文バレ!③

宇野片み緒

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第八章 神々の戦

「戦う価値がないので」

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 時刻は正午を指した。四回戦はあと二試合だ。
「なあ小野、まだ呼ばれてないチームって俺たちと、あとはどこだ」
 ソウルが落ち着きなく聞いてくる。
「聖コトバだろ、あとは万葉と、唄唄い」
 速見がハッと息を飲んで、指を組んだ。
「まだ万葉とは当たりたくないんだぜ。アーメン」
「まとさんのチームが優勝できますように」
 キリが同じくお祈りを始めた。美々実さんも欅平さんも便乗する。内田もそのポースの真似をして、ぎゅっと目を閉じた。
「神さま、お願いしますっ」
「後生ですぜ神さま」
 ジョージまでもが真剣に祈っている。ソウルも拝むように手を合わせて、
「四回戦敗退はいやだ、四回戦敗退はいやだ」
 と繰り返した。俺も便乗して祈ったが、この中でキリシタンは速見だけだろ。なんで全員がアーメンしてるんだよ。ついにヒイロまですっと指を組んで目を伏せたから、もう全員バカ。
 そして俺たちは次の瞬間、また断末魔を聞くことになるのだった。
「万葉高等学校と聖コトバ学院高等学校は、五分後にコートへ集合してください。四回戦を行います。繰り返します。万葉高等学校と聖コトバ学院高等学校は──」
 そのアナウンスで、新古今と歌仙は全員、驚いて顔を上げた。ミカエルたちの叫びが遠くから届いた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と妙な呪文のような言葉を唱えて、向かい側の客席にいた真っ白な集団が、波のように崩れていく。
「神よ、どうしてお見捨てになったのですかって言ってるんだぜ」
 速見が通訳した。聖書に出てくる言葉らしい。俺たちは半分おふざけで組んでいた指を後ろめたい気持ちで崩し、背中に隠した。
「な、なんだこの罪悪感。ごめんなさい」
 ソウルが目を泳がせて言った。内田がふええを連発している。本当、ふええだよ。
「なんてこった。よりによってすぎるんだぜ」
「優先されちゃった? ねえ俺たちの祈り優先されちゃった?」
 速見とジョージが慌てて言い合う。ヒイロが舌打ちをして頭を抱える。
「よし。こうなったら、聖コトバを全力で応援しようぜ」
 俺は勢いをつけて立ち上がった。白鳩が三十匹、客席からコートへ下りようとしている。表情が暗い。追いかけて声をかけると、長身の見目麗しいハーフたちは弱気な半泣きで振り向いた。ミカエルの表情がまるで女子。
「がんばれよ」
 やつらは、あ、と目を丸くして少し顔色を明るくした。キリも握りこぶしを作り、大きなツリ目をもっとつりあげて、逆三角の口でこう宣言した。
「あのですね、僕たちを倒したチームにこんなところで負けられたら、歌仙の文バレ部は弱小だって証明されてしまうんですよ。だから勝ってくださいよ。しょうもないチームに負けただなんて、僕たち思いたくないんですよ」
 聖コトバの三十人はそれを聞き、みるみる士気を上げた。 
「おやおや。歌仙高校のために勝てと仰るのですか」
 ミカエルがストレートの金髪を手で払い、うざったいくらい優雅に笑った。
「フフッ、わるくないですね!」
 この単純さ、きらいじゃない。

 コートに、長身ハーフと筋肉質ヤンキーの人垣ができた。万葉の部員は二十人弱である。
「おいおい。全身真っ白じゃねえかよ。天使気取りがよお」
 万葉の山田ジョンが手始めに罵倒した。嘲笑う口から八重歯が覗く。
「そう仰る君たちこそ、まるで美しくない配色ではありませんか」
 ミカエルが微笑み返す。赤紫と紺のTシャツに、黒と白の半ズボンという変な組み合わせの体操服を着ている万葉高校のあいつらを、俺はバイオレット集団と呼ぼう。サーバーの堀田菩菩だけが長ズボンだった。
「へええ。言ってくれるじゃねえか。女顔の、箱入り僕ちゃん」
 猫なで声で下世話な笑みを浮かべたジョンに、貴様と声を荒げてヨシュアが拳を振り上げた、その瞬間だった。右手で彼を静止し、
「ヨシュア、これ以上は時間の無駄です」
 ミカエルが澄んだ声で呟いた。口元は笑っていない。睫毛の長い水色の瞳が、相手コートを見据える。フフッ、と口の端を釣り上げた。
「早く始めましょう。一刻も早く、あのゴミどもを視界から消し去りたいのです」
 ゴミ呼ばわりした! バイオレット集団はギリイと歯を擦り合わす。協会が用意した白いボールを、ジョンは愚痴を言いながらサーバーに投げてよこした。
「ああ調子が出ねえ。白じゃ調子が出ねえよなあ、堀田菩菩よお。協会はこの真っ白い球を、あの真っ白い連中に向けて投げろってよ」
 ご丁寧に仲間の紹介付きでジョンは三白眼をつりあげる。名前を言うときだけ、客席全体に言い聞かせるような遅さになった。
「問題、
 菩菩は綿が詰まったような、しかしただのデブから発される音ではない、深く広がる声で返した。まるで重低音で咆哮する巨大な熊だ。
「聖コトバ学院高等学校 対 万葉高等学校 全国大会四回戦 開始」
 尺八が高く鳴る。審判は協会の人間にしては若い、三十代と思われる男だった。服装は赤いタートルネックにジーパンである。菩菩は肉付きのいい大仏のような手でサーブを打った。そして出題に、この上なくひどいものを選んだ。
「官能小説」
 排球がのろのろ飛んでいく。打つ瞬間、やつは微塵も笑わなかった。目が異様に細い強面に、モアイ像のような鼻が作る濃い影が落ちただけだった。聖コトバは途端にぐらついた。
「ふ、ふぁ、ふぁんたじー!」
 フロントライトが赤い顔で返した。あの時、えっちーと返してきたきらっきら少年・柊守生だ。官能小説は男のファンタジーという異名を持つジャンルでもある。客席がどよめいて全体的に引いている。万葉高校め、全国大会でこんなひどいことを!
「エロライトノベル」
 万葉のバックライトがにやけて返す。ハーレムものだとか、異世界の女の子といちゃついたりだとか、そういう類のものである。聖コトバ側に速いスパイクが飛ぶ。硬直して顔を赤らめた彼らの間を縫って、ボールがコート内を叩いた。
「一対零」
 尺八が高く鳴る。白鳩たちが、絶望の表情を浮かべた。
「なんだ。口ほどにもねえな」
 ジョンが鼻の穴を膨らませた。チームの全員が耳障りな笑い声を立てやがる。守生が、緑色の瞳に涙を溜めてボールを相手コートへ転がした。改めて見ると、かなり線の細い男だ。上げすぎな半ズボンのせいで丸わかりなのだが、アレが付いていないようにも見える。ん? 男だよな? これまでは試合にいっぱいいっぱいで、気にもしなかったが。
 菩菩は、転がったきた球を前後屈で受け止め、ぬうんと腰を伸ばしサーブの体制に戻った。石像の如き目鼻口には一切の迷いも見えない。なぜだ。野郎と言えども、大勢の美人が目の前で涙目になってるんだぞ。なぜ心が揺らがない。天使の羽を踏んでる気分にならないか。
「やつら最低ですね」
 内田がぼやいた。
「お前が言うな」
 呆れてため息をつくと、後輩はこちらを向いて静かに微笑みこう告げた。
「キャプテン。僕あの時、本気で好色一代男を勧めてたわけじゃないんですよ」
 少し驚いて、鶯色のどんぐり眼を見た。内田は続ける。
「あのね。歌仙がどう言い返してくるか、試してたんです。答えようによっては、桐島を殴ろうと思ってました。新古今との練習で何を学んできたんだって」
 でも、いいチームに育ってくれてましたね、と照れ笑いをしてから、
「ほらキャプテン、今からが悪い例ですっ」
 ごまかすように前を向いた。客席は眉をひそめてバイオレット集団を睨んでいる。万葉のヤクザ麻呂は、ふてぶてしい態度で試合を再開した。
「エロライトノベル」
 野太い声が脳で響く。これに、どう切り返すというのだろう。聖コトバなんて、そんな文献のことは何も知らなさそうじゃないか。
「ジュブナイル!」
 フロントレフトのヨシュアが必死に打ち返した。エロライトノベルを少し古い言い方にするとこうなるのだが、なんであの教徒が知ってやがる。苦手分野じゃないのかよ。そしてなんで俺も知っちゃってるんだよ。おのれ、母さんがそんなのばかり読むせいだな。ついでに補足するがジュブナイルの本来の意味は、少年期である。小説のジャンル名として使われると突然こんな意味になってしまうから納得いかない。少年が皆エロ好きだと思うなよ!
「ヨシュア、それは一体どういう意味なのですか」
 人形のように整った瞳で、ミカエルがちょこんと首をかしげた。興味を持ってくれるな。
「知らなくていい」
 早口に返しヨシュアはかぶりを振る。美少年は少し残念そうに斜めを見た。そうだ、お前みたいなやつは生涯知らなくていい。ジョンが天高いボールを仰ぎ見てほくそ笑む。
「性的描写」
 てめえ、どこまで外道になれば気が済むんだ!
「セッ……」
 守生が口を開いて、そのまま言い切ることができずに、球を取り零して泣き崩れた。
「二対零」
 尺八が鳴る。床を排球が転がっていく。彼は澄んだ緑色の目から溢れる涙を指で払い、細く柔らかそうな髪を震わせ、乙女のような座り方で天に祈った。
「お許しください、こんな言葉を、ううっ、思い浮かべてしまって、ひっく、い、言おうとした、僕を、お、お許しください、神よ」
 改めて聞くと、高い声だ。ハーフにしてはずいぶん幼い顔つきで、聖母像の子供のような薄い金髪を持っている。僕と言ってはいるものの、あの子はもしや少年ではなく、少女なのだろうか。聖コトバの男女交際禁止の規則から勝手に男ばかりの部だと思っていたが、まさか。天然パーマをおかっぱにしたような髪型や、緑色のタレた大きな瞳は女子に見えなくもない。何より男らしさが微塵もない下半身で確信が揺らいだ。ってどこ見てんだ俺は! いや、だって真っ白い短パンをぴったりハイウエストにされてたら、絶対下半身に目が行くだろうがよ!
「う、うあ、スノちゃんを泣かせるなんて万葉はひどすぎるよ」
 キリが二つ後ろの席で嘆いた。
「ああ、同期なんだっけ?」
 ソウルが振り向き、色素の薄い目で穏やかに笑って尋ねる。席にいる一年生全員が小刻みに頷く。こいつらの話から性別が分かるかも。ジョージがへらっと補足した。
「あいつ、話してみたら案外面白いんすよ。朝の親睦会の時に初めてまともに口きいたんすけど、あんまり従順で健気なもんで、この俺ですらスノをからかうのはためらったんだな。それを万葉はあんなに傷つけて泣かせてんだから、許せないっしょ」
 歌仙の全員と、内田までもが深く頷いて同意している。ソウルは困り顔で苦笑してから、合わせるように首を縦に振った。そうは言われても俺は守生ってやつのこと詳しく知らないしなア、とでも思っているんだろうな。それにしても、一年生ズの間でも随分かわいがられる側ってことは、やっぱり女子か? それにしては背が高すぎるし体格も良すぎるんだが。
 聖コトバの連中は先ほどの柊守生の罪を、神に心より謝っていた。結局、あれは男なのだろうか。なんせ付いてなさそうだし、俺には超長身の女に見え始めているのだが、男女交際禁止だろ。守生が女だとしたら、退学沙汰にならないか。それに聖コトバには中性的な野郎が溢れているので、まだ断言できない。ニチセイの李さんについては多少男っぽい顔つきでも一目で女とわかったのに、あいつはわからない。それにしても聖コトバはなぜ、ここまで真っ直ぐに実体のない何かを信仰できるのだろうか。わからない。もう何もかもがわからないけれど、あの天使たちの羽を土足で踏んでいる万葉高校は許せない。
 我らのヒーローが舌打ちをして席を立った。
「どうしたヒイロ」
「見ていられない。廊下で待っている」
 短く告げ副キャプテンは去った。万葉の不愉快な笑い声が耳にこびりつく。
「なあ小野、ジュブナイルって何?」
 ソウルが左から、ミカエルほどではないが純粋な目で聞いてきたので、
「少年期だバカ野郎!」
 と叫んで反射的にチョップを入れてしまった。
「いてっ。へえ、そうなのか。説明ありがとう」
 いつだって穏やかに許してくれるので、安心感からつい雑に扱ってしまうときがある。
「ごめんソウル。八つ当たりした」
 大丈夫だよ、とやつは大人しそうな顔で微笑む。本当にごめん。
 コートではバイオレット集団がにやついて、つらそうな美少年たちを舐めるように見ている。全くひどい光景だ。来年からはR指定禁止という決まりができるに違いない。
 いや、来年では遅いよな。俺たち二年生はこれが引退試合なのに。こんな最低の試合で負かされて引退なんて、やりきれねえよな。
 守生のすすり泣きが聞こえる。菩菩がサーブの構えをする。
「棄権いたします」
 突然、澄んだ声が響いた。万葉の連中が顔を歪める。
「ああん? 逃げんのか」
 ジョンが眉を歪めて鼻を鳴らす。ミカエルは蛇のような冷たい目で、神々しくやつを見下ろした。天から響く声が、鉄槌を食らわせる。
「戦う価値がないので」
 万葉の連中は一瞬黙った。天使もどき、いや、天使は続ける。
「こうして君たちと戦った事実が、記録に残ることすら不快なのです。もうなかったことにいたしましょう。そして二度と、僕たちの前に現れないでください」
 それから仲間へ少し、申し訳なさそうな笑顔を向けて、恭しく尋ねた。
「よろしいですか。このような、終わり方でも」
 白い全員が、達観した微笑みで頷いた。
「ああ。我らが主君の仰せのままに」
 ヨシュアが跪いて、ミカエルの手を取り見上げた。
「お、おいおい。棄権ってことはお前らリタイアだぜ。自ら負けに行くって、バカかよ。まじでバカ。がははは、俺らの強さに怖気づいてやんの」
 ジョンは指差して焦りを隠すように笑い転げた。ミカエルは諭す笑みで首を左右に振った。
「いいえ。君たちに対する恐れからの行動ではございません。全ては我々、神の子の名誉を守るためにいたすことです。アーメン」
 その返事を合図にして、万葉の全員が爆笑する。菩菩だけは無表情で黙っていた。やつらには信じる者の気高さなど、きっと一生わからない。審判が声を張る。
「聖コトバ学院の棄権につき、万葉高校の不戦勝といたします」
 客席がざわつく。バイオレット集団の下卑た笑い声が響く。
「あああ面倒くせえ。どうせ諦めるなら、始めから出てくんじゃねえよ。誰かさんたちのせいで、ずいぶん時間の無駄になったよなあ」
 凄んだジョンに守生が怒った様子で何か訴えた。ほぼ口パクである。
「聞こえねえよー!」
 べろべろばあ、と山田ジョンはバカ面をした。それを睨むように一瞥してから、ミカエルは審判に向けて謙虚に頭を下げた。
「協会の方々には、大変なご迷惑をお掛けしました。お許しください」
 赤タートルネックのおじさんは幻想世界に迷い込んだような顔になり、いやいや、と紅潮して天使たちに首を振った。バカみたいに飛び跳ねて、
「ほんと迷惑すぎんだろ。ザコは引っ込んでろー、だ!」
 声を上げ続けるジョンを見て、俺は改めて覚悟した。
「あのゴミども、絶対に捨ててやる」
 最後まで優雅に戦い、そっと客席へ上がってきた真っ白い三十人は、歌仙と新古今とニチセイが揃っている場所へ来て、深くこうべを垂れた。
「ご期待に応えられず、申し訳ございませんでした」
 まるで女のような顔で落ち込み、ミカエルがぽつりと言った。キリが泣きながら答える。
「そんな、謝らないでくださいよ。僕たち、とってもいいチームと二回戦ができてたんだなあって、本当に思えたんですよ。歌仙の全員、もう悔いがないですよ」
 他のホビットたちも涙目でぴよぴよと頷いた。守生がまた小さく何かを告げたようだが、この距離でも口パクにしか見えなかった。表情と唇の動きから察するに、ありがとうだと思う。試合中は声を張って打っていたし、大声で神に謝罪までしていたというのに、会話だけがこんなに小声になってしまうから謎である。照れ屋という認識でいいだろうか。
 ちなみに後ほどヨシュアに尋ねて知ったのだが、この柊守生という性別不詳の選手は、神への忠誠心ゆえに去勢してしまったという、俺の理解の範疇を大きく超えた正真正銘の男であった。付いていないことに関しては見間違いではなかった。
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