怪奇拾遺集(7/4更新)

狂言巡

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シンニュウシャ

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 雨が降ってきた。
 とはいってもシケた小降りレベルだったので、これくらいなら走らなくても平気だろうと速度を変えずに歩いた。
 買い物帰りは両手が重い。だからと言って下手に手を動かすわけにはいかない。今日の食材のメイン、タマゴが入っているのだ。割ってしまうわけにはいかない。
 もし割るどころかヒビでも入ってしまったら、自分達の今日の夕食はタマゴの無いオムライス、いや、ただのチキンライスなってしまう。何とも空しい。それにオレ以上に、兄と同居人は不機嫌になることだろう。
 それだけは、絶対に避けたい事態だ。……あいつらがグルになった悪戯ほど質の悪いものはない。
 タマゴには気を付けながら歩いていると、次第に雨が強くなってきた。ついでに風も。さすがにこれは、せめて早足で歩かなければ。

(こんちくしょう)

 俺は家へと急いだ。先ほどよりも早めた足で。
 水溜まりが出来た場所をうっかり踏みつけ、泥水が跳ねてしまった。ジーパンの裾が濡れ、靴もだんだんと水が染みてきた。気色悪い小石や砂の感触に眉を潜めるが、仕方ない。
 こんな日に買い物に出掛ける羽目になったのは……同居人とのじゃんけんに負けたからだ。悔しいが、負けは負け。

「いってらっしゃい」

 潔く買い物に出掛けようとした時にアイツのドヤ顔が、あまりにも憎たらしくて忘れられない。あんちくしょうが! 次は絶対に勝ってやる。
 やっとこさ家が見えてきた。雨はまだまだ勢いを増して、かなり強い。
 あと数分で警報が出るのではないか。まさしくバケツをひっくり返したような雨。
 全身びしょ濡れ(なのに躰は温い、不思議だ)で、もう堪らなくなり、タマゴを守りながらついに走った。
 水溜まりの水がさらに大きく飛び掛ってきたが、そんなのは気にならないくらいにズボンは濡れていた。
 このまま家へ入ると、アイツは怒りそうだ。玄関に入った途端、無言でタオルを投げつけられるに違いない。
 ああ、雨の日の買い物なんざ良いもんじゃねー。内心で悪態吐いた時、信じたくない光景を目にした。
 青と白。洗濯物だ。今朝干した洗濯物が、まだベランダにあった。

(アイツら、どっちも取り込まなかったのか?)

 この雨だ。きっとびしょ濡れになっているだろう。
 アイツらのことだから、おそらく昼寝か音楽を聴いていて気付かないのだ。あのニブチンども!





 やっとマンションの入口まで着き、階段を駆け上がった。乾いた廊下の上に、靴の裏の模様が残る。この足跡の持ち主はあの部屋だということがバレバレだ。どうでもいいが。
 軽く汗を掻きながら、部屋の前へとたどり着き、ポケットから鍵を取り出す。急いでいるのでなかなか上手くいかない。どちくしょう。
 躊躇しながらも、鍵は開いた。扉を開け、靴を脱ぎ、部屋に入った。床が濡れるなんてしったこっちゃない。

「――兄貴、白雪?」

 なんと驚いたことに、同居人の方は寝ていなかったのだ。髪を縛ったままだった。
 首にヘッドフォンをぶら下げ、ベランダのガラスにべったりと張り付くようにして、外を見ている。……何してんだコイツ。
 兄は見かけなかったので、どうやら部屋で爆睡しているようだ。
 つか、ベランダに洗濯物が干されたままじゃねーか!
 俺は持っていた荷物をソフアへおろし、ベランダへと駆ける。

「何やってんだ、テメェっ。洗濯物がびしょ濡れじゃねえか」
「――あ、ゆき、」

 俺に何か言っているが、今はそれどころではない。鍵を開け、ベランダを開けた。
 とんでもない勢いで風が入ってきた。今冬かと疑ってしまうほど、とても冷たく、一瞬後ずさりする。

「ぶっ」

 その時、洗濯物が顔に当たった。風で飛んだのだ。どこのギャグ漫画かよ。
 慌てて洗濯物を次々と取り込む。運良く落ちたのは一枚だけで、下に落ちる事はなかった。安堵して顔の雨を拭う。
 そしてギロリと同居人を睨んでやる。同居人は、こちらをじっと見ている。

「手伝えよ……つーか、雨が降ったら洗濯物を取り込むのが常識――」
「あーあ」

 俺が喋っている途中に、同居人は声を出した。

「ユキが開けるから、入って来ちゃった」

 その時はじめて、同居人の視線の先が、俺ではない事に気付いた。
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