文バレ!③

宇野片み緒

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第八章 神々の戦

「ちゃんと戦ってくれませんかねえっ」

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 試合後に、李さんが俺たちのいる客席までわざわざやってきてくれた。
「新古今と歌仙の方々、応援してくれタ、感謝するヨ」
 後ろで一つにまとめた黒髪をひょんと揺らして手を合わせる。広い額が艶やかだ。
「ねえ李ちゃん、途中だいぶピンチな局面あったっしょ」
 ジョージがタメ口で笑う。こいつらは一年生同士である。李さんは、アジア系の大人びた顔を案外に歳相応な反応でムッとさせ、相変わらずの変な日本語で言った。
「違うヨ。ピンチ一度もなかたよ。仲花たちハ、余裕で勝てたタよ」
「またまたあ。タイムイズマネーのくだりなんか、相当やばかったって」
「やばナイよ! 余裕アルよ」
 それにしてもジョージが馴れ馴れしい。
「お前らなんでそんなに親しいんだよ」
 口を挟んだ。軽くて細長い一年生は肩をすくめて、楽しそうに答える。
「たはは、気になりやすか。実は今日の朝ね、文バレ第三期生親睦会を、俺主催で行ったんすわ。ホテルのロビーに広い休憩スペースありやしたでしょ、そこで。もう意気投合ですぜ。李ちゃんのこの独特の感じ、俺すげえ好きなんだよ」
 勝手に何してんだ。李さんは忙しいようで、すぐに「では、またぬです」と、何の間違いか分かりにくい挨拶を残して、ぱたぱたと駆けていった。速見がぽかーんとした顔で述べる。
「親睦会なんかいつの間にしてたんだぜ。気づかなかったんだぜ」
「朝ごはんの後に俺とアトム抜けたっしょ、探検してくるって言って」
「ああ、あのときだったか! 出し抜かれたんだぜ」
 アナウンスは続いて、全四季愛護学院と二兎学院を呼び出した。コートに降り立った二チームは、明らかにオーラが釣り合っていない。全四季の、桃色・黄色・朱色・水色が差し色になっている体操服が強豪らしく眩しい一方で、二兎は山吹色の洒落たデザインでこそあるものの、目つきはおどおどして人数も少ない。客席も、知らないチームだと囁きあっている。
「ふるわれなかった枠か」
 ヒイロが呟いた。三回戦を経てもなお残ってしまった弱小。そうゆうことが去年もあった。多分、二兎は今年のその枠だ。この試合はすぐ終わるだろう。
 全四季の、これまた外人っぽい容姿の女子が一歩前に出た。コケモモのような髪飾りが、大きな三つ編みの節それぞれに付いている。派手な見た目のわりに落ち着いた声が言った。
「じゃんけん結構です。先攻ドーゾ。ビギナーズラックというやつですよ」
 二兎のキャプテンと思しき坊主頭の男が、ぱちくりと目を丸くした。あっ、と零す。
「もしかして俺らンこと、運だけで来れた弱小と思われてますか。参るなあ」
 全四季のコケモモさんは、表情を豊かに変えておどけた調子で首を傾げた。
「あれ、違います? 部屋のモニターと三回戦を観た感じ、そうだったなって」
 長身の彼女は、なんちゃって、と言う風に舌を出した。挑発的だがチャーミングで、不思議と悪印象にはならない。二兎の坊主頭は、あちゃーバレてると顔に書いている様な、あまりにも正直な表情を返した。作戦の顔には思えない。たぶん本当に弱小なのだ……。
 二兎が球を上げる。せっかく頂いた先攻だというのに「詩歌」と大ジャンルを述べた。韻律とか隠喩とか、技法を返してもらえるのを期待しているのが透けて見える。全四季が合わすように、教科書レベルの言葉を返した。
「オノマトペ」
 呼んだ? 文バレやってると、自分のフルネームが叫ばれることが結構あってびびる。案の定ジョージが、呼ばれてやすぜと茶化してきた。うるせえな。二兎学院は不安な表情が和らいで、ある有名な詩の題を返した。小学校の教科書に載っている、こんな詩だ。


 春のうた        草野 心平

    かえるは冬のあいだは土の中にいて春になると地上に出てきます。
    そのはじめての日のうた。

 ほっ まぶしいな。
 ほっ うれしいな。

 みずは つるつる。
 かぜは そよそよ。
 ケルルン クック。
 ああいいにおいだ。
 ケルルン クック。

 ほっ いぬのふぐりがさいている。
 ほっ おおきなくもがうごいてくる。

 ケルルン クック。
 ケルルン クック。

 ふわり、全四季に向かう排球。彼らは平然と「草野心平」と述べてアンダーを上げた。どうやら二兎を完全になめている。わざと簡単な文句を返されるなんて屈辱だ。その時だった。
「いや、だからってさ、あのさ……」
 ぶつぶつ言い、坊主頭が首を横に振った。排球が到着する。
「ちゃんと戦ってくれませんかねえっ」
 彼は泣き出しそうな声で叫んで打ち返した。一分の秒読みが始まると思いきや、全四季はわざと球を取らなかった。床を叩いた排球が転がっていく。文芸でないその球は、そもそもアウトだったのだ。審判が零対一と告げる。二兎のキャプテンは続けた。
「俺ら確かに弱小だけど、ほんと運だけで来れたとこあるけど、全四季さんに敵わないのも分かってるけど、そんな時間つぶしみたいな戦い方されたら浮かばれね」
 最後の語尾で、東北の高校だと悟った。コケモモさんが、苦笑いした。
「たしかに、ごめんなさい。良かれと思ってやったんですよ。せめて長くコートにいたいかなっていう計らいのつもりで。失礼でした。でも本気出していいんですか、秒ですよ」
 草野新平で試合が再開する。二兎が「教科書」と連想ゲームのようなことを言う。そして、本当に秒だった。全四季が「明治五年」と言い、二兎学院は「へっ?」と固まり、気づけばボールが、石投げのようにバウンドして点が入っていた。ソウルがメガネを光らせて呟く。
「何が起きた年?」
 それに対して歌仙高校の竹谷ユグドラシルが返したのでぎょっとした。
「学制が発布された年ですから。全国に学校が出来たけど、まだ共通の教科書は出来ていなかったそうです。そこから改善されて、今の教科書があるっていうありがたーい話ですから」
「詳しいな。あ、読み上げてんのか」
 竹谷はスマートフォンをしっかと握りしめて画面の文字を追っていた。文芸バレーボールの選手たちは、当たり前だがこのカンニングが出来ないのが痛いところである。
 どうせもう一点も簡単に決まって、この試合は終わるだろう。次くらいに呼ばれるかもしれないので、俺はトイレを済ませておこうと席を立った。徐々に真剣みを増していく全国大会。記憶、と一瞬空耳が聞こえて首を振った。「明治五年」「昔々あるところに」ギリセーフを示す尺八の短い音。下のコートから声が反響している。客席の重い戸を開いて廊下に出る。

 第一アリーナに戻ると、やけにざわついていた。ちょうど試合が終わったようだが、不穏な空気だ。全四季が勝った雰囲気でもない。だからと言って二兎が逆転した様子もない。なぜか双方、こわばった表情。投げ捨てるような終わりの挨拶。席の仲間に駆け寄って、
「おい、何があったんだよ」
 と尋ねた。ヒイロが、切れ長の瞳を呆れたように伏せて抑揚なく告げる。
「両方失格しやがった」
「なんだと。まさか一分間の」
 息を飲んで見上げると、やつは静かに頷いただけだった。まじかよ。四回戦まできて、全六十四校から八校まで絞られたここにきて、そんな理由で失格しちまったのかよ。コートから暗い表情の二校が退場していく。胸が詰まった。ぽつりとヒイロの声。
「二兎学院が、一点くれとか言い出しやがって」
「八百長しろって言ってんのと同じじゃねえか」
「ああ。それで全四季は激怒。ふざけるなとか、そうゆうことを怒鳴ってた」
 深いため息。横から速見が、神妙な面持ちで補足した。
「違うんだぜ。二兎はよ、どうしても返しの言葉が出なくて、初めはほんと、冗談で言ってたんだぜ。ちくしょー一点だけでも欲しかったーって、諦めた笑顔で打ってよお……」
 ヒイロの言い方ではもっと懇願だったのかと思った。ジョージが肩をすくめて続ける。
「全四季も、ほら、序盤わりとふざけてやしたでしょ。やっぱりそうゆう明るい校風で、残念でしたーって、笑って打ち返したんすよ。そしたら二兎が、いやあ譲ってくださいよおって。もう二兎は知識尽きてるから、会話で返すしかねんだわ。んで、全四季が、アレッて。そこから雲行き怪しくなって。全四季がね、おい時間稼ぎやめろ、文バレに戻せって怒鳴って。二兎も多分、そこらでズルいこと思いついちまったんすわ。まだ戻さねえ、返し思いつくまで繋ぐとか、めちゃくちゃなこと言い返しちまって、こうなったらもう取り返しつかねえ」
 ジョージの口調で聞くと、まるで笑い泣きを誘う落語のようだ。
「で、言い争いで一分?」
 チームの同期の表情を順繰りに見て、俺は問う。ソウルが切ない作り笑いをした。
「うん。どっちも我を忘れてた」
 序盤の雰囲気を思い出す。おちゃらけていたコケモモさんと、あちゃーって顔をした坊主頭。途中からではあったが、真剣勝負で向き合えていたのに。なんだか、ひどく切なくて涙が出そうになった。同じく涙ぐんでいるかと思い、なんとなく内田を見ると超冷めた表情をしていてぎょっとした。目頭の熱さが一瞬でなくなる。重ならなかったことが意外なような、当然のような。目が合うとやつは、急いであざとい笑みを作った。
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