lovin’ you

リュウ

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*05. 安堵

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亮太は食事を、わたしは爽やかくんが淹れてくれたお茶を飲んでいた。

「本当に分かんなかった。マジで日向ひなたの彼女かなんかだと思ってたもん」
「ひなた?」
「こいつこいつ。日向って言うんだけど、あれ?」
「あの、彼は、えっと、どなたですか?」

今更だけど、わたしは彼の名前も知らなかった。「なに知らないの?」と亮太が驚くが、こっちからすれば他人の家の鍵を持っている人に易々と自分の名を明かすだなんて恐ろしくでできない。

「遅くなりましたが、乃木のぎ日向と申します。小野寺とは同じ高校です」

出会った頃と同じように深々と挨拶され、こっちも返す。

「えっと、神田かんだ佑芽ゆめと申します。苗字が違うけど亮太の姉です」

この光景を見ていた亮太が、「今までなにやってたの?」と笑う。確かに亮太の言う通りだ。だけど、亮太が帰って来なければ互いに名乗らずまま別れていたかもしれない。

「けどさ、よくここにいるって分かったね。昔住んでた家は引っ越したのに」
「偶然、その、ひ、なたくんに会って助けてもらったの」

声が裏返ってしまった。先程までは普通に話せていたのに、彼の名前を知った途端に緊張してきた。声が裏返ったことに気付いていないのか、亮太はそれには触れず、「ふうん」と少しつまらなさそうに相槌を打った。

「それよりもなんでわたしが亮太の姉だって日向くんは分かったんですか?」

先程よりは上手く彼の名前を呼ぶことができた。自分に感心していると、「おれも気になってた。なんで分かったんだ?」と亮太も日向くんに同様の質問を投げる。

「最初は全然分からなくて。小野寺の名前が出た時はストーカーだと思ってちょっと警戒しちゃったし」

ストーカー。その言葉にショックを受けた。冷静に考えると、知らない人に突然他人のフルネームを訊くなんて怪し過ぎる。そう思った途端、恥ずかしさで一気に顔が熱くなってきた。

「ストーカーって思うならほいほい他人の家に連れてくるなよ。本当にストーカーだったらどうしたんだよ」

亮太が日向くんに指摘する。亮太の話はごもっともだ。連れてきてもらった身分で偉そうなことは言えないが、全く知らない人間を他人の家に案内するなんて危険だ。

「そうなんだけどさ。小野寺のお姉さんだったら問題ないかなあって」
「だからなんでめーちゃんがおれの姉ちゃんだって分かったの?」

先程から亮太と同じことを思っている。やっぱり血の繋がりがあるからだろうか。わたしは日向くんに亮太を自分の弟だなんて一切言っていない。先程まで名乗っていなかったし、仮に彼がわたしの持ち物にあった名前を確認したとしても、苗字が違うから姉弟きょうだいだって結び付けるのは容易ではないはずだ。

そんな考えを頭の中で巡らせていると、「ナス」と日向くんは口を開いた。思いがけない言葉に、「ナス?」とわたしと亮太の声が被ってしまった。

「佑芽さん。小野寺の嫌いな食べ物ってなにか知っていますか?」

突然の質問に一瞬怯む。亮太の嫌いな食べ物は……ナスだ。

「ナスじゃないの?」
「残念。違います」

左右の手をクロスし、日向くんが顔の前にバツ印を作る。違うって言われても、これ以外に亮太の嫌いな食べ物は思い付かない。そう言えばさっきもこんな会話したっけ。亮太のことを日向くんに訊ねようとした時に、亮太について知っている情報を並べたのだ。

「あっ」

思わず声が出る。ある物が目に入った。亮太の手元に置かれている複数の食器。その中の一つに違和感を持った。さっきわたしが口にしたもの。

「亮太、ナス食べれるようになったんだね」

亮太の表情が曇った。変なことを言ってしまったのだろうか。

「小野寺は昔からナスを食べれるんですよ。むしろナスは好物なんです」

そんな話は初耳だ。これまでずっと亮太はナスが嫌いだと思っていた。だって嫌いだったからわたしが代わりに亮太のナスを食べてあげていたのに。わたしがもやもやしていると、「腑に落ちないって顔してますね。詳しくは小野寺に訊いてください」と日向くんは話を続けた。

「ゆきさん含めてほとんどの人が小野寺がナス嫌いなんて思っていないんです、ただ1人を除いて。前に小野寺から聞いていたんですよ。離れて暮らしているお姉さんは、きっと今も小野寺がナスが嫌いだと思っているって」

日向くんが突然ふふっと笑った。なにかを思い出したのだろうか。日向くんとは対象に、亮太は口を噤んでいる。

「佑芽さんに小野寺のことを訊かれた時はさすがに警戒しましたけど、ナスの話が出た時に、小野寺のお姉さんなんだろうなって確信しました」

まさかナスの話でここまで事が進むなんて思いもしなかった。運命とか奇跡とかそんなロマンチックな言葉は信じない方だけれども、人生いつなにが起こるかなんて全く分からないものだ。

「どういう経緯があったとして、めーちゃんに会えたんだから結果オーライだな」

亮太の顔に笑みが浮かぶ。わたしより身長が高くて、知らない声色で話し、きっと道端ですれ違っても全く気に留めないけれど、今目の前にいるのはわたしが会いたかった亮太だ。この家に案内してくれた日向くんに心から感謝だ。

「そう言えばお母さんはまだ仕事? 遅いね」

時計の針は既に22時を回っている。看護師をしている母が遅番や夜勤などで夜家を空けることは容易に想像できるが、念の為に確認してみる。

「母さんはたまに帰って来るよ」

わたしの予想に沿わない返答だ。「たまに?」とわたしが訊き返すと、一緒に住んでないからと亮太が言った。

「一緒に住んでない、ってどういうこと?」

離婚の次は息子と別居? どれだけ自由人なのかと頭を悩ませるが、亮太はなんともない顔をしていた。

「そのまんま。母さん仕事の友達んとこにいるの。なんか看護学校の時に仲良かった友達と再会したらしくて。だから今おれここでほとんど1人で暮らしてんのよ」

あっ、と亮太が言葉を濁す。正確には2人暮らし、と思い出したように日向くんの方を見て付け加えた。

「じゃあ日向くんの言ってた主夫業ってこのこと?」

そんな感じだと答える日向くんの横で亮太が「しゅふ業」と笑っている。きっと頭の中で“主夫”ではなく“主婦”と漢字変換されて彼の中のツボにはまったのだろう。

「ところでさ、めーちゃんどうしたの? 平日にわざわざ訊ねてきたってことは、単に遊びに来たって感じじゃないよね?」

どう答えようかずっと考えていた質問がついにきた。継母と喧嘩して家を飛び出してきた、だなんて弟を困らせるようなことは言えない。

「ちょっとしばらくこの家に置いて欲しいんですけど」

理由は言わず率直に要件を述べると、「家出?」と亮太が訊き返してきたから、「そんな感じです」と素直に頷いた。

「めーちゃんがそんなことするなんて意外かも」

亮太から驚嘆の声が漏れる。わたし本人も自分の行動に驚いているからなにも言えない。

「今からどうしよう」

どうしよう。母を頼って来たのに、母は不在、他人の男の子と2人で暮らしている亮太の邪魔するわけにもいかない。かと言って、冷静になった今でもあの家には戻りたいとは微塵も思わない。

「ここにいれば良いじゃん」

なんともない顔でさらりと亮太が言った。

「だってここはめーちゃんの家でもあるんだし」
「でも……」

ちらりと日向くんの方を見ると、「おれには権利がありませんよ」と少し困った顔をして笑った。

「そうだよ。いなよ。母さんもしょっちゅう帰ってくるわけでもないし、家出したなら逆に気が楽でしょ? むしろ連絡した方が良い?」

ううん、と首を振る。いないならいない方が助かる。母を頼ってここまで来たが、実際に母を目の前にしたら叱られて実家に戻されるのが目に見えているからだ。

「だけど、本当に良いの?」
「良いに決まってんじゃん」
「ありがとう」

亮太と一緒にいれるんだ。そう思うと肩の荷が下り、ようやくほっとできた。
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