Don't Speak

国沢柊青

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act.12

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[13]

 しばらく沈黙が流れた。
 クリス・カーターは、ショーンの言葉に、すぐには答えてはくれなかった。
 頭を下げたままのショーンはもちろんのこと、その隣に立つポールでさえも生きた心地がしなかった。
 とんでもなく無謀な願いである。
 普通の感覚で行けば、いい返事がもらえる筈がない。
「お願いします! 彼のギターも歌も、本当に素晴らしいんです!」
 ポールも一緒に頭を下げてくれる。
 二人とも、頭上から冷ややかな視線が降りてくるのを感じていた。
 長い沈黙を破って、クリスがようやく口を開く。
「プロの仕事がどんなものか、お前さん分かっててそう言うのかい?」
 冷たくも温かくもない、表情がまるで読めない声だった。
「お客は皆、わざわざ金を払って、この劇場での一時を手に入れる。その金は、彼ら自身が苦労して稼ぎ出した大事な金だ。その金を、意味のない時間に費やさせることは、俺には到底できない。分かるよな?」
 ショーンは頭を上げて頷く。
「舞台に上がるからには、失敗は許されない。いくらお前さんが今まで人前でろくすっぽ歌ったことがない、ギターを弾いたことがないからって、そりゃ言い訳にはならんわな」
 ショーンは頷く。
「舞台は、戦場だぞ。見た目より、ずっと恐ろしいところだ。腹、括れるのか?」
 ショーンは、クリスの瞳を見つめた。
 ショーンの目は、恐ろしいほど澄んで、そして紅く燃えていた。
「・・・その怖さを味わってみたい。本当の父さんの人生を理解するために。そして、俺自身の人生のためにも。もうスコットに甘えて、逃げてばかりいた自分にサヨナラしたい。自分の人生を自分で選んだんだって、二本足できちんと立って言いたいんだ」
 ショーンはクリスから少し視線を外して、少し物思いに耽る。
「それに・・・。町の人に伝えたい。舞台に立つメンバーの一員に選ばれて、成功させて、みんなを感動させて、俺はこんなに立派な人間になりましたって。そして、俺をここまで育ててくれたのは、他ならぬスコットなんだって、知らしめてやりたい。スコットの生き方が、決して間違っていなかったことを、俺の力で証明したいんだ」
 ショーンは唇を噛みしめた。
 再び頭を下げる。
「だから、お願いします」
 ポールがハラハラしながら、ショーンとクリスを交互に見つめた。
 ふいにクリスが、僅かに泣き笑いのような表情を浮かべたように見えた。
「・・・ま、入れ。お前さんを舞台に上げるかどうか、最終決定を下すのはジョン・シーモアだ。確かに舞台に上がれと最初に言ったのはやっこさんだが、今は状況が違う。本番直前のこの時間帯でジョンがどう言うかは、俺にも分からん」
 クリスは、呆然としているショーンの襟首を掴んで、中に引っ張り込んだのだった。
 

 さすがのジョン・シーモアも、本番直前に意志を固めてきたショーンの申し出に、戸惑った表情を浮かべた。
 彼は思わず、楽屋で念入りにウォーミングアップをしている劇団員を振り返った。劇団員も曰くありげな顔つきで互いに視線を合わせている。
 ── やっぱり・・・ダメか・・・。
 およそ明るいとは言えない雰囲気に、ショーンもポールも半ば諦めていたが。
「残念ながら、時間がない。まず君の演奏を聴かせてもらって、それがよければギターパートの演奏をしてもらおう。ただし、台詞はギタリスト抜きで台本合わせをしてしまったから、君が舞台に出るチャンスはラストシーンしかなさそうだが・・・」
 如何にも申し訳なさそうな口調でジョンが言ったので、一瞬言われた意味が分からなかった。言葉のイントネーションだけ聞いて、ショーンもポールもてっきり断られたと肩を落とした。
「いいんです。最初から無理だと分かっていたし、急に出演させてくれって言ったって、稽古もしてない素人を舞台に上げるなんて・・・」
 苦笑いしながらそう言うショーンの頭を、クリスが軽く叩いた。
「何言ってるんだ。オーディションをしてやってもいいと言ってもらってるじゃないか」
「へ?」
 ショーンとポールが同時に惚けた声を上げて、クリスを見る。
 クリスは溜息をつきながら、ジョンの方を指さす。
 ショーンがジョンに視線を戻すと、ジョンも劇団のメンバーもクスクスと込み上げてくる笑いを噛み殺していた。
「さぁ、本番まで少し時間があるから、打ち合わせをしようじゃないか」
 ジョンはそう言うと、ぽかんとしているショーンの肩を抱いて舞台にまで誘って行く。
 それを見たポールが、「やった!!」と飛び上がった。
「凄い! 本当に本当に本当にショーンが舞台デビューするかもしれないだなんて、夢のようだ!!」
 ポールはすっかり興奮した様子で、クリスに抱きつく。
 クリスはすっかり顰めツラだ。
 それを見て、今度こそはっきりと劇団員が笑い声を上げた。
 ポールは、そこにいる全ての人達に感謝の言葉を何度も何度も繰り返すと、「こうしちゃいられない!!」と劇場を飛び出して行った。


 ショーンは劇中で使われる楽曲を完璧に弾きこなした。
 そこまでショーンができるとは、正直ジョンも思っていなかっただろう。
 多少楽譜通りの固い演奏ではあったが、稽古もしてないズブの素人が稽古を見学していただけでここまで弾きこなせるのは、ある意味、驚異的である。
 ジョンは驚きを隠すことはしなかった。
「凄いなぁ・・・。できるとは思っていたが、本気でここまでできるとはね。本腰入れて稽古ができれば、もっと素晴らしくできるだろうに・・・」
 口惜しいよ、とジョンは笑った。だがその瞳は笑っていなかった。
 ショーンの背筋が思わず伸びる。
 プロの目だ。
 冷静でいて、その中に厳しさや情熱が潜んでいる。
 ジョンは客席を立って、ショーンの立つステージに上がりながら、「でもやはり今の演奏では、全部の曲を弾いてもらう訳にはいかないね。ショーを完璧にすることはできない」と言った。
 口調は柔らかかったが、内容は厳しい。
「君はまだ、曲自体を自分のものにしてないからね」
 目の前に立ったジョンを、ショーンは見上げた。その不安げな表情を見て、ジョンは微笑む。
「何て顔をしているんだ。全てが悪いとは言ってないだろう?」
 ショーンは怪訝そうにジョンを見つめた。
 そのショーンの両肩に手を置き、ジョンはその茜色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ラストだ。ラストの一曲。その曲を自分の物にするんだ。時間は、本番までの約一時間半とラストのシーンのスタンバイまでの一時間半。合わせて三時間ある。三時間後に、バックヤードで再び君の演奏を聴くことにしよう。そこで俺を満足させることができれば、君は舞台に上がることができる。・・・どうだ? できるか?」
 ゴクリとショーンの喉が鳴った。
 しかし、ここで引き返せる筈がなかった。
 スコットのために。そして、自分の新しい明日のために。
「やります。チャンスをください」
 ショーンはギターを握り締め、静かにそう告げた。


 ショーはどんどん佳境に近づいている。
 ショーンがいる舞台裏の楽屋からでも、会場の熱狂ぶりが伝わってきた。
 今日のステージは、以前ショーンが見た時よりもお客がノッている。
 知らず知らずの内に、両手がカタカタと震えた。
 きっと、ポールも喜び勇んで飛び出していったのだから、町中の知り合いに声を掛けてショーンのデビューを見てやってくれとかけずり回ったに違いない。
 それを思うと、益々緊張した。
 ヘタしたら、皆が見に来ているかも知れない。
 もし、ステージで俺が格好悪いことになれば、スコットもバカにされてしまう。
 いやそれよりも、オーディションに失敗して、舞台にすら立てなかったら。
 クリスやポールの前で、強気の啖呵を切ったくせに・・・。
 ショーンはカッカと頭に血が昇る感覚を覚えた。
 ショーンに残された時間は、刻一刻となくなっていく。
 ショーンがラストの曲を練習する間中、頭の中で本当の父親 ── ビル・タウンゼントが囁いていた。
『お前は、あのステージに本気で立てると思っているのか?』
『あのたくさんの客の目の前で、本当にきちんと演奏ができるのか?』
『俺のことを散々腰抜け呼ばわりしてきたくせに、すっかりビビッちまってるのはお前の方じゃないか』
『人前で満足に演奏もしたことがないのに、できるはずがない・・・』
『・・・所詮、お前は、子どもなんだよ』
 うるさい・・・。うるさい!!
 ショーンは頭を振りかぶり、雑念を振り払うように課題曲であるラストのナンバーの譜面を見つめた。
 まるでそこから目を離したら負けだと言わんばかりの目つきで、食い入るように譜面を見て指を動かした。
 ガチガチに強ばったショーンは、極度の緊張のため、譜面から目を外すことすらできなくなってしまっていた。
 弾けば弾くほど、指は固くなっていく。
 ── このままじゃ、ダメだな。
 自分が楽屋に入ってきたことすら気付いていない様子のショーンを見つめ、クリスは内心舌打ちをする。
 必死になりすぎていて悪い方向へ行ってしまうのは、やはりショーンがまだ未熟な証拠だといえるだろう。若いからこそ、大きく一歩足を踏み出せないこともある。
 けれど、今のショーンでなければ出せない音が、そして声が、きっとあるはずだった。
 この土壇場の時間帯で、普通なら断って然るべきだったところを、あのジョン・シーモアが最後のチャンスを与えたのは、ジョンや他の劇団員には出せない、青臭いエネルギーそのものをほしいと思ったからに他ならない。
 少年から青年に移り変わる時の、あの煌めくような苦しい、そして瑞々しい鼓動。
 今まで何もかも自分の望む通りに手に入れてきたクリスでさえ、眩しく思える輝きだった。
「何を気負う必要がある」
 クリスは一歩、ショーンに近づいた。
 ショーンが目に見えてビクリと身体を震わせ、顔を上げる。
 その蒼白な顔つきに、クリスは溜息をついた。
「無理して良く見せようと思うから、そんなにガチガチになるんだ。言っただろう? お前さんの音を出せば、それでいいんだってこと」
 ショーンは表情を曇らせる。
 自分の指を見つめながら、「俺はちゃんと弾いてるつもりだけど・・・」と苦しげに呟いた。
 クリスはショーンの前に椅子を運ぶと、背もたれを胸に当てて座る。
 そしてひん曲がった銜えタバコを揺らしながら、「今の音は、単なる譜面のコピーじゃないか」と呟いた。
 ショーンの茜色の瞳が瞬く。
 クリスは、ショーンの前にある譜面を乱暴に掴んで、それをゴミ箱にたたき込んだ。ショーンの口から思わず「あ!」と声が上がる。
「お前さん、こんなの見なくても、もう音符は頭の中に入ってるんだろう?」
 ショーンは唇を噛みしめ、俯いた。
「ステージの怖さを味わってみたいと言ったのはお前さんだぞ」
 クリスがそう言うと、ショーンは顔を上げ、クリスを睨み付ける。反論しようとしたショーンの口を遮って、クリスは言った。
「このままじゃ、その怖さも味わえないよなぁ」
 ピタリとショーンが口を噤んだ。どうやら彼自身も心の底で、『このままではきっとダメだ』と感じていたのだろう。
 ショーンの目に薄く涙が滲む。
「頭では分かってるのに・・・。曲を自分の物にするってことに、身体がついていかないんだ・・・」
「考えるからダメなんだろ」
 クリスが、ショーンの額を指でさす。
「いろんなことを考えすぎるから、ダメなんだよ。・・・頭が良すぎるのも困りもんだな」
 いつかの台詞を再び繰り返しながら、クリスが顔を顰める。
 クリスは、ショーンを指した指で、そのまま彼の額を押した。
「音を出すことを考えるな。お前の身体がどう動きたいのかを知れ。── 大丈夫。今日ここに来ている人々は、ビル・タウンゼントのことなんか、これっぽっちも考えちゃいねぇよ。相手も空っぽなんだ。その穴に、お前の音をねじ込んでやれ。格好よく演奏することが正解じゃない。このステージでは、どれだけ自分を曝け出せるかが勝負なんだ」
「・・・クリス・・・」
 ショーンがか細く呟く。
 クリスはだめ押しで、こう訊いた。
「お前は、何だ?」
 ショーンの瞳が大きく見開かれる。
「お前は何者なんだ?」
 少しの沈黙の後、ショーンは答えた。
「・・・ただのロックバカ」
 プッとクリスが吹き出す。そして大声で笑い始めた。
 ショーンは「人が真面目に答えてんのに」と口を尖らせていたが、クリスにつられて笑い始めた。
 ふいに、楽屋のドアがノックされる。
 二人はピタリと笑うのを止め、ゆっくりと開くドアに目をやった。
「お楽しみ中悪いけど。時間だ」
 そう言ってジョン・シーモアが姿を見せたのだった。


 ジョン・シーモアの登場は、厳密に言うとショーンに約束した時間より少し早かった。
 ジョンもまた、まさに素人の少年に一回限りとはいえ自分のショーの出来を委ねることに不安を感じているのか、それとも反応のいい今晩の客同様、新たな才能の発掘に少し興奮しているのか。
 いずれにしてもジョンが「今」と言えば、ショーンに残された時間はもうないということだ。
 ジョンは楽屋のドアを閉めて、「さぁ、聴かせてもらおうかな。君のギターと、歌声を」と告げた。
 ショーンは一瞬心細げな目線をクリスに送ったが、クリスが先程とはうって変わって酷く突き放した表情を浮かべていることに、逆に開き直りができた。
 そうだ。
 何を取り繕う必要がある。
 肩の力を抜いて。
 一人きりで舞台に立たせてもらったあの日のように。
 純粋に『音楽』にのめり込めば、それでいい。
「・・・よろしくお願いします」
 ショーンは立ち上がってジョンの顔を真っ直ぐ見つめ、頭を下げた。
 ジョンも頷いて、ショーンの目の前にあった椅子に座る。
 ショーンは周囲の邪魔な物を後ろの壁際に寄せると、おもむろに弦を指で弾いた。
 大きく深呼吸をして、ラストの感動的なナンバーのイントロをつま弾き始めた。
 ギターアンプに通していない生の弦の音だったので、通常のエレキギターの迫力はなかったが、それでもさっきまでのショーンの演奏とは全く違う、生き生きとした旋律が弾き出されてくる。
 ショーンの口から、歌詞が零れてくると、演奏は益々滑らかになった。
 17歳とは思えないほど、滑らかで伸びのある声。
 目の覚めるようなギターテクニックの方が目立つが、然るべきレッスンをすれば、きっと皆を魅了するような歌声になるだろう。
『苦しいことがあっても、壁にぶち当たっても、自分の両拳で夢をつかみ取ることはできる。自分も勇気を振り絞るから、どうかあなたも勇気を出して』
 そんな意味合いの歌詞が、様々な韻を踏んで次第に盛り上がっていく。
 激しいロックサウンドではないが、心に染みいるようなグルーブ感のある曲だ。
 シングルカットされる予定のあるこの曲は、ショーの最後を締めくくるのに相応しい名曲とされている。多くの人が、この曲で胸を焦がし、感動の涙を流した。
 ショーンは、きちんとメインボーカルとハモるように複線律を歌いながら、譜面に書かれていた音符より遙かに表情のある、聴いている者の身体を揺さぶるような、複雑でうねりのあるギターの音色を被せていった。それはショーンの中で気持ちが盛り上がっていくに従って、どんどん色を華やかにしていく。
 ショーンは自分を抑えきれないように大きく身体を揺らし、時に足を跳ね上げながら、リズムを取った。
 最後のシャウトしていく部分では、まるで自分自身が歌詞に応援されているような気分になって、危うく泣きそうな気分になった。
「はい、やめ」
 すべての演奏が終わる前に、ジョンが唐突に手を打ち鳴らした。
 ショーンはびっくりして、身体を震わせる。
 そして途端に不安になった。
 途中で終わらされたということは、やはり・・・。
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