校内怪奇談(11/10更新)

狂言巡

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教室

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 源光太郎みなもとこうたろう少年が一人、廊下を歩いていました。

「こわいなあ……やっぱり誰かについてきてもらえば良かった……」

 外はとうに夜の蚊帳に覆われています。星は輝いてはいましたが、月が出ていないせいか彼の視界は非常に悪いものでした。

「どうして榊君がいない時にかぎって、教室に忘れものなんかしちゃったんだろう……」

 おそらく無意識のうちなのでしょう。そうぼやきながらとぼとぼ廊下を歩く少年の名は、光太郎。ちなみに彼が今こぼした中に登場したのは光太郎と同室の榊葵さかきあおいであり、彼は実家の事情で夕刻頃から自室を留守にしていました。
 光太郎が筆箱を忘れた事に気が付いたのは、夜になっての事。友人達に借りようとも、そんな時に限って皆は何らかの用事で不在。けれどもシャーペンは必要ときていて……。そうであるからでして、彼はたった一人で教室棟へと向かう羽目になったのでした。

「ううう……」 

 カチカチと奥歯を鳴らし、小刻みに震えているのは、近頃めっきり下がった気温のせいでは無いでしょう。その証拠に、庭のそこかしこから聞こえてくる鳥の鳴き声も光太郎の耳に入っていないようで、ぎいぃぃと自らが踏んで軋む廊下の板の音にさえ、びくりびくりと怯えている始末です。

「…………」

 もう声を出す事にも意識が回らなくなったのでしょうか。押し殺すようにして呼吸を繰り返しつつ、ようやくというか、とうとう光太郎は自分の教室の前へと辿り着きました。
 怖そうな動物にでも触るようにおそるおそる戸に手をかけて、そして一息に戸を開きます。

「…………!」

 その瞬間、光太郎は思わず目を閉じて躰を硬くしたのですが、数秒後、何も起こらなかったのでゆっくりと、瞼を開けていきます。
 そこにはただ、障子から差し込んだ星明かりによってぼんやりと物の配置などが窺える、教室の風景が広がっているだけでした。 

(よかった……)

 恐ろしいものがいない事に忽ち光太郎は安堵し、廊下を歩いていたよりも些か勇み足で自らの机へと駆け寄っていきます。机の上や下、その周囲を見回していって、やっと彼は教卓の上に置かれ、窓から差し込む光を一身に受けている自らの筆箱を見つけました。

(あった)

 光太郎は筆箱を掴み、立ち去ろうとしました。

「ヒッ!」

 しかし、光太郎は目を見開いて立ち竦むしかありませんでした。 
 なぜならその時、星明かりがかすかに差し込む窓硝子の前に立っている、五歳児くらいの童女と目が合ってしまったのですから。彼女は死に装束を着ていましたが、彼はそこまで気づいていたのでありましょうか。

「あ、あ……ぁ……」

 言葉にならない悲鳴が、喉の奥で潰れてわずかな残骸が外に洩れました。
 金色の瞳は、じいっと一心に光太郎を見つめています。それ故に意識を手放せずに、彼はただ恐怖のみを感じ続けるしかありません。

「ひ、ぃっ!」

 恐怖のあまり目からは涙が零れ、喉が痙攣を始めました。しかし泣く事によって、硬直した躰がやや柔らかくなったのでしょうか。
 思考は相変わらず恐怖に支配されていたものの、光太郎は筆箱を掴んでいた手を素早く自らの元へと引き寄せ、視線を逸らさないままやがてずざりずざりと後退しはじめました。
 暗がりに目立つ金色の双眸は、動かずにただ光太郎を見つめ続けているだけです。

「ひっ、ひぃっ」

 それでも、光太郎の口からは嗚咽のような短い悲鳴が止まりません。だがそれすらも気にする余裕も無く、目を逸らせぬまま無駄に手を空中で振り回し、笑う足を使って、ゆっくりと後退していきます。戦意など毛頭ありません。
 不意に、こつん。その腰に何かが当たりました。

「ひいぃっ!」

 おもわず光太郎は全身を強張らせ、そちらを振り向きます。しかし。そこには最前列の机があり、自分がぶつかっただけでありました。

(なんだ……)

 突然のそれに、一瞬にして硬直した心身が安堵に弛んでしまいます。そのせいか、自分に何が起こっているのかを一瞬、忘れて前に向き直った光太郎ですが。
 彼の視界には、童女の顔しか映りませんでした。瞳孔が開いた両目に、映る自分……。

「ぎゃぁぁぁぁあああっ!」

 とりあえず、事前に便所トイレへと行っていたので失禁せずに済んだ事が後の彼にとって、せめてもの救いでしたでしょう。
 自らの絶叫にも驚きながら、光太郎の意識は不意に暗闇に消えました。
 




「……い……、おいっ!」
「う……」

 何かの大音量により光太郎が次に意識を覚醒させた時、周囲はキラキラと輝いていました。
 数十秒後、それが葉の隙間から差し込む日光によるものだと理解し、彼はようやく躰を起こそうとして、

「……あれ?」

 起こせずに、自分が何かによって浮いていることに初めて気付いたのです。

「おー、起きたか光太郎!」

 ふと、耳の近くからよく知った声が聞こえてきます。

「……ヒリュウ先生?」

 それに加え、自らの視界に広がる景色が木と空であること。腹と背中の辺りに圧迫感を感じる事。どうやら自分が荷物のように彼の肩に乗せられているのを察しながら、光太郎はそう呟きます。

「僕は……」

 一体どうしたんだろうと、みなまで言う前に飛龍と呼ばれた中年の教師はそれを持ち前の大声で掻き消してしまいます。

「いやぁ、それにしても光太郎、一体庭で何してたんだ? 深夜特訓でもしてたんか?」

 その言葉を聞いて、光太郎は自らの耳を疑いました。

「……庭?」

 彼の記憶では、意識を失うまで確かに教室にいたのです。ですが視界に満ちる木々の緑と青い空から、どうにも飛龍先生の言葉が正しいようだと分かりました。

「僕は……教室にいたはずなのに……」

 昨夜の記憶を辿っていくうちに、あの恐ろしい出来事まで思い出してしまい、再びブルブルと震える光太郎。彼にとってそれは完全な独り言であったのですが、それを聞いていた飛龍先生は、不思議そうに言いました。

「何を言っとるんだ? 夜間教室棟には鍵が掛けられていて誰も入れんようになってとるのを、おまはんも知っとるだろう」

 それを聞いた途端、光太郎はすっかり忘れていたその事実を今さら思い出したのです。

(そうだ。教室棟は夜になったら鍵をかけられてしまうんだ)

 昨夜はそんな当たり前の事をすっかり忘れ、朝や昼間の時と同じく、ごくごく普通に教室棟に入った記憶があるのは確か。物理的には入る事が絶対に無理であった教室内に入り、恐ろしい化け物と遭遇したのです。

(やっぱり、あれは夢だったのか?)

 行く途中で気を失うようにして、寝てしまったのだろうかと思いながら、光太郎は筆箱を握っていたという記憶のあるその手を見れば、何も握られてはいませんでした。

(夢で決まりだな) 

 光太郎がそう結論付けた時、彼らが離れていった教室棟の前にて、二人の教師が昨日の事を話していました。

「……それにしても、妙なこともありますわね……」
「ちゃんと誰もいないことを確認して、しっかり施錠して回りましたのよ」

 そう呟く、ド派手ななりの妙齢の女教師に、もう一人の優しそうな顔をした中年教師は同意を示します。

「全くですね。驚きましたよ、一足速く来たら教室の中に生徒が倒れていたんですから」

 そうして二人は、また別の会話を続けていきます。

 結局誰も何も分からぬままでありましたが、とにかく光太郎は筆箱を見つける事が出来ず、新しい物を後日買ったそうです。ですが、筆箱の中身自体は彼の机の上に置かれていたそうで……。
 それだけが、光太郎の分かる、確かな事実でありました。
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