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第1話:鎖の令嬢と、目覚めた統治者
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第1話:鎖の令嬢と、目覚めた統治者
戴冠式の朝。空はどこまでも高く、残酷なほどに晴れ渡っていた。
俺、ハルト・アグリは、城のバルコニーから眼下に広がる「死の平野」を眺めて、重い溜め息をついた。
「ハルト陛下。戴冠の儀を前にして、そのような顔をなさるのはお控えください。民が不安がります」
背後から声をかけてきたのは、幼馴染であり唯一の腹心、カシムだ。
「民、か。その民に食わせるパンも、守るための剣。
両国と対峙するには我が国には力が不足している。カシム、この状況をどう思う」
「……東に帝国、西に商業連合。北は険しき山脈に阻まれ、南は海。まさに袋のネズミ、といったところでしょうか」
そう、この国は詰んでいた。
二つの大国の衝突を避けるための「緩衝材」として、かろうじて存在を許されているだけの、砂上の楼閣。
俺はバルコニーの手すりを強く握りしめた。
どこかに、この絶望的な状況を覆す「逆転の一手」はないのか。
「陛下、ボルドー伯がお見えです。帝国からの『献上品』をお持ちしたと」
謁見の間に戻ると、笑みを浮かべた老貴族、ボルドー伯が待ち構えていた。
彼の背後には、ボロ布を纏った、うつむいた一人の少女が立っている。
その首には、不釣り合いなほど太く、冷たい鉄の鎖が巻かれていた。
「陛下、戴冠おめでとうございます。
帝国より、祝いの品としてこの娘――アイリスを賜りました。
陛下のお相手として、存分にお使いください」
ボルドー伯が卑屈に笑い、少女の背中を押し出した。
少女――アイリスがよろめき、顔を上げる。
泥にまみれていても隠しきれない美貌。
そして何より、絶望の底にありながら、まだ死んでいない鋭い瞳。
その瞳と目が合った瞬間だった。
――ガチリ、と。
俺の脳内で、何かが噛み合う音がした。
アイリスの首に巻かれた鉄の鎖。
その非効率な重みを見た瞬間、俺の意識を濁流のような「記憶」が飲み込んでいった。
現代日本。大学の講義で、歴史と社会経済学を専攻していた自分。
そして――「奴隷制がいかに国家の成長を阻害するか」という、冷徹な分析データ。
(奴隷制は、労働力の安売りに過ぎない。
それは技術革新を殺し、市場の購買力を奪い、維持コストだけを肥大化させる。
……最悪の経営判断だ)
押し寄せた知識が、俺の思考を「王」から、盤面を支配する「統治者(プレイヤー)」へと書き換えていく。一歩、アイリスへ歩み寄る。
「アイリスと言ったか。君に一つ聞く。君は何ができる?」
その問いに、謁見の間が静まり返る。
アイリスは、震える声でアグリ国の言葉を返した。
「陛下……質問をお許しください。
それは、どのような意味でおっしゃっておられますか?」
「――商業連合の言葉は?」
「会話、読み書きともにできます」
「帝国語は?」
「……私の、母国語でございます」
俺はボルドー伯に向き直り、満足げにうなずいた。
「気に入ったよ、ボルドー伯。この娘は僕がもらう。帳簿上はいくらで計上されている?」
「おお! 左様でございますか。さすがは陛下、お目が高い。
……本来は国を傾ける価値がございますが……陛下への友好の証。
金貨100枚もあれば、帝国も納得いたしましょう」
「僕が立て替えよう。実に『癒し』になりそうだ」
ボルドー伯は、俺が「帝国産の美姫」を囲うと決めたと確信し、下卑た笑みを浮かべた。
だが、俺が「癒やされる」のは彼女の肉体ではない。
この「初期配置最悪の文明」を再建するために不可欠な、
有能な「リソース」が手に入ったという事実に対してだ。
俺はボルドー伯らを下がらせると、カシムにだけは扉の警護を命じ、アイリスと二人きりになった。
依然として床に膝をつく彼女の首筋に触れ、僕は低く、だがはっきりとした声で告げた。
「アイリス。君は今、帝国から押し付けられた『傾国の毒』としてここにいる。
……だが、僕は君を単なる道具として使い潰すつもりはない」
アイリスが顔を上げ、戸惑いの混じった瞳で僕を見る。
「君に新たな『契約』を提示する。君は今日から僕の事務官として働き、この国の生産性を向上させろ。
君が上げる『成果』の一部は、君の給与として積み立てる」
「……給与、ですか? 奴隷である私に?」
「そうだ。そしてその積み立てが、君自身の価格――『自己買取(セルフ・バイアウト)』の額に達した時、
君は自由の身だ。鎖を外すか、それとも僕のビジネスパートナーとして残るか、好きに選べ。
君の値段はボルドー伯によると、金貨100枚だそうだ」
アイリスは息を呑んだ。
そんな話、帝国の歴史のどこにも、この世界の常識のどこにも存在しない。
「……陛下は、なぜそこまでして私に『自由』を売るのですか?」
「自由ではない。僕は君の『意志』と『効率』を買っているんだ。強制される労働は効率が悪い。
自らの利益のために動く人間こそが、文明を最も早く進歩させる……。
いいか、アイリス。この国は今、最悪の『詰み』の状態にある」
俺は、窓の外の荒れ果てた平原を指差した。
「だが、ここからが本番だ。資源がないなら作ればいい。技術がないなら育てればいい。
俺は君というピースを使い、この絶望的な初期配置から、最高に豊かな文明を築いてみせる。
……ついてくるか?」
アイリスは長い沈黙の後、震える手で自らの鎖を握りしめ、深く頭を垂れた。
「……お手伝いをさせていただきます。陛下」
リセットボタンはない。 だが、最適解(セオリー)なら俺の頭の中にいくらでもある。
こうして、アグリ王国の、そして俺とアイリスの、理詰めの反撃が始まった。
戴冠式の朝。空はどこまでも高く、残酷なほどに晴れ渡っていた。
俺、ハルト・アグリは、城のバルコニーから眼下に広がる「死の平野」を眺めて、重い溜め息をついた。
「ハルト陛下。戴冠の儀を前にして、そのような顔をなさるのはお控えください。民が不安がります」
背後から声をかけてきたのは、幼馴染であり唯一の腹心、カシムだ。
「民、か。その民に食わせるパンも、守るための剣。
両国と対峙するには我が国には力が不足している。カシム、この状況をどう思う」
「……東に帝国、西に商業連合。北は険しき山脈に阻まれ、南は海。まさに袋のネズミ、といったところでしょうか」
そう、この国は詰んでいた。
二つの大国の衝突を避けるための「緩衝材」として、かろうじて存在を許されているだけの、砂上の楼閣。
俺はバルコニーの手すりを強く握りしめた。
どこかに、この絶望的な状況を覆す「逆転の一手」はないのか。
「陛下、ボルドー伯がお見えです。帝国からの『献上品』をお持ちしたと」
謁見の間に戻ると、笑みを浮かべた老貴族、ボルドー伯が待ち構えていた。
彼の背後には、ボロ布を纏った、うつむいた一人の少女が立っている。
その首には、不釣り合いなほど太く、冷たい鉄の鎖が巻かれていた。
「陛下、戴冠おめでとうございます。
帝国より、祝いの品としてこの娘――アイリスを賜りました。
陛下のお相手として、存分にお使いください」
ボルドー伯が卑屈に笑い、少女の背中を押し出した。
少女――アイリスがよろめき、顔を上げる。
泥にまみれていても隠しきれない美貌。
そして何より、絶望の底にありながら、まだ死んでいない鋭い瞳。
その瞳と目が合った瞬間だった。
――ガチリ、と。
俺の脳内で、何かが噛み合う音がした。
アイリスの首に巻かれた鉄の鎖。
その非効率な重みを見た瞬間、俺の意識を濁流のような「記憶」が飲み込んでいった。
現代日本。大学の講義で、歴史と社会経済学を専攻していた自分。
そして――「奴隷制がいかに国家の成長を阻害するか」という、冷徹な分析データ。
(奴隷制は、労働力の安売りに過ぎない。
それは技術革新を殺し、市場の購買力を奪い、維持コストだけを肥大化させる。
……最悪の経営判断だ)
押し寄せた知識が、俺の思考を「王」から、盤面を支配する「統治者(プレイヤー)」へと書き換えていく。一歩、アイリスへ歩み寄る。
「アイリスと言ったか。君に一つ聞く。君は何ができる?」
その問いに、謁見の間が静まり返る。
アイリスは、震える声でアグリ国の言葉を返した。
「陛下……質問をお許しください。
それは、どのような意味でおっしゃっておられますか?」
「――商業連合の言葉は?」
「会話、読み書きともにできます」
「帝国語は?」
「……私の、母国語でございます」
俺はボルドー伯に向き直り、満足げにうなずいた。
「気に入ったよ、ボルドー伯。この娘は僕がもらう。帳簿上はいくらで計上されている?」
「おお! 左様でございますか。さすがは陛下、お目が高い。
……本来は国を傾ける価値がございますが……陛下への友好の証。
金貨100枚もあれば、帝国も納得いたしましょう」
「僕が立て替えよう。実に『癒し』になりそうだ」
ボルドー伯は、俺が「帝国産の美姫」を囲うと決めたと確信し、下卑た笑みを浮かべた。
だが、俺が「癒やされる」のは彼女の肉体ではない。
この「初期配置最悪の文明」を再建するために不可欠な、
有能な「リソース」が手に入ったという事実に対してだ。
俺はボルドー伯らを下がらせると、カシムにだけは扉の警護を命じ、アイリスと二人きりになった。
依然として床に膝をつく彼女の首筋に触れ、僕は低く、だがはっきりとした声で告げた。
「アイリス。君は今、帝国から押し付けられた『傾国の毒』としてここにいる。
……だが、僕は君を単なる道具として使い潰すつもりはない」
アイリスが顔を上げ、戸惑いの混じった瞳で僕を見る。
「君に新たな『契約』を提示する。君は今日から僕の事務官として働き、この国の生産性を向上させろ。
君が上げる『成果』の一部は、君の給与として積み立てる」
「……給与、ですか? 奴隷である私に?」
「そうだ。そしてその積み立てが、君自身の価格――『自己買取(セルフ・バイアウト)』の額に達した時、
君は自由の身だ。鎖を外すか、それとも僕のビジネスパートナーとして残るか、好きに選べ。
君の値段はボルドー伯によると、金貨100枚だそうだ」
アイリスは息を呑んだ。
そんな話、帝国の歴史のどこにも、この世界の常識のどこにも存在しない。
「……陛下は、なぜそこまでして私に『自由』を売るのですか?」
「自由ではない。僕は君の『意志』と『効率』を買っているんだ。強制される労働は効率が悪い。
自らの利益のために動く人間こそが、文明を最も早く進歩させる……。
いいか、アイリス。この国は今、最悪の『詰み』の状態にある」
俺は、窓の外の荒れ果てた平原を指差した。
「だが、ここからが本番だ。資源がないなら作ればいい。技術がないなら育てればいい。
俺は君というピースを使い、この絶望的な初期配置から、最高に豊かな文明を築いてみせる。
……ついてくるか?」
アイリスは長い沈黙の後、震える手で自らの鎖を握りしめ、深く頭を垂れた。
「……お手伝いをさせていただきます。陛下」
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こうして、アグリ王国の、そして俺とアイリスの、理詰めの反撃が始まった。
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