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第三部 青春編
#03-06.決断
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「メイといると、本当、きみって、幸せそうな顔をするよね……」
しみじみと感じ入ったふうに、圭三郎が語る。演奏会の準備で忙しい合間を縫っての、石田家訪問である。
幸いにして朝江の具合はよくなったようで、元気な顔を見せてくれた。
メイを手のひらに乗せ、愛くるしい表情を確かめる。感情豊かな動物だ。くりくりとしたお目目を見つめているだけでなんだか、癒される。ここが『敵』の拠点だということを忘れてしまうくらいに。
「じゃあ、わたし、行くね」
メイをケージに戻し、晴子が腰を浮かせると、圭三郎が疑問の声をあげる。「……なんで。来たばかりなのに」
「わたし、忙しいの。することも考えることも山ほどあるの。……あなたのしたいことは、結局、わたしに対する束縛……なんでしょう?
自分の思うように動いてくれる、駒が必要なだけなんでしょう?
残念だね。圭。
ひとのこころは、そんな簡単なもんじゃない。
仮にわたし、あなたにレイプされたとしても、生涯、きっと、智樹のことを想い続けるわ……」
「そうか。――分かった。なら、こうする」
素早く接近した圭三郎に唇を封じられ、挙句、ベッドに押し倒されていた。
不思議と、抵抗する気は起きなかった。――このひとは、孤独なのだ。本当の愛を、知らないのだ。わたしに出来ることであればなんでも……と、聖母のように、からだを差し出す、自分自身を発見してしまう。
「……抵抗、しねえのかよ……晴子」
大きな手のひらで晴子のふくらみを包み込む圭三郎が、
「いいのかよ。……あんた。愛する智樹に愛された肉体を、他の男に甚振られようとしてるんだぜ……」
「あなたが、どんななにをしようとも、わたしのこころは、奪えない」
毅然と、晴子は、言い切る。
「もう、決めた……。わたし、お母さんに、言う。
恥ずかしいことなんか、なんにもしていない。
愛する人を愛すると言って、一体、なにが悪いの……。
圭。わたしたちのことを言いふらしたいのなら、好きにすればいいわ……。
わたし、どんな偏見に痛めつけられようとも、もう、自分の気持ちは、誤魔化せない。
智樹のことを、愛しているから……」
「――あああ!」
喚いたと思ったら、めちゃめちゃに口づける。暴力的な接吻だった。ひたすらに圭三郎の手が晴子の素肌を貪り、その恐ろしさに晴子はふるえを感じていたのだが、やがて見抜いた。――このひとの苦しみを、共感し、受け止めてくれる人間は、きっと、この世のどこにも存在しなかったのだ。
気づけば、晴子は、そっと、圭三郎を抱き締めていた。胸のなかに、小さな彼の頭を抱き、
「……怖く、ないよ……圭。大丈夫。きっと、なにもかも、上手くいくから……。わたしは、あなたの味方だよ。あなたがなにを考えて、どんななにをしようとも、わたしは受け止めるから……」
小さく、彼の頭がふるえる。――泣いているのか?
「んなこと言って、結局あんたは、西河智樹を、愛しているんだろう……この、嘘つきが」
「ごめんほんとそれはそうなんだけど」しっかりと彼の頭を掻き抱き、「いま、苦しむあなたを放っておけるほど、わたし、おめでたい人間じゃあないの……。いまだけなら、あなたのものになってもいいよ……」
「――西河智樹を裏切ることになってもか」
顔をあげた圭三郎の頬は濡れていた。それをそっと拭い、晴子は、微笑んだ。
「……そうね」
男の子が大泣きするのを見るのは、初めてかもしれない。
小学校低学年の頃までは、智樹は、姉に置いてきぼりを食らい、悔し涙を流すこともあったが。思えば、あの子も、昔っから感情表現が下手で、負けず嫌いで、弱みを見せようとしないタイプだった。
男の子とは、そういう生き物なのかもしれない。
いままでにないくらい慟哭する圭三郎の嘆きを全身で受け止め、晴子は結論する。――彼を、支えられるのは、この世に自分しか、いないのだ。
天啓のように結論が舞い降りた。自分のすべきことが何であるかを、そのとき、彼女は悟った。
一方の、西河智樹も、人生の重要な岐路に立たされていた。
ネットで調べた学校に、思い切って電話をしてみた。どうやらその学校は、いじめ被害に遭う子や、引きこもりの学生を積極的に受け入れている様子で、話を聞いた限りでは、好印象だった。
ネットでやり取りをする仲間のなかに、その学校の出身者もおり、詳しく話を聞いた。
自由な校風で、のびのびとした学生生活を送れる。演劇をする者がおり、『ニーチェ万歳!』などと言ってビラを撒く連中がいる。生徒たちは大量のビラを迷惑がりながらも拾い、読み、結局、みなで演劇を鑑賞する。廊下でストリートライブが行われ、教師たちも観客と化す。めちゃくちゃな学園生活――に、智樹は魅力を感じた。卒業生にアーティストが多いという点も、自由な校風を証明しているようではないか。実を言うと智樹は、中学生活に、不満を感じていた。
決して悪い学校ではないのだが、校則は、厳しく。スマホを学校に持ってきただけで停学処分を食らう。化粧、染髪、ピアスなども無論厳禁。漫画を持ち込むことすら許されない。
中高一貫校ということもあり、難関の試験を突破して入学したはいいが。自分の個性を押し潰されるような学園生活に、辟易しているのも事実――であった。
三連休の中日であり、部活動で忙しい晴子を除けば全員が暇である。コロナウィルスのニュースが世間を騒がせており、どうも、遠くに出かける気分になれない。くさくさとした日常を過ごす。世間が晴れやかでないと、気分が重たくなる。こんなにも、自分が、世間の動向に左右される人間だとは思わなかった。母と二人、ダイニングでインスタントラーメンを食べ、険しい顔でテレビのニュースをチェックする母の顔を見ながら、そんなことを思う。――いま、自分がすべきこととは、なんなのか。
そのとき、智樹は、閃いた。自分がなにをすべきなのかを。
晴子が帰宅し、家族全員で夕食開始となったタイミングで、智樹は打ち明けた。
「みんな。……ごめん。実は、おれ、三重にある、全寮制の中学校に、転校したいと思っているんだ」
*
しみじみと感じ入ったふうに、圭三郎が語る。演奏会の準備で忙しい合間を縫っての、石田家訪問である。
幸いにして朝江の具合はよくなったようで、元気な顔を見せてくれた。
メイを手のひらに乗せ、愛くるしい表情を確かめる。感情豊かな動物だ。くりくりとしたお目目を見つめているだけでなんだか、癒される。ここが『敵』の拠点だということを忘れてしまうくらいに。
「じゃあ、わたし、行くね」
メイをケージに戻し、晴子が腰を浮かせると、圭三郎が疑問の声をあげる。「……なんで。来たばかりなのに」
「わたし、忙しいの。することも考えることも山ほどあるの。……あなたのしたいことは、結局、わたしに対する束縛……なんでしょう?
自分の思うように動いてくれる、駒が必要なだけなんでしょう?
残念だね。圭。
ひとのこころは、そんな簡単なもんじゃない。
仮にわたし、あなたにレイプされたとしても、生涯、きっと、智樹のことを想い続けるわ……」
「そうか。――分かった。なら、こうする」
素早く接近した圭三郎に唇を封じられ、挙句、ベッドに押し倒されていた。
不思議と、抵抗する気は起きなかった。――このひとは、孤独なのだ。本当の愛を、知らないのだ。わたしに出来ることであればなんでも……と、聖母のように、からだを差し出す、自分自身を発見してしまう。
「……抵抗、しねえのかよ……晴子」
大きな手のひらで晴子のふくらみを包み込む圭三郎が、
「いいのかよ。……あんた。愛する智樹に愛された肉体を、他の男に甚振られようとしてるんだぜ……」
「あなたが、どんななにをしようとも、わたしのこころは、奪えない」
毅然と、晴子は、言い切る。
「もう、決めた……。わたし、お母さんに、言う。
恥ずかしいことなんか、なんにもしていない。
愛する人を愛すると言って、一体、なにが悪いの……。
圭。わたしたちのことを言いふらしたいのなら、好きにすればいいわ……。
わたし、どんな偏見に痛めつけられようとも、もう、自分の気持ちは、誤魔化せない。
智樹のことを、愛しているから……」
「――あああ!」
喚いたと思ったら、めちゃめちゃに口づける。暴力的な接吻だった。ひたすらに圭三郎の手が晴子の素肌を貪り、その恐ろしさに晴子はふるえを感じていたのだが、やがて見抜いた。――このひとの苦しみを、共感し、受け止めてくれる人間は、きっと、この世のどこにも存在しなかったのだ。
気づけば、晴子は、そっと、圭三郎を抱き締めていた。胸のなかに、小さな彼の頭を抱き、
「……怖く、ないよ……圭。大丈夫。きっと、なにもかも、上手くいくから……。わたしは、あなたの味方だよ。あなたがなにを考えて、どんななにをしようとも、わたしは受け止めるから……」
小さく、彼の頭がふるえる。――泣いているのか?
「んなこと言って、結局あんたは、西河智樹を、愛しているんだろう……この、嘘つきが」
「ごめんほんとそれはそうなんだけど」しっかりと彼の頭を掻き抱き、「いま、苦しむあなたを放っておけるほど、わたし、おめでたい人間じゃあないの……。いまだけなら、あなたのものになってもいいよ……」
「――西河智樹を裏切ることになってもか」
顔をあげた圭三郎の頬は濡れていた。それをそっと拭い、晴子は、微笑んだ。
「……そうね」
男の子が大泣きするのを見るのは、初めてかもしれない。
小学校低学年の頃までは、智樹は、姉に置いてきぼりを食らい、悔し涙を流すこともあったが。思えば、あの子も、昔っから感情表現が下手で、負けず嫌いで、弱みを見せようとしないタイプだった。
男の子とは、そういう生き物なのかもしれない。
いままでにないくらい慟哭する圭三郎の嘆きを全身で受け止め、晴子は結論する。――彼を、支えられるのは、この世に自分しか、いないのだ。
天啓のように結論が舞い降りた。自分のすべきことが何であるかを、そのとき、彼女は悟った。
一方の、西河智樹も、人生の重要な岐路に立たされていた。
ネットで調べた学校に、思い切って電話をしてみた。どうやらその学校は、いじめ被害に遭う子や、引きこもりの学生を積極的に受け入れている様子で、話を聞いた限りでは、好印象だった。
ネットでやり取りをする仲間のなかに、その学校の出身者もおり、詳しく話を聞いた。
自由な校風で、のびのびとした学生生活を送れる。演劇をする者がおり、『ニーチェ万歳!』などと言ってビラを撒く連中がいる。生徒たちは大量のビラを迷惑がりながらも拾い、読み、結局、みなで演劇を鑑賞する。廊下でストリートライブが行われ、教師たちも観客と化す。めちゃくちゃな学園生活――に、智樹は魅力を感じた。卒業生にアーティストが多いという点も、自由な校風を証明しているようではないか。実を言うと智樹は、中学生活に、不満を感じていた。
決して悪い学校ではないのだが、校則は、厳しく。スマホを学校に持ってきただけで停学処分を食らう。化粧、染髪、ピアスなども無論厳禁。漫画を持ち込むことすら許されない。
中高一貫校ということもあり、難関の試験を突破して入学したはいいが。自分の個性を押し潰されるような学園生活に、辟易しているのも事実――であった。
三連休の中日であり、部活動で忙しい晴子を除けば全員が暇である。コロナウィルスのニュースが世間を騒がせており、どうも、遠くに出かける気分になれない。くさくさとした日常を過ごす。世間が晴れやかでないと、気分が重たくなる。こんなにも、自分が、世間の動向に左右される人間だとは思わなかった。母と二人、ダイニングでインスタントラーメンを食べ、険しい顔でテレビのニュースをチェックする母の顔を見ながら、そんなことを思う。――いま、自分がすべきこととは、なんなのか。
そのとき、智樹は、閃いた。自分がなにをすべきなのかを。
晴子が帰宅し、家族全員で夕食開始となったタイミングで、智樹は打ち明けた。
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