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水面2
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薄霧が出ていたある日の事である。
学園の裏庭の池で、柏木司は何とも妙な光景に遭遇した。
(おかしい……)
ぶくぶく。
決してマグマのように茹っているわけではない。しかし、水面が蠢いているのだ。魚、ではない。その池では何も飼われていなかったし、万が一魚だったとしても、やはりおかしくはないだろうか。
もこりもこり。
水面のそこらかしこが、絶え間なくでこぼこに盛り上がっている。その下に白い何かの姿がぼんやりと見える。ぱしゃんと沈んでは、そうしてまた同じくらいに盛り上がっていく。その繰り返しだ。
まるで、水の中に潜むたくさんの何かがひたすら外に出ようとしているような、そんな不気味な光景の広がる池に司は近付いていく。彼は自分の行動に驚愕し、止めようとしたのだが、何故だか足は止まらずに池に向かって進んでいく。
彼の躰はいつの間にか、彼の意思で動かなくなっていた。
(足が勝手に動く!?)
不可思議な現状に戸惑いつつ、司はちっとも制御が効かない躰をどうにか自分の意思で動かそうとするのだが、やはり動かない。それでどうやら自分が池の中にいる何かに引き寄せられていると解るのだが、それを止められる者は彼も含めていなかった。
そうして池の淵に立ち止まった司の躰は、その場に膝をつく。池の一面に広がっていた凹凸は更にその動きを激化させて、彼のしゃがむ池の淵を中心に集まっていた。
荒れた動きに水が服や頬に跳ねるのも気にせず、司の両手は池の中に入っていく。
(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……)
本人の意思とは関係無いその行動にも関わらず、餌を奪い合う魚のように水は彼の手に向かって次々と押し寄せていく。その時、司には水の中にいるものなどの姿が嫌でも見えてしまった。
(うわぁっ!)
真っ白い、拳ほどの大きさの小さな人の頭部を……。
それは半分溶けているように見え、はっきりとした形を成していなかったが、その顔は紛れも無く人である。どれもが目をぎらぎら光らせていた。老若男女、様々な顔形をしたそれらがこぞって器をかたどる司の手の中に入ってこようとしているのだ。
(なんだ、これは?)
混乱するのも束の間、自身の手が持ち上がっていくのを感じて意識を手に向ければ、司は更に驚愕した。一つの頭が水と共に掬い上げられて、その目がジィッとこちらをさも嬉しそうに見ているのだ。嫌な予感がふつふつ湧いてくるのを感じながら、手はだんだん口元に近づけられていく。
(まさか)
司の嫌な予感は、残念ながら当たった。首が、少しばかり上向きになる。
(これを、飲ませる気なのか!?)
ぞくぞくと、嫌悪感が一気に背筋をはい上がる。捨てようとするが、まだ躰は言う事をきかない。
(これはなんなんだ、もし飲んじまったら)
乗っ取られるんじゃないか――そう直感した時には、手は既に口元に添えられていた。
(嫌だ!)
手が、傾く。何かが入った怪しい液体を口に入れた時、司はただ冷たい水の味だけを感じた。完全に嚥下した時、がくりと急に体の力が抜けて横に倒れたが意識は鮮明である。
(あれ?)
力の入らぬ躰をそのままに視線だけを前に向ければ、やはり変わらず、ざばざば。水面は恨めしそうに蠢いている。いくら経っても嘔吐だとか意識が誰かに乗っ取られるだとか、そんな怖ろしい気配も様子も無く、彼は内心で首を傾げた。
(なにも起こらない……)
それに僅かに安堵を覚えた時、次に脳裏に浮かんでくるのは疑問である。
(なんで、こんなことさせたんだろう。というか、あれはなんなんだ)
そうしてゆっくりと躰を起こしていけば、水面が眼下に移動する。
池の中の顔は揃いも揃って叫ぶように口を開けて、何かを訴えかけるような視線で自分を見つめている。苦痛からの救いを請うようなそれらの表情を見ていると、一つの推測が浮かんだ。
(そこから、出たいのか)
この状況にしっくり馴染むような気がしないでも無い。
相変わらずバシャバシャと五月蝿い水面を一瞥して、司は立ち上がった。恐怖と不安はあったが、自由に動く躰が強張った心を安心させる。
(なんも、起こらなきゃいいんだけど……)
不安を掻き消そうとするかのように、司は四肢に力を篭めて今度こそ池から遠ざかっていく。
水面は間もなくして静まっていった。
「最近な、司の様子がちょっとおかしいねん」
ウルフカットの少女――早喜綾音がぼやいた。
「池とか井戸とかに水辺に近付いたりするとな、変な顔して水面見つめんの」
「こんな感じにな」
目の前の湯飲みを引き寄せて、綾音はちょっと眉を寄せた思案顔でお茶の表面を見つめている。
「この前『どしたん?』って聞いたことあるんやけどな、そのとき司はこう答えたんや」
顔を湯飲みから上げた時、綾音の表情は真剣なものに変わっていた。そして、
「『ここにもたくさんいる』って」
しばし沈黙の間を置いてから、綾音はため息をつく。
「あっこに何がおるんやろうな。少なくともウチにはなーんも見えへんかったけど」
「……本当ね」
彼女の話を黙って聞いていた菊は、態度にこそ出さなかったものの、背筋に異常な寒気を感じていた。
(水の中には、何がいるんだろう)
少し気にはなりつつも、張本人を直接問い質して答えを知るだけの勇気は、今の彼女には無かった。
(知らないほうが良いってこともあるのだし)
(聞かなきゃよかった……)
肩と三つ編みを小さく揺らした菊は、食堂でたまたま出会った不運を秘かに嘆いたのだった。
学園の裏庭の池で、柏木司は何とも妙な光景に遭遇した。
(おかしい……)
ぶくぶく。
決してマグマのように茹っているわけではない。しかし、水面が蠢いているのだ。魚、ではない。その池では何も飼われていなかったし、万が一魚だったとしても、やはりおかしくはないだろうか。
もこりもこり。
水面のそこらかしこが、絶え間なくでこぼこに盛り上がっている。その下に白い何かの姿がぼんやりと見える。ぱしゃんと沈んでは、そうしてまた同じくらいに盛り上がっていく。その繰り返しだ。
まるで、水の中に潜むたくさんの何かがひたすら外に出ようとしているような、そんな不気味な光景の広がる池に司は近付いていく。彼は自分の行動に驚愕し、止めようとしたのだが、何故だか足は止まらずに池に向かって進んでいく。
彼の躰はいつの間にか、彼の意思で動かなくなっていた。
(足が勝手に動く!?)
不可思議な現状に戸惑いつつ、司はちっとも制御が効かない躰をどうにか自分の意思で動かそうとするのだが、やはり動かない。それでどうやら自分が池の中にいる何かに引き寄せられていると解るのだが、それを止められる者は彼も含めていなかった。
そうして池の淵に立ち止まった司の躰は、その場に膝をつく。池の一面に広がっていた凹凸は更にその動きを激化させて、彼のしゃがむ池の淵を中心に集まっていた。
荒れた動きに水が服や頬に跳ねるのも気にせず、司の両手は池の中に入っていく。
(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……)
本人の意思とは関係無いその行動にも関わらず、餌を奪い合う魚のように水は彼の手に向かって次々と押し寄せていく。その時、司には水の中にいるものなどの姿が嫌でも見えてしまった。
(うわぁっ!)
真っ白い、拳ほどの大きさの小さな人の頭部を……。
それは半分溶けているように見え、はっきりとした形を成していなかったが、その顔は紛れも無く人である。どれもが目をぎらぎら光らせていた。老若男女、様々な顔形をしたそれらがこぞって器をかたどる司の手の中に入ってこようとしているのだ。
(なんだ、これは?)
混乱するのも束の間、自身の手が持ち上がっていくのを感じて意識を手に向ければ、司は更に驚愕した。一つの頭が水と共に掬い上げられて、その目がジィッとこちらをさも嬉しそうに見ているのだ。嫌な予感がふつふつ湧いてくるのを感じながら、手はだんだん口元に近づけられていく。
(まさか)
司の嫌な予感は、残念ながら当たった。首が、少しばかり上向きになる。
(これを、飲ませる気なのか!?)
ぞくぞくと、嫌悪感が一気に背筋をはい上がる。捨てようとするが、まだ躰は言う事をきかない。
(これはなんなんだ、もし飲んじまったら)
乗っ取られるんじゃないか――そう直感した時には、手は既に口元に添えられていた。
(嫌だ!)
手が、傾く。何かが入った怪しい液体を口に入れた時、司はただ冷たい水の味だけを感じた。完全に嚥下した時、がくりと急に体の力が抜けて横に倒れたが意識は鮮明である。
(あれ?)
力の入らぬ躰をそのままに視線だけを前に向ければ、やはり変わらず、ざばざば。水面は恨めしそうに蠢いている。いくら経っても嘔吐だとか意識が誰かに乗っ取られるだとか、そんな怖ろしい気配も様子も無く、彼は内心で首を傾げた。
(なにも起こらない……)
それに僅かに安堵を覚えた時、次に脳裏に浮かんでくるのは疑問である。
(なんで、こんなことさせたんだろう。というか、あれはなんなんだ)
そうしてゆっくりと躰を起こしていけば、水面が眼下に移動する。
池の中の顔は揃いも揃って叫ぶように口を開けて、何かを訴えかけるような視線で自分を見つめている。苦痛からの救いを請うようなそれらの表情を見ていると、一つの推測が浮かんだ。
(そこから、出たいのか)
この状況にしっくり馴染むような気がしないでも無い。
相変わらずバシャバシャと五月蝿い水面を一瞥して、司は立ち上がった。恐怖と不安はあったが、自由に動く躰が強張った心を安心させる。
(なんも、起こらなきゃいいんだけど……)
不安を掻き消そうとするかのように、司は四肢に力を篭めて今度こそ池から遠ざかっていく。
水面は間もなくして静まっていった。
「最近な、司の様子がちょっとおかしいねん」
ウルフカットの少女――早喜綾音がぼやいた。
「池とか井戸とかに水辺に近付いたりするとな、変な顔して水面見つめんの」
「こんな感じにな」
目の前の湯飲みを引き寄せて、綾音はちょっと眉を寄せた思案顔でお茶の表面を見つめている。
「この前『どしたん?』って聞いたことあるんやけどな、そのとき司はこう答えたんや」
顔を湯飲みから上げた時、綾音の表情は真剣なものに変わっていた。そして、
「『ここにもたくさんいる』って」
しばし沈黙の間を置いてから、綾音はため息をつく。
「あっこに何がおるんやろうな。少なくともウチにはなーんも見えへんかったけど」
「……本当ね」
彼女の話を黙って聞いていた菊は、態度にこそ出さなかったものの、背筋に異常な寒気を感じていた。
(水の中には、何がいるんだろう)
少し気にはなりつつも、張本人を直接問い質して答えを知るだけの勇気は、今の彼女には無かった。
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