雨の世界の終わりまで

七つ目の子

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第九章:英雄たち

第九十七話:雪女に覚えがある

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 極寒の吹雪の中、二人はひたすら北へと進んでいた。目的はただ一つ、北の果てへと到達すること。
 道中で魔物を討伐することも重要だが、正直言えばここの地域の魔物を倒したところで世界に影響はない。流石に、こんな土地に住む人間は居ない。一部の海洋生物や動物が生息するのみだ。
 食人種の魔物以外は何を食べて生きているのかすら分からないのが魔物。いや、食人種すら、人間を食べなくとも生きていけると言われている。ここらに住む魔物は、たまたまこの地にたどり着いてしまった人間を始末するためだけに生きている。そんな風に言われていた。

「スノーエレメンタルは分かりますけど、雪女ってなんなんですかね」
「何やら絶世の美女の姿をした魔物だという噂だ」
「会った人はその悉くが死んでしまう。この北方の地の都市伝説じゃないんですか?」
「そうかもしれんな」

 雪女、この北方の永久凍土には、そんな魔物が居ると言われている。
 人すら殆ど入らぬ土地に、人間型の魔物が生息するだけでも不思議なことではあるが、その魔物に出会った人間は、幸せな夢を見ながら死に至る。その様に言われている。

「サキュバスの亜種という可能性もあるんじゃないか?」
「ああ、男の人と夢でえっちなことをして殺すって言う淫魔ですか……。男の妄想とも言われてますよね」
「あれは実在するらしい。マイケルが会ったことあると言っていた」
「冗談を言うタイプではないですね。でも、夢でってのは?」
「いや、実際には夢に入り込むわけではなく直接しようとするらしい。遠征の時に群れに出会って、騎士団の1割が死んだと聞いた」
「へ、へえー。なんか素直に悔やめないですね……」
「それこそが奴らの目的さ。あのマイケルすら欲求に抗う為に自身の体に傷をつけざるを得なかったと言っていた」
「あ、あのマイケルさんが……」

 ディエゴ・ルーデンス、通称マイケルは二人の出身国の筆頭騎士。騎士団長にして国王の片腕、友人。様々な称号を持つ男の中の男。
 多くの女性ファンを持つ彼ではあるが、その人生に一切の浮ついた話を持たない。結婚もしていなければ彼女の一人も居ない。かと言って男色でもない。性欲が存在しない、騎士道こそが恋人。ある一人の男に負けて以来、それはより強固なものへと変わった。でもまたそこが良い。そんな風に言われている男だった。
 そんな男が、サキュバスに対しては欲望に押し流されかける。

「ああ、あのマイケルがサキュバスはヤバいと言っていた」
「それなら、レインさんすら死にかけるこの極寒の地でサキュバスに会ってしまったら……」
「ああ、抵抗も出来ずにやられるかもしれん」
「雪女の正体は、サキュバス……?」
「まあ、可能性の一つだけどな」

 もしもそうであれば、かなりの強敵なはずだ。
 とは言え、女性型のサキュバスに対して男性型のインキュバスがいる、らしい。しかし、雪女に対して雪男と言ってしまえば違う魔物を指す言葉だ。
 雪男は別の大陸の雪山に生息すると言われている2.5mを超える白い毛むくじゃらの人型の魔物。実在の魔物だ。
 インキュバスは噂としてでも出てくるのに、雪女の男版は聞いたことがない。

「ふーん。まあ、体のあったまってるレインさんと私にとっては大した問題ではないんじゃないですか?」
「誘惑される前に殺せばいいかもしれんな」
「でも、見た目で分かるんですかね? 絶世の美女なんですよね?」
「サキュバスは分かるらしい。なんとなくではあるものの、確実に人間ではないと感じるらしい。とは言え構えを取る前に逆らえ難い欲求が生まれると言っていた」
「へえー……」

 なんとなく不機嫌そうになるサニィに、特にそれを気にも止めないレイン。
 いつも通り、レインは目の前に現れれば、脳に届く前、脊髄で魔物を感じて殺せば良い。実際にそれが出来るかどうかはともかく。そんな風に考えていたのに対し、サニィはもしも誘惑されたら嫌だなぁと思ってしまう。これはレインを信じていないわけではなく、単なる条件反射。
 互いに似たような者同士であっても男女の関係、その様な違いが起こってしまっても致し方ないものだった。

「さて、あ、20km東方に人が居ます。ちょっと危ないですね。全力で走れます?」
「了解だ。乗れ」

 噂をすればと言う言葉がある。
 サニィがレインに乗り、あらゆる環境整備系の魔法を使い快適に駆けて行くと、それは居た。
 いや、居なかった。

「だ、誰だ、てめぇら、は……」

 その場に居たのは地に倒れた一人の男。焦点も合わず、体は冷え切っている。ずっとその場を見ていたものの、マナを感知していたものの、他には何も居なかった。

「勇者レインだ。こっちはサニィ。助けに来た。サニィ、処置を」
「いらねぇ」
「ダメだ。お前はこのままでは死ぬ」
「お前、達のせいで、あの美女が居な、くなってしまった。せっかく彼女のおかげ、で暖かくなってきたのに……」
「そんなものは最初から居ない。お前は幻覚を見ている。サニィ、このままではこいつは死ぬ。一旦南に戻るが魔法を使いながら走れるか?」
「一応症状の経過と対処方法は霊峰を登った時に勉強しました。頑張ってみます」

 レインは男を背に乗せ、サニィはそれについて走る。できる限り振動を抑える為に全神経を集中すれば、それは今のサニィの全力と同程度の速度。
 二人共が本気だった。道中、3人が死んでいるのが見えるが、サニィ曰く外傷はなし。全員が凍死だろうと言う判断だった。何かと戦おうとした形跡も、仲間内で争った形跡も無し。格好から、一人は魔法使いだろう。服を脱いでいる者もいる。

「雪女に出会った者は必ず死ぬ。理由は簡単なものかもしれない」
「ええ、この人が出会った美女も、雪女だったのでしょうね」

 この世界には、北極点と言うものがある。世界は球状であって、北の果てはとても寒い。
 その場所には目印が立っているらしいのだが、どんなものかは秘密とされている。それを一目見ようとこの地に足を踏み入れる腕利きの冒険者も少なくない。多くの者は余りの寒さにリタイアするのだが、それでも強行する者が居る。
 それがこの男のパーティだった。

 なんとか南へと戻り、一命を取り留め、しばらくすると男は語りだす。

「俺達は5人組のパーティだった。5人でやればデーモンでも倒せる。旅も好きだ。だから、北極点を目指そうとなるのも必然だった。次第に、環境の厳しさに一人が脱落を宣言した。俺達はきっと、その時にはすでにおかしかったのかもしれない。そいつを一人で帰らせると、俺達は4人で進んだ。その後はあまり覚えていないんだが、確かに、雪女が居ると誰かが言っているのを聞いた。俺も、見た気がしたが……」

 ――。

 その後、最初に帰らせた一人はなんとか帰還したと言う話を、無事北極点に辿り着き、再び男の入院した病院に立ち寄った所で聞いた。
 その人、その女性は凍傷で腕を切断することになってしまった様だが、魔法使いだった。
 サニィが一つの魔法とマナの効率化を教えたことで通常の生活には支障のない程度には回復し、レイン達が助けた男と共に生きていくと決めたらしい。

「結局のところ、スノーエレメンタルが2匹出ただけ、やはり雪女はただの幻覚か」
「会いたかったんですか? 絶世の美女。レインさんって意外とアレですもんね」

 助けた二人がその後どうなったかは分からない。
 風の噂では、壁に大きな聖女の肖像画を掛けた店で、腕の無い女性が、腕が有る人よりも遥かに美味しい料理を出すという話を、聞くことがあった。
「腕がないのに腕が良い。どうだい私の料理は?」「なんと言っても彼女は腕に覚えがあるからな」
 そんな気さくな女将と大将の居る店は、大いに盛り上がったらしい。

 残り【1420日→1398日】 次の魔王出現まで【179日】
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