乙女ゲームの世界に転移したら、推しではない王子に溺愛されています

砂月美乃

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1・まさかの世界 前

「じゃ、お疲れ様です。お先に失礼しまーす」
まだ残っている同僚に声をかけ、バッグを持って立ち上がると、隣から声がかかった。
「なんか楽しそうだね、ひょっとしてデート?」
まゆは笑って答える。
「違う違う。ちょっと用があるんだ、じゃあね」
「お疲れー」

 地下鉄の階段を降りながら、繭は苦笑した。早く帰りたいのは本当だが、決してデートでもなければ誰かと会うわけでもない。
 ―――こんなにハマっちゃうとは思わなかったな。
別にブラックな会社ではないけれど、まさか「ゲームしたいから早く帰ります」とは言えない。


 藤沢繭、26歳。就職して4年目。2年近く付き合っていた彼氏と、半年前に別れた。もちろんしばらくは辛かったけど、どうにか立ち直ってみたら、今度は暇を持て余すようになった。
 そんな時、ふと目に留まったスマホゲームの広告。好きなイラストレーターの絵に雰囲気が似ていて、ついポチっとしたのが出会いだった。

 その名も「ヒミツの恋愛遊戯~誘惑の王宮~」。お使いで王宮を訪ねたヒロインが、ちょっとしたアクシデントから王宮のイケメン達と知り合い、そして繰り広げられるドキドキの恋愛模様―――とかいう、いわゆる乙女ゲームらしい。
 ―――飽きたらやめちゃえばいいかな。
軽い気持ちでダウンロードして、気が付けばすっかりハマってしまっていた。


 登場するキャラクターは6人。王子やら貴族やらの高スペック男子が勢揃いだ。スタート時に選べるのは、正統派の騎士、本好きのツンデレ伯爵、そしてキラッキラの王子様の3人だ。繭としては残りのキャラのほうが気に入ったのだが、1人クリアすれば残りの3人も選べるということだったので、とりあえず王子様を選んでみた。

 それでも毎日数話ずつ進むストーリーに、たちまち夢中になった。選んだ王子様―――リュシアンのこともけっこう気に入って、どうしてもハッピーエンドに持っていきたくなった繭は、ついに攻略サイトまで見てしまった。
 そして、先日ようやくリュシアン編でハッピーエンドにたどり着いたのだ。いよいよ本命キャラ、ジェラール編に入ったところだ。途中のゲーム内イベントで、気になっていたジェラールのイベントストーリーも読んだことで、ますます楽しみになっていた。

 それでご機嫌で早く帰ろうだなんて、26歳女子としてどうかとは思うが……。楽しいのだから仕方ない。


 地下鉄を降り、商店街を歩き始める。ゆっくりストーリーを読みたいので、ゲームは家に帰ってからと決めている。なのにジェラール編への期待で、ついスマホに手が伸びる。ストーリーは読まないまでも、せめてアプリを開いてしまおうか……。そんなことを考えながら、認証画面に目を落としたその時。

 眩しいヘッドライトの光、耳をつんざくクラクションにブレーキ音。
 繭のスマホが開かれないまま宙を舞い、落ちて割れた。



 ◆◇◆


「あ、気がつかれましたか」
知らない声に、慌てて起き上がって声のした方を見ると、やけにシックな長いワンピースを着た女性が、ほっとしたように立ち上がった。
「……?」
知らない部屋だ。重厚でクラシックな意匠の家具、天井には天使の絵が描かれている。よく見れば寝ていたベッドには、4本柱に天蓋までついている。
「急に動いてはいけません。お知らせして参りますので、どうかそのままで」
「え、あの……」
事情が呑み込めないうちに、女性は急ぎ足で出ていってしまった。

 ―――ここは?
私は戸惑って、辺りをもう一度見まわした。豪華なベッドにはおそらくシルクのシーツ、年代物にも見える家具にはすべて紋章入り。
 ―――待って、あの紋章は……!?
信じられないけれど、見覚えがある。そう思って見直せば、部屋の様子にも心当たりが……。

 ―――この部屋は……。いや、ないから。そんなこと、ありえない。
しかし視線を落とすと、通勤のスーツではなく、シンプルながらドレスのような服を着ている私。俯いたので、さらっと髪が顔にかかった。
 ―――色が、違う?
こんな明るい色に染めた覚えなどない。それにいつもの自分の髪より、明らかに長い。
 ―――ええ!? 何? これ、どういう……?
耳障りな音が、身体中に響く。それが自分の心臓の音だと気づいて、全身に冷たい汗が出る。
 ―――この髪、ドレス。それからこの部屋、紋章。これじゃまるで……。

 ふとあることを思い付いて、ポケットを探った。案の定、ポケットから出て来た書類にはある名前が……。
 ―――そんな、嘘だ。……何で?
そこへドアを開けて現れたものが、私の疑いにとどめをさした。
「リュシアン殿下が、お越しになりました」


 アニメやコミックを実写化した時に、がっかりするほどイメージが違ってしまうことがある。しかし今目の前に立つ人物は、その反対だった。イメージどおりというよりは、むしろ「この人をモデルにリュシアンを描いたに違いない」としか思えなかった。
 青い瞳にわずかにかかる、サラサラの金髪。銀糸で刺繍がされた長めの丈のジャケットに、レースのタイが揺れている。私の知識では「王子様風」としか表現できない服装で、非の打ちどころがない美貌がにっこりと微笑んだ。

「怪我はないか?」
 ―――ああ、その声と、そのセリフは知っている。それから次は……。
「私は第2王子のリュシアンだ。君の名を教えてくれないか」
 ―――あああ、やっぱり。最初のシーンだ。

 誰か嘘だと言って欲しい。素人向けの大がかりなドッキリでも、今なら許すから。―――でも、違う。そんなことがあるはずない。
 理由は分からないし、信じたくもないけれど。

 私は今、ゲーム「ヒミツの恋愛遊戯」の世界にいるらしい……。
 そう思った瞬間、すーっと頭のてっぺんが冷たくなって。
「あ、おい。どうした!?」
私は再び意識を失った。



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