Marry Me?

美凪ましろ

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Vol.10.おれの女に手を出すな

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「……訂正して貰おうか」

「……ひっ……」

 普段怒らない人が怒ると結構怖い。冷静な、青白い炎すら燃え立って見えた。篠田さんからは。

 彼は、一転。笑みを浮かべたまま、ぐいっ、と、洋の腕を掴み、洋の腰の後ろで固定した。……刑事みたい。

 どすん、と、篠田さんの持っていたビジネスバッグの音が響く。

「ひとつ。……おれの彼女は、中身がぎっしりだ。……おれへの愛、お客様への愛、諸々でな……。貴様」ふぅっ、と篠田さんは、色っぽい息を吐き、「……おれの彼女のスキンの水分量、知らねえのかよ。肌年齢驚きの二十歳なんだぞ? ハードなアパレル店員って職務も遂行しながら自身のメンテナンスも怠らない。……中身からっぽなのはむしろてめーだ。ストイックに、自己を、磨き、他者を、幸せにするおれの彼女を二度と侮辱するな。……いいか。てめえが……二度とそんなことしやがった日には――」

 瞬間。素早く篠田さんは、洋の前に回り込むと、ぐん、と、右手を支点に、くるりと洋を背負い投げ、コンクリートにやさしくたたきつける。……見事な一本背負い。審判全員が白旗を挙げるクオリティだった。

 篠田さんは、呆然と、床に寝転んだ体勢のままの、洋のお腹らへんに、腰を下ろすと、洋の襟首を掴んで、彼の顔を覗き込み、実に妖艶に笑った。

「……この程度で済むと思うな。……再起不能にしてやんぞ」

「……ひ」あわあわと泡を食う洋。篠田さんが、身をどけた途端、転がるように、バッグを拾い、走り出した。「――お。覚えてろぉ……っ!」

 洋の姿が消え去ると、篠田さんはネクタイを緩め、ふぅ、と息を吐く。「……怪我は?」

 さきほどの剣幕からは一転。切なそうに、顔をゆがめ、こちらに近づく篠田さんの姿が……たちまち滲んだ。

「……う。う。うう……っ」ぼろっ、ぼろっ、と、涙があふれる。「こわ、かった……っ。……た、助けてくれて、あ、りがとう……っ」

「――美紗ぁっ」

 ぎゅう、と、強く強く抱きしめられた。ああ……やっと、ほっとする。なんか……急に、思い出されて足ががくがくとふるえる。篠田さんが間に合っていなかったらどうなっていたことか……考えただけで恐ろしい。……けど。

 あたしには親衛隊が……
 
 とは思ったけれど、やっぱり、篠田さんがいい。大樹がいい。肝心なときに……あたしのピンチに駆けつけてくれるヒーロー。

 あたし、あなたがいいの。あたしを助けてくれるのは、やっぱり……あなた以外、考えられないんだよ。大樹。

「ああ……本当、まじ、ごめん……」篠田さんはあたしを抱く力を強くする。「おれが、……仕事なんかで抜けてたから……きみに怖い思いをさせて申し訳なかった……もう少し大人な対応出来りゃあよかったのになぁ……すまん。おれ、完全、頭血ぃ上ってた……」

 くすりと、あたしは笑った。あたしの涙と鼻水で、マスクもろとも、篠田さんのワイシャツは、ぐしゃぐしゃだ。「……あたしの肌年齢、どうやって知ったの?」

 顔を起こした。すると、顔を赤くした篠田さんは、にこっと笑い、「……あんなのアドリブだよ。美紗の肌、すっげえ綺麗だし。美紗が努力のひとだってのは、おれが一番、よく……分かっているよ。

 マスク越しに触れても、美紗の……唇は。うるっうるの……ぷるんぷるんだもんな……」

「ちなみにあたしの肌年齢」あたしは彼の腕のなかで、身を動かし、ちょん、と、彼の唇に触れた。――気持ちがいい。「正解は、二十二歳でーす」

 困ったように、くしゃっと、大樹は笑った。「……どのみち若《わけ》えじゃねえかよ。……美紗」

「……なぁに? 大樹」

「やっと大樹呼び定着したよな。……なあ美紗。キス、して」

「えーっ」とあたしは笑う。「でも、こんなところじゃ……」

「……おれ。美紗のこと考えると、なんも手につかねえ」と大樹は首を傾げた。「おまえのこと……考えると、わけわかんなくなっちまう……胸がどうしようもなくどきどきして、耳の奥がごうごう鳴っちまって……まじ、おまえのこと、好き」

「……大樹……」

 うっとりと、あたしはかかとを浮かせ、彼に――

「……しょっぺえ」と彼ははにかむように笑った。「中身は……もっと、しょっぱいの?」

 あたしは勿体つけて笑った。「……さーあ。どうでしょう……?」

「おれのハートに火をつけたな。……美紗」

 すると彼は。胸元から、急に、携帯用消毒ジェルを取り出すと、素早く手を消毒し、その殺菌された手でマスクを外し、挙句、あたしの手にジェルを塗りたくり、唇にさーっ、と塗ったと思うと、

「……味わえ」

 ――大樹大樹大樹……っ!

 あなたのなか、どうしてこんなに気持ちが、いいの……?

 頭が、くらっくらする。……あなたのなかは、想像以上だった。想像以上になまあたたかくて、やさしくて、テンダーで。蕩けそう……。

 一通りあたしのなかを味わいこみ、あたしを再び抱き寄せると、あたしの頭をぽんぽんする大樹は、

「あー……。ありゃあ。ひっでえなあ……」あたしの背にしっかりと背を回したまま、整った顔をやや歪めた。「中身、ぐちゃぐちゃじゃないか……。拾うよ」

 こういうときの、男の人の、気持ちの切り替え度合いってすごいと思う。彼は、あたしから離れ、おそらく自転車を起こし、ぶちまけられたバッグの中身を拾おうとしたのだろう……が。

「……っと。……だいじょぶ?」

「……ぐっじょぶ」カルメンみたいな体勢で、あたしを支える大樹に、あたしは笑いかけた。「ごめん。……もう、立て、ない……」

 彼は、いたずらに下唇を舐めて笑った。「……おれとのキス、そんなよかった……?」

「うん」とあたしは彼にしがみついた。「いますぐに死んでももう、この人生、後悔しないって思えるくらいに……」

「ばーか」と大樹はあたしの額に口づけた。「死なせねえよ。美紗。……少なくともおれたち、死ぬまでにあと一京回はキスしねえとな」

 それで、また、……あたしの唇をふさぐとか。もう、馬鹿っ……。ああでも……。気絶しそう。

 最、高……っ。

 腰をほぼ抜かしたまま、彼の舌を受け入れると、脳内が本気でショート状態。回線が、焼ききれて、なにも――考えられない。

 唇を離すと、至近距離で、宝石のような瞳を輝かせる大樹は……いや、その奥にはある感情が燃え広がっている……好き。

 こつん、とあたしは大樹と額を合わせた。「……好き」

「知ってる」と大樹は、あたしと、鼻と鼻をくっつけた。「おれも、……好き。いますぐ死んでもいいってくらいに」

「ばーか」と、あたしは、彼の鼻をかぷっとかじった。「あたしたちまだ……ちゃんと、くっついてないんだよ……あたし、大樹とちゃんと……」

 セックスしたい。
 
 なんてフレーズを異性相手にするのは初めてで。流石のあたしも気が引けた。――のだが。

 はぁっ、と大きく息を吐き、背を丸めた大樹は、いきなり、あたしを米俵のように担ぎ上げる。自分のからだが宙に浮き、彼の肩に、自分のお腹が当たっている奇妙な感覚。……勿論、そんなことをされるのは生まれて初めてだ。

「……ちょ。篠田さん……っ。大樹……っ」

「……すこし黙っておけ」

 黙々と。あたしを片手で支えたまま、自転車を起こした彼は、足を使って器用に自転車を起こし。座ってろ、と、渋い声で言うと、あたしを自転車に座らせ(油断すれば崩れそうなアメーバ状態だったので。しっかりと、篠田さんはあたしに自転車のハンドルを握らせた)、飛び散ったバッグの中身をバッグに仕舞い、斜めかけのバッグを、あたしのからだにかけると、自分はあたしの前に回り込み、

「……冗談じゃねえよ。美紗……」いままでにないほどに、篠田さんの息は熱く、そして荒かった。「おれだって美紗を……っ。……くそ……っ。とりあえずおにいさんに一分間キス、させなさい」

 冗談じゃなく。そのとき、あたしは、篠田さんこと大樹に、一億回、キスをされた。

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