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少し昔/翁草と暁

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 部屋の鍵を開け、重い足取りでヒカルは帰ってきた。電気を点けると、まだ生活感のない所為で妙に広く感じる殺風景な部屋。隅には未開封の段ボールが積んである。慌ただしく引っ越して一週間が経つが、ヒカルの職場は繁忙期の真っ只中で、荷物を広げる暇さえなかった。
 上着と鞄をソファーに放るようにおいて、釦を外しながら浴室に向かう。ワイシャツやスラックスをクリーニングに頼む用の籠に入れて、下着は自分で洗うので洗濯籠に入れる。疲れた肉体を湯に沈めたかったが、湯を張るのさえ億劫で熱いシャワーをさっと浴びた。髪と顔に美容オイルを塗り、バスタオルで適当に拭きながら全裸のまま部屋に戻る。衣装ケースから下着を掴みだし、スポーツブラとポメラニアン柄のパンツを身につける。
 裸足でフローリングを進み、冷蔵庫を開ける。食料はほとんど入っておらず、飲料ドリンクの類だけ辛うじて補充されている。ヒカルはフルーツ牛乳を掴みだし、プルトップを開けてぐいっと飲み干す。休憩室で夕食に若手が買ってきてくれたサンドイッチを食べたが、まだ小腹がすく。髪を乾かしながら、棚のレトルト食かカップ麺でも食べようかと考えるが、それより眠気が勝った。
 ヒカルは電気を消してフローリングに直接置いたベッドのマットレスの上に寝転ぶ。明日も六時には起きて昨日の続きがある。目覚ましの時計のアラームをセットして、スマホを枕元に置く。シーツを頭まで被り、ヒカルはすぐ目を閉じた。





 夜間対応のカメラ映像に映るヒカルの行動をモニター越しに見ながら、篝火は苦笑する。昇進して多忙な姪孫の生活が心配でならない。叶うなら、すぐにでもヒカルの部屋の段ボールを紐解いて荷物を整理し、ベッドもちゃんと組み立てて、冷蔵庫にちゃんとした食材を入れてあげたい。欲を言うなら家具や服も買ってあげたい。
 週末になったら様子見を装って彼女の部屋に行って、片付けを手伝えるように手配しようかと篝火は思案する。彼女から誕生日プレゼントに貰った手帳を開いて自分の予定スケジュールを確認し、顔を顰める。週末にはほぼ一日を占める量の予定が入っている。おざなりに出来ない相手との会食と取引。会う事さえ時間的に厳しい。ヒカルと過ごせる余裕がない事に、篝火は不満そうに口角をひん曲げる。自分にできる事は見守る事ぐらいしか工面できない今の現状は非常に不満だが、頭ではこれが最適なのだと解っている。
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