑のチェックシャツ、栗色のダッフルコート。スポーツをやるやつにはとても見えない。右手には梶井基次郎の檸檬を装備。
「だってキャプテンは一番乗りに着いとくものだろ」
 豪語して胸を張ると、幼なじみは朗らかに苦笑いを返した。
「そうかもしれないけど、二十分前は早すぎ早すぎ」
「でもこういう時、ヒイロがいつも十分前には来てるじゃねえか。間違いなく先を超すには二十分前なんだよ。だろ? だよな?」
「うん。わかった。巻き込まれた俺の気持ちを、三文字で答えよ」
 目をこすり、ソウルは小さく欠伸する。
「ねむい」「正解」「ごめんて」
 しばらくすると噂のヒーローが現れ、渋い顔をしながら近寄ってきた。
「ちっ、ずいぶん早いな」
 別にそこまで競っていたつもりはないが、ヒイロが悔しげなので少し嬉しい。
「ああ、俺たちは二十分前から待機していたが、遅かったな副キャプテン」
「池原おはよう。一番乗りじゃないなんて、初じゃないか。寝坊した?」
 二人で満面の笑みで畳みかける。ヒイロは切れ長の瞳を伏せ、面倒そうにため息をつく。 
「今回ばかりは、小野と山ノ内が早すぎだ。俺が遅刻したみたいな言い方やめろ」
 やつは黒の長袖Tシャツに白のジーパンという格好で、寒そうに袖を逐一ひっぱっていた。白いマフラーを雑に一重で巻き、グレーのガウンを羽織っている。モノトーンが異常に似合う。
 で、五分前には後輩二人が揃って来た。
「ふえええーっ、もう集まってるじゃないですかあっ」
「たはは、先輩方、気合い入りすぎっしょ。はざーっす」
 サラサラショートの後輩は、毛糸編みで濃い黄色のポンチョに、青いギンガムチェックの半ズボン、そして赤黄青が順々に横縞になっているタイツという個性的な格好をしていた。赤いベレー帽があざとい。信号機カラーだと思ったが、きっと言ってはいけない。
 ジョージはといえば、少しくたっとした生地のワイシャツを着ていた。中央に水色の縦ラインが一筋入っていて、その筋にカラフルで多種多様なボタンが並んでいる。そのボタンだらけのシャツに、黄土色のサルエル─ボタン柄で裾にも連ボタン─、さらに青いジャケット─大きなカフスボタンが目立つ─の組み合わせ。スニーカーは、練習時も使っているスタイリッシュで真っ黒な物だ。巨大なボタンの形のリュックには、ボタンが描かれた缶バッチや、ボタンそのものがじゃらじゃらついている。いや、さすがにボタン多すぎだろ。歩くコレクション棚か。
「お、おう。お前らの私服、初めて見たけど、なんというか、派手だな」
 カラフルな二人を交互に見て言うと、赤毛が目を丸くした。
「そっすか? 別に普通っしょ。ああー、わかった。マトペさんたちが地味すぎるんすわ、ザ文系男子って感じで! プリントシャツにダウンジャケットとかもはや一昔前っすよ」
 なんだと。横で内田もきゅるんと大きく頷いて見せた。なんだと。
 集合なんかがあると、やはり最後に来るのは速見で、
「楽しみすぎて昨日は眠れなかったんだぜ。遅刻寸前なんだぜ!」
 サムアップをしながら笑顔で走ってきた。ヒイロが眉間にしわを寄せる。
「ちっ。眠れなかったなら、そのまま一番に来い」
「いやあ、それがよ、徹夜って意味ではないんだぜ池原。オイラの場合は、寝落ちからの寝坊なんだぜ。母ちゃんが起こしてくれなかったら、オイラまだ寝てたんだぜ」
 胸を張って言うなよ。やつはくすんだ橙色のシャツに学校のジャージを羽織り、ポリエステル素材の茶色いズボンを履いていた。うん、一番地味だ。その上ださい。ちょっと安心した。
「全員揃ったな。行くか」
 俺が指揮を取り、揃って改札に足を向けた、瞬間。クラクションが一発鳴った。つい立ち止まる。見渡すと、風景に溶け込んで大型トラックがあった。こうゆう車には現代もまだタイヤが付いている。運転席から見慣れた懐かしい顔が覗く。
「よお。そこの文バレ部」
 劇のような、落ち着いた声が張られた。去年ずっと仲間だった大きな存在。ピーコックグリーンのウインドブレーカーを着た若い男は静かに言う。
「はっはは。ここだよ。俺さまの予想通り、ここに現れたな。後輩衆」
 深い緑のメッシュが前髪の一部に入った、長身の青年だ。その一部分以外の髪は非常に明るい茶色。小さな目が少し硬派な印象を与える。この偉そうな物言いのわりに、顔は大人びた雰囲気。ミスマッチになりそうなのに茶髪と緑メッシュは違和感なく似合っている。
「も、元副キャプテンの、欅平翼さまじゃないですか」
 ヒイロが歩み寄って無表情のままわずかに目を輝かせた。確かにさまを付けたくなる性格をしているが、いくらなんでも本当に付けることはない思うぞ。美々実さんのときといい、こいつは先輩の前では本当に、従順な年下くん全開である。まあ内田ほどのえげつないギャップはないし、逆に和むからいいのだが。
「ケヤキさんお久しぶりです」「うおお、ウィングさん会いたかったんだぜ」
 ソウルと速見も駆け寄った。また一年生二人が置いてきぼりで、物珍しそうにまじまじと見つめている。我らの元副キャプテンである欅平さんは、少しモブっぽい顔でシンプルかつニヒルに微笑み、大人っぽさ溢れる雰囲気で、
「乗りな」
 親指で大型トラックの後ろを指差した。それ、引越しの荷物とか積む場所。
「いや、乗りなって欅平さん。悪いですよ」
 駅の改札のほうに目をやる。先輩は真剣に返した。
「悪い? 何を言っている。このトラックは盗みじゃねえ。親父に借りたもんだ。そして安心しろ、無免許運転でもねえ。俺さまは日生大に受かってから、ものの一ヶ月で大型四輪の免許を勝ち取ったからな。さあ安心して運ばれろ」
 何を言っているはこっちのセリフだ! 相変わらず論点がズレている。この我が道を行く俺さまこそが、あの美々実さんの彼氏でもある、欅平翼という男である。
「俺たち電車で行くつもりなんで」
「小野ちゃん、無茶はやめときな」
 欅平さんはチッチッチッと指を振った。五世代くらい前の、ださいを通り越して珍しい動きであるが、この人には不思議と似合ってしまう。彼は堂々と続けた。
「電車で行きゃあ苦労しちまうのは、去年で思い知ったろう。日生大まではここから四駅、そして降りた駅から一キロ先のバス停に徒歩で移動、一時間に二本しか来ねえバスに乗り停留所を三つ越す。まだ着かずそこでモノレールに乗り換え。そこから三つ先の、日生大前という詐欺みてえな名前の駅で降りてから、入り組んだ道を徒歩十五分でやっと着く。この複雑な道程を今年も行くつもりたあ、おめえらマゾじゃなかろうか。俺さまの善意に甘えな」
 去年はいなかった一年生の内田が、途端にべそ顔で嘆いた。
「ふええ、そうなんですか。乗せてもらいましょうよお」
 その表情を見て欅平さんは嬉しそうに、
「はっはは、そうだらう。電車でゆくなんて心底いやになったらう」
 明治文学に出てきそうな文体で口の端を釣り上げた。内田はこくこくと頷く。
「任せな。春から日生大に通うこのエリートOBさまが会場まで送ってやるよ。ほら見ろ後輩衆、トラックだ。どうだい、荷物のように積まれ運ばれる気分はよ!」
 欅平さんは高飛車にもう一度荷台を指した。そんな聞き方をされると、わくわくしますなんて絶対に答えたくないんだが。先輩は再び内田に視線を投げ、
「そしてまさか、おめえが、」
 と意味深な前置きをした。
「えっ、なんですか? 僕はただの内田歩夢くんですよっ」
 例のうさちゃんポーズをして、やつはきょとんと目を丸くした。
「おめえが美々実が言ってたあのうさちゃんか!」
「ふええ、そのうさちゃんですっ」
 満面の笑みになってチビは頷く。欅平さんは欧米人のように額に手を当てて笑みをこぼし、ハンドルに肘をかけ、首をゆっくりと左右に振った。
「参ったな。実にうさちゃんじゃねえか」
 何その変な動作とセリフ。その時、ジョージがゆるく片手を上げて、運転席に近づいた。
「ねえ。ケヤキさんって、あのミミさんの彼氏なんすよね。いやあ会ってみたかったんすわ。とりあえず俺にミミさんゆずってよ」
 無遠慮すぎる発言に、ブイサインとふぬけたスマイル付き。即座に、
「おめえが遠道常侍かー!」
 欅平さんは珍しく声を荒げてひょろ長い後輩を指差した。突如扉を開け、椅子から飛び出しジョージの胸ぐらに掴みかかる。
「美々実に言い寄ったというクソガキかあああ」
「うは、すげえ嫌われてる! ミミさんに聞いたんすね」
「ああ聞いたさ。全部聞いたさ。軽くて細長いやつがいるって美々実が言った時には、ポテ◯ングしか思い浮かばなかったさ。今理解した、こういうことか。とんでもねえ野郎だ。さっさと諦めろ。美々実から手を引け!」
 元副キャプテンは左腕をバッと裁判官のように伸ばした。
「なんで彼氏も冗談通じないの」
「似た者同士でカップルやってるから」
「ソウルさんそれすげえ説得力っすわ」
 小声のやり取りがあった。それからジョージは首をかしげ、こう述べる。
「あ。そういえばケヤキさん、今日ミミさんは来ないんすか。センター試験はとっくに終わってるから、もう忙しくないっしょ。てゆーかそれ以前にミミさんの合否結果って俺まだ聞いてないんすけど、受かったよね? ミミさん」
 突然の沈黙。欅平さんが悲しい表情で胸ぐらから手を離したので、俺は確信して言った。
「お前、一切情報が来ないってことは、あれだろ。察しろよ」
 いきなり空気が重くなった。ヒイロが続ける。
「たぶんミミさん、今日の試合も見に来ねえよ。あの人のことだから、日生大に落ちた手前、後輩には顔を合わせにくいんだろ」
 切なく言って舌打ちをした。
「え、ちょいと待ってくだせえよ。ミミさんニッセー落ちたの?」
 焦るジョージに、ソウルがズレたメガネを直しながら小さく返す。
「たぶん。何も聞いてないけど、言ってこないってことはそうだと思う」
 速見も珍しく、しょげた顔をして地面を見た。
「だってよ、いい事があったらその日の内に、はしゃぎまくって知り合い全員に報告するような人なんだぜ。そのミミさんが、言いに来なかったってことはよ」
 全員が自分のことのように深く落ち込む。欅平さんも眉を下げて、
「ああ。そういうこった。早く乗れよ」
 と寂しそうに呟いた。晴れない気持ちのまま大型トラックの背後へ回る。荷台を覆う帆布の隙間からギョロッとした視線を感じた、途端だった。そこから突然、見知った美少女がボーイッシュな私服で眩しい笑顔で飛び出して、
「うわあああ後輩一斉のしょんぼりありがとううううう」
 勢いよくジョージに飛びついた。他でもない、桐島美々実さん本人であった。彼女は嬉しげにいつもと変わらぬ明るさで続ける。
「えんどーの落ち込んだ顔とか生涯見れないと思ってたーっ! くっそ眼福。だましてごめんな。受かってるよ。私ちゃんと日生大に受かってるよ!」
 俺たちは今の状況に驚き、目を白黒させた。ジョージがいちばん驚いて、
「え、そうすか、合格すか、そりゃよかった、はい」
 抱きつかれたまま困惑顔で頷いている。ヒイロがその光景を真顔で凝視している。欅平さんが苦笑いで「美々実? ヘイ、ヘイ ミミーミ? ボーイフレンド イズ ミー?」と手を振っている。美々実さんは、モテる美少女という自覚をまじで持ってほしい。ほんと、まじで。
 我らの残念美少女はぴょんっと離れて、至極嬉しそうに頭を下げた。
「ふう、余は満足じゃ。我が彼氏ウィングよ、協力本当にありがとう。そして古井先生までありがとうございました。この一斉しょんぼりのためにここまで!」
 薄暗い荷台の中には俺たちの顧問が先に乗っていて、まったりと正座していた。着流しの色は、今日はやる気モードの唐紅だ。古井先生は目尻を下げて、うむ、と微笑んだ。
「美々実さん、どういうことですか」
 もう大体わかっているが聞いてしまった。彼女は申し訳なさそうな表情を作ったが、恍惚とした赤い頬のままで弁明を始める。
「ああ後輩たちよ、本当にごめんな。わざと黙っといたのよ。先生方に頼んで、掲示板にも私の合格情報だけは載せてもらわなかったのよ。そして部室へ報告にも行かず、ウィングと口裏を合わせて、書籍くんにも口止めをして、このミミさんの不合格説を浮上させたというわけだ。そして今日、ここに参って隠れていた!」
「なぜにそこまで」
「そりゃあもちろん、年下男子六人が私のために一斉に落ち込む、この最高の瞬間が拝みたかったからに決まってるだろうがーっ! しかもその直後に一斉に喜ぶ顔が見れるなんてこんなダブルチャンス他にないだろうがーっ! ありがとう幸せだ。私は後輩全員の喜怒哀楽をコンプリートしたかったんだよ。えんどーの哀と怒がまだだったんだよ。哀ゲットだぜ」
 ジョージがため息をつき、肩をすくめて安堵したように笑った。
「たはは、そりゃねえっすわ。ま、合格おめでとうごぜーやす」
「おいこら違うだろ。そこは、よくもだましてくれたなって怒るとこだろ。おめでとうって言う前に怒った顔見せろよ。さあ私にコンプリートさせろよ」
 地団駄を踏んだ彼女を覗き込んで、はいはい合格祝いね、とジョージは呆れたように笑う。少し真剣な顔になって美少女を軽く睨みつけた。
「ミミさん。人をだますのよくない」
「きたあああああ」
「だーめだこの人」
 内田が緑メッシュの元副キャプテンを見上げ、複雑そうに眉を曲げる。
「ねえ。言っちゃいますけど、欅平さんって桐島さんのどこがいいんですか。顔ですか。顔ですよね。どうせ顔だけで付き合ってますよね」
 確信を突くような質問を、口だけ笑って目が死んでいる表情で投げた。
「うさちゃん、何を言っている。俺は美々実の全てが好きさ」
「ふええ」
 どうにもコメントのしようがないときも、内田はこの口ぐせを使う。今のふええを訳したら、きめえになりそうで末恐ろしい。
「きゃーウィングやめろよ、全て好きとかやめろよ!」
 美々実さんが手を振り回して照れている。欅平さんは、はっははと胸を反らして幸せそうに笑った。ヒイロが気づかれない程度に小さく舌打ちをする。ほぼ無表情のくせに、気持ちがわかってしまう。俺や速見の美々実さんに対する気持ちは憧れに過ぎないが、もしかしてヒイロのは、本気なんじゃないだろうかとたまに考えて不憫になる。

 欅平さんと美々実さんは、俺たち第二期生が入部する頃にはすでに付き合っていた。
「皆の衆、入部を感謝する。改めて、私がキャプテンの桐島美々実だ」
「そして俺さまが、副キャプテンの欅平翼さま、ってな。そしてさらにもう一つ伝えておくぜ。体験入部の段階では黙っていたが、(ここで指を鳴らし美々実さんにウインク)付き合ってる」
 本入部の時の二人の挨拶がこうだった。キャラが濃すぎて、言われた内容があまり頭に入ってこなかったのを覚えている。さいですかーお似合いですねーとか思ったんだっけか。
「ええー! そりゃないぜミミさんウィングさん、オイラは今、失恋したんだぜ!」
 速見が大げさに落ち込み俺とソウルがどっと笑った。冗談にできる範疇でよかったと本当に思う。ヒイロは─一年時の初めの初めでまだ心を閉ざしていた時なので─舌打ちだった。
 二人の馴れ初めは単純だ。別に劇的な出会いがあったわけじゃない。文芸バレーボール部に入っただけだ。こんな文学オタクが集うような部活で出会って、一年目は偶然部員が二人しかいなかった。途中入部も現れず「こんなに文バレ楽しいのに」と愚痴りあったり、語りあったり。一年間その環境なら仲良くもなるだろうし、付き合う流れになるのも自然だろう。
 友達同士みたいなカップルなので、本当に付き合ってんのかと疑問に感じる瞬間も多い。特に美々実さんは年下年下といつも言っているし。でもたまに、熟年夫婦のような空気を二人から感じて、なんとなく腑に落ちるのだ。許し合っているというか、何て言うんだろ。愛、とか。
 かっゆ。慣れないこと考えるもんじゃないな。

 ついに荷台に積まれて大きな帆布が入口を覆う。俺たちはこれから、全国大会の会場である日本再生大学までこの大型トラックで運ばれるのだ!
「ケヤキさーん、中、真っ暗なんすけどー」
 ジョージが暗闇の隙間から叫んだ。運転手となる欅平さんは外から─ジョージ相手だからだろう─未だかつて見たことがない投げやりな態度で、演技がかっていない口調で言った。
「懐中電灯使え」
「うぃーす、ないーっす」
 ふいに蛍のような光が灯った。
「大丈夫だよ。俺が持ってきてる」
 ソウルが少しだけ胸を張って微笑んだ。
「さすが山ノ内、用意周到なんだぜ! 正真正銘の完全無欠なんだぜ」
 ニチセイとの試合以来、速見が四字熟語を乱用するようになったから若干うっとうしい。まあ偏っているとはいえ、自学自習に目覚めたのは大きな進歩だがな。
「よし。戦場へと向かう。覚悟を決めろ」
 欅平さんが運転席へと去っていった。美々実さんがその背へ、
「イエッサー」
 と敬礼をして真顔で返した。本当に仲良しだな、先輩たちは。
 激しいエンジン音を立てて大型四輪は走り出す。通行人はまさかこの中に入っているのが荷物ではなく、全国大会に向かう文バレ部員と、その顧問と、美少女OGだとは思うまい。
 どうだこの秘密のトラックは!


※大型トラックの荷台に人を乗せることは、法律で禁止されています。
よいこもわるいこも絶対に真似をしないでね。


 白い光を放つ懐中電灯が冒険心を掻き立てる。ソウルが嬉しそうに、リュックから手回しラジオやタオルを取り出して下に置く。終いにはポテトチップスやビスケットなどがぎっしり入った大きな袋を慎重に手に取り、メガネを光らせてこう言った。
「くっ。これが最後の食料」
「非常事態ごっこ始めんな」
 というか、おやつ持ってきすぎ。
「そーる今年も大量だな」
 美々実さんが笑った。ジョージが肩をすくめて、その袋を持ち上げる。
「ちょいと、最後の食料って感じゼロっすわ。これ一週間は持ちやすぜ」
 ソウルは、真顔で首を振った。いや、と低く呟きメガネを光らせて言う。
「二日間あれば意外となくなる。去年はなくなった」
「まじすか。育ち盛りにも程があるっしょ」
「ホテルで他のチームにもわけたりするからね」
 文バレの全国大会は二日間連続で行われるので、泊まり込みなのだ。『日本再生協会関係者御一行』という気が引けるほど力強い名称で、今日と明日はココペリという名のホテルが全国の文バレ部員と協会の方々で貸切になっている。日本再生大学から最も近い位置にある、黄色くて大きな高級ホテルだ。古井先生が思い出したように尋ねる。
「そういえば桐島さんと欅平くんはもう現役生ではないから、今年は貸切ホテルに入れないね。どうするのだね。近くのビジネスホテルか民宿かね?」
 聞かれた二人は目を輝かせ、美々実さんが威勢よく右手を上げた。
「あ、お構いなく。私らアウトドア派なので、大学真横の自然公園にテントを建てて、野宿しまーっす! あはは、大丈夫ですよ、私こんな性格ですし、男二人みたいなもんですよ。そしてウィングは紳士ですよ。古井先生、心配するだけ損ですよ」
 美々実さんの敬語は、キリと語尾が同じだな。
「ううむ、野宿、とな。まあ君たちなら、よござんす」
 先生は歯切れ悪く頷いた。言われてみれば荷台の中にはキャンプ道具も積まれていた。第一志望の大学に揃って受かり、現在は長い春休み中の先輩方は全力でこの旅を満喫してやがる。むしろ野宿が目的なのではなかろうか。まあ、美々実さんが幸せならいいか。
 ほんの一時間で会場の駐車場についた。
「なんやて。大型トラックで登場とは、一体全体どんな連中でっしゃろか」
 聞き覚えのある声が外から響く。帆布を開けて降りると、やはりニチセイのメンツだった。
「おお、君らかいな! ホンッマ空前絶後の交通手段で来ましたがな」
 忍が体を反らして笑う。その横に、なぜか歌仙のぴよぴよたちも並んでいた。美々実さんが大急ぎで弟に走り寄り、低い頭に抱きつく。
「書籍くーん! 無事に着けたのか。よかった。ほんとよかった。私らと一緒に来ればいいって言ったのに、何が自力で行ってみせるだよ、姉ちゃんは心配で死にかけたぞ」
 生き生きとはしゃいでいる姿なら見たぞ。
「ごめん姉ちゃん、でも僕、皆と力を合わせてちゃんと着けたよ」
「う、うあ。書籍くん行方不明になっちゃうかと思ってたよ、びえーっ」
「うああ、姉ちゃん泣かないでよお、びえーっ」
 かっわいい図。いざ並ぶと似てるどころか、ほぼ同じだ。性格もよく似ているし、大きなツリ目と逆三角形の口なんかそっくりだ。
「そっちは電車で来たのか」
 忍に聞く。やつはにひっと人懐こい笑みで答えた。
「せや。それにしても、相変わらずホンッマややこしい経路でしたがな。そこの歌仙高校の子らなんか、今年が初出場でっしゃろ。来る途中で会ってんけど真逆に向かいかけてたから、もう声かけて先導して来ましたがな。あははは!」
「だから一緒にいたのか。世話焼きありがとう」
 合掌して頭を下げると、カタコト少女の李さんが顔をほころばせた。
「助けるの、当たり前タよ。敵である以前に、仲間だもぬ」
 同じく手を合わせてくれ、中国人らしい涼し気な顔立ちの彼女は目を線にして笑った。
 駐車場には他にもたくさん車が停まっている。その中に、タイヤのない高級車が十数台も並んでいるスペースを見つけてしまった。洗練された流線形に、サイドミラーが羽の形。白いボディーに水色のラインがペイントされている。使徒どもだ。
「聖コトバ学院も既に到着してるみたいっすな」
 ジョージが遠い目をした。
「ふええ。ミカエルさんたち、いろんな高校に下ネタで攻められて、精神的にズタボロにされませんかね。心配ですっ」
 込めた意味は楽しみですだろ、と思う目の輝きで内田が不安な顔を作る。欅平さんがまたもや舞台俳優的なニヒルな笑みを浮かべ、半端に青い空を仰ぎ見た。
「うさちゃん、良い観点じゃあねえか。俺さまもそいつが心配なのさ。確かに二年目ともなると、弱点が知れ渡っていてもおかしくはねえからな。まったく嫌な予感が、しやがるよ」
 だから何そのセリフと仕草。

 会場には次々とチームが到着している。先生と先輩は先にアリーナへ向かった。俺たち選手はまずホテルにチェックインして、部屋に荷物を置くのだ。真っ黄色の外壁が目立つホテル・ココペリは、中の壁までも黄色である。新古今高校です、と受付に言い鍵をもらう。
「え、ちょ、ここって結構な高級ホテルじゃないすか? 協会持ちなんすか?」
 ジョージが慄いた小声で言った。去年も来ている俺たち第二期生一同が小刻みに頷きながら、「そう思うよな、気つかうよな」しっかり声がそろった。金持ちなヒイロを除く。
 しかし部屋のほうはロビーほど委縮する広さではなく、ほどよい居心地の空間だ。六人分のベッドが三つずつ向かい合って並んでいて、壁の色は普通に白である。だが恐らくここはココぺリの中では安い部屋で、もっとお高い雰囲気の部屋もあるんだと思う。
「わあーい、ふかふかっ」
 内田がそのベッドに飛び込んではしゃぎだした。ソウルが青白い顔で呟いた。
「え、おい、まじかアトム。今から大会が始まるのにそのくつろぎよう。俺は無理」
 俺も顔色が悪くなるほどではないが、くつろぐ気分ではない。キリシタンの速見が真剣な面持ちで空に十字を切った。ジョージも意外と緊張しいなので、
「うあーやばいやばい緊張してきた」
 と言って不安げに枕を持ち抱きしめた。ヒイロは布団に触れ、少し不満そうに眉をしかめた。布団が気に食わないのか、大会に思いを馳せているのかわからない。この布団は俺ら庶民からすると感動するほどふかふかなのだが、ヒイロは金持ちだから、何考えてるか去年に引き続きわからない。だいぶ理解できるようになった気でいたんだが、まだまだか。
 体操服に着替える。深呼吸をして、心情を整える。壁掛け時計が九時四十五分を示した。
「よし、行くか」
 覚悟を決めて立ち上がる。いよいよ、全国大会が始まる。

 第一アリーナに五百人を超す選手が並んだ。万葉高校の、赤紫と紺を組み合わせた幅の広い縦ボーダーのシャツ、そして白ラインの入った黒いズボンという、異質なスタイルを久々に見た。聖コトバ学院の上下真っ白も目立っている。KB-24が三体だけ、会場一帯を警備するため規則的にうろついていた。新古今高校にいる型より少し小ぶりだ。
 千人近い観客は、主に保護者と卒業生だった。その中に母さんを見つけてしまい、俺は早々に気が滅入った。某BL漫画家、キャサリン花子その人である。外出用の若作りな服装。言うのがはばかられるが、ショッキングピンクのフリルワンピースだ。サングラスをかけ、一眼レフで選手を物色している。あの人がシャッターを押すタイミングは全て個人的な趣味が理由になっている。よくも撮ったな、と思うある意味ベストショットの写真がアルバムには溢れているのだ。今日と明日でまたコレクションを大幅に増やすつもりか。恐ろしい。
「あ、あれソウルさんの一族っしょ」
 ジョージが客席の一角を指した。ソウルは苦笑して落胆する。
「せめて家族と言ってくれよ。うわ、やだなア、すごく目立ってる」
 そこには全員がメガネをかけた大家族が並んでいた。レーシックの技術が進んだ昨今では、コンタクトの人すら少ない。そんな時代に、家族全員メガネというポリシーを貫き続けている山ノ内眼鏡店には脱帽する。彼ら以外にもメガネの人はちらほらいるが、そのほとんどが時代の変化を嫌っている頑固ジジイとババアたちであった。
 美々実さんと欅平さんが、
「新古今! 新古今! うおおおお!」
 と開会の辞も始まっていないのに叫んでいるのが見えた。二人に限らず、あちこちでいろんな校名が叫ばれている。文バレ部員は総じて叫びたがりである。まあ、そもそもが叫ぶ部活だからな。それに試合が始まると、飛び交うセリフを聞き逃さないように客席は始終黙る必要がある。今のうちに全ての応援をやりきっておこうという思いだろう。
 その客席の中に、若と叫んでいるヤクザ集団がいた。なんだあれ、ガラ悪いな。あの中の誰かの息子が出てるんだろうか。でも、任侠が文バレ? 違和感に若干顔をしかめていると、組の中でも特にごつい、おそらく親分と思われる男が大声で言った。
「おおい、歩夢ゥ! ザコどもァ全員蹴散らしちまえ!」
 ん? 新古今の全員の視線が一人に集中する。あの親分、何と。うちのあざとい担当が、
「うわ、ついにバレちゃった。こうゆう場で名前は叫んでほしくないですよね。父です」
 ため息をついた。よく見るとヤクザが持ってる旗の文字が内田組。
「いやおま、え、おま、え? そういう? え?」
「言ってませんでしたっけ」
「聞いてない聞いてない! てか内田今、バレちゃったって思いっきり口に出てたからな。隠してただろ。いや、思い当たる言動ありすぎるけど衝撃の事実だわ、若」
「静粛に」
 マイクが入った。客席の喚声は一瞬で、寝静まったように止んだ。壇上にグレーのスーツを着た、小太りな初老男が立つ。男は、えおっほん、という咳ばらいを三度した。
「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。私、日本再生協会会長の、竹谷史郎と申します。私事となりますが、実は今年ですね、たった一人の孫が高校生になりました。しかも文芸バレーボール部に入ってくれるという、たいへん喜ばしいことが起こりました。ほら、ほら、そこに選手としていますよ。ユグドラシルっていう名前でね。おおい、ユグや」
 おじいちゃーん、と歌仙の竹谷が手を振った。って、お前かよ! 連続で衝撃の事実来るんじゃねえよ! まじかよ、会長の孫だったのかよ。名前ユグじゃなくてユグドラシルかよ。部員からユグちゃんと呼ばれていたが、それでか。竹谷ユグと思い込んでいた。パッツン前髪の頭を揺らして、竹谷は総員の注目に照れるでもなく嬉しそうに手を振り続けている。
「おじいちゃーん僕ここだからー」
 会長は孫の自慢を散々してから、
「さて本題に入りますが、文芸バレーボールとは、」
 と文バレの説明をしだした。いや知ってるから。選手はもちろん、客席も身内だらけだろ。おじいちゃんもういいよ。結局、彼は三十分も前置きをしてから、会場をのんびり見た。
「ではこれより第二回高校文芸バレーボール部全国大会を開催、いたしたいのですが、えおっほん、えおっほん、えおっほん。その前に、他に何か連絡のあるお方は──」
「早く開催いたしてくれ」
 始まる前からどっと疲れて独りごちた。
「あ、おられない、おられませんか。では、はい。開催いたします!」
 会長はやっとマイクを切り、壇上から降りた。
 一回戦の準備のために、五百人以上の選手がアリーナ中にばらける。収集されるまでは客席で待機だ。文芸バレーボールは相手の言葉が聞き取れなくては試合にならない。複数の戦いを同じ場所で行うことは不可能である。とは言っても、全六十四校という数を一箇所で二校ずつさばいていては、いくら日数を割いても大会が終わらない。よって第一アリーナと第二アリーナに分けて、同時進行で二つの試合を行うことになっている。現在の段階で決められているのは初っ端の相手校だけだ。試合によってかかる時間が違うため、次の相手が来るまで待機という事案があちこちで発生しては、大幅な時間のロスになるからである。「あのチームとこのチームが同じく二回戦まで進んでて、今ちょうど手空き同士だから、次の相手に決定。五分後に集合」みたいな感じでサクサクと、アナウンスに沿って空いているほうのアリーナへ放り込まれていく仕様。いつ呼ばれるかどこが相手になるか、三回戦くらいまではまるで読めない。四回戦ともなると対戦相手が減り、そろそろ呼ばれるだろうな、次はどこと当たるだろうな、ああやっぱりな、となってくるのだが、大会序盤の博打的な恐怖と言ったら凄まじい。一回戦の相手はわかっているので、ゆっくり覚悟ができるのだが、怖いのは、二回戦で強豪校と当たることである。午前十一時。戦争は始まった。
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