碧の青春【改訂版】

美凪ましろ

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第十章 知り合い?

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 センター試験が終了すると校内は益々忙しなくなり、顔の青ざめた三年生が職員室と教室とをひっきりなしに行き来する。それから一週間も経てばその人数はがくんと減る。
 私大の入試が開始するからだ。
 国公立を目指すうちの九割が県内に留まる。実質的に畑中大学の一択だ。
 私立ならば選択肢の少ない県を離れて関東へ。次に多いのが関西方面なのは交通の便が比較的いいからだろう。
 三年生の半分強が四大に進学し、残りは専門学校に短大に進む。就職を希望するのは、家業を継ぐ者を入れても一桁程度。
「……といったところだ。分かったか都倉」
「はい」
「就職つってもな」ファイルをめくるその表情は険しい。「うちからは厳しい。殆どが東工に取られるからな」
 就職希望なら東工業高校、大学受験なら緑川高校に進むという棲み分けがこの町ではなされている。
「……見つからないようでしたら家業を継ぎます」
「そうか」
 二度目の進路指導室に呼び出された。
 考え直すよう諭すためだ。
 ……分からなくもない。
 東大や京大関関同立などの合格者は例年二十名を超す。それをもっともっと増やしたい。東工と比べて優秀な県立高校のイメージを保ちたい。生徒というより一部の先生方がそこにこだわりを持っているそうだ。
 だけでなく。
 私の将来を案じてくれているのもよく分かる。
 宮本先生はエキサイトすると方言が強くなる。
「呼び出すんがはこれで最後やぞ」
 念押しされ、失礼しましたと言って部屋を辞す。
 あー疲れた……。
 肩を動かすとコキ、と鳴る。重たいブレザーは肩が凝る。その右肩を見た先に、
「あ真咲さん」
 お隣の職員室から和貴が出てきた。
 やや三白眼の彼は、一瞬で理解して私の背後を見やる。
「呼び出し食らったんだね」
「ん、まあ……」つられて進路指導室のプレートを仰ぐ。宮本先生はまだ中にいる。
「みやもっちゃんのゆーことも一理あるんやからそんな顔、しない。しなーい」
 そんなにしかめっ面でもしていたのか。
 眉間を縦になぞる。
 皺が入っていたのだろう、指先のくせしてちょっと熱い。
 その手が、今度は、自分の両頬を摘まみ、いーっとにらめっこの顔したり。
「ぶはっ」
 ブタ鼻を。
 作ったり、……する。
「真咲さんは考えこんどるとき、むつかしい顔ばっかりしとる」
 追い抜いて肩越しに笑いかける。
 爽やかな笑みで、
「笑顔のほうが似合うよ」
 ブタ鼻でも様になるのは桜井和貴を除いてほかにない。
 でもね。
「和貴だって就職組なんでしょう」職員室を進路指導室を離れる。「なんて私ばっかり」
 足音で自分の不機嫌さが分かる。
 和貴はふっ、と目を留める。
「心配してんだよみやもっちゃんは。真咲さん来たばっかで慣れてないっしょ? クラスで浮いとったのも気にしとったし」
 あ。
 と中庭のほうへ顔を傾けたのが、
「……言わんでいいこと言っちゃった」
 肩を落とす。
 追いついてもまだしょげてる。
「気にしないで。事実なんだから」
 和貴はいつも困ると掻く。見るに柔らかい髪の毛を。強い、手の甲の骨が動く。
「ね。和貴はなんの仕事に就きたいの?」
 動きが止まる。
 顔を起こす。
 にかっ、と笑った。
 ぶんぶん尻尾を振る子犬を彷彿する。

 ――和貴は愛らしい。

「ホームヘルパーになりたいんだ」
 思いもよらない答えが返ってきた。
 階段に差し掛かると後ろを確かめ、首をすくませる。「緑川って老人率高いの。だからね、そういう仕事がこれからますます必要になると思ってさ。うちに遊びに来るじーちゃんの友だちともね、喋ってて結構楽しいんだ」
 私たちの年頃なら親世代のことはおろか、老人のことならもっと毛嫌いする。
「……四大出て社会福祉士の資格とってから戻る道もあるのに」卒業してすぐ就職じゃなくても。
「うちじーちゃんの年金と戦争の報奨金暮らしやからそんな余裕ないよ」
 なんてことないように首を振るけども、

 それだけではないのを私は知っている。

 紗優から聞いたんだ。
「緑高卒業したらね、……うーん、できれば在学中にホームヘルパー二級取得してさ、老人ホームで仕事するって決めてんだ」
 小さい頃からの夢だったと彼は語る。
 それは。
 いつからの決意、なのだろう。
 日の当たる領域に進む、確固たる足取りで。
 迷いのない。
 将来を見据える、凛としたその横顔は。
『……和貴な、父方のおじいちゃんおばあちゃん亡くしとんの。叔父さんもおじいちゃんもみぃんなガンでな。生き残っとるひとのが少ないんよ。お父さんが典型的なガン家系やし僕も死ぬんやとしたらガンやろな、って笑うんやけど、……笑いごとやないよね』
 語ったときの紗優はいまにも泣きそうだった。
「僕、おじいちゃんおばあちゃん世代にもなんだかモテるし」
 ポッケに両手を突っ込んで、飄々と語る。
 彼なりの様式。
 苦しかったこと悲しかったことを伏せ、明るいオブラートに包むのが。
『まーこっち残るって決めたがは。和貴は、自分やなくておじいちゃんを心配しとるんよね。唯一の肉親が世界でたった一人なんやし。もし、……万が一。おじいちゃんが亡くなったら、和貴は天涯孤独になってまう』
「僕がこの町でできること。なんかあるかなぁって考えたら、自然とそうなった」
 踊り場のカーブを進む。
 そんな和貴の背は、
『僕を育ててくれたこの町に感謝しとるから恩返しがしたい……やって。あいつ、恥ずかしいなったんか冗談やて茶化してんけど、あれゼッタイ本音やわ』
 とても大きく思えた。
 にこやかに振り返る彼の穏やかな眸が、
 見開き、揺らいだ。
 回りこむと教師のように腰を屈める。
「僕が、みやもっちゃんに説教したげよっか」
「え?」
「真咲さんを泣かせるなんてさ」
 触れられ、スイッチみたいに流れた。
 意識が働く前に感じられる手のひらがあった。
「み、やもと先生は関係ないよ。最近泣き上戸で……」
「いまの話のどこに泣くツボがあるんだよ」

『親や同級生を恨むのは筋違いだろが』

 変えられた私は恨んで閉ざすだけで。
 和貴は、……変わったのだった。
 語る表情にも、明かす口調にも、――恨みがましさの一片も見当たらない。
 誰かが誰かを呪うのは、いつだって自分自身なのだろう。
 与えられたことを悟り。
 与え返すことまでも考えているなんて――
 隠された彼の本当が見えた気がして、こころが、震わされる。
「か。和貴は、すごいよ。もともと……なりたいものとかなかったの?」
「うーん……陸上ハマとったよ? ほんでも僕程度やと職業にはできんし」
 考えるとき腕組みしがちな彼は。
 気づかないのだろうか。
 あのね。「和貴。手が……」
「うん」
「は、なしてくれる、かな」
 頬に添えられたままだ。
 あっは、と声を立てる。暗い喉の奥を見た。
「真咲さんが笑ってくれるなら」
「なにそれ」
 実際、そうしてしまった。
 自発的に誘導する拘束力に倣う。
 目を細める和貴は、喉を鳴らす猫に似ている。
 離れていく。
 触れられた感触が。
 ――熱い。
 人間の肌の、
 火傷のような熱さと、
 ――淡い、目眩を感じる。

「ほぅら。笑ってるほうが合ってるよ、真咲さんには」
 こく、と頷く、
 左の目から雫が落ちる、
 それよりも熱い肌に神経が集中し。
 思わず押さえるほどで。
 背を向けた彼の。
 吐く息と共に壁の向こうへ。
 小さな一言がうっすらと溶け込んだ。

「そーやって、いつも僕の心に入り込んでくるんだから」
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