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13・「お・に・い・さ・ま?」 前
ダンドリュー家での生活が始まった。
私の義父母になるダンドリュー侯爵夫妻は、ごく当然のように私を迎えて下さった。別に大げさに歓迎するでもなく、だからといって冷たくあしらうわけでもない。「そこにいて当たり前」というさりげない態度が、私にはありがたかった。
……本当に「お義父様、お義母様」と呼ぶとは思ってなくて、「侯爵様」って言ったら怒られてしまったけど。
ダンドリュー家の朝は、決して早くない。何しろ侯爵夫妻ともなれば、毎夜社交に勤しむのが当たり前。帰宅は深夜をまわり、時には明け方ちかくまでかかることもあるからだ。
朝食(時間的にはブランチと言う方が合っている気がする)は家族で摂る。日本のように揃って「いただきます」な訳ではなく、それぞれが勝手にテーブルにつくのだけど、大抵そのまま朝食室(という部屋があるんです)でお茶など飲んで寛いでいるので、結果全員が揃うという感じ。
その後、私はお勉強タイムになる。家庭教師や、内容によってはお義母様に教わることもある。礼儀作法に王宮でのマナー、社交の心得。他に手紙の書き方とか、刺繍なんてのもある。
下級貴族の娘だった私は、社交界の主だった人達の名前や特徴を書いたリストを渡され、デビューまでに間違いなく覚えるよう厳命された。顔も分からないのに特徴とか言われても……と思ったけど、写真などないのだから仕方ない。
せめて名前くらいはすらっと出るようにしよう……。
家庭教師は古くからこの家にいる女性でエステルといい、なかなか厳しい。でも大丈夫、私には救いの神……じゃなくて天使様がいる。
「フェリシア、どう? そろそろお茶にしない?」
私の勉強用に用意された小さな(と言っても10畳くらいはある)部屋に、笑顔で現れたこの方。
「マリレーヌお嬢様、まだフェリシア様はお勉強中ですよ」
家庭教師が渋い顔をする。
「あら、いいじゃない、もう時間よ? エステルも一緒にどう?」
「お嬢様には敵いませんね。ではフェリシア様、明日までにこれを暗唱なさってきて下さいませ」
苦笑したエステルは一礼して出ていった。
「フェリシア、今日は庭にお茶を用意させたの。行きましょう」
そして私にはひっくり返っても真似の出来ない、優雅な足取りで歩いて行く。
ダンドリュー侯爵令嬢、マリレーヌ様。
「お兄様があんな方でしょう? 私ずっと妹が欲しいと思っていたの。フェリシアのような可愛い方が来てくれて本当に嬉しいわ!」
そう言って私を歓迎して下さったマリレーヌ様は、私のひとつ上。ジェラールと同じ長い黒髪に、深いグリーンの瞳。肌はぬけるように白くて、お人形のような方だ。
さっきのように、いつも私を気にかけ、何かと声をかけてくれる。私にとっても、マリレーヌ様と話していると楽しいし、会話の中でさりげなく、私の知らないことを教えてくれているのが分かる。
優しくて美しいだけでなく、頭まで良い方なのだな……と、私もマリレーヌ様が大好きだ。
ダンドリュー家のお庭は、当然ながら完璧に管理されていて美しい。
「ここは私の好みで、白い薔薇を集めてあるの」
白い薔薇に囲まれて微笑むマリレーヌ様……本当に天使です。「社交界の薔薇」と言われるのも当然。
「ダンドリューへ来て5日目ね。そろそろ慣れた?」
「はい、マリレーヌお義姉様のおかげです」
「フェリシアはよく頑張っているわ。お兄様とはどう?」
「ジェラール様ですか?」
するとマリレーヌ様は、私に注意するときの顔になった。……と言っても、わずかに顎を引いて、ほんの少し目力をこめただけ。その前後を見比べても、それほどの違いはないはずだけど、なぜかマリレーヌ様がすると劇的な効果があるらしい。
「違うでしょう、フェリシア。―――『お・に・い・さ・ま』よ? 言ってみて?」
―――う、また言われてしまった。そう、ジェラールだけはどうしても「お義兄様」と言いにくいのだ。この5日で、もう何度このやり取りをしたことか。
「……ジェラールお義兄様」
「呼んだか?」
―――ひゃああ!?
「あらお兄様、お帰りなさいませ」
マリレーヌ様がふわりと微笑む。
まったくジェラールは、突然現れるのが得意なようだ。私達の間の椅子を引いて座ると、すぐにメイドさんがジェラールのぶんのお茶を用意した。
「お、お帰りなさいませ、ジェラールお義兄様」
恐る恐る声をかけると、ジェラールが私をちらりと見て笑う。
「どうだ、少しは上手く化けられるようになったか」
咄嗟に返事が出来ないでいると、マリレーヌ様が弁護してくれた。
「あらお兄様、フェリシアは本当によくやっているわ。来週はお兄様にも手伝っていただくわよ」
―――ええ? ジェラールに!? いったい何を?
「いよいよダンスの練習ですからね。フェリシア、お兄様はとてもお上手だから安心していいわ」
マリレーヌ様の天使の微笑みが、辛いです。ジェラールとダンスなんて、安心どころか、眠れなくなりそう……。
「いいか、手はこうだ。姿勢はまっすぐに顎を引いて……」
マリレーヌ様の言ったとおり、翌週からダンスの練習が始まった。ジェラールは本当に時間をつくって、私の練習相手になってくれている。
マリレーヌ様がピアノを弾いて下さっているのがせめてもの救い。
私は向こうの世界では、高校卒業までバレエをやっていた。だから少なくともリズム感は悪くないと思うし、ステップを覚えるのもさほど難しくはない。
でも、いわゆる社交ダンスとは全然違った。ダンスは基本的に男性のリードに合わせてステップを踏む。私は昔の癖で、覚えたステップをその通りになぞろうとこだわるあまり、ジェラールのリードに合わせられなくなってしまうのだ。
「おい、何度も言わせるな。勝手に動くんじゃない」
何度目かの失敗の後、ジェラールが私を叱った。
「すみません……」
「姿勢もいいし、ポーズは初めてとは思えないほど美しいわ。大丈夫、きっと上手になるわよ」
マリレーヌ様が優しくフォローして、休憩のためのお茶を運ばせてくれた。
「勘はいいんだがな」
「お兄様、今日は初日ですもの。ちょっと混乱しているのよ」
「足を踏む女はたまにいるが、蹴られたのは初めてだ」
「本当に、すみません……」
小さくなっていると、マリレーヌ様の侍女が呼びにきた。
「お嬢様、そろそろ夜会のお支度をなさらないと……」
「あら、そうだったわね。―――じゃあお兄様、後はお願いします」
「ああ、今日はキュヴィエ伯のところか。伯爵によろしくな」
救いの天使様は行ってしまわれた。そして鬼教官と取り残された私。
「よし、もう一度やるぞ」
―――勘弁してください……。
私の義父母になるダンドリュー侯爵夫妻は、ごく当然のように私を迎えて下さった。別に大げさに歓迎するでもなく、だからといって冷たくあしらうわけでもない。「そこにいて当たり前」というさりげない態度が、私にはありがたかった。
……本当に「お義父様、お義母様」と呼ぶとは思ってなくて、「侯爵様」って言ったら怒られてしまったけど。
ダンドリュー家の朝は、決して早くない。何しろ侯爵夫妻ともなれば、毎夜社交に勤しむのが当たり前。帰宅は深夜をまわり、時には明け方ちかくまでかかることもあるからだ。
朝食(時間的にはブランチと言う方が合っている気がする)は家族で摂る。日本のように揃って「いただきます」な訳ではなく、それぞれが勝手にテーブルにつくのだけど、大抵そのまま朝食室(という部屋があるんです)でお茶など飲んで寛いでいるので、結果全員が揃うという感じ。
その後、私はお勉強タイムになる。家庭教師や、内容によってはお義母様に教わることもある。礼儀作法に王宮でのマナー、社交の心得。他に手紙の書き方とか、刺繍なんてのもある。
下級貴族の娘だった私は、社交界の主だった人達の名前や特徴を書いたリストを渡され、デビューまでに間違いなく覚えるよう厳命された。顔も分からないのに特徴とか言われても……と思ったけど、写真などないのだから仕方ない。
せめて名前くらいはすらっと出るようにしよう……。
家庭教師は古くからこの家にいる女性でエステルといい、なかなか厳しい。でも大丈夫、私には救いの神……じゃなくて天使様がいる。
「フェリシア、どう? そろそろお茶にしない?」
私の勉強用に用意された小さな(と言っても10畳くらいはある)部屋に、笑顔で現れたこの方。
「マリレーヌお嬢様、まだフェリシア様はお勉強中ですよ」
家庭教師が渋い顔をする。
「あら、いいじゃない、もう時間よ? エステルも一緒にどう?」
「お嬢様には敵いませんね。ではフェリシア様、明日までにこれを暗唱なさってきて下さいませ」
苦笑したエステルは一礼して出ていった。
「フェリシア、今日は庭にお茶を用意させたの。行きましょう」
そして私にはひっくり返っても真似の出来ない、優雅な足取りで歩いて行く。
ダンドリュー侯爵令嬢、マリレーヌ様。
「お兄様があんな方でしょう? 私ずっと妹が欲しいと思っていたの。フェリシアのような可愛い方が来てくれて本当に嬉しいわ!」
そう言って私を歓迎して下さったマリレーヌ様は、私のひとつ上。ジェラールと同じ長い黒髪に、深いグリーンの瞳。肌はぬけるように白くて、お人形のような方だ。
さっきのように、いつも私を気にかけ、何かと声をかけてくれる。私にとっても、マリレーヌ様と話していると楽しいし、会話の中でさりげなく、私の知らないことを教えてくれているのが分かる。
優しくて美しいだけでなく、頭まで良い方なのだな……と、私もマリレーヌ様が大好きだ。
ダンドリュー家のお庭は、当然ながら完璧に管理されていて美しい。
「ここは私の好みで、白い薔薇を集めてあるの」
白い薔薇に囲まれて微笑むマリレーヌ様……本当に天使です。「社交界の薔薇」と言われるのも当然。
「ダンドリューへ来て5日目ね。そろそろ慣れた?」
「はい、マリレーヌお義姉様のおかげです」
「フェリシアはよく頑張っているわ。お兄様とはどう?」
「ジェラール様ですか?」
するとマリレーヌ様は、私に注意するときの顔になった。……と言っても、わずかに顎を引いて、ほんの少し目力をこめただけ。その前後を見比べても、それほどの違いはないはずだけど、なぜかマリレーヌ様がすると劇的な効果があるらしい。
「違うでしょう、フェリシア。―――『お・に・い・さ・ま』よ? 言ってみて?」
―――う、また言われてしまった。そう、ジェラールだけはどうしても「お義兄様」と言いにくいのだ。この5日で、もう何度このやり取りをしたことか。
「……ジェラールお義兄様」
「呼んだか?」
―――ひゃああ!?
「あらお兄様、お帰りなさいませ」
マリレーヌ様がふわりと微笑む。
まったくジェラールは、突然現れるのが得意なようだ。私達の間の椅子を引いて座ると、すぐにメイドさんがジェラールのぶんのお茶を用意した。
「お、お帰りなさいませ、ジェラールお義兄様」
恐る恐る声をかけると、ジェラールが私をちらりと見て笑う。
「どうだ、少しは上手く化けられるようになったか」
咄嗟に返事が出来ないでいると、マリレーヌ様が弁護してくれた。
「あらお兄様、フェリシアは本当によくやっているわ。来週はお兄様にも手伝っていただくわよ」
―――ええ? ジェラールに!? いったい何を?
「いよいよダンスの練習ですからね。フェリシア、お兄様はとてもお上手だから安心していいわ」
マリレーヌ様の天使の微笑みが、辛いです。ジェラールとダンスなんて、安心どころか、眠れなくなりそう……。
「いいか、手はこうだ。姿勢はまっすぐに顎を引いて……」
マリレーヌ様の言ったとおり、翌週からダンスの練習が始まった。ジェラールは本当に時間をつくって、私の練習相手になってくれている。
マリレーヌ様がピアノを弾いて下さっているのがせめてもの救い。
私は向こうの世界では、高校卒業までバレエをやっていた。だから少なくともリズム感は悪くないと思うし、ステップを覚えるのもさほど難しくはない。
でも、いわゆる社交ダンスとは全然違った。ダンスは基本的に男性のリードに合わせてステップを踏む。私は昔の癖で、覚えたステップをその通りになぞろうとこだわるあまり、ジェラールのリードに合わせられなくなってしまうのだ。
「おい、何度も言わせるな。勝手に動くんじゃない」
何度目かの失敗の後、ジェラールが私を叱った。
「すみません……」
「姿勢もいいし、ポーズは初めてとは思えないほど美しいわ。大丈夫、きっと上手になるわよ」
マリレーヌ様が優しくフォローして、休憩のためのお茶を運ばせてくれた。
「勘はいいんだがな」
「お兄様、今日は初日ですもの。ちょっと混乱しているのよ」
「足を踏む女はたまにいるが、蹴られたのは初めてだ」
「本当に、すみません……」
小さくなっていると、マリレーヌ様の侍女が呼びにきた。
「お嬢様、そろそろ夜会のお支度をなさらないと……」
「あら、そうだったわね。―――じゃあお兄様、後はお願いします」
「ああ、今日はキュヴィエ伯のところか。伯爵によろしくな」
救いの天使様は行ってしまわれた。そして鬼教官と取り残された私。
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