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第2章:性的虐待の連鎖は僕で終わりです。【オーナー:聖史】
02-母を亡くし、夢の住人である父を支え暮らしていたある日、
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始めにお断りしておきますが、僕の秘密はけっこう凄惨です。聞くにしても、ある程度覚悟していただかなくてはなりません。
何が凄惨かっていうと……母が優しすぎて、父が繊細すぎたこと。母を亡くし、それでも父が母に依存し続けていたこと。また、祖父が父を愛しすぎ、その愛から逃れた父の代役を僕が強いられたこと。
まあ、ざっくり言ってしまえば、こんな感じです。
この話は、以前にも何度か、ここ《王様の耳》でさせていただきました。
僕は、ときどきこうして吐き出してしまわないと自分を保っていられなくなるので……今日、リクエストをいただいたのは、いい機会だと思っています。
常連さんにとっては退屈かもしれませんが、どうぞよろしくお付き合いください。
僕は幼い頃、両親に連れられて海外を転々としながら暮らしていました。幼い頃には気づきませんでしたが、そのほとんどが貧民街で、まるで隠れ棲むような暮らしでした。
父は詩人で、父よりも十五歳年上で、しっかり者の母は医師。兄弟はおらず、家族三人きりの生活です。
母は逞しい人でした。移り住んだその土地その土地ですぐに薬屋と仲良くなり、口コミの往診を請け負うことで、一家を支えていました。
その頃は知る由もありませんでしたが、日本の医師免許があっても、海外での医療行為はそうそう認められないそうですね。母が、違法行為を繰り返しながらも旅を続けた理由は、あとになってから知りました。
父は線の細い人でした。いつも夢見ているようにふわふわとしていて、詩を作っては世話になっているという日本の知人にメールしていました。
いまだに詳しく知らないんですが、父にはコアなファンがいて、その知人が編纂した詩集がいくつか出版されていたようです。
そんな暮らしをしていたせいもあって、僕は、学校に通ったことがありません。母から、簡単な計算と、母国語である日本語の読み書き、旅先での日常会話を習うことはできましたが、それだけ知っていれば十分という生活レベルでした。
それでも、明るく元気な母と、その母にだけは笑顔を見せる父との旅暮らしは、いま思えばかけがえのないものでした。
父は、ときどき夜中に魘されていました。毎回、飛び起きては母に縋り、「とうさん、ごめんなさい。おねがい、ゆるして」と泣いていました。母はそのたびに、「大丈夫。もう大丈夫なのよ」と父を抱きしめ慰めていました。
母は僕に、「パパは、可哀想な人なの。家族で支えてあげましょうね」と、いつも言っていました。
両親はともに美しい人でした。生きる力に満ちた母の美しさに比べ、父には今にも消えそうな儚い美しさがありました。
父は、母にしか笑顔を向けません。僕が見えていないのか、見ないようにしているのか……僕が声をかけても上の空で、母にしか反応しない人でした。
母は『家族で』と言いましたが、その頃の僕は、父のことを美しいと思いはしても、彼とのあいだに何らかの繋がりを感じ取ることは、とてもできませんでした。
悲劇は突然訪れました。僕が七歳のときです。ある夜、母の帰宅時間をだいぶ過ぎた頃、滅多に来客のない我が家のドアを薬屋さんが叩きました。それは、母が事故に遭い、亡くなったという訃報でした。享年三十七歳。早すぎる死でした。
僕は、使い物にならない父の代わりに警察へ行き、薬屋さんの手を借りて、母の遺体の引き取りから共同墓地への安置までを済ませました。
その土地の人間でもないのに、火葬や墓地への安置ができたのは、ひとえに母の人徳のなせる技でした。世話になった母のためならと、多くの人がこぞって協力してくれたのです。残された僕らの生活の建て直しも、母に救われたという患者の家族が手伝ってくれました。
それからというもの、父の放心はさらに増え、詩を紡ぐこともなくなりました。母の遺したお金と、父の口座に振り込まれるわずかな印税とで食いつなぐ日々でした。
それは、母が亡くなってから初めて父が魘された夜に起こりました。
僕は母がしていたように、父を抱きしめ慰めました。父がふと顔をあげ、僕の瞳を覗き込んだとき、父がわずかに正気を取り戻したように見えました。
そして言ったんです。
「かえってきたの? もう、どこにもいかないで」と。
その言葉の意味はすぐにわかりました。父は僕を母と間違えたんです。紺色の斑点をもつ薄茶色の虹彩……僕の瞳の色が、母とそっくり同じだったので。
僕は、瞳の色だけが唯一母譲りで、ほかのパーツはすべて父に似ました。父は、その瞳だけを覗き込んで、僕を母だと思い込んだのです。
いえ……思い込むことに成功した、と言った方が正しいでしょうか?
以来、父は僕を見て笑うようになりました。
笑顔の威力って、ご存知ですか?
普段笑わない、しかも美人が笑うと、破壊力が尋常じゃないんです。
それまで、父の目に僕は映っていなかったんだと思います。それが笑いかけてくれるようになった……僕はすっかり有頂天になりました。
母だと思われることくらい、なんともありません。母のいない寂しさも、生活の苦しさも忘れて、進んで父の世話をするようになりました。
それから一年ほどが経った頃、僕はそれまでの伝手を使って、大通りで歌を歌いながら花を売る仕事をしていました。学のない子どもにできる仕事など、そのくらいしかありません。
そんな折のことです。僕が仕事から帰ると、部屋の真ん中で、父が手紙を握りしめたまま立ち尽くしていました。放心する父の手から取り出してみると、それは日本からのエアメールでした。
難しい漢字は読めませんでしたが、僕にもあらかたの内容は読み取れました。手紙の送り主は父方の祖父にあたる人で、『ずっと探してた。帰っておいで』という思いやりに溢れたメッセージに帰国費用が添えられていました。
そのときまで、我が家に手紙が届くなんてことは、ただの一度もありませんでした。母が亡くなり、収入源のなくなった僕たちは旅を続けずに、母の亡くなった土地でそのまま暮らしていたので、風の便りに手紙が届くようになったんだと思います。
肉親が会いたがっている。その費用まで用意してくれた。当然、父は帰国するものだと僕は思ったのですが、当の本人が放心したままで……その意思は確認のしようもありません。話は父の調子がよくなってからと、僕はとりあえずその問題を保留することにしました。
手紙が届いたその夜のことです。父がまた魘されました。
僕はいつものように父を抱き締め慰めました。でも父は、いつものように僕に縋りつくことなく、逆に怯え、ベッドの隅へと逃げ込みました。
「ごめんなさい。ごめんなさい」と、居もしない誰かに謝り続けます。「僕だよ、聖史だよ」と言っても、父は怯えたままでした。もとより、僕のことを母だと認識していた父に、僕の名を伝えたところで通じるわけもありません。
そう思い直して、母似の瞳を見てもらおうと瞳を覗き込んでも父の焦点が合わず、母の口真似をしてみても耳を塞ぐ父の手が邪魔で通じません。
いつもは抱き締めればすぐに目が覚めたのに……何をどうしても悪夢から目覚めることができない父を前に、僕は途方に暮れました。
半ば諦めて朝を待つ覚悟でいた僕は、突然動きだした父に反応することができませんでした。ベッドの上で飛び掛かられ、押し倒され、ベッドヘッドで強かに頭を打ちました。そして、チカチカと星が散る視界がなんとか見通せるようになったころ、僕は信じられない光景を目の当たりにしたんです。
僕は、…………下半身を裸に剥かれ、幼い性器を父に咥えられていました。
何が凄惨かっていうと……母が優しすぎて、父が繊細すぎたこと。母を亡くし、それでも父が母に依存し続けていたこと。また、祖父が父を愛しすぎ、その愛から逃れた父の代役を僕が強いられたこと。
まあ、ざっくり言ってしまえば、こんな感じです。
この話は、以前にも何度か、ここ《王様の耳》でさせていただきました。
僕は、ときどきこうして吐き出してしまわないと自分を保っていられなくなるので……今日、リクエストをいただいたのは、いい機会だと思っています。
常連さんにとっては退屈かもしれませんが、どうぞよろしくお付き合いください。
僕は幼い頃、両親に連れられて海外を転々としながら暮らしていました。幼い頃には気づきませんでしたが、そのほとんどが貧民街で、まるで隠れ棲むような暮らしでした。
父は詩人で、父よりも十五歳年上で、しっかり者の母は医師。兄弟はおらず、家族三人きりの生活です。
母は逞しい人でした。移り住んだその土地その土地ですぐに薬屋と仲良くなり、口コミの往診を請け負うことで、一家を支えていました。
その頃は知る由もありませんでしたが、日本の医師免許があっても、海外での医療行為はそうそう認められないそうですね。母が、違法行為を繰り返しながらも旅を続けた理由は、あとになってから知りました。
父は線の細い人でした。いつも夢見ているようにふわふわとしていて、詩を作っては世話になっているという日本の知人にメールしていました。
いまだに詳しく知らないんですが、父にはコアなファンがいて、その知人が編纂した詩集がいくつか出版されていたようです。
そんな暮らしをしていたせいもあって、僕は、学校に通ったことがありません。母から、簡単な計算と、母国語である日本語の読み書き、旅先での日常会話を習うことはできましたが、それだけ知っていれば十分という生活レベルでした。
それでも、明るく元気な母と、その母にだけは笑顔を見せる父との旅暮らしは、いま思えばかけがえのないものでした。
父は、ときどき夜中に魘されていました。毎回、飛び起きては母に縋り、「とうさん、ごめんなさい。おねがい、ゆるして」と泣いていました。母はそのたびに、「大丈夫。もう大丈夫なのよ」と父を抱きしめ慰めていました。
母は僕に、「パパは、可哀想な人なの。家族で支えてあげましょうね」と、いつも言っていました。
両親はともに美しい人でした。生きる力に満ちた母の美しさに比べ、父には今にも消えそうな儚い美しさがありました。
父は、母にしか笑顔を向けません。僕が見えていないのか、見ないようにしているのか……僕が声をかけても上の空で、母にしか反応しない人でした。
母は『家族で』と言いましたが、その頃の僕は、父のことを美しいと思いはしても、彼とのあいだに何らかの繋がりを感じ取ることは、とてもできませんでした。
悲劇は突然訪れました。僕が七歳のときです。ある夜、母の帰宅時間をだいぶ過ぎた頃、滅多に来客のない我が家のドアを薬屋さんが叩きました。それは、母が事故に遭い、亡くなったという訃報でした。享年三十七歳。早すぎる死でした。
僕は、使い物にならない父の代わりに警察へ行き、薬屋さんの手を借りて、母の遺体の引き取りから共同墓地への安置までを済ませました。
その土地の人間でもないのに、火葬や墓地への安置ができたのは、ひとえに母の人徳のなせる技でした。世話になった母のためならと、多くの人がこぞって協力してくれたのです。残された僕らの生活の建て直しも、母に救われたという患者の家族が手伝ってくれました。
それからというもの、父の放心はさらに増え、詩を紡ぐこともなくなりました。母の遺したお金と、父の口座に振り込まれるわずかな印税とで食いつなぐ日々でした。
それは、母が亡くなってから初めて父が魘された夜に起こりました。
僕は母がしていたように、父を抱きしめ慰めました。父がふと顔をあげ、僕の瞳を覗き込んだとき、父がわずかに正気を取り戻したように見えました。
そして言ったんです。
「かえってきたの? もう、どこにもいかないで」と。
その言葉の意味はすぐにわかりました。父は僕を母と間違えたんです。紺色の斑点をもつ薄茶色の虹彩……僕の瞳の色が、母とそっくり同じだったので。
僕は、瞳の色だけが唯一母譲りで、ほかのパーツはすべて父に似ました。父は、その瞳だけを覗き込んで、僕を母だと思い込んだのです。
いえ……思い込むことに成功した、と言った方が正しいでしょうか?
以来、父は僕を見て笑うようになりました。
笑顔の威力って、ご存知ですか?
普段笑わない、しかも美人が笑うと、破壊力が尋常じゃないんです。
それまで、父の目に僕は映っていなかったんだと思います。それが笑いかけてくれるようになった……僕はすっかり有頂天になりました。
母だと思われることくらい、なんともありません。母のいない寂しさも、生活の苦しさも忘れて、進んで父の世話をするようになりました。
それから一年ほどが経った頃、僕はそれまでの伝手を使って、大通りで歌を歌いながら花を売る仕事をしていました。学のない子どもにできる仕事など、そのくらいしかありません。
そんな折のことです。僕が仕事から帰ると、部屋の真ん中で、父が手紙を握りしめたまま立ち尽くしていました。放心する父の手から取り出してみると、それは日本からのエアメールでした。
難しい漢字は読めませんでしたが、僕にもあらかたの内容は読み取れました。手紙の送り主は父方の祖父にあたる人で、『ずっと探してた。帰っておいで』という思いやりに溢れたメッセージに帰国費用が添えられていました。
そのときまで、我が家に手紙が届くなんてことは、ただの一度もありませんでした。母が亡くなり、収入源のなくなった僕たちは旅を続けずに、母の亡くなった土地でそのまま暮らしていたので、風の便りに手紙が届くようになったんだと思います。
肉親が会いたがっている。その費用まで用意してくれた。当然、父は帰国するものだと僕は思ったのですが、当の本人が放心したままで……その意思は確認のしようもありません。話は父の調子がよくなってからと、僕はとりあえずその問題を保留することにしました。
手紙が届いたその夜のことです。父がまた魘されました。
僕はいつものように父を抱き締め慰めました。でも父は、いつものように僕に縋りつくことなく、逆に怯え、ベッドの隅へと逃げ込みました。
「ごめんなさい。ごめんなさい」と、居もしない誰かに謝り続けます。「僕だよ、聖史だよ」と言っても、父は怯えたままでした。もとより、僕のことを母だと認識していた父に、僕の名を伝えたところで通じるわけもありません。
そう思い直して、母似の瞳を見てもらおうと瞳を覗き込んでも父の焦点が合わず、母の口真似をしてみても耳を塞ぐ父の手が邪魔で通じません。
いつもは抱き締めればすぐに目が覚めたのに……何をどうしても悪夢から目覚めることができない父を前に、僕は途方に暮れました。
半ば諦めて朝を待つ覚悟でいた僕は、突然動きだした父に反応することができませんでした。ベッドの上で飛び掛かられ、押し倒され、ベッドヘッドで強かに頭を打ちました。そして、チカチカと星が散る視界がなんとか見通せるようになったころ、僕は信じられない光景を目の当たりにしたんです。
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