逆襲の発酵食品

ゲレゲレ企画

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逆襲の発酵食品

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逆襲の発酵食品

Au: アラバスター単位、におい成分の成分量の単位である。においの強弱は、におい成分毎にヒトの感覚閾値との相乗値で評価され、純粋な「においの単位」ではない。



 世界レベルで異変が起きたのは、東京五輪の熱気も冷め、国内経済が緩やかな下降を示し始めた頃だった。

 中国政府の弾圧に端を発した新疆ウイグル自治区での暴動が始まりというのが、現在では学者連の共通見解と認識されている。無論、中国政府は事実無根の言い掛かりだと一切、認めていないが。

 結論から言えば、人民解放軍の銃弾と鎮圧用催涙弾、そして人海戦術にて多数の死者が出た。見せしめの意味もあったのかもしれないが、野晒しにされた死体が、三日ほど後に次々と再起動する。

 虚死性多動型症候群―――偉い先生方が命名した症状だが、誰もそんな名称では呼んでいない。俺らのような一般人は・・・『ゾンビ』と見たまんまで読んでいた―――。



『今日のゾンビ予報ですが。欧州南部では活発な動きが予想されています。また、アメリカ南部と中部のゾンビ集団が合流するとの予想に、連邦政府は3個師団の動員を決定しました。次に、インド北部での・・・』

 あの日以降、世界はゆらりと様変わりしてしまった。武装に忌避感を持つ日本国内ですら、銃器はともかくとして、日本刀やナイフ、バール程度の携帯なら黙認されるようになった。

 野党の一部と、市民団体とやらが抗議活動をしたものの、その抗議活動の最中にゾンビに襲撃され、それまでの抗議から一転、警察や自衛隊の不手際だと無茶な事を言い出し、国民の失笑を買ったのは記憶に新しい。

「今日も元気だね、ゾンビちゃんは!」
「季節関係無しに活動するけどな」

 スマホで、『今日のゾンビ予報』を視聴していた俺に、友人の高津が覗き込みながら話し掛けてきた。チャラい外見に反し、この男は未だにガラケーユーザーだったりする。

「新九郎の家もてんてこ舞いだろ?」
「高津の処も似たようなもんだろ、オヤジさん、商工会議所の会合で、人手が足りないってボヤいていたって、うちのオヤジから聞いたぞ」

 多分だが、俺や高津の家業は、現在の状況では県内でも最も忙しく、そして儲かっていると思う。

「ああ、地元の若い連中だと、なかなか定着しなくて」
「それは、うちも似たようなもんだ。休日返上で、俺も駆り出されている」
「こっちもだ。バイト代は出るけど、それを使う暇がねえ」

 先週の土曜日は、半ドンで帰宅し、昼食を搔き込んでから、日曜の23時まで働かされた。休憩と食事時間を除外すれば、33時間労働になる。時給3,000円とはいえキツイ。

「ねえっ、新九郎君、高津君、知り合いとかでバイトを探している子とかいない? 時給2,500円からのスタートで、昼食、夜食代も出るんだけど」

 話しに混ざってきたのは、ショートカットが似合うスポーツ系少女の美夏ちゃんだった。彼女の家もご多分に漏れず忙しいようだ。

「無理だよ、うちだって短期バイトなら時給3,500円で募集掛けているのに、全然、人が来ないもの」
「こっちもだ、知り合いには片っ端から声を掛けたけど」

 三人揃って溜息を吐く。帰宅部とはいえ、学校の方が心身ともに休まるというのは如何なものか。

「美夏ちゃんの家で、人が集まらないんじゃ、俺らだともっと厳しいよな」
「だな・・・沢庵の方が臭いもマシだろうし」
「そう言うけど、あれはあれでキツイよ。食事に沢庵出るとゲンナリする」

 美夏ちゃんの家は、沢庵を作って、創業250年を超す老舗中の老舗で。江戸時代には、お殿様に献上していたというくらいだ。

「高津の処は?」
「人手もだけど、原材料が高騰して困っている」

 高津の家は珍しい商品を作っている。鮒寿司なんだが、本来は琵琶湖のある滋賀県の名産だ。何でも、高津の高祖父が明治維新の折、関東に転居して始めたらしい。その為、鮒寿司を作っているのは、県内では、こいつの家だけと聞いた。

「新九郎君の処も、やっぱり原材料とか高止まり?」
「大豆は政府の方が優先的に回しているみたいだけどね」

 俺の家は曾祖父の代から納豆作りをしている。朝、昼、晩と納豆が常に食卓に置かれていた。

「鮒の養殖業者も手一杯でさ。天然モノに至っては、爆騰状態だぜ」
「うちの場合は原材料より、仕込みの時間が厳しいかな。寝かせなきゃいけないのに、小売店や卸しは連日のように出荷を催促してくるし」
「美夏ちゃんの処もか。俺の家にも、今まで付き合いのなかった大手の小売りチェーンが、手土産持参で来ているよ」

 ゾンビ災禍は世界規模で起こったが、偶然に回避方法を見付けた勇者がいて、それ以降、一定の歯止めが掛かった。動画サイトに投稿されたのは、ゾンビに対し、シュールストレミングを投げ付けるもので。破裂寸前の缶詰が地面に叩き付けられ、その衝撃で爆砕した瞬間、ゾンビの集団は一斉に苦しみだして、数分ほどで行動を停止した。元から死んでいるので、殺したというのは適切な表現ではないかもしれないが。曰く付きの発酵食品がゾンビキラーとして有効である事を、世界に知らしめたのである。

 この動画の反響は大きく。瞬く間に閲覧件数は億を超え、また、模倣する者も生み出す。

 臭いモノならと、アンモニア薬品などを使用した例もあったが、結果として、些かの足止め以上の効果は見受けられなかった。また、ドリアンのような元来から臭いの強い食品も、効果がなく、加工した発酵食品だかが、今の処、有効だと認定されている。

 その発酵食品にしても、化学的に生成されたモノでは効果が薄く。昔ながらの手法で作られた発酵食品だけが、ゾンビに対し有効だと証明されるのに、それほどの時間は掛からなかった。

 臭気指数計:8070Au 誇るシュールストレミングが戦略核とすれば。朝鮮半島の臭気指数計:6230Au ホンフェは戦術核クラスの威力を発揮した。

 我が国も追随し、くさや(焼きたて)臭気指数計:1267Au、鮒寿司 臭気指数計:486Au、納豆 臭気指数計:452Au、沢庵 臭気指数計:430Auなどの発酵食品の有効性が証明されるに至った。

 結果、スウェーデン、韓国の国際的発言力が建国以来、最大レベルで高まる。

 日本にしても、くさやの八丈島、鮒寿司の近江・滋賀、日本各地の沢庵工場、そして我が故郷、水戸も納豆の生産に追われる事になった。

 この中で、特に八丈島や大島などくさや汁が空気中に漂うような場所は、ゾンビにとって死地に等しく。実験的に安全を確保した上で、両島に上陸させたゾンビは、三分と持たずに塵芥に帰した。

 理化学研究所の発表に拠れば、両島の空気中に漂うくさやの臭気、菌などが覿面の効果を上げたのだろうと。

 さすがに滋賀や水戸では、そこまでの効果は見受けられなかったものの。鮒寿司、納豆の有意性にいささかの翳りもなかった。

 これら発酵食品のメリット、直接投擲武器などでもゾンビに効果があるが。それ以上に喜ばしい発見は、これらの食品を日常的に摂取する事で、ゾンビに襲われにくい、また、襲われても噛み付かれる寸前に相手側から回避する、仮に噛まれても発酵食品の愛用度次第で、ゾンビ化しないなどが報告された。

 つまり―――くさや、納豆、鮒寿司、沢庵、これら日本でなら手に入り易い代物を、毎日のように摂取していれば、ゾンビ災禍は九分九厘避けられるという指針を国が保証した。

「俺ら、ゾンビに全身を噛まれても、ゾンビにならないんじゃね?」
「そんなに臭くないと思うんだけどねぇ」
「だよな、歯磨きとかボディソープとか、結構、気を使っているぜ」

 俺と高津、美夏ちゃんにしても、納豆、鮒寿司、沢庵は食卓において不動のレギュラーで。しかも全試合フルイニング出場という鉄人選手であった。

 しかも、大規模な工場生産の商品よりも、うちのような家内制手工業のような商品の方が、効果が大きい事も確認されている。

 こうなると商品の注文も止まらない。ネット販売は売り切れ御礼、通販も半年待ち、直接に足を運んでいただいた、お客様にも商品がないので頭を下げる日々だ。

「昨日、ニュースでやっていたけど。納豆とくさやの奪い合いで、機動隊が出動したって言っていた」
「そのニュースなら見たよ。東京の港区だっけ? あんな、お洒落な街で納豆とくさやの奪い合いってのも何だかな・・・」
「奪い合いなら、まだマシだろ。俺の家なんか、鮒寿司を寄越せって脅迫電話が掛かってきてさ。先週から、工場と自宅前にポリボックスが建ったぜ」
「高津ん処もか。俺の家、近辺は納豆屋が多いから、街区の所々に警察の装甲車が出張っているよ。居住者の証明をしないと、家にすら近寄れないのは困るんだけどなぁ・・・」
「うちは三姉妹だから用心の為に、民間の警備会社から警備員を派遣してもらったけど。沢庵作っている漬け物屋さんは、日本全国にあるからマシな方かな」

 1億2,000万人が一斉に対ゾンビ効果のある発酵食品を求めた結果、当然だが品薄になって、価格も高騰し、最近では納豆1パック、2,000円前後で推移している。

 3パックで100円前後だった時代からすると暴利だが、それでも生産が間に合わない。痺れを切らし、自家生産に及んだ者もいたようだが、長年蓄積された工場内に漂う納豆菌とは勝負にならず、ソンビに対し気休め程度の効果しかなかった。

「くさや汁だけど、牛乳瓶一本分で時価3,000万円の値が付いたって本当?」
「らしいよ。ヨーロッパのオークションで」

 分析し、化学的に合成大量生産すれば、元が取れるとでも考えたのだろうが。そこら辺は、欧米人では辿り着けない領域かもしれない。まさか付け汁を、継ぎ足し継ぎ足し続けて数百年、知識として知ってはいても、本質の部分では追い付けないだろう。

「韓国がイキりまくってるのが癪に障るよな」
「国連の常任理事国入りを要求したって、この間の新聞に載っていたな」

 先述したが、スウェーデンと韓国が伝来の発酵食品の1位と2位に君臨し。また、それを求めて世界中のバイヤーを始め、各機関、投資家、政治家、富裕層なども阿ったせいで、変な風に勘違いしてしまった。

 スウェーデンでも国粋主義者が景気のいい発言をしたが、周囲が理性的なので、そこまで暴走はせず。周囲も含めて非・理性的な者しかいなかった韓国は、ブレーキの壊れたトロッコと化した。

 意外と言ったら失礼だが、北朝鮮はこの騒動に便乗せず、粛々と自国内での生産、消費だけに止め。これを契機に朝鮮半島統一を声高に言う、韓国側の声を黙殺していた。

 事情通が語るには、北の生産力では世界情勢に影響を与える程、ホンフェを作れないからだと説明していたが、真相は薮の中である。

 これら国家の地位向上とは比べるべくもないが。我々のような発酵食品を家業としている者の地位も相応に上がった。

 今まで賤業扱いしていた、親が公務員や一部上場企業の生徒などが、オレらに媚を売るようになってきた。将来は銀行員と結婚したいとのたまっていた女生徒ですら、オレに秋波を送ってくると言えば、その度合いが分かり易いかもしれない。

「……ところで、ヒョイと思いついたんだが。ウ〇コって、見方を変えると発酵食品にならないか?」

 こいつは何を言い出すのか……。少なくとも『食品』ではないだろうに。

「臭いで品質を決めるのなら。菜食主義の美少女よりも、コッテリ大好きなオッサンのウ〇コが価値があるだろうな」
「嫌な話しね……いくらゾンビ対策でも勘弁してよ」

 そんな与太話をしていたが、数日後に国連が全世界に発表をした。丁度メシ時であったが、アフリカ出身の国連機関局長がマジな顔で。

『ウ〇コの効果が証明された。特に発酵させた『肥溜め』の代物が最高の効果を発揮する。ゾンビに投げつけても効果が見込めるが。自身で食し、身体に塗り付けた方が、より効果が見込める』、と。

 唖然とするオレと家族たちだったが、そこに一本の電話が掛かってくる。こんな時にと出てみれば、相手は名乗る前に開口一番に要求してきた。

『お宅様の畑に設置してある肥溜めですが、当社にて全量買い上げたいと考えております。つきましては……』

 納豆ではなく、ウ〇コをありがたがる日が来るとは……。衛生とかの概念は、どこかで永眠したのかもと、受話器に耳を当てながら、そんな益体もない事を考えていた――。
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