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36 そして、再び土曜日
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俺がセリーナの服をストレージに入れるという“洗濯”を済ませたあと、ログアウトした。
床から半身を起こしてデバイスを頭から外すと、タピオカくんはすでに隣のテーブルでノートパソコンを開き、何かを調べていた。
「お帰りなさい、遅かったわね。」
「ああ、ただいま。セリーナの食事と服の洗濯、それに必要な素材を用意していたんだ。」
「洗濯?」
「ええ。ログイン中は体も装備もゲーム仕様で疲れないし汚れない。でもログアウトした後は普通に破損や汚れるんだ。装備をストレージに入れると新品同様に戻るから、それを利用して洗濯しているんだ。」
「豆腐くんのエッチ。」
「なんで?!」
「セリーナちゃんの下着を触ったでしょう?」
「あのなぁ……」
「冗談よ、わかってる。」
彼女は相変わらずパソコンに向かい、攻略サイトで妖精について調べている。俺はその横に腰を下ろし、話を続けた。
「はぁ……わかればいい。それと、全異常状態を防ぐの〈聖護の首飾り〉はもう製作中だ。」
「あれ?無垢晶は全く出ないんじゃなかったの?」
「セリーナが頑張って集めていたらしい。先ほどテーブルに小さいのがたくさん置いてあっただろう?」
「あ~あれね。でもちっちゃいわ。」
「あの世界ではストレージ内の素材の数量は体積で決まっているんだと思う。例えば大きな鉄鉱石を収納すると、その体積を拳サイズに換算して“拳サイズ何個分”と表示される。もし単純に一個と計算されて、出した時に拳サイズになったらすごく変だろ?」
「それは一理あるね。でもあなた、この前木を軽く叩いただけで木材が出たでしょう?実際は木を斬ってないのに、それは無から生み出した素材じゃない?」
「それはわからんな。多分、セリーナが集めた無垢晶は、システムのドロップじゃないからだ。俺がログインしている時はメニューの力があるから、木を軽く叩くだけで木材が出てくる。でも俺がログアウトしてセリーナのままになると、その力はなくなる。だからゲームみたいにモンスターを倒したら自動でドロップするんじゃなく、わざわざ剥ぎ取りをしないと素材は手に入らないんだろう。」
「あ~なるほど。もしかしてこの前に、豆腐くんが倒したフェアリーイーターの体内の無垢晶が小さいからシステムは一個とカウントしていない。だから先週狩った時はドロップしなかったのね。きっとそうだわ。」
「おお~!なるほど!」
そうか、フェアリーイーターの体内にある無垢晶はゲーム仕様のものより小さくバラバラだから、システムはそれを一個と認識せず、ドロップできなかったんだ。明日はセリーナにケーキを奢ろう。ホントに助かった。
「でも、恐らくあの〈聖護の首飾り〉はもう一つ必要だな。」
「私の分?」
「そうだ、仲間だろう。」
「妖精は装備できるかはわからないけど……ありがとう。」
お互いに納得したあと、タピオカくんは再びノートパソコンに向かった。
「妖精について、何がわかったか?」
「ええ。妖精がレベルアップするには、一緒に戦う以外に“ティンクルドロップ”って課金アイテムを使う方法があるみたい。当然、プレイヤーのレベル以上には上げられないけど。」
「課金アイテムか……無理だな。」
「じゃあ地道にレベリングね。あ~楽しみ!」
……これは不味い。タピオカくんは完全にゲームの世界だと思っている。興奮する気持ちはわかる。俺も最初はそうだった。だが、あの世界は遊びではない。先週、俺は身をもって恐怖を感じた。何の対策もなく妖精がセリーナと旅をすれば、悪い人間に捕まる可能性だってある。
セリーナも妖精姫も、彼女たちの命は俺たちの手の中にある。俺たちが軽い気持ちで遊んでいたら、彼女たちは本当に死ぬかもしれない。
……どう伝えるべきか。普通に警告すれば偉そうに聞こえるかもしれないし、同世代でも彼女が先輩なら生意気だと思われるかもしれない。だが、言わなければ必ず後悔する。
俺が知っていたタピオカくんなら、このくらい気にしないと思う。だが正体が女性だと知った今は、どうしても三次元の女性像が頭に重なる。男なら笑って流す場面でも、女性だと何を考えるのか分からない。
「えっと、タピオカくん……あの世界でもそのままタピオカくんと呼んでいい?」
「タピオカでいいよ。」
「わかった。あのね、生意気に聞こえるかもしれないけど……あの世界では本当に気を抜かないでほしい。先週、俺は闇の組織の人間に麻痺させられて、刺されたんだ。妖精の体になったあなたは、セリーナみたいにUR装備もない。もし誰かに捕まって攻撃されたら、本当に危ない。」
その言葉に、彼女はパソコンから目を離し、俺の方を見た。
「あ……そうですよね。私、少しはしゃぎ過ぎました。ごめんなさい。」
「いや、はしゃぐ気持ちは分かる。俺も初めてログインした時はリアル過ぎて興奮した。ただ……あの刺された感触だけは、あなたに味わってほしくない。」
「ふふっ、豆腐くんは意外と優しいね。」
「俺はずっと優しい紳士だ。」
タピオカは微笑んでくれた。よかった、彼女は俺の知っているタピオカくんのままだ。はしゃぐ時ははしゃぎ、意見を言われれば素直に受け止める。だから俺はそんなタピオカくんと長年ゲームの中で付き合ってきた。
「そうだ、豆腐くん。妖精の彼女が装備できるかは分からないけど、心配なら〈不死鳥の紋章〉も二人分必要だね。明日、女王様に何か対策があるか確認してみる?」
「え?なんで女王様に?」
「ネットで調べたら、あの森の妖精は普段は見えない設定らしいの。もしかして、選ばれし者しか妖精を見られないのかも。」
「そんな設定があるのか……知らなかった。でもセリーナは普通に妖精を見ているし、妖精の国にも入れるよ。」
「ちょっと待って。翠夢の森関連のイベントクエストのプレイ動画を探してみる……あった!」
俺たちはそのままプレイ動画を一緒に見始めた。
簡単に言えば、メインストーリー第二章のあと、プレイヤーはウィロウヘイブンで奇妙な噂を耳にする。
町近くの森から時折大きな爆発音が響くのに、調査しても戦闘の痕跡はなく、残されていたのは謎の液体だけだった。
イベント発生からリアル時間で一日後、夕方の町付近にフェアリーイーターの大群が現れる。プレイヤーが討伐すると、イベント報酬として〈失われた花びら〉が手に入る。
その夜、ウィロウヘイブンの宿屋で休んでいると、妖精の女王が現れ、フェアリーイーターを倒したことへの感謝を述べる。そして同時に、妖精の国が謎の敵——“冥府の呪術師ヴァルゴス”に襲われていることを告げ、助けを求めるのだ。
プレイヤーは夜の翠夢の森の中心部へ進み、フェアリーイーターとの五連戦を突破した後、Lv.50の冥府の呪術師との戦闘に挑む。激闘の末に勝利するが、呪術師は女王に謎の術を掛けて逃走。演出として朝日が昇り、妖精の国は救われる。女王と妖精騎士たちはプレイヤーに深く感謝を示す。
だが、なぜ冥府の呪術師が現れたのか、女王に掛けられた術は何なのか——伏線を残したままクエストは終了する。動画もここで途切れ、イベントの続きはまだ未実装のようだ。
その後はシステム解説パート。〈失われた花びら〉を女王に渡すと妖精ガチャが解放され、ランダムでサポート妖精を入手できる。最高レアはURだが、花びらのドロップ率は極めて低い。フェアリーイーターの上位種を何百体も狩って、ようやく一枚出る程度。UR妖精を入手した報告はほんの数件しかない。
動画の最後では、花びらを素材にした妖精シリーズ装備が紹介される。魔法少女風の外見を持つSR級装備で、花びらの必要枚数も多いため実際に作れる人は少ない。それでも可憐な外見に惹かれるだけでなく、装備すると専用の変身モーションが追加され、魔法の演出も魔法少女風に変換される。今も多くのプレイヤーがフェアリーイーターを乱獲しているという。
「待て、豆腐くん。あなた、先週翠夢の森に来た時、10体くらい狩っただけで花びらを3つ手に入れたよね。」
「ええ、まあ。俺も驚いた。ただイベントクエストは発生しなかったし、妖精の女王に会えなければ、その花びらは妖精シリーズ装備にしか使えないと思って、すっかり忘れていたんだ。」
「それに攻略サイトでは翠夢の森の適正レベルは40なのに、あなたが狩ったフェアリーイーターはレベル20くらいだったんでしょう?」
「ええ。あの世界ではフィールドのモンスターはゲームみたいにエリアごとに固定されていないらしい。レベル30でも十分強敵だからね。」
「そうなんだ。じゃあ翠夢の森で例のボス“冥府の呪術師”には会えないのね?」
「俺は中心部を避けてフェアリーイーターを狩っていた。でもさっき俺たちがいた中心部には、動画で映っていたような物騒な敵もいないし、あの浮いていた巨木の城も見当たらなかった。」
「うん~~あのボスの出番はまだなのか……。」
「たぶん、あの世界は今メインストーリーの前なんだ。セリーナと出会った時も、まだ村長に捕まっていなかったからな。」
「はぁ、これは良かった。もしメインストーリーが進んで、急にゲームみたいにボスやレイド戦が出たらどうしようと思ったわ。」
タピオカくんはテーブルの上に倒れ、頭をこちらに向けて苛立ちを隠せない様子で言った。
「ああ~どうしよう。妖精の姫様に憑依したせいかしら?動画では女王様が謎の術に掛けられていたでしょう。何となく、その未来を防ぎたい気持ちが湧いてきて……。」
「うん~~イベントクエストだけど、干渉するとメインストーリーに影響が出るのか?」
「今さらよ。豆腐くんだって、もうセリーナの運命を変えてしまったじゃない。」
「そうだな。あの闇の奴隷商人も捕まったし……。女王様には明日また妖精の国に来いと言われたから、一応話してみるか。」
「うん。ちなみに豆腐くん、女王様が言ってた“あのお方”って誰だと思う?」
「普通にその世界の神だろう。神殿もあるし。」
「あ~女神エリシアね。」
壁の時計を見ると、もうすぐ零時になろうとしていた。俺は立ち上がり、タピオカに別れを告げる。
「もう遅いな。俺はそろそろホテルに戻るよ。」
ここでタピオカくんが「今日は泊まっていけば?」なんてラブコメ展開は……あるわけない。ゲーム内では10年以上の付き合いでも、リアルでは初対面だ。男同士ならまだしも、女性相手では100%ない。夢を見すぎだ。
「あ、もうこんな時間。明日はあなたの連絡を待ってからログインするね。道はわかる?」
「大丈夫だ。……タピオカくんに相談できて、本当に嬉しかった。ありがとう。」
「豆腐くん……病気?」
「そうだ、病院を呼んでくれ。じゃあ俺はここで失礼するよ。何かあったらすぐに連絡してくれ。おやすみ。」
「わかった、また連絡します。おやすみなさい。」
こうして俺はホテルに戻り、ほぼ徹夜で業務整理をして、ささっと上司に提出した。
翌日、土曜日。
アラームで目を覚ました俺はすぐにホテルを出て、新幹線に乗り込んだ。当然、車内では爆睡するつもりだ。
出張後の業務整理は新幹線内でもできるが……まあ、昨夜タピオカくんが「もしかして」と不安を漏らしていたのに備えて徹夜した。コンビニで怯えていた彼女は、涙目になるほど怖がっていたからな。万が一、あの事件のせいで眠れなくなったら、すぐに彼女の家へ駆けつけるつもりだったのだ。
新幹線の座席に腰を落ち着け、メッセージアプリを開いて彼女に連絡を送る。
―タピオカくん、おはよう。昨晩はよく眠れた?
―おはよう。まぁ、昨晩はなかなか眠れなかったよ。
―どうした?変なことでもあった?
―ううん、ただ早くログインしたいなぁと思って。
―小学生か!!
―なによ、自由に飛べるゲームなんて初めてなんだから。それに試したいこともいろいろあるし。
―はいはい……心配したのが損した。
―え?なんで心配したの?
―昨晩コンビニで怖がってただろ。例の巫女さんが会いに来るんじゃないかと思ってさ。
―あ!そうだった!でも知らないうちに寝ちゃったから、巫女さんは出なかったよ……多分。
―それならいい。俺は大阪に戻るまで寝る。
―まさか徹夜したの?
俺は「おやすみ」のスタンプを送信し、そのまま眠りに落ちた。
あっという間に地元に戻り、家に着いたのは午後四時頃。シャワーを浴びたあと、真っ先にタピオカくんへ連絡を入れる。
―タピオカくん、家に戻った。今からログインする。軽くセリーナたちに話したら、ログアウトしてまた連絡するね。
彼女から「OK」のスタンプが返ってきた。
俺はデバイスを頭に装着し、ベッドに横たわってログインした。
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時は今朝に戻る。
家で眠っていた私は、誰かに顔をツンツンされて目を覚ました。
「はぁ!!だ、誰?!」
反射的にベッドから飛び上がり、周りを見渡す。けれど、誰もいない。
「ここは……家?あ、そうだ、昨日は女王様の前で……。」
『おはようございます、セリーナ。』
視線の下から、ピンクのドレスを着た妖精さんがふわりと飛んできた。
「え?妖精の……お姫様?」
『わたくしのことは、サクラリアとお呼びください。ふふっ。』
「え、えっと……サクラリア様?」
彼女は不満そうにこちらを見ている。
「あ、はい、サクラリア……さん。」
『さんも禁止。わたくし、もうお友達でしょう?』
「は、はい……サクラリア。」
『よろしい。ここはセリーナの家?』
「ええ、はい。」
昨晩、女王様と話していた時に精霊さんが来て……そのまま眠ってしまったみたい。あの時、サクラリアが私の頭の上で眠っていた記憶はある。でも、どうして精霊さんは彼女を家まで連れてきたの?
とにかく、相手はお姫様。精一杯おもてなししないと。
「えっと……おはようございます、サクラリア。朝ごはんにしますか?」
『大丈夫です。妖精は周りのマナを吸収して十分なのです。』
「そうですか……人間の食べ物は食べられますか?他の妖精たちも蜜や果物は食べますから。」
『多分食べられると思います。ごめんなさい、生まれたばかりなので本能しかわかりません。わたくしのことはお構いなく、どうぞ朝食を召し上がってください。』
「わかりました。では、お茶を出しますね。」
冷蔵庫から精霊さんが作ったハーブティーを取り出し、彼女に渡す。その間に顔を洗い、いつもの魔法使いの装備に着替えた。
最近、ずっと精霊さんが作ってくれた料理ばかり食べていたので、少し気が引けていた。今は仕事もないだったので、数日前に試しに「脳内に浮かんだレシピ」を頼りに精霊さんの料理を作ってみた。楽しかったわ。
だが、ガンド村から兵隊が来てしまったため、村の家の台所は使えない。火を使えば人がいることが知られてしまう。小屋には料理道具もないので、結局今日も冷蔵庫から用意された食事を出すしかなかった。
朝ごはんはサンドイッチとゆで卵。サクラリアと一緒に家から木の小屋へ繋がる扉を開けて入る。兵隊さんがガンド村にいる今は、できる限り木の小屋にいた方が安全だ。
『このお茶、美味しいわ。ありがとう、セリーナ。』
「いいえ、どういたしまして。」
『その食べ物は何ですか?』
「サンドイッチです。試しますか?」
『ええ、少しでいいわ。』
私は半分のサンドイッチを渡す。妖精は数口で満足するから、残りは私が食べればいい。サクラリアは優雅にサンドイッチを口にした。
『あらまあ、これ美味しいわ。ありがとう、もう十分だわ。』
「精霊さんが作るものは全部美味しいですよ。」
『精霊さん?』
「あ、サクラリアはまだ知らないですよね。」
『ええ、セリーナのことも知りたいわ。話してくれる?』
「いいですよ。」
私は自分のこと、精霊さんと出会った後のことを語った。久しぶりに誰かと一緒に食事をしたけれど、相手が姫様だということを除けば、意外と楽しい時間だった。
食後、昨晩の戦果を整理しようと思ったけれど……あ、もうテーブルには無垢晶が残っていない。精霊さんが回収したみたい。首飾りに使えるといいんだけど。
サクラリアは好奇心いっぱいで、テーブルに置いてあった素材を次々と指さしては質問してくる。
『セリーナ、この石は何?』
「これは魔力を込めると光る鉱石です。金持ちはこれを魔道具にして、照明に使うんですよ。」
『まあ、面白いわ。じゃあ、この粉は?』
「薬草を乾かして砕いたものです。傷を癒す薬に使います。」
『ふふっ、人間の道具って不思議ね。』
私は説明しながら、サクラリアの無邪気な質問に答えていった。気づけば、精霊さんが暇つぶし用に置いていった素材を眺めるだけの時間が、楽しいおしゃべりのひとときに変わっていた。
でも、どうしてサクラリアはここにいるのだろう?尋ねても「分からない」と返事されるだけ。昨晩、私の頭の上で眠って、起きたらもうここにいたらしい。
女王様には「今日もう一度妖精の国に来て」と言われているけれど……やっぱり早くサクラリアを連れて帰った方がいい?でも精霊さんが彼女をここに連れてきたのには、きっと意味があるはず。やはり精霊さんが来てから行った方がいい。
フェアリーイーターは昨晩たくさん狩ったから、今日はこの辺りにはいないだろう。精霊さんが来る前にやることもなく、私は外で魔法の練習をした。水玉をいろんな形に変えたり、昨日試した照明用の光玉を繰り返し発動してみたり。
その時、サクラリアも魔力で空に絵を描いていた。気づけば私も一緒に魔力を使って、楽しく絵を描いていた。昨晩女王様の加護を受けてから、残留するマナが色とりどりに見えるようになり、魔力の扱いが上手くなった気がする。
こうして、私はサクラリアと楽しく過ごした。
そして外で昼食を過ごし、片付けをしている途中――声が聞こえた。
『ご機嫌麗しゅう、恩人殿!』
この言い方……もしかして妖精騎士様?
森の中から、昨日の金髪の妖精騎士とその小隊、そして……妖精の女王様と妖精メイド隊が飛んできた。
「え?……じ、女王様?!えっと、食事のあとに精霊さんと一緒にお伺いする予定でしたが……もしかして、ずっとお待ちくださっていたのでしょうか。」
私は慌てて女王様に頭を下げた。
『よい、気にするな。昨晩、我が娘とそなたは途中で眠ってしまったゆえ、精霊殿はそなたに話すことができなかったのだろう。急に娘が家にいるのは困っているだろうと思ってな。ついでに礼も持参した。それに妾も初めて娘を得て、旅に出る前に彼女に会いたかったのだ。』
サクラリアが木の小屋から戻ってきて、母である女王様の姿を見つけると、子供のように飛びついて抱きしめられた。
『まあ~お母様!ごきげんよう!』
『サクラリア、セリーナに迷惑をかけてはいないか?』
『そんなことありません。セリーナは優しいです。彼女と一緒にいると楽しいですし、人間のお食事も美味しいのです。』
『そうかそうか。では今後もセリーナをしっかり支えるのだぞ。』
女王様は威厳ある顔ではなく、母としての優しい微笑みを浮かべていた。……なんだか良いなぁ。いえ、先ほど女王様は「サクラリアは旅に出る」と話していたわね。昨晩、精霊さんは一体女王様と何を話していたのだろう。
私が疑問を抱えていると、妖精騎士が恭しく声をかけてきた。
『恩人殿、貴殿の御邸には結界が張られており、我らは中へ入ること叶わぬ。つかぬことをお願い申し上げるが、我らを中へお招きいただけぬだろうか。』
「あ、はい!どうぞ、私に捕まってください。」
私は騎士が持参した大きな包みを代わりに受け取り、女王様とサクラリアを手に載せる。騎士とメイドたちは全員が私に掴まり、私は家へ戻った。テーブルを部屋の中央へ移動すると、女王様たちはそこへ降り立った。
どうおもてなしすべきか考え、私は昼食後に食べるつもりだったケーキとハーブティーを差し出した。器が足りないため、分けるのはメイドたちに任せた。幸い、女王様もサクラリアも満足そうにケーキを楽しんでいる。失礼にはならなかったようだ。
『この食べ物とお茶、とても美味しいわ。セリーナ、あなたの心遣いに感謝します。』
「いいえ、どういたしまして。」
今なら女王様に“旅”について尋ねても大丈夫そうだ。
「あの、女王様。先ほどは私が眠ってしまったため、精霊さんが私に伝えられなかったと仰いましたが、そのお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
『ええ、もちろん。精霊殿は今日午後に来るだろう。そなたたちに話せるのは今しかない。急に訪れてすまぬな。』
「いいえ、こちらこそ、おもてなしも十分にできず申し訳ございません。」
『よい、本題に入ろう。セリーナよ、サクラリアは今後そなたたちと共に旅をする。彼女が生まれた使命は、そなたたちを支えるためだ。』
「えっ……どういうことですか?妖精のサクラリアが私をサポートする?!」
『それは妾が決めることではない。精霊殿の友人――タピオカにその身を貸すのは、彼女の定めだ。』
サクラリアも驚いたが、すぐに納得した様子を見せた。
『まぁ……わたくしの体を?』
「精霊さんのご友人に貸す?」
『そうだ。昨晩すでに彼女に挨拶をした。そなたたちとはすぐに仲良くなるだろう。』
「えっと……もしかして、私と精霊さんのように、その精霊さんのご友人もサクラリア様の身に来られるのですか?」
女王様は静かに頷いた。サクラリアは私と精霊さんのために生まれた?
『セリーナよ、深く考えなくてよい。娘が生まれたことは妾にとっても喜びだ。娘と仲良くしてくれるなら妾も嬉しい。だから旅に出る前に娘に会いに来たのだ。』
『お母様~!』
サクラリアは女王様に抱きつき、すりすりと甘える。女王様は優しくその頭を撫でていた。
……そうか、精霊さんのお友達も来るのか。やっぱり先週のバールヴィレッジでの出来事が原因だろう。体は私でも、刺されたのは精霊さんだから。
「わかりました、サクラリア様のことはお任せください。あ……でも、精霊さんは転移ができるので、離れ離れになることはないと思います。旅に出ても、夜なら一瞬でこの家に戻れるでしょう。」
『あら、まあ……“転送”?』
「はい、各地のクリスタルの花に触れると、どこへでも一瞬で行けるのです。神様が精霊さんに与えた能力らしいのです。」
『そうか……あのお方が……。では時々城にも顔を出してくれ。』
「わかりました。」
床から半身を起こしてデバイスを頭から外すと、タピオカくんはすでに隣のテーブルでノートパソコンを開き、何かを調べていた。
「お帰りなさい、遅かったわね。」
「ああ、ただいま。セリーナの食事と服の洗濯、それに必要な素材を用意していたんだ。」
「洗濯?」
「ええ。ログイン中は体も装備もゲーム仕様で疲れないし汚れない。でもログアウトした後は普通に破損や汚れるんだ。装備をストレージに入れると新品同様に戻るから、それを利用して洗濯しているんだ。」
「豆腐くんのエッチ。」
「なんで?!」
「セリーナちゃんの下着を触ったでしょう?」
「あのなぁ……」
「冗談よ、わかってる。」
彼女は相変わらずパソコンに向かい、攻略サイトで妖精について調べている。俺はその横に腰を下ろし、話を続けた。
「はぁ……わかればいい。それと、全異常状態を防ぐの〈聖護の首飾り〉はもう製作中だ。」
「あれ?無垢晶は全く出ないんじゃなかったの?」
「セリーナが頑張って集めていたらしい。先ほどテーブルに小さいのがたくさん置いてあっただろう?」
「あ~あれね。でもちっちゃいわ。」
「あの世界ではストレージ内の素材の数量は体積で決まっているんだと思う。例えば大きな鉄鉱石を収納すると、その体積を拳サイズに換算して“拳サイズ何個分”と表示される。もし単純に一個と計算されて、出した時に拳サイズになったらすごく変だろ?」
「それは一理あるね。でもあなた、この前木を軽く叩いただけで木材が出たでしょう?実際は木を斬ってないのに、それは無から生み出した素材じゃない?」
「それはわからんな。多分、セリーナが集めた無垢晶は、システムのドロップじゃないからだ。俺がログインしている時はメニューの力があるから、木を軽く叩くだけで木材が出てくる。でも俺がログアウトしてセリーナのままになると、その力はなくなる。だからゲームみたいにモンスターを倒したら自動でドロップするんじゃなく、わざわざ剥ぎ取りをしないと素材は手に入らないんだろう。」
「あ~なるほど。もしかしてこの前に、豆腐くんが倒したフェアリーイーターの体内の無垢晶が小さいからシステムは一個とカウントしていない。だから先週狩った時はドロップしなかったのね。きっとそうだわ。」
「おお~!なるほど!」
そうか、フェアリーイーターの体内にある無垢晶はゲーム仕様のものより小さくバラバラだから、システムはそれを一個と認識せず、ドロップできなかったんだ。明日はセリーナにケーキを奢ろう。ホントに助かった。
「でも、恐らくあの〈聖護の首飾り〉はもう一つ必要だな。」
「私の分?」
「そうだ、仲間だろう。」
「妖精は装備できるかはわからないけど……ありがとう。」
お互いに納得したあと、タピオカくんは再びノートパソコンに向かった。
「妖精について、何がわかったか?」
「ええ。妖精がレベルアップするには、一緒に戦う以外に“ティンクルドロップ”って課金アイテムを使う方法があるみたい。当然、プレイヤーのレベル以上には上げられないけど。」
「課金アイテムか……無理だな。」
「じゃあ地道にレベリングね。あ~楽しみ!」
……これは不味い。タピオカくんは完全にゲームの世界だと思っている。興奮する気持ちはわかる。俺も最初はそうだった。だが、あの世界は遊びではない。先週、俺は身をもって恐怖を感じた。何の対策もなく妖精がセリーナと旅をすれば、悪い人間に捕まる可能性だってある。
セリーナも妖精姫も、彼女たちの命は俺たちの手の中にある。俺たちが軽い気持ちで遊んでいたら、彼女たちは本当に死ぬかもしれない。
……どう伝えるべきか。普通に警告すれば偉そうに聞こえるかもしれないし、同世代でも彼女が先輩なら生意気だと思われるかもしれない。だが、言わなければ必ず後悔する。
俺が知っていたタピオカくんなら、このくらい気にしないと思う。だが正体が女性だと知った今は、どうしても三次元の女性像が頭に重なる。男なら笑って流す場面でも、女性だと何を考えるのか分からない。
「えっと、タピオカくん……あの世界でもそのままタピオカくんと呼んでいい?」
「タピオカでいいよ。」
「わかった。あのね、生意気に聞こえるかもしれないけど……あの世界では本当に気を抜かないでほしい。先週、俺は闇の組織の人間に麻痺させられて、刺されたんだ。妖精の体になったあなたは、セリーナみたいにUR装備もない。もし誰かに捕まって攻撃されたら、本当に危ない。」
その言葉に、彼女はパソコンから目を離し、俺の方を見た。
「あ……そうですよね。私、少しはしゃぎ過ぎました。ごめんなさい。」
「いや、はしゃぐ気持ちは分かる。俺も初めてログインした時はリアル過ぎて興奮した。ただ……あの刺された感触だけは、あなたに味わってほしくない。」
「ふふっ、豆腐くんは意外と優しいね。」
「俺はずっと優しい紳士だ。」
タピオカは微笑んでくれた。よかった、彼女は俺の知っているタピオカくんのままだ。はしゃぐ時ははしゃぎ、意見を言われれば素直に受け止める。だから俺はそんなタピオカくんと長年ゲームの中で付き合ってきた。
「そうだ、豆腐くん。妖精の彼女が装備できるかは分からないけど、心配なら〈不死鳥の紋章〉も二人分必要だね。明日、女王様に何か対策があるか確認してみる?」
「え?なんで女王様に?」
「ネットで調べたら、あの森の妖精は普段は見えない設定らしいの。もしかして、選ばれし者しか妖精を見られないのかも。」
「そんな設定があるのか……知らなかった。でもセリーナは普通に妖精を見ているし、妖精の国にも入れるよ。」
「ちょっと待って。翠夢の森関連のイベントクエストのプレイ動画を探してみる……あった!」
俺たちはそのままプレイ動画を一緒に見始めた。
簡単に言えば、メインストーリー第二章のあと、プレイヤーはウィロウヘイブンで奇妙な噂を耳にする。
町近くの森から時折大きな爆発音が響くのに、調査しても戦闘の痕跡はなく、残されていたのは謎の液体だけだった。
イベント発生からリアル時間で一日後、夕方の町付近にフェアリーイーターの大群が現れる。プレイヤーが討伐すると、イベント報酬として〈失われた花びら〉が手に入る。
その夜、ウィロウヘイブンの宿屋で休んでいると、妖精の女王が現れ、フェアリーイーターを倒したことへの感謝を述べる。そして同時に、妖精の国が謎の敵——“冥府の呪術師ヴァルゴス”に襲われていることを告げ、助けを求めるのだ。
プレイヤーは夜の翠夢の森の中心部へ進み、フェアリーイーターとの五連戦を突破した後、Lv.50の冥府の呪術師との戦闘に挑む。激闘の末に勝利するが、呪術師は女王に謎の術を掛けて逃走。演出として朝日が昇り、妖精の国は救われる。女王と妖精騎士たちはプレイヤーに深く感謝を示す。
だが、なぜ冥府の呪術師が現れたのか、女王に掛けられた術は何なのか——伏線を残したままクエストは終了する。動画もここで途切れ、イベントの続きはまだ未実装のようだ。
その後はシステム解説パート。〈失われた花びら〉を女王に渡すと妖精ガチャが解放され、ランダムでサポート妖精を入手できる。最高レアはURだが、花びらのドロップ率は極めて低い。フェアリーイーターの上位種を何百体も狩って、ようやく一枚出る程度。UR妖精を入手した報告はほんの数件しかない。
動画の最後では、花びらを素材にした妖精シリーズ装備が紹介される。魔法少女風の外見を持つSR級装備で、花びらの必要枚数も多いため実際に作れる人は少ない。それでも可憐な外見に惹かれるだけでなく、装備すると専用の変身モーションが追加され、魔法の演出も魔法少女風に変換される。今も多くのプレイヤーがフェアリーイーターを乱獲しているという。
「待て、豆腐くん。あなた、先週翠夢の森に来た時、10体くらい狩っただけで花びらを3つ手に入れたよね。」
「ええ、まあ。俺も驚いた。ただイベントクエストは発生しなかったし、妖精の女王に会えなければ、その花びらは妖精シリーズ装備にしか使えないと思って、すっかり忘れていたんだ。」
「それに攻略サイトでは翠夢の森の適正レベルは40なのに、あなたが狩ったフェアリーイーターはレベル20くらいだったんでしょう?」
「ええ。あの世界ではフィールドのモンスターはゲームみたいにエリアごとに固定されていないらしい。レベル30でも十分強敵だからね。」
「そうなんだ。じゃあ翠夢の森で例のボス“冥府の呪術師”には会えないのね?」
「俺は中心部を避けてフェアリーイーターを狩っていた。でもさっき俺たちがいた中心部には、動画で映っていたような物騒な敵もいないし、あの浮いていた巨木の城も見当たらなかった。」
「うん~~あのボスの出番はまだなのか……。」
「たぶん、あの世界は今メインストーリーの前なんだ。セリーナと出会った時も、まだ村長に捕まっていなかったからな。」
「はぁ、これは良かった。もしメインストーリーが進んで、急にゲームみたいにボスやレイド戦が出たらどうしようと思ったわ。」
タピオカくんはテーブルの上に倒れ、頭をこちらに向けて苛立ちを隠せない様子で言った。
「ああ~どうしよう。妖精の姫様に憑依したせいかしら?動画では女王様が謎の術に掛けられていたでしょう。何となく、その未来を防ぎたい気持ちが湧いてきて……。」
「うん~~イベントクエストだけど、干渉するとメインストーリーに影響が出るのか?」
「今さらよ。豆腐くんだって、もうセリーナの運命を変えてしまったじゃない。」
「そうだな。あの闇の奴隷商人も捕まったし……。女王様には明日また妖精の国に来いと言われたから、一応話してみるか。」
「うん。ちなみに豆腐くん、女王様が言ってた“あのお方”って誰だと思う?」
「普通にその世界の神だろう。神殿もあるし。」
「あ~女神エリシアね。」
壁の時計を見ると、もうすぐ零時になろうとしていた。俺は立ち上がり、タピオカに別れを告げる。
「もう遅いな。俺はそろそろホテルに戻るよ。」
ここでタピオカくんが「今日は泊まっていけば?」なんてラブコメ展開は……あるわけない。ゲーム内では10年以上の付き合いでも、リアルでは初対面だ。男同士ならまだしも、女性相手では100%ない。夢を見すぎだ。
「あ、もうこんな時間。明日はあなたの連絡を待ってからログインするね。道はわかる?」
「大丈夫だ。……タピオカくんに相談できて、本当に嬉しかった。ありがとう。」
「豆腐くん……病気?」
「そうだ、病院を呼んでくれ。じゃあ俺はここで失礼するよ。何かあったらすぐに連絡してくれ。おやすみ。」
「わかった、また連絡します。おやすみなさい。」
こうして俺はホテルに戻り、ほぼ徹夜で業務整理をして、ささっと上司に提出した。
翌日、土曜日。
アラームで目を覚ました俺はすぐにホテルを出て、新幹線に乗り込んだ。当然、車内では爆睡するつもりだ。
出張後の業務整理は新幹線内でもできるが……まあ、昨夜タピオカくんが「もしかして」と不安を漏らしていたのに備えて徹夜した。コンビニで怯えていた彼女は、涙目になるほど怖がっていたからな。万が一、あの事件のせいで眠れなくなったら、すぐに彼女の家へ駆けつけるつもりだったのだ。
新幹線の座席に腰を落ち着け、メッセージアプリを開いて彼女に連絡を送る。
―タピオカくん、おはよう。昨晩はよく眠れた?
―おはよう。まぁ、昨晩はなかなか眠れなかったよ。
―どうした?変なことでもあった?
―ううん、ただ早くログインしたいなぁと思って。
―小学生か!!
―なによ、自由に飛べるゲームなんて初めてなんだから。それに試したいこともいろいろあるし。
―はいはい……心配したのが損した。
―え?なんで心配したの?
―昨晩コンビニで怖がってただろ。例の巫女さんが会いに来るんじゃないかと思ってさ。
―あ!そうだった!でも知らないうちに寝ちゃったから、巫女さんは出なかったよ……多分。
―それならいい。俺は大阪に戻るまで寝る。
―まさか徹夜したの?
俺は「おやすみ」のスタンプを送信し、そのまま眠りに落ちた。
あっという間に地元に戻り、家に着いたのは午後四時頃。シャワーを浴びたあと、真っ先にタピオカくんへ連絡を入れる。
―タピオカくん、家に戻った。今からログインする。軽くセリーナたちに話したら、ログアウトしてまた連絡するね。
彼女から「OK」のスタンプが返ってきた。
俺はデバイスを頭に装着し、ベッドに横たわってログインした。
--------------------------------------------------------
時は今朝に戻る。
家で眠っていた私は、誰かに顔をツンツンされて目を覚ました。
「はぁ!!だ、誰?!」
反射的にベッドから飛び上がり、周りを見渡す。けれど、誰もいない。
「ここは……家?あ、そうだ、昨日は女王様の前で……。」
『おはようございます、セリーナ。』
視線の下から、ピンクのドレスを着た妖精さんがふわりと飛んできた。
「え?妖精の……お姫様?」
『わたくしのことは、サクラリアとお呼びください。ふふっ。』
「え、えっと……サクラリア様?」
彼女は不満そうにこちらを見ている。
「あ、はい、サクラリア……さん。」
『さんも禁止。わたくし、もうお友達でしょう?』
「は、はい……サクラリア。」
『よろしい。ここはセリーナの家?』
「ええ、はい。」
昨晩、女王様と話していた時に精霊さんが来て……そのまま眠ってしまったみたい。あの時、サクラリアが私の頭の上で眠っていた記憶はある。でも、どうして精霊さんは彼女を家まで連れてきたの?
とにかく、相手はお姫様。精一杯おもてなししないと。
「えっと……おはようございます、サクラリア。朝ごはんにしますか?」
『大丈夫です。妖精は周りのマナを吸収して十分なのです。』
「そうですか……人間の食べ物は食べられますか?他の妖精たちも蜜や果物は食べますから。」
『多分食べられると思います。ごめんなさい、生まれたばかりなので本能しかわかりません。わたくしのことはお構いなく、どうぞ朝食を召し上がってください。』
「わかりました。では、お茶を出しますね。」
冷蔵庫から精霊さんが作ったハーブティーを取り出し、彼女に渡す。その間に顔を洗い、いつもの魔法使いの装備に着替えた。
最近、ずっと精霊さんが作ってくれた料理ばかり食べていたので、少し気が引けていた。今は仕事もないだったので、数日前に試しに「脳内に浮かんだレシピ」を頼りに精霊さんの料理を作ってみた。楽しかったわ。
だが、ガンド村から兵隊が来てしまったため、村の家の台所は使えない。火を使えば人がいることが知られてしまう。小屋には料理道具もないので、結局今日も冷蔵庫から用意された食事を出すしかなかった。
朝ごはんはサンドイッチとゆで卵。サクラリアと一緒に家から木の小屋へ繋がる扉を開けて入る。兵隊さんがガンド村にいる今は、できる限り木の小屋にいた方が安全だ。
『このお茶、美味しいわ。ありがとう、セリーナ。』
「いいえ、どういたしまして。」
『その食べ物は何ですか?』
「サンドイッチです。試しますか?」
『ええ、少しでいいわ。』
私は半分のサンドイッチを渡す。妖精は数口で満足するから、残りは私が食べればいい。サクラリアは優雅にサンドイッチを口にした。
『あらまあ、これ美味しいわ。ありがとう、もう十分だわ。』
「精霊さんが作るものは全部美味しいですよ。」
『精霊さん?』
「あ、サクラリアはまだ知らないですよね。」
『ええ、セリーナのことも知りたいわ。話してくれる?』
「いいですよ。」
私は自分のこと、精霊さんと出会った後のことを語った。久しぶりに誰かと一緒に食事をしたけれど、相手が姫様だということを除けば、意外と楽しい時間だった。
食後、昨晩の戦果を整理しようと思ったけれど……あ、もうテーブルには無垢晶が残っていない。精霊さんが回収したみたい。首飾りに使えるといいんだけど。
サクラリアは好奇心いっぱいで、テーブルに置いてあった素材を次々と指さしては質問してくる。
『セリーナ、この石は何?』
「これは魔力を込めると光る鉱石です。金持ちはこれを魔道具にして、照明に使うんですよ。」
『まあ、面白いわ。じゃあ、この粉は?』
「薬草を乾かして砕いたものです。傷を癒す薬に使います。」
『ふふっ、人間の道具って不思議ね。』
私は説明しながら、サクラリアの無邪気な質問に答えていった。気づけば、精霊さんが暇つぶし用に置いていった素材を眺めるだけの時間が、楽しいおしゃべりのひとときに変わっていた。
でも、どうしてサクラリアはここにいるのだろう?尋ねても「分からない」と返事されるだけ。昨晩、私の頭の上で眠って、起きたらもうここにいたらしい。
女王様には「今日もう一度妖精の国に来て」と言われているけれど……やっぱり早くサクラリアを連れて帰った方がいい?でも精霊さんが彼女をここに連れてきたのには、きっと意味があるはず。やはり精霊さんが来てから行った方がいい。
フェアリーイーターは昨晩たくさん狩ったから、今日はこの辺りにはいないだろう。精霊さんが来る前にやることもなく、私は外で魔法の練習をした。水玉をいろんな形に変えたり、昨日試した照明用の光玉を繰り返し発動してみたり。
その時、サクラリアも魔力で空に絵を描いていた。気づけば私も一緒に魔力を使って、楽しく絵を描いていた。昨晩女王様の加護を受けてから、残留するマナが色とりどりに見えるようになり、魔力の扱いが上手くなった気がする。
こうして、私はサクラリアと楽しく過ごした。
そして外で昼食を過ごし、片付けをしている途中――声が聞こえた。
『ご機嫌麗しゅう、恩人殿!』
この言い方……もしかして妖精騎士様?
森の中から、昨日の金髪の妖精騎士とその小隊、そして……妖精の女王様と妖精メイド隊が飛んできた。
「え?……じ、女王様?!えっと、食事のあとに精霊さんと一緒にお伺いする予定でしたが……もしかして、ずっとお待ちくださっていたのでしょうか。」
私は慌てて女王様に頭を下げた。
『よい、気にするな。昨晩、我が娘とそなたは途中で眠ってしまったゆえ、精霊殿はそなたに話すことができなかったのだろう。急に娘が家にいるのは困っているだろうと思ってな。ついでに礼も持参した。それに妾も初めて娘を得て、旅に出る前に彼女に会いたかったのだ。』
サクラリアが木の小屋から戻ってきて、母である女王様の姿を見つけると、子供のように飛びついて抱きしめられた。
『まあ~お母様!ごきげんよう!』
『サクラリア、セリーナに迷惑をかけてはいないか?』
『そんなことありません。セリーナは優しいです。彼女と一緒にいると楽しいですし、人間のお食事も美味しいのです。』
『そうかそうか。では今後もセリーナをしっかり支えるのだぞ。』
女王様は威厳ある顔ではなく、母としての優しい微笑みを浮かべていた。……なんだか良いなぁ。いえ、先ほど女王様は「サクラリアは旅に出る」と話していたわね。昨晩、精霊さんは一体女王様と何を話していたのだろう。
私が疑問を抱えていると、妖精騎士が恭しく声をかけてきた。
『恩人殿、貴殿の御邸には結界が張られており、我らは中へ入ること叶わぬ。つかぬことをお願い申し上げるが、我らを中へお招きいただけぬだろうか。』
「あ、はい!どうぞ、私に捕まってください。」
私は騎士が持参した大きな包みを代わりに受け取り、女王様とサクラリアを手に載せる。騎士とメイドたちは全員が私に掴まり、私は家へ戻った。テーブルを部屋の中央へ移動すると、女王様たちはそこへ降り立った。
どうおもてなしすべきか考え、私は昼食後に食べるつもりだったケーキとハーブティーを差し出した。器が足りないため、分けるのはメイドたちに任せた。幸い、女王様もサクラリアも満足そうにケーキを楽しんでいる。失礼にはならなかったようだ。
『この食べ物とお茶、とても美味しいわ。セリーナ、あなたの心遣いに感謝します。』
「いいえ、どういたしまして。」
今なら女王様に“旅”について尋ねても大丈夫そうだ。
「あの、女王様。先ほどは私が眠ってしまったため、精霊さんが私に伝えられなかったと仰いましたが、そのお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
『ええ、もちろん。精霊殿は今日午後に来るだろう。そなたたちに話せるのは今しかない。急に訪れてすまぬな。』
「いいえ、こちらこそ、おもてなしも十分にできず申し訳ございません。」
『よい、本題に入ろう。セリーナよ、サクラリアは今後そなたたちと共に旅をする。彼女が生まれた使命は、そなたたちを支えるためだ。』
「えっ……どういうことですか?妖精のサクラリアが私をサポートする?!」
『それは妾が決めることではない。精霊殿の友人――タピオカにその身を貸すのは、彼女の定めだ。』
サクラリアも驚いたが、すぐに納得した様子を見せた。
『まぁ……わたくしの体を?』
「精霊さんのご友人に貸す?」
『そうだ。昨晩すでに彼女に挨拶をした。そなたたちとはすぐに仲良くなるだろう。』
「えっと……もしかして、私と精霊さんのように、その精霊さんのご友人もサクラリア様の身に来られるのですか?」
女王様は静かに頷いた。サクラリアは私と精霊さんのために生まれた?
『セリーナよ、深く考えなくてよい。娘が生まれたことは妾にとっても喜びだ。娘と仲良くしてくれるなら妾も嬉しい。だから旅に出る前に娘に会いに来たのだ。』
『お母様~!』
サクラリアは女王様に抱きつき、すりすりと甘える。女王様は優しくその頭を撫でていた。
……そうか、精霊さんのお友達も来るのか。やっぱり先週のバールヴィレッジでの出来事が原因だろう。体は私でも、刺されたのは精霊さんだから。
「わかりました、サクラリア様のことはお任せください。あ……でも、精霊さんは転移ができるので、離れ離れになることはないと思います。旅に出ても、夜なら一瞬でこの家に戻れるでしょう。」
『あら、まあ……“転送”?』
「はい、各地のクリスタルの花に触れると、どこへでも一瞬で行けるのです。神様が精霊さんに与えた能力らしいのです。」
『そうか……あのお方が……。では時々城にも顔を出してくれ。』
「わかりました。」
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