そうだ、辛い仕事を辞めて牧場生活をしよう!

蝶夜

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第十話「最高な牧場ライフを永遠に!」

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 母さんと話をしたあの日から数日後。
 フィリクさんから「大事な話がある」と連絡を受け、今ハービスト家の屋敷の前に来ている。
 「想像はしていたけど……豪邸だ」
 由緒正しき貴族の屋敷は、僕が想像していたよりも敷地は広く、噴水付きの中庭や温室、複数の部屋がある建物。城までとは言わないが、平凡な暮らしをしている僕からしたら、それくらいの規模の屋敷に思えてしまう。
 「あの、どちら様ですか?」
 敷地の中に足を踏み入れ、圧倒する景色に呆然と立ち尽くす僕に使用人の様な格好をした女性が声をかけてきた。
 「あ、す、すみません! フィリクさんに呼ばれて伺いました。リットと言います」
 「はい! 話しは旦那様から伺っております。旦那様がいるお部屋へご案内致します」
 女の人は微笑んで言うと、僕を屋敷の中に案内する。
 「旦那様。リット様がお見えになられました」
 屋敷の中は庭と同じく立派なもので、玄関は広く部屋数も僕の家とは比べ物にならないくらい多い。
 その中の一室に案内され中に入ると、フィリクさんと母さんが座っていた。
 「リット君、待っていたよ。私がリット君宅に伺うのが筋なのだが、こちらに呼び出してしまいすなまい」
 「いえ、僕の方こそお呼び頂いて光栄です」
 「そんなに畏まらないでくれ。君と私達は家族のようなものなのだから、我が家に来たと思ってくれて構わないんだ」
 「そうよ? 私達の方が話しづらくなってしまうわ」
 僕の態度に、二人は困った表情を浮かべる。
 「僕は貴族でもないし、貴族と肩を並べて話せるような立場ではないですし……」
 母さんの再婚相手だからと言って、気楽に話しかけられるような相手じゃない。
 ハービスト家は、その名を国内だけでなく世間に広める商人貴族。それに比べて、僕は小さな店を持つ牧場主で、それ以外には何もない平凡な国民。この国の王子と繋がりがあると言っても、僕が一時的に城で働いたから知り合っただけで、城で働かなければ僕は王子と顔を合わせることもなかった。フィリクさんと出会ったのも、母さんがフィリクさんと再婚したからで、そうじゃなければ関わり合うこともなかった相手だ。
 「君は、彼女の子供だ。それなら、私の子でもある。君は、私の大切な家族だ。だが……」
 「リットが、私達と家族である事を拒むのであれば、私達はリットの事を家族としてではなく、同じ商売人として接していく覚悟はあるの。でもね、これだけは覚えておいて、私は貴方の母です。困ったことがあれば遠慮なく言うのよ?」
 「母さん……」
 母さんとフィリクさんは、僕が貴族である二人に遠慮して家族として接することが出来ない事も考えていた。母さんにとっては、それは親子という縁を切る様な感覚のはずだ。だけど、僕の事を一番に考えて話してくれたんだと浮かべる表情からも見て分かる。
 「君を呼んだのも、この事なんだ。私達は、君にハービストの名を与える事を望んでいる。だが、君がそれを拒むというなら、君の姓はあの男の姓「ローライト」のままとなり、ローライト家の者として生きていくことになる」
 「ローライト家は、罪が明るみにされて貴族を剥奪されているとはいえ、血の繋がりがある貴方が姓を変えずにいれば、貴族に返り咲く為に貴方を利用する可能性があるわ」
 商売をして稼いでいる僕の存在を知れば、欲深い一族なら近づいてくる可能性がある。父さんのこともあるから拒み続けても、何度も訪ねて来ては「ローライト家の未来の為に働け」とも言われるかもしれない。
 「そこでだ。君がハービストの名もローライトの名も拒むのであれば、新しい姓を名乗るのはどうだろう?」
 「新しい姓?」
 「つい最近、国の方針で対象になる理由であれば、自分の姓や名を好きな名に変えることが出来るようになったのよ」
 つい先日、国が新たに決めた政策で該当する理由であれば、自分の名を変えることが出来るようになった事は知っている。これは、姓がない子で世間に出た後にそれで悩む子や親が犯罪者で世間からの目を気にして生きづらいという人を救う為のもの。名を変えたい理由が該当するかは、役所の役員が見定め判断をする為、必ずしも変えられる訳じゃない。
 「僕の場合は、親の姓が嫌だからっていう理由になるから適応されないんじゃ……」
 「それはリット君の理由だろうけど、国が定めた理由例には“剥奪された貴族の姓だから”というものもあるから、言い換えて申請すれば通るよ」
 フィリクさんが言うには、何らかの理由で貴族を剥奪された一族にもこれが該当するらしい。
 「申請するだけでも、やってみたら?」 
 フィリクさんと母さんは、本当に僕のことを思ってくれている。
 この先、ローライト家の人間だと知って今まで繋がっていた人達との縁が切れることも、ローラント家を恨んでいる一族から恨まれる事だってあるかもしれない。そう考えると、ローラント家との縁を断ち切る為にも姓は変えた方が良いとは思う。でも、だからと言ってハービストの名は荷が重すぎるし、理想とする生き方が出来なくなるかもしれない。
 「……分かりました。名の変更を申し込んでみます」
 「分かったわ。リットの人生よ。自分の思うようにしなさい」 
 「そうだね。どんな名になるか楽しみにしているよ」
 「フィリクさん、母さん。僕の事を気にしてくれてありがとうございます」
 「もう。私は貴方の母ですよ? 我が子を心配しない親なんていないわ」
 「はは、そうだぞ? それに、有能な商人が名のせいで潰れてしまうのは私も見過ごせないからね」
 二人は優しい目で笑みを浮かべた。
 その後も、二人に店の事や今までお世話になった人達の事等を話して僕は家に帰った。
 
 夕方頃に家に戻ると、アディル王子と側近のディオンさんが家の前で待っていた。
 「二人とも、どうしたんですか!?」
 「お、リット、帰ってきたか」
 「すまない、連絡なしに押しかけて。君に話があったから訪ねたんだ」
 涼し気な顔で話すアディル王子とディオンさんに対し、僕は慌てふためいていた。
 連絡がなかったにしろ、一国の王子とその側近を待たせていた事には変わりはない。普通なら、王家を侮辱した罪とかで捕まる様な行為だ。これを、慌てずにはいられない。
 「と、取り敢えず、中に入って下さい!」
 家の中に二人を入れた僕はお茶を出し、二人が訪ねて来た理由を改めて聞いた。
 「単刀直入に聞くが、ある貴族が剥奪された事は知っているか?」
 「ローライト家の事ですか?」
 「ああ。お前自身も分かっているとは思うが、ローライト家は国を脅かす事をいくつもしてきた。有能な貴族を破滅に追い込んだり、王族を手に掛けようとしていた疑いもある……」
 二人は、この貴族の悪行を調べていた国王の側近から、この貴族に繋がりがある人物を密かに教えられていた。その中に、僕の名もありこうして話を聞きに来た。僕は二人に、今まで二人に隠していた自分の事を話た。
 「……なるほど。お前も被害者だったって事か。すまない、疑っていたわけじゃないが確認したかったんだ。辛いことを思い出させた」
 「あ、謝らないで下さい! 国を守る立場にいる殿下なら聞くのは当たり前です。それに……」
 「それに?」
 「少し前までは思い出したくない事でしたが、今は、その日々があったから今の僕があると思えるようになったので」
 嫌な思い出には変わらないけど、母さんとあの時の事を話して、母さんの気持ちを知って自分の気持ちに少しだけ余裕ができた。だからなのか、あの日々は無駄な事でもなかったんじゃないかって思う。
 「そうか。リットは、名を変える気はないのか? 名が変えられる様になっているが……」
 「変えるつもりです。まぁ、申請が通るかは分かりませんが……」
 「リットの場合なら、大丈夫だろ。それに、何かあっても俺達が間に入れば直ぐに変えられる」
 「そ、それはそうかもしれないけど……」
 苦笑いを浮かべて言いかけると、アディル王子は「何だ? 王家の力を使いたくないのか?」とニヤつきながら言った。
 「変に噂になりそうだから、できれば避けたい選択肢です」
 「はは。正直だな、リットは。だが、本当にどうしようもない時は頼れ。お前には、世話になってることもあるからな」
 一国の王子と縁があるのは偶然だけど、こうして話ができるのは嬉しい。  
 人と関わることから逃げていたはずなのに、いつの間にか人と関わって生活をしている。人生は人との繋がりとも言われているけど、それは間違いではないのかもしれない。どんな人でも、人との繋がり無くしては何も出来ないのだと改めて気付かされる。
 「それで? 新しい名は決めてるのか?」
 「それがまだ……考えてはいるんですが、いまいちシックリこなくて」
 姓を変えると決めた後から、何にするか自分でも考えてみたけど何も浮かばない。そもそも、姓がなくても良いんじゃないかと思ってしまうくらい面倒だとさえ思っている自分もいる。
 「そうか……なら、他人に考えてもらうのはどうだ?」
 「確かに、その方が色々な案が出てきて参考にもなるな」 
 「なるほど……因みに、二人ならどんな名を考えますか?」
 そう聞くと、二人は暫く考え込んで答える。
 「そうだな。俺なら博識な所を見込んで“クロード”が良いと思うな」
 「クロード……あのクロード博士の?」
 「ああ。誰もが知る偉大な学者だ。それに、努力を惜しまない人だったとも聞く。リットの性格にも合っているだろ?」
 ディオンさんの考えた名が、逆に偉大すぎて申し訳なく思う。
 「な、なるほど……アディル殿下は?」
 「俺は、”リーレン“が良いと思う」 
 「リーレン?」
 「リーレンは、他国の言葉で自由や未来性という意味を持つ青い石だ。お前が目指す先は、自由で未来に溢れている。そんな意味合いも込めてな」
 自由を求めて、未来もこのままであり続けたいと思う僕の気持ちを組み取って、アディル殿下は考えてくれた。二人が僕の事を考えてくれたことは素直に嬉しいけど、僕はどちらも自分の名前にしたいとは思えなかった。  
 二人が帰った後も、自分を象徴する名前や目立たないありきたりな名前を思いつくまま紙に書き出してみるけど、やっぱりどれもイマイチで違和感すら感じる。結局、決めることなく僕は眠ってしまった。
 
 翌朝。
 僕は、アディル殿下とディオンさんが言っていた事を思い出して、手伝いに来ていたアオイとナオルに聞いてみた。
 「……名前を変えられるなんて知らなかったな」
 「私も。でも、確かに世の中には色々な事情を抱えた人達もいるし、私は良いことだと思うよ」
 「それで、僕にも色々事情があって、母さんと母さんの再婚相手に名前は変えた方が良いって言われて。僕自身もその方が良いって思っているんだけど……」
 「名前が思い浮かばないってわけか」
 「そう。だから、他の人の意見を参考に考えるのも良いかもって……」
 僕の話に、二人は「なるほど」と口にする。
 「そうだなぁ~、やっぱり“ベリット”かな?」
 「ベリットって、野菜って意味だよな?」
 「だって、一年中土いじりしてるし、野菜育ててるしピッタリだろ?」
 「それをいうなら“ジャナル”だって良いんじゃない? 動物だっていっぱい飼ってるし、お世話だってしてるし」
 二人は、この牧場から名前を考えてくれた。
 牧場をやっているなら嬉しい名前だと思う。だけど万が一、牧場を辞めた場合を考えたら、気まずい。 
 「良い案だとは思うけど、少し名乗りづらいかも……」
 「そう言われれば、そうかもな」
 「難しいね、名前を考えるのって。あ、ならお店と同じ名前にしちゃうとか? リット・アーリスって」 
 「なるほど! 店の名前と店主の名前が一緒なのは良くあることだし、馴染みやすくて覚えやすいよな」
 アオイの考えは、僕も思いつかなかった。 
 店と経営者の名前が一緒なのは良くあることだし、それ自体は変じゃない。それにアーリスと名付けたのも自分だし恥ずかしいとは思ってはいない。だけど、名前としては少し可愛すぎる気がする。誰もがこの名前を聞いたら、思い浮かべるのは咲き誇るアーリスの花のはず。考えすぎなのは分かってはいるけど、アーリスの花に囲まれた自分の姿を思い浮かべてしまい、逆に恥ずかしくなる。花の似合う人はいるけど、僕がそんな人に該当するとも思えない。良い案だとは思ったけど、やっぱり決めることが出来なかった。
 「二人ともごめん。折角、色々考えてくれたのに……」
 「別に、気にしてないって。名前になりそうなものを言っただけだからな」
 「そうそう。それに、最終的に決めるのはリットだし。なにかの参考になればとしか思ってないから」
 「リットは、自分が納得する名前を見つける事だけ気にしてれば良いって」
 二人は笑って、自分達の家に帰って行った。
 それから次の日も、その次の日も、僕は今までお世話になった人に名前の事を話し、どんなのが良いか聞いてみた。
 「私は、“コルドア”が良いと思う。花言葉で、勇気と優しさって意味なの」
 「そうだな……“ダヨキ”とはどうだ? 木材の中で、一番丈夫で腐りにくい。家造りの肝になる柱に使われるんだ」
 「そうさね。わしなら“マーキス”と名付けるね。マーキスは、この国の一番の商売人の名でね、いまだこやつの売り上げを超えた商人はまだ見たことがない。死んでも、その名を轟かせるなんて欲張り者さね」
 ミリーナ、カーネさん、ピノアギルド長はそれぞれの仕事柄の馴染み深いものを名前に上げた。
 「私は“セーリン”が良いと思います。貴方は、我々孤児院を助けて下さったお方です。子供を守る神セーリン様から頂いてみました」
 「僕は、“カレット”が良いなって思います。カレットは、気難しい性格の動物ですが、根はとても優しくて少し臆病なんです。あ、リットさんが臆病だなんて思ってませんよ? ただ、考えている時のリットさんがカレットに似ているなって……」
 「わしなら健康と長生きを願って“サリオン”って名付けるな。まぁ、よく馬や牛につける名前じゃがな」
 孤児院のサーリア院長、ポルン、コルタさんは、馴染み深いものから名前を上げた。
 どの名前も僕の事を考えて、名前の案を出してくれた。それ自体は凄く嬉しいし、何より僕の事を思ってくれているって伝わってきた。だからこそ、考えてくれた名前から一つだけ選ぶことも出来なかった。
 「今の僕があるのは、皆のおかげだ。もし一度きりの付き合いなら、きっと今の僕はいないし母さんとも話すどころか会おうとも思わなかった……」
 思い返してみれば、最初の僕は本当に自分の事しか考えていなかった。家を建てる時も、商売を始めた時も、僕は何でも自分でやっていた気になっていた。
 「本当に、色々あったな……」
 だけどそれは、自分がそう思い込んでいただけで、一日の中で少なからず誰かと関わり会話をしている。
 仕事をするのが嫌で、人と関わらない為に町から離れた土地を買い、一人で暮らしていくと決めて始めた牧場生活だったはずなのに、今では人を雇う側の人間になって生きている。本来なら、もうとっくに「やりたくない仕事をしている」って辞めていても可笑しくないのに、投げ出すことも止めることもせず、ここまでやって来れたのは、この生活が自分でも気づかないうちに「楽しい」と思うようになったから。
 「そう考えると、やっぱり皆の存在が大きいんだよな……」
 悩んだ事も、諦めようと思ったことも何度かあった。それでも、逃げ出さないで向き合い続けて来れたのは、誰かが傍にいてくれたから。話を聞いてくれたから。だから今の僕は、ここにいる。
 「………よし!」
 僕は、浮かんだ名前や皆が出してくれた名前を書き込んだ紙に“ある言葉”を書き込んだ。
 そして翌日、その紙を手に役所に向かった。
 「名前の変更の手続きをしたいんですが……」
 「氏名の変更ですね。では、こちらでお待ち下さい」
 受付の人に要件を話し、指示された席で数分座って待った。
 「氏名変更をご希望のリット様ですか?」
 「はい」
 「お待たせいたしました。準備が整いましたのでこちらへどうぞ」
 声をかけてきた担当の女性は、僕の事を気遣ってなのか少し小声で話しかけてきた。そして、別室に案内された。
 「こちらにお座り下さい。では、改めて氏名の変更の手続き、申請を行う上でご説明させていただきます」
 担当の女性は、それは分かりやすく説明してくれた。
 手続きは数枚の書類に同意して、旧姓と新姓を書いた後、それを元に担当の役員の手で申請書を発行する。申請をしてから三日から五日くらいでその結果が家に届く。申請が通っていれば正式な手続きをするため届いた書類を持って役所に、通っていなければそのままという流れになるらしい。
 「では、こちらの書類に目を通していただき旧姓でお名前をご記入して下さい。分からない点や、疑問に思う点がございましたら聞いて下さい」
 「分かりました」
 一枚目の書類には、さっき女性が説明してくれた事が難しい文面で書かれていて、それに同意するならサインを書くというものだった。
 二枚目の書類はチェック項目で、質問に対して当てはまるものにチェックをするだけのもの。
 そして、三枚目の書類には、旧姓を書く欄と姓と名が区切られた新しくしたい氏名を書く欄があって、その下には、名と姓どちらを変更したいのか、もしくは両方なのかを丸で囲む項目や変更したい理由を書く欄があった。
 僕は、それらを書き漏らしがないように、一つ一つ確認しながら記入していく。
 「……こちらの内容で間違いがないか、ご確認をお願い致します」
 「はい」
 申請書の作成をした女性は、書き漏れや違った内容になっていないかを僕に書類を確認させた。
 「……大丈夫です。これでお願いします」
 「畏まりました。では、こちらの内容で申請をいたします。結果の配送は、今日から三日後、または一週間ほどでご自宅に届く予定ですので、ご確認をお願い致します」
 「分かりました」
 こうして氏名の変更の申請を終え、それから結果が届くまで、少しソワソワしながらいつも通りに過ごした。
 そして、申請を出してから五日後の朝。
 家の郵便受けに一枚の手紙が入っていた。
 「……通った」
 その手紙は役所からで、申請の結果の手紙だった。
 そこには、「先日、申請いたしました氏名の変更が認められたことをお知らせいたします。つきましては……」と書かれていた。母さんやフィリクさん、アディル殿下やディオンさんには「必ず申請は通る」って言われていたけど、正直疑っていた。必ずなんて保証はどこにもないし、期待もあまりしていなかった。だけど、こうして実際に見て通った事が分かると嬉しさが込み上げてくる。
 「こちらが、証明書になります。こちらに登録する氏名は既に変更済みですが、変更が必要な所には、ご自分で手続きをお願い致します」
 「分かりました」
 「以上で、本日の手続きを終了いたします。お疲れ様でした」
 「ありがとうございました」
 渡された証明書を手に、僕は手紙屋に向かう。
 手紙屋の受付に証明書を見せて、氏名の変更の手続きをした。
 「手続きは以上ですが、他に何かございますか?」
 「いえ、ありません」
 「畏まりました。では、本日の手続きを終了いたします。またのご利用をお待ちしております」
 無事、手紙屋の氏名の変更手続きを終え、他に手続きが必要な所がないか思い出すけど思い当たる場所がなく、僕はその足で買い出しをして帰ることにした。
 「だいぶ、遅くまでいたな……」
 買い物につい夢中になっていて、日が傾き始めていたことに気付かなかった。
 気付いた時には空は薄暗くなっていて、僕は慌てて買い物を済ませ帰り道を急いだ。
 林の中をクロハが引く馬車で駆け抜けていく。
 木々から見え隠れする丸い月は、いつもより綺麗に見えた。
 

 あれから、三年後……。
 「店長! 荷物はこれで全部ですか?」
 「そう、だな。他にはないから、鍵をしても大丈夫」
 「分かりました!」
 荷台にチーズや牛乳、作物類を乗せ終わり「カルミ」は、荷台の鍵を閉める。
 カミルは、つい先日雇った新しい店員兼牧場の作業員。元々、孤児院育ちでたまに店や牧場の手伝いをしてくれていた。それが、成人を期に彼女から僕の店で働きたいと申し出があり、色々考えた末、雇う事を決めた。仕事自体は働く前から良く手伝ってくれていたこともあって、あまり教えることもなくアオイとも仲良く働いている。
 「それじゃあ、行こう!」
 「って、アオイは家で待ってなよ! そんな体じゃ大変だろ?」
 「そうですよ! 何かあったら大変です!」
 カミルは、お腹を擦りながら不貞腐れるアオイに𠮟る様に言う。
 「だって、暇なんだもん!」
 「アオイ。アオイの母さんも僕の母さんも言っていただろ? 今の内、体を休めておけって」
 「そ、それはそうだけど……それでも、やることないから暇なの!」
 助けを求めるようにアオイは僕の体に抱き付いてくる。
 「そう言って。ただ、リットさんと離れたくないだけですよね?」
 「ち、違うわよ!」 
 からかうように言うカルミに、顔を真っ赤にさせてアオイは否定して慌てて僕から離れる。
 「まったく。アオイ、帰ってきたらいくらでも側にいるから、トリエと大人しく待ってて」
 僕がそう言いながらアオイの頭を撫でると、アオイは子供のように「分かった」と口を尖らせて言った。
 「それじゃあ、行って来る!」
 いつもの様に、店に向けてクロハを走らせる。 
 何も変わらないはずの日常なのに、僕は飽きることなく毎日を過ごしている。
 「……ちょう。店長!」
 店の裏で作業をしていると、店の方から呼んでいる声が聞こえ慌てて顔を出すと、そこには見かけない人がいた。
 「どうしたんだ?」  
 「こちらの方が店長にお話があるみたいで……」
 「そうでしたか! では、こちらへどうぞ」
 何処か緊張している様子の若い青年は「は、はい」と言って僕の後を付いてきた。
 店の裏には個室があって、そこで良く他の店と取り引きをしたり、店員達の話を聞いたりしている。
 「それで、お話というのは?」
 「きょ、今日からこの町でナギシナ亭という飲食店を開業いたします、店長のマーリと言います……」
 必死な顔で自分のことを話すマーリさんは、僕の2つ上で他の国にもいくつか店を持つやり手店長だった。
 僕の店に来たのは「食材ならアーリスがオススメだ」と言われたからだった。店を勧めたのはマーリさんのご近所で同じ飲食店を営む、僕とも面識がある店長だった。ライバル店になるかもしれない相手に、自分の取引先の店を勧めるのはどうなのかとは思うけど、この店を勧めてくれるのは有り難いし、僕は遠慮なくマーリさんに扱っている品を一通り見せることにした。
 「……これ、全部店長が?」
 「はい。家は牧場なので、取れた牛乳や加工品を作ったり、畑で作物を育ています。それらを店で出しているだけです」
 自分にとっては当たり前になっている事だけど、マーリさんは目を輝かせて「凄いです!」と感激している。
 「どれも、味も見た目も素晴らしい出来です! これらの食材が仕入れているのではなく、ご自宅の牧場や畑からなんて……あの! 私の店とも契約をお願いしたいのですが!」
 何となくこういう流れになるのは分かっていたけど、やっぱり実際に言われるのは嬉しい。
 「勿論です。こちらこそよろしくお願いします」
 その後、直ぐに取引先としての契約をマーリさんと結んだ。そして、店の開店準備の確認をするからと、マーリさんは少し話をした後、店を出ていった。
 その時、マーリさんは僕に聞いてきた。
 「あ、そういえば。まだ店長のお名前を聞いていませんでした!」
 「すみません! こちらも名乗るのを忘れていました!」
 自分の名前を教えていないことに、今更気付き僕は慌てて名乗る。
 「改めまして、ここアーリスの店長をしております。リット・ルライスです。これからよろしくお願いします」
 「ルライスさん……こちらこそ、よろしくお願いします!」
 僕が姓の名に選んだのは、人との繋がり「縁」を意味する言葉「ルライス」。
 今までの事を思い出した時、真っ先に浮かぶのはこれまで関わってきた人達の顔だった。人と関わるのはそんなに悪いことばかりじゃないと思わせてくれる言葉。だから僕は、それをいつまでも忘れずにこれから出会うであろう「縁」とも関わって行けるように、ルライスという言葉を新姓にした。
 この先の未来も、絶えることのない日常を、この町で、この店で、この牧場で過ごしていく。

 「最高の牧場ライフを永遠に!」

 を目標に、僕は楽しく働き続ける。

 



 
  

  
 
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