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insider

第一話(3)同居中の姑にいびられ悩める女

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 待ち合わせは、都内のホテルのカフェ。
 都心に出ることなど滅多にないので、ひとの多さに驚いてしまう。まるで、おのぼりさんだ。
 赤い表紙の本を立てている男を探した。それが、目印だ。
「……あっ」
 奥のテーブルにひとり座る男の姿に気がついた。なかなかの、美男子だ。
 正直、熟女狩りをする男なんて、ろくでもない男だと思っていたのに。
「玲子さんですね。初めまして。友哉です」
 椅子から立ち上がり、きちんと挨拶をする辺り、誠実な性格が読み取れる。
「あ……はい。柏木玲子と、申します」
 緊張も露わな玲子に、友哉が笑いかけた。その笑みはなんだか彼女に、丁寧にアイロンをかけられたまっさらなシーツを思わせた。
「それでは、ここですこしお話しましょう。もし――生理的に無理だったら、ホテルはキャンセルしますんで」
 玲子は正直に答えた。ここまで来てそれは。「あいえ。それは――ないです」
 確信を持ったかのように青年は頷き、
「……ですよね。コーヒーでも飲む?」
「飲みます」

「ほんともう……うんざりなの。結局、義母は、あたしがなにやっても文句を言うのよ。大好きなムチュコたんを奪った時点で敵なの。
 亡くなった義父があたしを気に入っていたことも気にくわないみたいで」
「女性は、若さを勝ち負けの基準にするからね……特に、あなたの母親世代だと、自分よりも若いってだけで敵なんだろうね」
「そうなの!」興奮のあまりテーブルを叩く玲子は、「こないだなんか、ピンクのアイシャドウ塗っただけで、『あら玲子さん。志茂田景樹みたいね!』って言われて。底意地が悪いにもほどがあるわ! ひどすぎる!」
「志茂田景樹って?」
「あ知らない? ジェネレーションギャップね。……待って。見せてあげる」
 スマホの画像を見た友哉は、「へーえ」と意味ありげに頷き、「確かに、義母さんいいとこついてんね。玲子さん似てなくもないなあ……」
「んもーう友哉まで!」
「冗談冗談」笑みを消した友哉は真顔で、「玲子。きれいだよ……とっても」
 胸がきゅん、とときめいてしまう。
 こんな感覚――味わうのは何年ぶりだろう。
 ――夫とは、恋愛結婚だった。彼の熱心なアプローチを受け、玲子はすぐに結婚した。
 玲子の母親は、玲子に暴力を振るっており、精神的拠り所が欲しかったのかもしれない。
 男が釣った魚に餌をやらないのは本当だった。
 結婚した途端、夫は玲子に仕事を辞めるよう要求し――子どもを望んでいたからそこは仕方ないとしても、家事のあれこれが出来ていないと目くじらを立てる暴君と化した。
 いま思えば――母親があんなだったからこそ、玲子に完璧を求めていたのだ。
 やすらぎと、癒しを。
 けれど――彼は、玲子の気持ちなんか考えちゃいない。自分優先。自分のことばかりで、同居する義母に悩まされる玲子に、一言くらい、労わりの言葉があってもいいのに。玲子は夫の態度に常に、不満を抱いている。
「結局、妻って、便利な家政婦なのよね」整えた髪をかきあげる玲子は、「なんでもやって当たり前。我慢して当たり前。給与もなにも貰えず、死ぬまでこき使われるこんな理不尽な職業、他に、ある?」
「離婚とか、考えてないの?」
 盲点だった。玲子はフリーズする。――離婚。確かに。この状況下だと、ますます玲子が追い込まれることは目に見えている。――姑の介護、夫の介護。これ以上一緒にいたとて、なにひとつプラスの材料などないのではないか?
「でも、あたし、仕事してないし……」
「じゃあ、先ずは、仕事見つけてからだね」にっこりと、友哉は笑顔で言い切る。「そんなに、玲子ちゃん、頑張ってるんだから。どっか他で、自分の価値を見出してくれる場所を見つけてみてもいいんじゃないかなあ?」
「考えてもなかった。離婚とか……」
「結婚する人間の三分の一が離婚する時代だから。ぼくに仕事を依頼する女性でも、離婚経験者など珍しかないよ?」
「えー。意外。てっきり、あたしみたいな、悶々とした既婚女性ばかりだと思っていたのに」
「ある程度の年齢行くと、セックスする相手探すのも大変じゃん。億劫だよね。それに、四十代五十代の男って、一部の人間はそこそこの格好よさを維持してはいるけれど、既婚者だったり、独身でも極度のナルシストだったり。以外の大多数は太鼓腹みたいなおっちゃんで、浪漫も夢もあったもんじゃないだろう?」
「確かに。ね、友哉はやっぱり、体型維持のために運動とかしてんの?」
「してるよ勿論。……ところで玲子ちゃん、ここ来てそろそろ一時間経つんだけど、決断、してくれるかな?
 このままいい感じの思い出作りでバイバイするのかそれとも。
 めちゃくちゃに気持ちよくされる道を選ぶのか。――たとえ、背徳者とそしられようとも」
 玲子は、これまでの経験を総動員する。この男が危険極まりないレイパーだとしたら? とっくにあのサイトは閉鎖されているだろう。警察に訴えられるかなにかして。ではない、ということは。
 奇しくもこの日、本当は玲子はアイドルグループのコンサートに行くはずだった。夫と義母には、チケットを再発行して貰ったと嘘をついた――本当は、再発行は認められていない。
「決めました。あたし、あなたに、抱かれます」
 ふるえを抑えながら言い放つと、友哉の目がなにかの感情に和らいだ気がした。

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