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第2部 港町の黒焔鬼編
【第2話】「港町に吹く潮風」
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カラーポルトの港は、今日も忙しなく動いていた。
魚を運ぶ少年の小走り、商人の声、波止場に寄せる潮の音。
活気はあるはずなのに、どこか疲れが滲んでいる。
知久は甲板から降り立ち、深く息を吸う。
(……陸だ……生還した……)
背後で船員が笑った。
「いやあ、さっきは助かったよ。さすがは《ドリンクの加護の改革者》だな」
「……俺、世間でそんな風に呼ばれてるんだ」
自然と苦笑いが浮かぶ。酔いはまだ微妙に残っている。
「でもよ。最後に追い払った“あの子”のほうがインパクトあったな」
船員は港の先を指した。
「水の上を走ってた、槍のやつだよ。見たか?」
「見ました。何者なんですか?」
船員は、言いかけて、言葉を飲み込む。
「……あんた、ギルドの人間なんだろ? ならそのうち分かるさ」
意味深な言い回しに、知久は小さく首をかしげながらギルド支部へ向かった。
☆ ☆ ☆
「はあ? なんですって?」
ギルドの受付カウンターに立った瞬間、嫌味のこもった声が飛んできた。
対応したのは、七三分けで整えた黒髪の事務員風の男。目元に冷笑を浮かべ、まるで面倒ごとが来たと言わんばかりの態度だった。
「グレン・フレーヴェント殿下の紹介で参りました、四谷知久と申します。今日からこの支部でーー」
「ああ、紹介状があれば拒否はしませんよ。ですがね? 一体何の御用で? 視察? 助言? それとも……お荷物?」
にやりと笑う男の口調は、まるで試すようだった。
知久は眉をひそめたが、にこやかに対応する。
「支部長の“補佐”を命じられています」
「へえ。そりゃご苦労さんです」
男は立ち上がり、歩き出す。
「案内しますよ。支部長室へ。……ああ、あっしはベルノーです。事務のベルノー。口は悪いが仕事は早いと評判でして」
振り返りもせず言い放つあたり、評判の意味は怪しい。
☆ ☆ ☆
ギルドの内部は、石造りでどこか重苦しい雰囲気だった。
壁にはひびが走り、掲示板の依頼書は風でめくれたまま。
廊下には誰の気配もなく、まるで音が吸い込まれるような静けさに包まれている。
──バンッ!!
奥の扉が勢いよく開いた。
「ルネおばさま! もう子ども扱いはやめてください!」
「子ども扱いじゃないよ! わかってるだろう!? 支部長は危険なんだって!! あんたが死んだら、この町は誰が守るのさ!!」
怒鳴り合う二人。
一人は中年のおばさんだが、もう一人の小柄な姿を見て、はっとする。
先ほど、船を助けてくれた小柄な人物だ。
驚いたことに、知久の世界でいうところの、中学生ぐらいの少女だった。
「……四谷知久氏が到着しました」
ごほん、とベルノーがわざとらしく咳払いすると、
「は……はひっ。ご、ごめんなさい、です!」
少女はビシッと背筋を伸ばしたが、さっきまでの勢いは一瞬で消え失せてしまった。
先ほどの女性――ルネは、気まずそうに深呼吸して知久へ会釈する。
「お客さんだね。邪魔になると悪い。あたしは引くよ」
そう言って去って行った。
そして、残された少女と対面する。
肩までの水色の髪に、きっちりとした姿勢。
けれど、その表情には「背伸び」の色が滲んでいる。
「よ、四谷知久さんです、ね! ようこそ、いらっしゃいませ!!」
言葉遣いがどことなく変だった。
「あ、うん。いらっしゃいました」
知久は思わずきょろきょろと部屋の中を見渡す。
机と書類棚はあるが、人の姿は彼女ひとり。
「あの……支部長さんはどこに?」
横で聞いていたベルノーが、ふっと口元を緩めた。
半笑いというより、堪えきれないといった様子だ。
「へっ、支部長なら——目の前にいるじゃありませんか」
「えっ?」
視線を戻すと、少女はわずかに頬を赤らめ、背筋をさらにぴんと伸ばした。
「えっと、わ、私が……カラーポルト支部の支部長なの、です!」
知久は一瞬、言葉を失った。
(……“若い”ってレベルじゃないぞ……!?)
王都の本部が送り込む支部長と聞いていたが、まさかこんな年端もいかぬ少女だとは。
グレンには確かに『若い支部長を育ててほしい』と依頼された。
その“若い”の基準を、完全に見誤っていたらしい。
「……冒険者ギルド、カラーポルト支部長の、セファ・ウンディーネでしゅ!! で、です!! ようこそ……ようこそいらっしゃいました、です!」
彼女は思いっきり噛みながらも一礼し、必死に「支部長らしく」あろうとしていた。
知久は一瞬面くらったものの、気を取り直し、頭をビジネスモードに切り替える。
「失礼しました。どうも、四谷知久です。グレン様の紹介で、あなたの補佐官としてやってまいりました」
「は、はい、わかりました。まだ支部長になってニヶ月ですけど、精一杯、お願いします、です! あ、いえ、支えてもらう立場なのに……」
言葉遣いのおかしさは、まだ中学生ぐらいの少女が、支部長として無理に背伸びをしようとしているということなのだろう。
けれどその瞳には、必死に前を向こうとする意志があった。
「それじゃああっしは失礼します」
ベルノーが皮肉っぽく言い残し、静かに扉を閉めた。
知久はあらためて室内を見渡す。
デスクには未整理の書類。壁の地図は端がめくれて反り返っている。
ただ一つ壁にかけられている立派な蒼い槍だけが、異彩なオーラを放っていた。
(これがカラーポルト支部の現状、か)
セファやベルノ―の様子を見るに、誰も彼女を「支部長」としてまともに扱っていないのが想像できた。
「えっと、セファさん。今このギルドは──」
「そんな! さん付けなんてやめてください、です!」
食い気味に返ってくる言葉に、知久はまたしても面食らう。
「私のほうがずっと年下だし、教えてもらう立場なんですから、です!」
無邪気な敬語に込められた善意。
だが、そこに「ずっと年下」とはっきり添えられると、アラサーの知久には地味に効いた。
「う、うん。まあ、わかった。じゃあ……セファ。今、このギルドがどんな状況なのか、聞いてもいいかな?」
名前呼びに少し間を置いてから、話題を戻す。
セファは一瞬うつむき、指先をもじもじと絡ませながら口を開いた。
「えっと……その……冒険者の人数は減っていて、依頼も偏っていて……でも、私……」
声が次第に小さくなる。
選んでいるのは言葉というより、自信を搾り出すための覚悟だろう。
そして、短く息を吸い込み、胸を張るように続けた。
「……支部長として、ちゃんと……やります、です!」
その言葉には、不安も焦りも全部混ざっていた。
それでも彼女は、自分を奮い立たせるようにして言ったのだ。
知久はその様子を黙って見守ったあと、小さ呟いた。
(……大丈夫かな、この子で)
経験不足、年齢のせいで周囲から軽んじられている。
支部長にはベテランがなるべき、とまでは言わないが、若いというだけで周りから舐められることはよくある。
自分より年下の上司の言うことなんて聞きたくない、という感情が働くのだ。
それが自分より一回りや二回り年下の子供ともなればなおさらだ。
「あ、あの……」
渋い顔をしていたからか、セファが不安そうな表情で知久を伺っていた。
「よし、わかった。ひとまず、ギルドの様子を見て、改善できそうなところや手伝えることを探してみるよ。あと、困ったことがあったら、いつでも相談してくれ」
セファはパッと顔を明るくして、勢いよく頭を下げた。
「よろしくお願いいたします、です! 先生!」
「……いや、先生はやめてほしいんだけど……」
肩をすくめる知久の声は、はしゃぐセファにはもちろん届かない。
「先生! 先生の泊まるお部屋、2階にお客さん用のがありますので、自由に使ってください、です!」
「……ああ、うん。ありがとう」
ぎこちないやり取りの中に、どこかあたたかな空気が流れる。
(……いいさ。俺のやることはどこでも変わらない。働き方改革、やってやるさ)
部屋へと向かう階段を上りながら、知久は静かに決意を噛みしめた。
魚を運ぶ少年の小走り、商人の声、波止場に寄せる潮の音。
活気はあるはずなのに、どこか疲れが滲んでいる。
知久は甲板から降り立ち、深く息を吸う。
(……陸だ……生還した……)
背後で船員が笑った。
「いやあ、さっきは助かったよ。さすがは《ドリンクの加護の改革者》だな」
「……俺、世間でそんな風に呼ばれてるんだ」
自然と苦笑いが浮かぶ。酔いはまだ微妙に残っている。
「でもよ。最後に追い払った“あの子”のほうがインパクトあったな」
船員は港の先を指した。
「水の上を走ってた、槍のやつだよ。見たか?」
「見ました。何者なんですか?」
船員は、言いかけて、言葉を飲み込む。
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意味深な言い回しに、知久は小さく首をかしげながらギルド支部へ向かった。
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ギルドの受付カウンターに立った瞬間、嫌味のこもった声が飛んできた。
対応したのは、七三分けで整えた黒髪の事務員風の男。目元に冷笑を浮かべ、まるで面倒ごとが来たと言わんばかりの態度だった。
「グレン・フレーヴェント殿下の紹介で参りました、四谷知久と申します。今日からこの支部でーー」
「ああ、紹介状があれば拒否はしませんよ。ですがね? 一体何の御用で? 視察? 助言? それとも……お荷物?」
にやりと笑う男の口調は、まるで試すようだった。
知久は眉をひそめたが、にこやかに対応する。
「支部長の“補佐”を命じられています」
「へえ。そりゃご苦労さんです」
男は立ち上がり、歩き出す。
「案内しますよ。支部長室へ。……ああ、あっしはベルノーです。事務のベルノー。口は悪いが仕事は早いと評判でして」
振り返りもせず言い放つあたり、評判の意味は怪しい。
☆ ☆ ☆
ギルドの内部は、石造りでどこか重苦しい雰囲気だった。
壁にはひびが走り、掲示板の依頼書は風でめくれたまま。
廊下には誰の気配もなく、まるで音が吸い込まれるような静けさに包まれている。
──バンッ!!
奥の扉が勢いよく開いた。
「ルネおばさま! もう子ども扱いはやめてください!」
「子ども扱いじゃないよ! わかってるだろう!? 支部長は危険なんだって!! あんたが死んだら、この町は誰が守るのさ!!」
怒鳴り合う二人。
一人は中年のおばさんだが、もう一人の小柄な姿を見て、はっとする。
先ほど、船を助けてくれた小柄な人物だ。
驚いたことに、知久の世界でいうところの、中学生ぐらいの少女だった。
「……四谷知久氏が到着しました」
ごほん、とベルノーがわざとらしく咳払いすると、
「は……はひっ。ご、ごめんなさい、です!」
少女はビシッと背筋を伸ばしたが、さっきまでの勢いは一瞬で消え失せてしまった。
先ほどの女性――ルネは、気まずそうに深呼吸して知久へ会釈する。
「お客さんだね。邪魔になると悪い。あたしは引くよ」
そう言って去って行った。
そして、残された少女と対面する。
肩までの水色の髪に、きっちりとした姿勢。
けれど、その表情には「背伸び」の色が滲んでいる。
「よ、四谷知久さんです、ね! ようこそ、いらっしゃいませ!!」
言葉遣いがどことなく変だった。
「あ、うん。いらっしゃいました」
知久は思わずきょろきょろと部屋の中を見渡す。
机と書類棚はあるが、人の姿は彼女ひとり。
「あの……支部長さんはどこに?」
横で聞いていたベルノーが、ふっと口元を緩めた。
半笑いというより、堪えきれないといった様子だ。
「へっ、支部長なら——目の前にいるじゃありませんか」
「えっ?」
視線を戻すと、少女はわずかに頬を赤らめ、背筋をさらにぴんと伸ばした。
「えっと、わ、私が……カラーポルト支部の支部長なの、です!」
知久は一瞬、言葉を失った。
(……“若い”ってレベルじゃないぞ……!?)
王都の本部が送り込む支部長と聞いていたが、まさかこんな年端もいかぬ少女だとは。
グレンには確かに『若い支部長を育ててほしい』と依頼された。
その“若い”の基準を、完全に見誤っていたらしい。
「……冒険者ギルド、カラーポルト支部長の、セファ・ウンディーネでしゅ!! で、です!! ようこそ……ようこそいらっしゃいました、です!」
彼女は思いっきり噛みながらも一礼し、必死に「支部長らしく」あろうとしていた。
知久は一瞬面くらったものの、気を取り直し、頭をビジネスモードに切り替える。
「失礼しました。どうも、四谷知久です。グレン様の紹介で、あなたの補佐官としてやってまいりました」
「は、はい、わかりました。まだ支部長になってニヶ月ですけど、精一杯、お願いします、です! あ、いえ、支えてもらう立場なのに……」
言葉遣いのおかしさは、まだ中学生ぐらいの少女が、支部長として無理に背伸びをしようとしているということなのだろう。
けれどその瞳には、必死に前を向こうとする意志があった。
「それじゃああっしは失礼します」
ベルノーが皮肉っぽく言い残し、静かに扉を閉めた。
知久はあらためて室内を見渡す。
デスクには未整理の書類。壁の地図は端がめくれて反り返っている。
ただ一つ壁にかけられている立派な蒼い槍だけが、異彩なオーラを放っていた。
(これがカラーポルト支部の現状、か)
セファやベルノ―の様子を見るに、誰も彼女を「支部長」としてまともに扱っていないのが想像できた。
「えっと、セファさん。今このギルドは──」
「そんな! さん付けなんてやめてください、です!」
食い気味に返ってくる言葉に、知久はまたしても面食らう。
「私のほうがずっと年下だし、教えてもらう立場なんですから、です!」
無邪気な敬語に込められた善意。
だが、そこに「ずっと年下」とはっきり添えられると、アラサーの知久には地味に効いた。
「う、うん。まあ、わかった。じゃあ……セファ。今、このギルドがどんな状況なのか、聞いてもいいかな?」
名前呼びに少し間を置いてから、話題を戻す。
セファは一瞬うつむき、指先をもじもじと絡ませながら口を開いた。
「えっと……その……冒険者の人数は減っていて、依頼も偏っていて……でも、私……」
声が次第に小さくなる。
選んでいるのは言葉というより、自信を搾り出すための覚悟だろう。
そして、短く息を吸い込み、胸を張るように続けた。
「……支部長として、ちゃんと……やります、です!」
その言葉には、不安も焦りも全部混ざっていた。
それでも彼女は、自分を奮い立たせるようにして言ったのだ。
知久はその様子を黙って見守ったあと、小さ呟いた。
(……大丈夫かな、この子で)
経験不足、年齢のせいで周囲から軽んじられている。
支部長にはベテランがなるべき、とまでは言わないが、若いというだけで周りから舐められることはよくある。
自分より年下の上司の言うことなんて聞きたくない、という感情が働くのだ。
それが自分より一回りや二回り年下の子供ともなればなおさらだ。
「あ、あの……」
渋い顔をしていたからか、セファが不安そうな表情で知久を伺っていた。
「よし、わかった。ひとまず、ギルドの様子を見て、改善できそうなところや手伝えることを探してみるよ。あと、困ったことがあったら、いつでも相談してくれ」
セファはパッと顔を明るくして、勢いよく頭を下げた。
「よろしくお願いいたします、です! 先生!」
「……いや、先生はやめてほしいんだけど……」
肩をすくめる知久の声は、はしゃぐセファにはもちろん届かない。
「先生! 先生の泊まるお部屋、2階にお客さん用のがありますので、自由に使ってください、です!」
「……ああ、うん。ありがとう」
ぎこちないやり取りの中に、どこかあたたかな空気が流れる。
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