情愛ボトルキープ(2/25更新)

狂言巡

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朝チュン

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 ゆるゆると意識が浮上したので薄っすらと目を開ければ、そこはまだ暗闇の中であった。しかし窓の障子にはほんのりと白み始めた気配があり、夜明けが近い事を教えてくれている。和良は布団からそっと抜け出すと、閉め切られていた障子を僅かに右へずらした。久方ぶりの小旅行である。特段いい宿に泊まろうとか、そういうわけでもない。ここはごくありきたりな、普通の温泉宿だ。もう一眠りできる時間帯ではあるが、何だかやけに目が冴えてしまった。

「和良くん」

 せっかくだから朝風呂にでも行こうかと思っていたところ、名前を呼ばれた。声の出所の方を見ると、掛布団から半分だけ顔を出したヒカルがこちらの様子を窺っている。

「ずいぶん早いね」
「ごめん、起こした?」

 小さく詫びれば、否定が返ってきた。

「この年になるとね、だんだん眠りが浅くなってくるんだよ」

 和良は備え付けの小さな冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、ボトルに直接口を付けて一気に飲み干す。冷たい水が全身の細胞に行き渡る感覚が心地よい。

「和良くん」
「ん」
「大丈夫? 躰しんどくない?」
「っ?!」

 危うく口に含んでいたものを吹き出すところだった。

「おばちゃん昨日は久しぶりに調子に乗っちゃったからさぁ、」

 などといかにも親父くさい物言いをする恋人を、青年は鋭く睨みつけた。しかしその目元は、淡く色付いている。

「……平気だよ。それよりアンタの方こそ大丈夫なの。昼まで起きられないとか言うなよ」
「大丈夫大丈夫。それを見越した和良くんが昨日」
「そ、それ以上言うな! セクハラだぞ!」

 カーッと顔を赤くした和良は、手にしていたボトルを勢いよく握り潰すと、ハンガーにぶら下げていたバスタオルをむんずと引っ掴んだ。

「朝風呂してくる!」
「は~い、いってらっしゃい」

 バタバタと部屋を出て行った恋人の後ろ姿を、ヒカルはのんびりと見送る。

「そういえば、変なとこに跡付けてなかったかな……」

 朝風呂を楽しむ客が少ない事を祈るしかなかった。
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