陽気な吸血鬼との日々

波根 潤

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ホッとする人

七十六、

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 転がるようにベッドから降りて掃き出し窓に向かった。手が震えてなんてことのない鍵を開ける動作に苦戦してしまう。
 もしかしたら思いが見せた幻覚なのでは無いか、そんな不安を覚えながらやっとの思いで窓を開けると、その小さな生き物は一目散に俺の胸に飛びついてきた。

「ぴゃー!!」
「……テテ」

呆然としながらその名前を呼ぶ。突然現れて頭は真っ白だったが、小さな手で抱きついてくるテテの背中を撫でるとその柔らかさに熱い気持ちが込み上げてきた。嬉しいと思う前に視界が滲み始め、存在を確かめるように何度も名前を呼んだ。

「テテ!テテ……!」
「ぴゃー!!」

元気よく鳴くテテの声が鼓膜を揺らし、すぐ近くにいるのを実感することができて胸がいっぱいになる。

(テテ……テテがいる……嬉しい……!)

溢れる思いは涙となって頬を伝っていく。テテも俺の服をぎゅっと握りしめているのが分かって可愛くて可愛くて、愛しくてたまらなかった。
 どうしてここにいるのか。ケリーと帰ったのでは無かったのか。疑問は浮かんでくるのにまた会えた嬉しさの方が大きくてそれを言葉には出せなかった。

 その時だった。

(……え、なに?)

不意に顔の横を何かが通り過ぎていった。小さくて、黒い、一瞬だけ視界に写ったそれは素早くて、姿はツバメのように見えた。
 しかし、すぐに違うと気付く。そうだ、ここにテテがいるということはそういうことだろう。

(ケリーは、コウモリになれる……。)

 ドクンドクンと、期待に心臓が脈打つ。胸に抱いたテテに俺の心臓の音が聞こえているかもしれない。もし、俺の勝手な思い込みで背後には誰もいなかったら……そんな一抹の不安を抱えながらゆっくりと振り返った。

「ケリー……」

白に近い金色の髪、黒色のローブ、後ろを向いていたから顔は見えなかったがその背格好はケリーだった。

(なんで、どうして……。)

テテにも抱いた疑問と、同時に沸き上がるまた会えたという嬉しさ。
 その背中をじっと見ていると、ケリーがゆっくりと振り返った。この姿のケリーはあまり見慣れてはいないが、それでもお別れした日の姿だったので記憶にも新しく戸惑いは無かった。優しい笑みを見た瞬間、ホッとして更に嬉しさが込み上げてくる。
 しかし、そう思ったのもつかのま青い瞳が見開かれその表情に影がさした。

(え?なに?)

嬉しい気持ちが一変、ケリーの雰囲気が変わって体に緊張が走る。不機嫌、ではない気がする。まるで焦っているかのような、少し緊迫している様子のケリーは数歩歩いて近付いてきて、俺の腕を掴んだ。

「わ!なに?ケリー!」

俺の言葉に何も言わず、そのまま歩き出す。何があったのだろうと思っているとベッドに寝させられケリーも上に乗り上がった。突然の行動に不安と、下から見上げる姿に少し怖いと言う思いが沸いてきて、逃げるように身を捩った。しかし、肩を押さえつけられたのに加えて病み上がりで力もあまり出なくてすぐにまた仰向けとなる。いつの間にか、胸に抱いていたテテはいなくなっていた。

「ケリー!」

なぜ何も言ってくれないのか。この行動に何か理由があるのか。せめて説明してくれたら不安も紛れるだろうに、目の前の吸血鬼は何も言ってくれない。ずっと切ない目で俺を見て、肩を押さえつける手には力が籠っていた。
 すると、ケリーの顔が首元に埋められた。血を吸うつもりだと気付き、慣れていた行為なのに今のケリーの様子にビクッと体が震える。

(大丈夫、ただの吸血だ……。)

頭でそう理解していても、怖くて体の震えが止まらなかった。

(きっと、血が足りなくてこうなっているだけ。終わったらまた元通りになるはず……。)

不安な気持ちを押し殺し、諦めのような気持ちでその行為を受け入れようとした。
 すると、

(……なんか、雰囲気変わった?)

なんとなくだが、張り詰めていた空気が少し緩んだように感じた。ケリーは顔をあげず、俺の首元で一度深呼吸をした。その吐息の感覚に恐怖とは違う意味でふるりと震える。
 そして、俺の頭を優しく撫でながら、

「ごめん……」

と自分の行動を悔いるように、ポツリと呟いた。頭を撫でられているうちに不安な気持ちがゆっくりと凪いでいって体の震えはおさまっていく。
 
(人を怖がらせることが嫌いな吸血鬼。)

なぜいきなり、ケリーがこのような行動をしたのかはわからない。しかし、ケリーは元々人を怖がらせることが嫌いな優しい吸血鬼だ。俺の怖がっている様子に我に返って、しでかしたことを後悔しているようだった。
 
(ああ、ケリーだ。)

頭を撫でる感覚に、ゆっくりと心が落ち着いていく。
 別人のような行動をするケリーが怖かった。でも、よく考えてみるとベッドに寝させる時も押し倒すような感じではなく支えるようにしてくれたし、肩を押さえつける時も決して痛いぐらいの力では無かった。咄嗟の行動でも俺を傷つけるような行為は無く、なるべく配慮はしてくれていたのだ。
 
(うん、大丈夫。もう怖くない。)

俺も腕を伸ばして、ケリーの背中をポンポンと、いつもしてくれたように叩く。俺の行動にケリーがぴくりと動いた。

「ケリー、大丈夫。血吸って良いよ」

耳元でそう言うと、ケリーは一呼吸置いて静かに言った。

「ありがとう、清飛」

次の瞬間、首元に懐かしい痛みを感じた。その痛みに、また目頭が熱くなる。血を吸われるのなんて痛いだけで、不快感しかないはずなのにケリーが帰ってきたと実感できて嬉しかった。
 それに、

(名前、呼んでくれた。)

そんな些細なことさえ、もう二度と呼ばれることなんてないと思っていたから嬉しかった。
 血を吸われているうちに、意識がふわりと漂っていいくのを感じる。なんとか持ち堪えようとするが、急に襲いかかってきた睡魔に抗うのは難しかった。

(どうしよう、眠たい……。)

だが、このまま眠ってしまうことに不安を覚える。もしたらこれはただの夢で、本当はシャワーを浴びた後に眠ってしまっていたのだとしたら。目が覚めるとケリーとテテはいなくて、また一人の朝を迎えることになるのだとしたら。

(寂しいのは、もう嫌だ。)

「……いなく、ならないで」

ポツリと呟いたその一言は無意識に出たものだった。しかし、ケリーは答えるようにピクリと反応してまた頭を撫でてくれた。そして、テテはどこからともなく現れて頬をひと舐めしたあと頬擦りしてくれた。
 その行為を勝手に肯定と受け取って少し安心した俺は、血を吸われている間に意識を手放した。
 




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