タダで済むと思うな

美凪ましろ

文字の大きさ
19 / 27
第二部 恋愛編

#02-11.願望

しおりを挟む
「そうそ。で、それが春限定の、塩大福。お塩がちょっぴり効いてて、超絶的に美味しいのぉーっ」
 この分だと夕食は控えめにしたほうがよさそうだ。――せっかくなのでと、張り切ってカレーを作ったのに。
 弟に紹介しながらも、いかにも食べたそうに目をきらきらさせる晴子に、智樹は笑った。「晴ちゃん。食べたいんなら、我慢せずに食べなよ……。そんな目をされたら、食べるこっちが気を遣うって」
「えーでも」
「……カレーの匂いがするわね」鼻をひくつかせる母が、「智樹。あなたカレー、作ったの?」
「やーでも『葉桜』の和菓子のほうが大事だし」笑顔で、智樹は、母をいなす。「せっかくこんなに頂いたんだし、先ずは、みんなで食べようか……」
「じゃあ、母さん、お茶を淹れてくるわね」
「はぁーい」
 素知らぬ顔をして、好物の和菓子を手に取り、智樹は、姉の様子を見守った。――なにかが、違う。無邪気で明るいその瞳のなかに、憂い気を帯びたなにかが存在するような――。
 逸る気持ちを押さえつつ、智樹は、疑問をぶつけた。
「……石田さん、どんなひとだった?」
 ぷぅと頬を膨らませた姉が、
「……会ってるんでしょ? 智ちゃん?」
「おれは――実際晴ちゃんが会ってみて、どんな印象を抱いたのかを聞いているんだよ」
「すごく――いいひとだったよ。『あのひと』とは大違い……。誠実で、相手の目を見てちゃんと話すひとで、共感力が高いひとだね。石田さんだったら、きっと、お母さんを幸せにしてくれると思う……」
「そっか。分かった」
「石田さんのお兄さんが『葉桜』を経営してるんだよね」と、桜餅の葉を剥き、智樹は、「おれ、あそこ行っても菓子に気を取られるだけで、従業員さんの顔とかあんま見てないんだけど、パートさんが多いんだよね」
「あー石田さんのお兄さんが経営もされてるけど。職人なの。和菓子作ってる。でお母さまが接客もされてて……、ばりばり元気なかただよ」
「――石田さんのお兄さんのお子さんが、確か、晴子と同い年なのよねー」
 カウンターキッチン内にいる母が、なにげなく紡いだ一言に、晴子の表情が動いた。その瞬間を、智樹は見逃さなかった。そして――理解した。
 母が急須をカウンターに置く。と、晴子が腰を浮かせ、「お母さんわたし手伝う」
 いまのは、『逃げ』にしか思えなかった。明らかに、晴子は、この話題への言及を避けた。
 未知なる男への野望を馳せる。――そうか、おまえが、晴ちゃんを虜にしたというのなら、おれたちは、ライバルだ。
 母の淹れた茶をすすり、智樹は考える。
 罪を犯した自分は。罪を犯し続ける自分は、黙って身を引くべきだというのは分かっている。
 けれど、せめて。
 愛する者の幸せを願い、あがくことくらいは、許されるのではないか。
 智樹は、なるだけ自然なかたちで、その男――石田圭三郎の情報を聞き出す。そして、熟考した。自分に、なにが出来るのかを。なにをすべきなのかを。

「……あんたが、石田圭三郎?」
 鉄は熱いうちに打て。
 それが、祖父母から受け継いだ西河家の家訓であり、どんなときも智樹は実行してきた。
「そうだけど、……誰?」
「おれは、西河智樹。昨日そちらにお世話になった、西河虹子の息子だ」
「ああ……」読んでいた本を閉じ、目をあげる。我が姉はなかなかお目が高い、と智樹は思う。石田にしろ、甥である圭三郎にしろ、ルックスのよさは天下一品だ。母も自分もそこそこ綺麗な顔立ちをしており、綺麗な人間ばかりに囲まれ、姉の感覚は麻痺しているのかもしれない。
「よく――分かったね」
「あなたの叔父さんに会ったことがあるので。目が、同じです」
「ぼくが言っているのは、よく――この場所が分かったね、という意味だ……」
「神がもたらした偶然なのかもしれないです」言って智樹は、ぐるりと図書館内を見回す。「……というのは冗談で。先生に聞きました。――で、あなたが、普段から放課後はここにいると……聞いて」
「誰先生から」
 周囲に気を遣い、椅子から立つ圭三郎を見て、智樹がからだを引く。「知りませんが、白衣を着た先生でした」
「……種岡(たねおか)先生だね。間違いない……」
 圭三郎は腰を屈め、本を学生かばんに仕舞うと、かばんを持ち、
「ここじゃあなんだから。中庭で話そう」

 人間関係の構築は、デバッグに似ている。
 不確定要素を確かめ、危険因子を排除する――その繰り返しだ。
 緑豊かな中庭を眺め、智樹は、白い息を吐く。
 見れば、圭三郎が、自動販売機で購入しただろう、缶コーヒーを手に、戻ってくるところだった。
 手渡されるそれをありがたく受け取る。「……ありがとうございます」
「きょうだいなのに、あまり、似ていないんだなあ……」智樹に並んでベンチに座ると、小気味よい音を立てて、プルタブを引く。口をつけ、「あっち。きみ、まだ、飲まないほうがいいよ……」
「信頼出来る人間が、あなたには、いますか」
「うん?」智樹の意図するところが分からずでか、圭三郎が顔を智樹のほうへと向ける。「どういう意味? 家族とか?」
「……自分の命と引き換えにしてもいいくらいに、大切で、愛おしい存在が、です」
 すると、圭三郎が突然、爆笑した。持っていた缶が揺れ、こぼれるのを恐れてか、ベンチに置く。
 智樹には、意味が分からない。「……どうしたんですか」
「いや、なに……。きみたちって、本当、『家族』なんだね……。顔立ちは違くても、きみたちは、そっくりなんだよ……智樹くん。
 考えていることが、まんま、顔に出るところなんか、そっくりだ……。
 質問に答えよう。――大切な存在? いて、たまるかよそんなの。
 この世で一番大切なのは、自分だ。自分以外の、何者でもない。
 もし、仮に――自分か、愛する者のどちらか一方だけが助かるのか、究極の選択を迫られたとて、ぼくの答えは決まっている。
 自分以外に、ない」
 文章をよく読む智樹には、相手の台詞が音楽に聞こえることがある。波長が合わない人間の声を聞けば、吐きそうになることさえある。――圭三郎は、声こそ、とっくに変声期を迎え、美麗と言えるものであるが――内容が。何故か、声の調子が、智樹に、吐き気を覚えさせた。
「……晴子ちゃんは、分かりやすい子だよねえ? ――あの子、ぼくの顔を見ると真っ赤っ赤になっちゃってさ。可愛い赤ずきんちゃんみたいだねえあの子。
 あの子のこころの内側でなにが起きてるのかを見抜けぬほど、ぼくが、鈍感な人間だと思うかい――? 智樹くん?」
「――貴様」
 缶を、地面に、叩きつけた。中身がこぼれようが、この際どうだっていい。
「学校までわざわざやってくるとは、きみ、重度のシスコンかなにかぁ? ……面白いねえきみ。勿体つけないで、言いたいことがあるんならサクッと言いなよー。
 それとも、あれか。不倫をやらかしたきみのお父さんみたいに、ぼくの欠点でも探して、ネットで晒して袋叩きにでもするつもりぃー? ……残念。ぼくは、そんなヘマなんかやらかさない。ごくごく普通の中学生なんだよー。あもうすぐ高校生だけどねー?」
「いったいどこで、……父のことを」
 思わぬ事実に言及され、智樹の脳がすこし冷静さを取り戻す。そんな智樹に、圭三郎が、
「ネット社会を甘く見んなよー。一日の猶予があった。きみのご家族のことを調べ上げるには、充分過ぎる時間だったよ……」
 ひらひらとスマホを見せつける圭三郎が、悪魔のように笑う。その様に、智樹は、脳が沸騰するかと思った。
「――まぁ。まさか、こんなにも早くきみが来るだなんて思いもしなかったけどー。母親が再婚考えててお相手の実家来るってのに、顔出さない息子なんて相当だろ、って思ってたけど、相当だったねー。母親の嫁ぎ先で印象悪くするってきみ、馬鹿なの。んで馬鹿なきみは、こう言いたいわけだ。
『姉ちゃんには手を出すな!』って」
 笑いながら圭三郎が、腰を浮かせる。「ざぁんねん」――と。
「ぼくね。他人の大切にしているものをぶっ壊すのがだぁいすき。きみみたいないたいけな子が執着しているのを見ると益々ね、――破壊欲が増す」
 自分の行動は逆効果だったと悟るのだが、時すでに遅し。むしろ――来ないほうがよかった。
 いや、と智樹は、思い直す。母が、石田との交際を真剣に考える以上、いずれ『このとき』は訪れていた。圭三郎に本音をぶつけ、本当の圭三郎と対峙する瞬間が。むしろ、早いうちに彼の本性を知れたことを好機ととらえ、手を打つべきだと、智樹は分析する。――本当の敵は、ここに、いたのだ。敵は本能寺ではない、圭三郎のほうだった。
 立ち向かえないほどの敵が現れたことに、ふるえるほどの興奮を感じる。――いま、守るべきものがなんなのかを、智樹は実感した。
 この男の毒牙に、姉をかけるわけには、いかない。母も、どうやら好感を抱いている――この少年の端正なる仮面の裏に隠されている悪魔の正体に気づいたのは、自分だけなのだ。
 智樹は、立ち上がり、目前の敵に、告げた。
「あんたに、晴ちゃんは、渡さない。おれが、守り抜いて見せる」

 *
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

処理中です...