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第十一章 稜子さんが好きだったの?
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「なーな蒔田どこおるか知らん?」
いきなり。
裏を取られて正直にびびった。
「あ……職員室、じゃないかなまだ」扉の枠に手をかけてずずい、と屈む。「宮本先生に頼まれて教科書の束運んでた。かばんそこ置きっぱだし、きょ、教室にまた戻ってくると思う」
噛んだ。
こちらを瞬きもせず見ている。
和貴ばりに顔が近いん、だけど。
妙に真面目くさった顔で聞いていたのが、
ふにゃり。
「おおきに。都倉さん」
人懐っこい、猫みたいに細い目を細める。
友達にでも喋りかけるトーンで言われるものの。
誰だっけ。
私の間の抜けた表情が面白いのか、ほなまたな、と笑い、手を挙げて教室を出ていく。
香水きつかった。
ガラス越しに見る、レイヤーの入った顎ラインの長さ、緑高であんな長髪はアリなんだろうか。まるでギャル男だ。の割にはすごくフレンドリーな感じがしたけど……
「あんた。あいつ誰か分かっとって喋ったがか?」
今度は左サイドバックから話しかけられる。
うおわっ、と奇声など慣れっこでもはや小澤さんは流す。
「う、ううん。知らない」
「やーっぱな」お決まりの嘆息。「一組の有名人知らんて転校してからどこおったが。緑川一のタラシやで? あんま関わっと妊娠させられるわいね」
「にっ!?」
のもスルーして小澤さん、「せっかくやし見したる」
私のかばん退けて腕まくりするってやる気満々じゃん。
「The Red and The Blaaaaack」
右手を挙げ。
続いて左手を。
右手をぐるぐる回して天を指す。
その振り付け、は……
『坂田は……あの赤髪のやつとは中学が同じでな』
「あっ、と」かばんの持ち手を掴んだ。「私帰る。ありがとね小澤さん」
「パフェ食ってこーってあたしゆうたやんか。限定もんのいちごぉっ」
「ごめん野暮用あったの忘れてたっ」
「くぉらあっ、」
待たず聞かず駆け出す逃げ出す。
廊下に出るも。
影も形もない。
一組で紗優スマイルを向けられあどっか寄ってこーって私ごめんまたねってまた去る。
どこに。
待ってるはずだ、
彼のことを。
放課後の廊下ってどうして、もどかしい。
横一列に歩く男子がとんだ障害物となる。
隙間を縫いようやく抜けたはいいものの。
勢いで曲がりきれず、
「ほなまたな、てちゃんとゆうたやんか……都倉さん」
角の先に、は――
んな慌てんでもオレ、逃げも隠れもせえへんで?
壁に寄りかかる彼は、
顔を起こし、
かっは、と笑った。
『稜子のことやろ、あれ』
学園祭の日に、
あの彼に気さくに話しかけた、
――彼が。
* * *
「オレプリンアラモードにする。都倉さんはなにがええ?」
「み、ミルクティーで」
遠慮せんで好きなもん頼みぃオレのおごりやしって言われたってしないわけには行かない。
あまおうパフェを頼むなんてもってのほか。
紗優とかけたカウンター席ではなく、入って左の半個室にて。
壁で完全に仕切らない理由はこのダイニングテーブルがおそらくの要因。部屋の半分以上を占め、やや圧迫感をもたらす、これこそが本物のアンティークだと思う。格調高く、うちのとは大違いの。
以前に来たときには知らなかった、ついたてに仕切られたひっそりとした場所に通され、ついたてを背にテーブルを挟んで坂田くんと差し向かいで座る。
んーあんま時間ないねんけど話あんねやったらここやとなんやし。
……言われてのこのこついてきた。
に、妊娠がどうのってのは引っかかったし、誰の目にも隠れた場所が落ち着かないんだけど。
杞憂だった。
ウェイトレスさんが頻繁に訪れる、これで五人目だ。
しかもウェイトレスさんが来る度に軽く腰を浮かせ秘密の話してる。頼むわ。内緒でな。耳に息吹きかけてあひゃって変な声出させてけたけた笑ってる。それも五人目。
人選ミスだったかも……。
「堪忍な。オレに訊きたいことあってんろ?」
「えと」
私の白い眼に気づいた。
手を組み、肘をつき、受けに回る。
ええっとですね。
学園祭であなたとマキの話を盗み聞きしまして。
あなたがたのお話に登場した稜子さんというかたにこないだ偶然にお会いしまして。
マキとどういう関係なのか知りたいだけなんですよ。
あなたを追ったのは発作的なものでして。
なんせ、気になって仕方なくってもう夜も眠れないんです。
……なんて。
言えるわけないでしょうが。
本音が私の内面で主張をし始める。
と視線を感じた。
監視、されているかの。
見返すとへらっ、と彼は音が出るくらいに笑った。
その顔には黒縁眼鏡が。
校門を出ると彼は、タスクがかけてるのに似た変装にでも使うそれをかけた。
「伊達なの?」
「なにがや」
「それ、変装のつもり?」私が眼鏡の縁に触れる仕草をするとああ、と意外にも露骨に顔をしかめた。「オレやて騒がれたないときもあんねや。あたらしー女連れ回しとるってバレっとのちのちめんどーなことになっし」
と言われても。
どのみち騒ぎにならないと思う、失礼ながら。
誰も見向きもしないだろうし道中誰も見向きしなかった、赤髪のボーカルと同一人物を疑う地味地味っぷりが……
「あ納得行かへんて顔しとる。うし、論より証拠や」
ゆうとっけど惚れんなや?
と念を押したうえで、眼鏡をカチューシャ代わりにおでこを見せつける。生え際が四角い。
斜めに顔を傾けてビジュアルバンドのボーカルよろしく、キツい眼差しを作った。
一連を慣れたように終えると気抜けた元の雰囲気に戻し、
「これで化粧するとまるきし変わるで」
「なるほどね」
第一印象というのも当てにならない。
ところで彼の心配は杞憂だった。
ウェイトレスさんがミルクティーとプリンアラモードを運んでくる。カップソーサーが細かく震える。手が、震えている……盗み見る目に憧れの要素を見た。彼女は、いまの彼を通して、ステージ上でまばゆいひかりを放つ彼を見ているのだろう。
「バンドっていつからしてるの。中学の頃から?」
六人目には耳打ちせず。
口の周りに生クリームつけてる。ほが、と頷いて紙ナプキンで拭うもののまた周りを生クリームだらけにする。「準備なら六つんときに始めた。せやけどなっかなか面子固まらんでな……」口に入れたスプーンをぐりぐりと、唇で拭う小学生の男の子みたいな食べ方をしている、それが原因だ。「緑高入ってよーやく、よーやくや。構想十年余。実現するまでがえっらい長かった」
苦労話が始まることを密かに懸念しつつ、角砂糖を落とす。波立てぬよう。
赤茶色のなかを、ゆらり。
溶解する糖分を見る。
私の聴覚が、――
疑問の氷解を求めている。
「赤と黒いうがはな、男と女をイメージしたんや。思い通りにいかん恋にどーにも止まらん情熱。裏切りとうない、せやけど時に抗えん、背徳の影やらなんやら」
「ジュリヤン・ソレルの選択には共感する?」
「できひん。惚れた女撃つてあいつアホか」
気色ばむ坂田くんに私は吹き出した。
スタンダールを読むタイプにも思えなかった。
にこりともせず肩肘をついてまたスプーンを山盛りにする。「男と女が一体ずつ揃えば必ずなんかが生まれる。おんなじ性が二人でもあかん。できること限られっししたいこともあるからなーそこんとこはフィクションでも現実でもおんなじや。何故ならフィクションは人間の生身が作るもんやかんな」
「……不可避の恋に関心があるんだね坂田くんは」道徳心が強いのか。さっきから抗えないなにかの話をしている。「男女間の友情は信じない?」
「でもない」あーんと上を向いてさくらんぼを放る。種をぺっと器に吐き、「柴村が例外」
私は目を伏せた。「しばむら?」
「稜子の苗字やで」
かき混ぜるスプーンが、
役割を忘れる。
さざなみから目を移す。
餌に食いついた私に。
してやったりの笑みがくべられた。
意図的に封じていた彼の語りはそこから流暢だった。「稜子と蒔田とは中三ときおんなじクラスになってな、よー三人でつるんどった。とにかく気が合うたな。オレら共通点探すほうが難しいんになんでか音楽の好みだけがドンピシャやってん。……いまでこそあの系聴くやつはそこそこおる。いっとっけど緑高で洋楽愛好家が多いんはオレの努力の賜物やで? 中坊で洋楽聴くやつなんか滅多におらんし、聴いてもビートルズにクラプトンがせいぜいやった。ハードメタルにグランジで縦ノリやれるやつちぃともおらんさっぶい氷河期を過ごしたわけや。せやからオレ、あいつらがおって心強かったんかもしらんな。稜子なんかあんときいっちゃん好きやったんがマリマン。大人しゅうてそんなん聴くタイプにはとても見えへんのになあ」
思い出話が続くと思えば、彼は一瞬、私の内心を読んだかのように企み笑う。「……蒔田、中学んときもあんなんやったで?」
そう、私はそれも知りたかった。
「愛想もへったくれもないんは変わらんな。校庭のトーテムポールのがまーだ表情豊かやった。腹抱えて笑うん月にいっぺんもなかったわ。せやけどそういうんが女の人気集めんねや。そいでサッカーもうまいっちゅうのがなおさらな。あいつ存在自体がひっきょーやんか。……関わってみっと存外面白いやつやった。んにゃあいつおもろいやろ? ウラ天然やしほんっに不器用で決めたこといっこしか出来ひん。用足しながら歯磨きも出来んのやて、オレの親父よりひどいわ。……んや実際ジジイやってんてあだ名が。蒔田っつったらなーもいっこあんねや。蒔田に声かけたんはオレのほうからやった。オレライブ人口増やしたいから手当たり次第CD貸しまくっとってな、あいつんことよう知らんうちに押しつけてみてん。す、好きですッ! って声裏っ返してむかーしの女子中学生がラブレター手渡すみたく顔真っ赤にしてだーっと逃げた。したら次の日。あいつ、ずかずかオレんとこ来てなにゆうたと思う? 『俺も好きだ』……そんっときの周りで聞いとった連中の反応がまた傑作やった」
思い返しくつくつと肩を震わせる。
私の知らない中学時代を知る彼は、
「ライブやったら必ず来てくれんねや蒔田は。稜子もなあ時間合うときは。……稜子だけ高校別れてしもうた。せやけどオレら、それぞれの道で気張るって決めてん」
「坂田くんはバンドを。稜子さんは吹奏楽を。マキは……サッカーを」
「そや。春彦でええよ」
「二人は想い合っていたの」
器用にプリンと生クリームを半々で盛ったスプーンを口に運びかけたのが。
「知りたいんがはそこやな」
譲らない。
核心に触れる。
私の知らない彼の事実を握る彼は、
ふ、と和貴がするように息を吐く。
目の縁をわずかに緩ませ、
「……去年、別れてん」
『そお? マキも和貴もいまは彼女おらんよ?』
「……そう」
勘づかないほうが嘘だった。
彼と彼女の物語なのだった。
期待していた答えを得られた。
こころに、穴が開いたような。
受け入れるに時間がかかる。
受け入れ難い種であればあるほど。
「都倉さんあんさん、難しい男選んでもうたなあ」
「誤解してるよ。選んだとか」
「気になるいうんは立派な恋なんちゃう」
優しい、目をする人だ。「坂田くんもさ……」
「春彦でええて」
「稜子さんが好きだったの?」
動いた。
紅茶に吸われる甘い汁よりも、明確に。
口のなかを消費すると、きひ、と動物的な声を立てる。マントヒヒを連想した。「なぜに。そう思うんや」
「坂田くんてうちのクラスにあまり顔出さないよね」さっきの話と食い違うというか。「それって、稜子さんと別れたマキに腹が立ったのかな、と思って」
「おかしいことゆうなあ? 仮にオレが惚れとったとしたら、稜子フリーになってもうて万々歳やんか。いっくらでも手ぇ出す」
もうて、という言い回しに彼の心情が表れている。
「稜子さんのことと変わらない――ううん」踊り場で抱きついた彼からは信頼の情が見るに伝わった。「稜子さんのこと以上にマキのことを、大切に思ってるんだよね? じゃなきゃ、私にわざわざ話してくれる理由にはならないよ」
「オレなんべんも四組に来とったで? あかんなー見とるようで蒔田んことちぃとも見えとらん。都倉さんが気づかんかっただけや」
疑問文をスルーされた。
「影が薄くて気づかなかったよ」
「はっは。自分おもろいなあ。都倉さんいじり倒したいんはやまやまやが――残念なことに時間切れや」
す、と席を立つ。私から視線を外さず、腰の後ろに手を回し、折り畳まれた千円札をテーブルに置く。
和貴だったらさぞ様になる動作だろう。
「蒔田目当てでオレに近づく女なら腐るほどおった。目的変える女もなあ? せやけど、オレんことから掘るんはあんたが初めてやった」
「……部活?」
「いんや。バンドの練習」
「千円は多いよ」
「誘ったんはオレや」
……ああ。
『誘ったのは俺だ』
マキの、友達だ。
強い香水漂わせ私の横を過ぎた彼は、
ついたてに手をかけ、
「オレも宮沢さんとおんなじ、隠れ美術部員やねん」
初対面のときと同じ、笑みで姿を消す。
カウベルが鳴った。
平らげたプリンアラモード。
ガラスの器の根元に。
千円札が、……二枚も。
「あ」
幾度か口にした。
『オレが』
――マキが。
稜子さんのことを、
いまもむかしも
「そうだ彼……一言も……言ってない……」
結論を導くための問いかけ。誘導。揺さぶり。
一つ一つ思い返す。
かからなかった。
彼が自分もだと認めたのは、たった、最後の一度だった。
オレも
気づいた頃には、カップの紅茶があたたかみを忘れ去っていた。
いきなり。
裏を取られて正直にびびった。
「あ……職員室、じゃないかなまだ」扉の枠に手をかけてずずい、と屈む。「宮本先生に頼まれて教科書の束運んでた。かばんそこ置きっぱだし、きょ、教室にまた戻ってくると思う」
噛んだ。
こちらを瞬きもせず見ている。
和貴ばりに顔が近いん、だけど。
妙に真面目くさった顔で聞いていたのが、
ふにゃり。
「おおきに。都倉さん」
人懐っこい、猫みたいに細い目を細める。
友達にでも喋りかけるトーンで言われるものの。
誰だっけ。
私の間の抜けた表情が面白いのか、ほなまたな、と笑い、手を挙げて教室を出ていく。
香水きつかった。
ガラス越しに見る、レイヤーの入った顎ラインの長さ、緑高であんな長髪はアリなんだろうか。まるでギャル男だ。の割にはすごくフレンドリーな感じがしたけど……
「あんた。あいつ誰か分かっとって喋ったがか?」
今度は左サイドバックから話しかけられる。
うおわっ、と奇声など慣れっこでもはや小澤さんは流す。
「う、ううん。知らない」
「やーっぱな」お決まりの嘆息。「一組の有名人知らんて転校してからどこおったが。緑川一のタラシやで? あんま関わっと妊娠させられるわいね」
「にっ!?」
のもスルーして小澤さん、「せっかくやし見したる」
私のかばん退けて腕まくりするってやる気満々じゃん。
「The Red and The Blaaaaack」
右手を挙げ。
続いて左手を。
右手をぐるぐる回して天を指す。
その振り付け、は……
『坂田は……あの赤髪のやつとは中学が同じでな』
「あっ、と」かばんの持ち手を掴んだ。「私帰る。ありがとね小澤さん」
「パフェ食ってこーってあたしゆうたやんか。限定もんのいちごぉっ」
「ごめん野暮用あったの忘れてたっ」
「くぉらあっ、」
待たず聞かず駆け出す逃げ出す。
廊下に出るも。
影も形もない。
一組で紗優スマイルを向けられあどっか寄ってこーって私ごめんまたねってまた去る。
どこに。
待ってるはずだ、
彼のことを。
放課後の廊下ってどうして、もどかしい。
横一列に歩く男子がとんだ障害物となる。
隙間を縫いようやく抜けたはいいものの。
勢いで曲がりきれず、
「ほなまたな、てちゃんとゆうたやんか……都倉さん」
角の先に、は――
んな慌てんでもオレ、逃げも隠れもせえへんで?
壁に寄りかかる彼は、
顔を起こし、
かっは、と笑った。
『稜子のことやろ、あれ』
学園祭の日に、
あの彼に気さくに話しかけた、
――彼が。
* * *
「オレプリンアラモードにする。都倉さんはなにがええ?」
「み、ミルクティーで」
遠慮せんで好きなもん頼みぃオレのおごりやしって言われたってしないわけには行かない。
あまおうパフェを頼むなんてもってのほか。
紗優とかけたカウンター席ではなく、入って左の半個室にて。
壁で完全に仕切らない理由はこのダイニングテーブルがおそらくの要因。部屋の半分以上を占め、やや圧迫感をもたらす、これこそが本物のアンティークだと思う。格調高く、うちのとは大違いの。
以前に来たときには知らなかった、ついたてに仕切られたひっそりとした場所に通され、ついたてを背にテーブルを挟んで坂田くんと差し向かいで座る。
んーあんま時間ないねんけど話あんねやったらここやとなんやし。
……言われてのこのこついてきた。
に、妊娠がどうのってのは引っかかったし、誰の目にも隠れた場所が落ち着かないんだけど。
杞憂だった。
ウェイトレスさんが頻繁に訪れる、これで五人目だ。
しかもウェイトレスさんが来る度に軽く腰を浮かせ秘密の話してる。頼むわ。内緒でな。耳に息吹きかけてあひゃって変な声出させてけたけた笑ってる。それも五人目。
人選ミスだったかも……。
「堪忍な。オレに訊きたいことあってんろ?」
「えと」
私の白い眼に気づいた。
手を組み、肘をつき、受けに回る。
ええっとですね。
学園祭であなたとマキの話を盗み聞きしまして。
あなたがたのお話に登場した稜子さんというかたにこないだ偶然にお会いしまして。
マキとどういう関係なのか知りたいだけなんですよ。
あなたを追ったのは発作的なものでして。
なんせ、気になって仕方なくってもう夜も眠れないんです。
……なんて。
言えるわけないでしょうが。
本音が私の内面で主張をし始める。
と視線を感じた。
監視、されているかの。
見返すとへらっ、と彼は音が出るくらいに笑った。
その顔には黒縁眼鏡が。
校門を出ると彼は、タスクがかけてるのに似た変装にでも使うそれをかけた。
「伊達なの?」
「なにがや」
「それ、変装のつもり?」私が眼鏡の縁に触れる仕草をするとああ、と意外にも露骨に顔をしかめた。「オレやて騒がれたないときもあんねや。あたらしー女連れ回しとるってバレっとのちのちめんどーなことになっし」
と言われても。
どのみち騒ぎにならないと思う、失礼ながら。
誰も見向きもしないだろうし道中誰も見向きしなかった、赤髪のボーカルと同一人物を疑う地味地味っぷりが……
「あ納得行かへんて顔しとる。うし、論より証拠や」
ゆうとっけど惚れんなや?
と念を押したうえで、眼鏡をカチューシャ代わりにおでこを見せつける。生え際が四角い。
斜めに顔を傾けてビジュアルバンドのボーカルよろしく、キツい眼差しを作った。
一連を慣れたように終えると気抜けた元の雰囲気に戻し、
「これで化粧するとまるきし変わるで」
「なるほどね」
第一印象というのも当てにならない。
ところで彼の心配は杞憂だった。
ウェイトレスさんがミルクティーとプリンアラモードを運んでくる。カップソーサーが細かく震える。手が、震えている……盗み見る目に憧れの要素を見た。彼女は、いまの彼を通して、ステージ上でまばゆいひかりを放つ彼を見ているのだろう。
「バンドっていつからしてるの。中学の頃から?」
六人目には耳打ちせず。
口の周りに生クリームつけてる。ほが、と頷いて紙ナプキンで拭うもののまた周りを生クリームだらけにする。「準備なら六つんときに始めた。せやけどなっかなか面子固まらんでな……」口に入れたスプーンをぐりぐりと、唇で拭う小学生の男の子みたいな食べ方をしている、それが原因だ。「緑高入ってよーやく、よーやくや。構想十年余。実現するまでがえっらい長かった」
苦労話が始まることを密かに懸念しつつ、角砂糖を落とす。波立てぬよう。
赤茶色のなかを、ゆらり。
溶解する糖分を見る。
私の聴覚が、――
疑問の氷解を求めている。
「赤と黒いうがはな、男と女をイメージしたんや。思い通りにいかん恋にどーにも止まらん情熱。裏切りとうない、せやけど時に抗えん、背徳の影やらなんやら」
「ジュリヤン・ソレルの選択には共感する?」
「できひん。惚れた女撃つてあいつアホか」
気色ばむ坂田くんに私は吹き出した。
スタンダールを読むタイプにも思えなかった。
にこりともせず肩肘をついてまたスプーンを山盛りにする。「男と女が一体ずつ揃えば必ずなんかが生まれる。おんなじ性が二人でもあかん。できること限られっししたいこともあるからなーそこんとこはフィクションでも現実でもおんなじや。何故ならフィクションは人間の生身が作るもんやかんな」
「……不可避の恋に関心があるんだね坂田くんは」道徳心が強いのか。さっきから抗えないなにかの話をしている。「男女間の友情は信じない?」
「でもない」あーんと上を向いてさくらんぼを放る。種をぺっと器に吐き、「柴村が例外」
私は目を伏せた。「しばむら?」
「稜子の苗字やで」
かき混ぜるスプーンが、
役割を忘れる。
さざなみから目を移す。
餌に食いついた私に。
してやったりの笑みがくべられた。
意図的に封じていた彼の語りはそこから流暢だった。「稜子と蒔田とは中三ときおんなじクラスになってな、よー三人でつるんどった。とにかく気が合うたな。オレら共通点探すほうが難しいんになんでか音楽の好みだけがドンピシャやってん。……いまでこそあの系聴くやつはそこそこおる。いっとっけど緑高で洋楽愛好家が多いんはオレの努力の賜物やで? 中坊で洋楽聴くやつなんか滅多におらんし、聴いてもビートルズにクラプトンがせいぜいやった。ハードメタルにグランジで縦ノリやれるやつちぃともおらんさっぶい氷河期を過ごしたわけや。せやからオレ、あいつらがおって心強かったんかもしらんな。稜子なんかあんときいっちゃん好きやったんがマリマン。大人しゅうてそんなん聴くタイプにはとても見えへんのになあ」
思い出話が続くと思えば、彼は一瞬、私の内心を読んだかのように企み笑う。「……蒔田、中学んときもあんなんやったで?」
そう、私はそれも知りたかった。
「愛想もへったくれもないんは変わらんな。校庭のトーテムポールのがまーだ表情豊かやった。腹抱えて笑うん月にいっぺんもなかったわ。せやけどそういうんが女の人気集めんねや。そいでサッカーもうまいっちゅうのがなおさらな。あいつ存在自体がひっきょーやんか。……関わってみっと存外面白いやつやった。んにゃあいつおもろいやろ? ウラ天然やしほんっに不器用で決めたこといっこしか出来ひん。用足しながら歯磨きも出来んのやて、オレの親父よりひどいわ。……んや実際ジジイやってんてあだ名が。蒔田っつったらなーもいっこあんねや。蒔田に声かけたんはオレのほうからやった。オレライブ人口増やしたいから手当たり次第CD貸しまくっとってな、あいつんことよう知らんうちに押しつけてみてん。す、好きですッ! って声裏っ返してむかーしの女子中学生がラブレター手渡すみたく顔真っ赤にしてだーっと逃げた。したら次の日。あいつ、ずかずかオレんとこ来てなにゆうたと思う? 『俺も好きだ』……そんっときの周りで聞いとった連中の反応がまた傑作やった」
思い返しくつくつと肩を震わせる。
私の知らない中学時代を知る彼は、
「ライブやったら必ず来てくれんねや蒔田は。稜子もなあ時間合うときは。……稜子だけ高校別れてしもうた。せやけどオレら、それぞれの道で気張るって決めてん」
「坂田くんはバンドを。稜子さんは吹奏楽を。マキは……サッカーを」
「そや。春彦でええよ」
「二人は想い合っていたの」
器用にプリンと生クリームを半々で盛ったスプーンを口に運びかけたのが。
「知りたいんがはそこやな」
譲らない。
核心に触れる。
私の知らない彼の事実を握る彼は、
ふ、と和貴がするように息を吐く。
目の縁をわずかに緩ませ、
「……去年、別れてん」
『そお? マキも和貴もいまは彼女おらんよ?』
「……そう」
勘づかないほうが嘘だった。
彼と彼女の物語なのだった。
期待していた答えを得られた。
こころに、穴が開いたような。
受け入れるに時間がかかる。
受け入れ難い種であればあるほど。
「都倉さんあんさん、難しい男選んでもうたなあ」
「誤解してるよ。選んだとか」
「気になるいうんは立派な恋なんちゃう」
優しい、目をする人だ。「坂田くんもさ……」
「春彦でええて」
「稜子さんが好きだったの?」
動いた。
紅茶に吸われる甘い汁よりも、明確に。
口のなかを消費すると、きひ、と動物的な声を立てる。マントヒヒを連想した。「なぜに。そう思うんや」
「坂田くんてうちのクラスにあまり顔出さないよね」さっきの話と食い違うというか。「それって、稜子さんと別れたマキに腹が立ったのかな、と思って」
「おかしいことゆうなあ? 仮にオレが惚れとったとしたら、稜子フリーになってもうて万々歳やんか。いっくらでも手ぇ出す」
もうて、という言い回しに彼の心情が表れている。
「稜子さんのことと変わらない――ううん」踊り場で抱きついた彼からは信頼の情が見るに伝わった。「稜子さんのこと以上にマキのことを、大切に思ってるんだよね? じゃなきゃ、私にわざわざ話してくれる理由にはならないよ」
「オレなんべんも四組に来とったで? あかんなー見とるようで蒔田んことちぃとも見えとらん。都倉さんが気づかんかっただけや」
疑問文をスルーされた。
「影が薄くて気づかなかったよ」
「はっは。自分おもろいなあ。都倉さんいじり倒したいんはやまやまやが――残念なことに時間切れや」
す、と席を立つ。私から視線を外さず、腰の後ろに手を回し、折り畳まれた千円札をテーブルに置く。
和貴だったらさぞ様になる動作だろう。
「蒔田目当てでオレに近づく女なら腐るほどおった。目的変える女もなあ? せやけど、オレんことから掘るんはあんたが初めてやった」
「……部活?」
「いんや。バンドの練習」
「千円は多いよ」
「誘ったんはオレや」
……ああ。
『誘ったのは俺だ』
マキの、友達だ。
強い香水漂わせ私の横を過ぎた彼は、
ついたてに手をかけ、
「オレも宮沢さんとおんなじ、隠れ美術部員やねん」
初対面のときと同じ、笑みで姿を消す。
カウベルが鳴った。
平らげたプリンアラモード。
ガラスの器の根元に。
千円札が、……二枚も。
「あ」
幾度か口にした。
『オレが』
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稜子さんのことを、
いまもむかしも
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