碧の青春【改訂版】

美凪ましろ

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第九章 暴力反対……

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 意識しないといったらそれは嘘つきの始まりだと思う。
 夏服のとき、男女のシルエットの違いにこっそり驚く。
 どきどきもする。
 男の子以前にそもそもが人間慣れしてない私は、あらぬところにふと及びそうになると自分自身で恥じる。
 顔を見ておくのが無難だ。
 でも相手の目を見て話すのもすこし、苦手で、……勇気が要るというのかな、自分に自信がないと厳しい。
 他人から見た自分ってどんなだか客観的に分からない。見られるに値するのかって判断が働くから。

 そういうためらいとは無縁のひとを一人、知っている。
 男女関係なしに、じっと目を見て話す。
 気持ちを読み取る穏やかさと、
 自身の瞳の強さが相まって不思議な安心感を与える。
 普段絡まないからこその威圧を与える彼とは対照的で。
 警戒してるな、と思ったらふっと和らげる。
 緩急を使い分けられるのだと思う。

 なにか考えだすとこんな風に和貴に考えが及ぶ。私の判断基準に奇妙なインパクトを与えている。
 思春期に性に関心を持つのは、喉が乾けば水を飲むように自然なことで避けては通れない。
 思考主体が男の子だったらばもっとだ。
 机上の空論としてならば知っている。
 でも現実と結びつかない。

 和貴に指摘されたように、紗優に看破された通りで性的に無知な私は。
 先をゆく周りの情報や、
 フィクションの漫画など、
 或いは心理学書の提供するリアリティで触れる程度で、興味を持つのが本当はどういうことなのかも実は、分からない。
 お付き合いしたとは到底呼べない過去の男の子二人も、触れたこともない。
 嫌だったか? ――想像してみようにも私あんまり思い出せない。
 緊張したはずが。
 どきどきの元をたどれば。

 新しい記憶に上書きされている。

 同性に向ける親愛の情と。
 異性だからこそ沸く恋愛の情感。
 この違いも、不定だ。
 振り分ける明確な基準さえあれば惑わされずに済むというのに。
 これこそが恋であり、そっちは友情で、最後に残るのが愛なんだと。
 ごみのようには分別できない。
 捨てるのとは違う、育むべき感情は、どこだか分からない浮遊点……そんなこころの中に実在する。

 彼らのことが。

 あれなんで複数形なんだろう。

「都倉さん、どうかなさいましたか。ご気分でも……」
「や。えっと」近い。「う、ううん。考えごとしてただけ」
 接近する度合いが近いと気づけば身を引くのがタスク。「風邪のほうは大丈夫ですか」
「うん。すっかり平気」
 夏祭りに連れ出された塩川神社を再訪している。訪れるのはあれ以来でつまりは二度目となる。
「タスクが毎年お参りするのってこの神社?」
「いえ。僕は初詣には行きません」
 無宗教なのですよ、と彼はどこか悪巧みするように笑う。
「えじゃあどうして……」
 柄杓で口をゆすいだタスクが、私に譲ると教師のような顔をして通りざま、
「部活のこと抜きにして会うのもいいのでは、と思いまして」
 耳打ちを落とす。
 ――だ、
 誰の、
 どんなことを指しているの。
 待ちぼうけだったマキの肩に触れ、促すタスクは。
 ああくびしてる。眠たそう。午後の一時過ぎにまさか、寝起きじゃないよね。
 元旦を外したものの参拝者はゼロでなく、並ぶひとの列が入り口の鳥居まで続く。ピークは元旦午前までで家族連れが多いとのこと。それでも明治神宮や鎌倉八幡宮並みにごった返すことはなさそうだ。なんせ人口が断然違う。
「ん、のわぁっ」
 靴に砂利が絡む、
 ブラウンの瞳のアップのせいだった。
 驚かしといて口に拳当てて笑う。このひとは。
「年が明けても変わんないね……その笑い上戸って」
 いつまで笑っているの。
 真っ赤なダッフルコートが印象的な彼、自分に似合うのがなんだか分かってる。マキは寒色だけど彼は暖色。学校に着てこないのは派手な色味を気にしてなのかな。
「冬休み中元気してた?」といっても休みはまだ明けていないが。「あおじいさんも……うちの祖父がね、和貴のお祖父さんのこと聞いてすごく、懐かしがってたよ。ご飯食べにおいでって言ってた」
「風邪引いたんよ和貴は」
 マキと喋ってた紗優が唐突に振り返る。
「えそうなの? いつ」
「ずっと。大晦日に遊び行ったら、怜生に移したらあかんやろて面会謝絶。昨日も断られたばっかなんよ」
「今日来て……大丈夫だったの?」
「熱出して寝込んどったっておじいちゃんゆうとった。ほんでも元旦には下がってんて」
「詳しいね紗優」
「ん? 近所やしな」
 この寒いのにミニスカで素足を晒す紗優は胸を張るものの。
 拳当てたまま黙りこくる隣人のほうが気にかかる。
「ねえ和貴」
 ……珍しい。
 からだごとそっぽを向く。
 自分から逃げるだなんて。
 どうしてなにも言わないんだろう。そうだ私和貴喋ってるのまだ聞いてない。
「和貴ってば。ねえ、もし具合悪いんだったら無理しな……」
「ら」

 らいじょーぶやがら。

 ……ん?
「その声……」
「がらがらになってしもーとるなあ」あっはと紗優は高らかに笑う。
 一瞬誰が喋ったか分からなかった。
 男の子にして甲高い和貴の声がハスキーに変質してる。
「え、なに。今日来ても平気だったの? すごい声してるよ」
「のどがぜだげやがらずぇんぜんへーぎ」
「ぜえったい真咲かマキの風邪もろてんろ。あんた風邪引いたんあのあとすぐ」
 冗談でも手を挙げないフェミニストが女の子をはたく。
 それを見て気づいた。
 ……だったらバレないように来なければいいって話もあるけれど……紗優からどのみち明かされたことだろう。
 言われて見れば、よそを向いて咳をする和貴の顔色が赤を着てるのに心なしか青白い。「あの。……私のせいだよね。ごめんなさい」
「ん? なにゆっでんの。ぼぐじーじゃんのもろうだだけやじ」
「おじいちゃんぴんぴんしとったやんか。あんた知らんやろ、うちでおぜんざい二杯も平らげたんよ」
 再び左手が動いたので私は笑ってしまった。
「宮沢。順番だぞ」マキが紗優を呼ぶ。
 呼んでおいて待たず、鈴縄を掴み、がらんがらんと鳴らす、黒い手袋の指先。長い、腕に目が行く。
 あのしなやかさは彼の努力の結晶。
 いま肉眼に見えなくとも。
 見惚れていて順番が回ると私、なにをどうしたらいいのか分からなくなり隣チラ見してひたすらに真似てた。
 二拝二拍手一拝。――年に一度は参拝するのにいまだこの儀式に慣れない。
 よっぽど具合が悪いのか、いつもだったら和貴はウィンクの一つもするのにずっと目を伏せていた。
 祈ってるそのまつ毛なんてビューラー要らずのばっさばさ。女子からすると相当羨ましい。
「ね。随分長く祈ってたけど……なにお願いしたの?」
 列外れたときに彼の足元を見ながら訊いてみる。
 顔ごと逸らされた。
 ……変なこと言ったかな。
「じーじゃんがながいぎするよーに。あるひとの願いががなうよーに」
「……自分の願いごとはしないの?」
 石から砂利に移る足運びを注視する。……なんで気づかなかったんだろう。
 軽やかに影踏みするステップが、重たい。
 出会いたての頃のマキに対する違和感は、これだった。
「ぞんなごとないよ」
「私はね、みんなと家族の健康をお願いしたの。和貴の風邪も早く治りますようにって」
 止まった。
 ホーキンスの編み上げブーツが。
 和貴は。
 顔を起こし。
 ふわっと、
 笑みをこぼす。
 凍てつく空気、耳あてがないと凍りつく冷蔵庫に似た外気で、ほのかに開く。
 松が雪を被る、境内の白い面積が多い冬景色のなかで彼は、花だった。
 ダッフルコートが皮膚に色を添える。
 私は。
 春が恋しくなった。

「ありがど、まざぎざん」

 たとえ言葉が濁っていようと、
 気持ちまでは凍らせやしない。

 誰かが、誰かに元気でいて欲しいという願いや。
 誰かが、誰かに今日も笑顔でいて欲しいという希望も。

 足元の雪が汚濁を覚え、
 敬意なく踏みしめられ、
 やがては溶けても。

 溶けて消失しないものが私たちのなかにあると思っていた。

 ……そうだった。
 私は、この町の雪と同じく分かりやすく、影響されやすい人間だった。
 それだって、気づけることがあるから、いい、と思っていた。
 知らなかったことを覚え始める。
 それは例えば。
 細やかに行き届くタスクのこと。
 私に対する素直な気持ちを示す紗優のこと。
 気取らない実直さを備えつつも、からかい、惑わす和貴のこと。
 ……無感動のポーズ決めてるくせに周囲の動向にいち早く気づき、手を打つ、彼の性質にも。
 関心を持っていた。
 関心を持たれることが嬉しかったし。
 気持ちを表したくなった。
 そんな、自由であり、契機であり、居場所となっていた。
 私が彼らと過ごすということは。
 それなのに私は。
 ――自分ですこしは敏感なつもりだったのに、
 結局のところは、鈍かった。
 見えてないことばかりだった。
 気づけていなかった。
 みんなの気持ちにも。

 自分のことにでさえも。

 タスクの見えない性質。
 紗優の、切ないこころ。
 和貴の秘められた内面。
 マキの未だ隠された想い。
 私の人には言えない、気持ちの問題を――様々な想いを乗せ。
 この時期に珍しく白雪が舞うこともなく、二度と訪れることのない、1998年という真新しい年が始まった。
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