神様の首肯

屋根裏の書架

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神様の首肯

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「あーーー、彼女がほしいぜえ」
やや高いだみ声でヤマオがつぶやく。待ち合わせは貴田きでん神社の鳥居前。鳥居の前に三段ある石段の二段目に、よっこらしょ、と腰掛けたヤマオは、座れよというように自分の横の石段をぽんぽんと叩いた。石の隙間をふさぐように生えたたんぽぽの緑の葉と黄色い花、それから、開花のピークを過ぎて鳥が枝にとまるだけでもふわふわと散ってくる桜の花びら。寂れた石段はいつもよりもずっと華やかに飾り立てられていた。
「久しぶりに会ったと思ったら話題それかよ」
石段に腰掛けながら俺が言うと、ヤマオは少しむっとした顔をしてこちらを見る。
「悪いかよ。お前は実家出るからいいけどよ、俺なんか就職したって母ちゃんかパートのおばちゃんしかいねーんだぞ」
ヤマオはこの春高校を卒業して、家業の肉屋『山尾精肉店』に就職する。しばらく見習いとして働き、ゆくゆくは家業を継ぐのだという。精肉店には幼いころから何度も買い物に行っているが、たしかに年頃の女性との出会いは少なそうである。
「未来ある若者がそんなに悲嘆にくれるなって。素敵なお客様が来るかもしれないだろ」
しょぼくれたヤマオの顔を覗き込む様にして俺が言うと、ヤマオはニカっと笑って、
「そうだよな、いいこと言うじゃねえか。さすが、タテヤスだぜ。そういやこの間、明るい未来に向かって羽ばたけ、とかそんなこと校長が言ってたな。オレも素敵なお客様の来る未来に向かって羽ばたいてやるってもんよ。お前んとこも、卒業式は終わったのか?県外の大学行くからもうすぐ引越しだとは、母ちゃん経由で聞いたけど」
「ああ、終わったよ。荷物は大体まとまって、来週引っ越す」
「おお、そうか。たまには遊びに来いよ。あと、いい子がいたら紹介してくれよ」
「はいはい」

 呼び出した理由を聞こうと口を開きかけたところで、何かを思い出した顔でヤマオが話し始めた。
「そういえばよ、ここの神様はすげー子供が好きで、気に入った子供の願い事なら何でも叶えてくれるんだぜ」
ヤマオは鳥居の方を振り返り言った。
「ああ、それな」
ヤマオが鳥居の方に目をやるのにつられて、俺も視線を後ろに向ける。ところどころ朱色のはげた鳥居の向こうには、手水舎と小学生の時によくヤマオたちと遊んだ広い空間、その先には砂利の庭と社殿。そして、石段に生えているのよりももっとたくさんの、たんぽぽ。土の露出した地面だけでなく、砂利の隙間、神社を囲む低い柵の周り、石燈籠の根元、そこかしこにたんぽぽが咲いていているので、ここはたんぽぽ神社とも呼ばれていた。
「気に入った子供の願いであれば、世界だって変えてくれるんだと。ただし、叶えてくれるのは一回だけらしい。でも、世界変えられるんなら、彼女と出会わせてくれるぐらい、わけないと思わないか?」
ヤマオが鳥居に聞かせるように言う。
「まあ、確かにな」
ここに咲いているたんぽぽの数は、神様が子供の願い事を叶えた数なのだという、言い伝えがある。そのために、敷地内のたんぽぽは摘んではいけないと神社の入り口の看板にも書いてあるし、神主もここで遊ぶ子供たちによく言い聞かせていた。ただし神主曰く、綿毛になったら摘んでも大丈夫らしく、花のシーズンが終わるとみんなで綿毛を飛ばしまくって遊んでいた。神様が子供の願い事を叶えた数を着々と増やしているからなのか、あるいはたんぽぽという植物の種としての努力の賜物なのか、はたまた子供たちが綿毛を飛ばしまくるせいなのかは判然としないが、久しぶりに来た神社の境内を見回すと、俺たちが子供の時よりも多くのたんぽぽが咲いているように思えた。
「願いを叶えてもらえるのは、神様が気に入った子供だけなのか」
俺が質問するともなくつぶやくと、ヤマオは腕を組み、自信ありげな顔をした。
「小学校の時に『僕の私の町調べ』ってあったじゃん?その時オレ、たんぽぽ神社を調べる班だったんだよな。たしか、神主がそう言ってたぞ」
言われてみれば、そんな調べ学習をした記憶がある。町のあちこちにある史跡や文化財、観光名所などについて、班ごとに調べに行くのだ。自分は確か、小学校近くに古くからある銭湯について調べた。
「じゃあ、どうやったら神様に気に入ってもらえるんだ?」
「それがなあ、実際に会わないといけないらしいんだけどなあ」
ヤマオは腕を組んだまま、唇を少しとがらせて、目をぎゅっとつぶった。ヤマオは昔から、難しいことを考えるときにこのポーズをする。図体が大きくなった今でもヤマオがこのポーズをするのだとわかって、少々微笑ましい気持ちになった。
「神様って会えるものなのか?」
俺が尋ねると、ヤマオは顔を元に戻した。
「なんかこう、子供の姿をして現れるって話だった。だけど、現れた神様が願いを叶えて子供たちの輪からいなくなると、ほとんどの人がそのことを忘れてしまうんだと。叶えてもらった人くらいは、神様のこと覚えてるかもしれねえって、神主は言ってたぞ。だって、願い事したことも忘れちまったら、意味がねえだろ?」
「そうだな」
幼いころにみんなで集まって遊んでいると見知らぬ子が混じっているとか、ずっと仲良く遊んでいたのに大きくなると見えなくなってしまう友達がいるとか。そういう類のものだろうか。よくある伝承の形式だと思った。
「だから、神様がどんな顔だったかとかの記録がほとんど無えらしくて。だとしたらよ、子供の姿で現れるって言ったって、いつも同じ見た目なのかも分からねえし、神様みたいな恰好をしているとか、私は神様ですとか言ってくれねえとこっちも分からねえじゃん?だから神主から話を聞いてからというもの、お願い事ある?って聞いてくれたらそいつがきっと子供のフリした神様のはずだって思ってずっと気を付けてたんだけどよ」
「そんなこと聞いてくる子供はいなかったと」
「そうそう」
そういってヤマオは肩をすくめてから、豪快に、がはは、と笑った。その姿はお肉を買いに行ったときに店先で金額をまけてくれたりメンチやコロッケをおまけしてくれたりするヤマオの親父さんそっくりで、こいつも歳取ったなあと、俺は感慨にふけった。
「でもさ、その子供好きの神様は、『子供』の願いを叶えてくれるんだろ?ヤマオ、お前は子供なのかよ?」
どうみてもオヤジに片足突っ込んでるぞ、という言葉は、どうにか飲み込んだ。
「ええ?オレは、まだ十八だぜ」
「親父さんそっくりの貫禄が漂っているが」
二度飲み込むことは不可能だった。ヤマオは、ええ、そんなこたねえだろ?と、うっすら生えたひげを手で隠し、少し前に突き出たおなかにきゅっと力を入れてへこませて見せた。どうやら、自覚はあるらしい。たくさんの肉を食べて育ってきたことを思わせるその体はいつ見ても、肉屋の倅の肩書がこんなにも似合うやつを他に知らない、と俺に思わせる。ややあって、ああそうだ、とヤマオが膝を打つ。
「あれじゃねえか、成人は二十歳からだったのが、最近十八歳からになったわけだから」
「その理屈だと、十八歳はもう大人じゃないか」
「そうだけどよ、いや、そうじゃなくてよ、最近変更になったわけだから、神様も間違えて十八歳も子供だって思ってくれるかもしれねえじゃねえかよ」
呆れ顔の俺を尻目に、ヤマオはものすごくよいことに気が付いた自分を誇るように、得意気に胸を張っている。ああ、それなら、と、今度は俺が思い付きの持論を展開しようとすると、なんだ、とヤマオが期待の目で応じた。
「十八歳からが成人だと決めたのは人間の都合なわけで、何百年何千年前に生まれた神様から見たら人間なんてみんな子供のようなものかもしれないから、意外といけるかもしれない」
「いいこと言うじゃねえか、さすがタテヤスは頭いいぜ」
そう言ってヤマオはまた、親父さん譲りの笑い声を響かせた。
「まあ、年齢の問題と、気に入ってもらえるかどうかはおいておくとして、とりあえず願いを聞いてもらうには、神様に会わないといけないじゃないか。どうするんだ?」
「それが問題なんだよなあ。だからこうして、さっきからここで願いを言ってるんじゃねえか。彼女がほしい、ってな」
ヤマオはまた腕を組み、唇を少しとがらせて、目をぎゅっとつぶった。
「まあオレなら、会えさえすれば、叶えてもらえるような気がするんだけどよぉ。なあ、タテヤスは神様って信じるか?」
どうやら神様に気に入ってもらえる自信がありあまっているヤマオは、社殿の方を見てそう言った。
神様か。目に見えない。聞こえない。そういう存在の証明はどのようになされるのだろう。そこにいる、あると思えば、存在するのだろうか。それは友情とか感情のように俺たちの周りにあるたくさんの目に見えないものと、どのように区別されるのだろう。
「そうだなあ、いるなら信じたい、かな」
「何だよそれ」
「いや、昔、小学生の時さ、そんなこと言ってたやつがいたなって。今、思い出して」

 たしかその時は、神様がどうとかいう話ではなくて、幽霊がいるかいないかというような、いかにも小学生らしい話題で教室がもちきりだった。いる派いない派でまっぷたつに意見が割れている中で、俺がどちらの派閥にいたかはよく覚えていないのだが、そこで一人のクラスメイトがこう言ったのだ、いるなら信じたい、と。そいつはその年の四月に転校してきたやつだった。席が隣になって、授業参観に家の人が誰も来ていないそいつに両親は?と尋ねたら、僕はお父さんもお母さんもいないよ、と答えてきたことがあった。その後に聞いた、幽霊が『いるなら信じたい』という言葉は、おそらくそいつの亡くなったであろう家族への思いを感じさせて、何というか、痛切な願いのこもった回答だなあと子供ながらに思ったものだった。

「タカダ、って覚えてないか?」
「ヒロシのことか?」
「いや違う、転校生の」
「転校生でタカダなんていたっけか?」
「その、幽霊が、いるなら信じたい、って言ったやつなんだけど。ああ、その時は神様の話じゃなくて、幽霊のことを言っていて」
首をひねるヤマオ。どうやら、思い出せないらしい。
「小五の春に転校してきて、二学期にはもう転校してたやつ。覚えてないか?」
「オレけっこう人の名前と顔だけは忘れないほうなんだけどなあ」
ヤマオは勉強こそイマイチだが、人を覚えることに関してはかなり恵まれた才能があることを、俺は知っていた。小さな頃から店番を手伝っていろんなお客さんの相手をしていたからだろうか。商店街の人たちのことを、俺や友人たちが文具屋のおばちゃん、八百屋のおじちゃんと店の種類で呼び分けるのに対し、ヤマオはいつも名字や名前に『さん』付けで読んでいた。中学校に上がるときには近隣のいくつかの小学校が一つにまとめられるのだが、クラスの三分の二はいる他の小学校出身のクラスメイト達の名前をヤマオは登校初日の自己紹介で全員覚えて、さらにひと月もすると五クラスもあるのに自分の学年のほとんど全ての生徒の顔と名前が一致していた。そんなヤマオが覚えていないというのだから、もしかしたら記憶違いなのかもしれない。
 しかし、九九を言い始めると最後までするすると続いて暗唱できてしまうように、一つ思い出したタカダの思い出は、別の会話の記憶を呼び覚ました。

 タカダが算数のプリントで苦戦していて、俺が休み時間に解き方を教えていた時のことだ。先生が、休み時間まで勉強していてえらいね、と俺たちを褒め、職員室にいるからわからないことがあれば聞いてね、と言って教室を出て行った。優しくて人気のある先生に褒められた俺たちに嫉妬したのか、大して仲良くもないクラスメイトが、タテヤスは阿保なのに勉強好きなんだよな、とか、タテヤスは二重の意味でガリ勉だとか、俺に聞こえるようにわざと大きな声で言っていた。名前が阿部建保で縮めると阿保になることから、阿保とからかわれることがしょっちゅうあり、また、二重の意味でガリ勉も、体形のガリガリと勉強のガリ勉が掛けられた結果生み出された言葉だった。俺としては、こいつうまいこと言うなと思うと同時に、うまいこと言うその頭を勉強に使った方がいいぞ、などと思う程度で、それ程気にもしていなかったのだが、タカダは心配そうな顔でこちらを見ていた。
「僕のせいで、ごめんね」
泣き出しそうなタカダにびっくりして、俺は顔の前でぶんぶんと手を振った。
「ああいうの全然、気にしてないから。だって、ほら、俺算数得意だしアホじゃないし、二重の意味でガリ勉なのも、まあ、事実で面白いし、そのうち二つ名にでもしてやろうかと考えているくらいだから」
おどけて言う俺の言葉を聞いて、タカダは少しだけ相好を崩した。
「タテヤスくん、勉強教えるのうまいもんね」
「え、そ、そう?いや、ま、そんなでもないけど」
照れを隠しつつ突然の褒め言葉にうろたえながら、あーあ、勉強してるやつがめっちゃかっこいいみたいな世界になったらいいのにな、とこぼすと、それを聞いたタカダはまじまじと俺を見てから、ふふふ、といたずらっぽく笑って、そうだねえ、と大きく頷いて、
「タテヤスくん、めっちゃ、かっこいいよ。勉強、教えてくれてありがとう」
と言った。
「い、いいよ別に。そんな大したことしてないし。それよりまだ休み時間残ってるから、ドッジボールまざりに行こうぜ」
なんだか恥ずかしくなって俺が言うと、タカダは心底嬉しそうに、うん、と言って、急いで最後の問題を解き終えた。
 このことがあってからしばらくして学校は夏休みに入り、その間にタカダはまた転校した。転校を聞かされたのは、二学期に入った時で、俺たちは誰もタカダにさよならを言えなかった。

「どうしたんだよ、ぼーっとして」
「いや、ちょっと、いろいろ思い出してて。なあ、やっぱり、タカダってやついたよな?もしかしたら、名前違ったかな」
「さっき、小五の春って言ったよな?小五の時は転校生なんて来なかったと思うんだけどよ、オレとしたことが、忘れちまったかなあ。どんなやつだった?似てる有名人とかいないか?オレ、もうちょっとヒントあれば思い出せるかも」
そう言われて、よくよく顔を思い出そうとすると、かえってどんなだったか分からなくなってきた。笑ってたとか、泣きそうだったとか、そういうことはちゃんと覚えているのに。唸る俺をよそにヤマオは、腕を組み、唇を少しとがらせて、目をぎゅっとつぶる。
「うーん、やっぱ俺の思い違いかなあ」
勉強してるやつがめっちゃかっこいいみたいな世界になったらいいのにな。俺がふざけて言った言葉を聞いて、何か良いことを聞いたかのようにたしかにタカダは笑っていたはずだ。顔ははっきりと思い出せなくても、その出来事はずっと忘れられていたことが嘘のように、そして、思い違いとするには鮮やかすぎるほどに、俺の中に浮かび上がっていた。
 考えてみると、その後勉強について人からからかわれた記憶はないように思えた。むしろ学年を重ねるごとに褒められることが増えたように感じる。そんなことそれほど気にもしていなかったから、気づかなかっただけかもしれないし、年を重ねたからみんなそんなことで人をからかわなくなった、それだけのことかもしれないけれど、でも、もしかしたら。

「もしかしたら、タカダのこと思い出せないのはヤマオが忘れてるせいじゃないかも」
「ええ?じゃ、誰のせいだって言うんだよ」
答えるように、頭上で鳥が鳴いた。見上げると、昼下がりの青い空に、年を経てややくすんだ朱色の鳥居が映える。鳥居に冠されたこの神社の名前が自然と目に入った。貴田神社。タカダ、と読めなくもないか。

 神様は、子供の姿で現れる。ああ、きっと伝承が曖昧なのは、神様が願いを叶えた人以外から自分のことを忘れさせていなくなるからってだけじゃなくて、叶えられる願いは壮大だけどささやかで、願った本人も本気にしてないくらいのことで、だけど神様じゃないと叶えられないようなことかもしれなくて。叶えてもらった子供は叶ったのかどうかなんてすぐには気づかないんだ。大きくなってふと何かを思い出した時に、もしかしてと思って、そうしておぼろげな記憶が子へ孫へと伝えられていくのかもしれない。

「なあ、ヤマオ。神様はたぶん、願い事は何ですか、なんて言わねえぞ」
今まで風なんか吹いていなかったのに、突然、静かな境内を春の暖かな風が吹き渡る。俺の言葉に、その通り、と頷くように、境内中のたんぽぽが揺れた。
「そうかよ。何だよ、知ったような口ききやがって。オレの方がこの神社のこと詳しいんだぞ」
そう言ってちょっとむくれたヤマオだったが、いやお前とケンカしに来たんじゃねえんだよ、とふざけた調子でのけぞった。たんぽぽの揺れる境内に俺たちの笑い声が響く。
「正直、彼女とかはまあ、どっちでもよくてよ。引っ越す前にこれ食って、頑張れよって言いに来たんだよ、オレは」
ヤマオが手に持ったビニール袋を突き出した。受け取るとそれはほんのりと温かく、袋の口から中を覗くと、山尾精肉店お手製のメンチやハムカツ、コロッケが大きな透明のパックにぎっしりと詰められていた。
「え、ありがとう。こんなにたくさん?俺今あんまりお金持ってないけど」
ヤマオは、ポケットの小銭入れを探る俺の肩をばしばしと叩いて、いいってことよ、と笑った。

「次に会うときには彼女出来てるといいな」
俺は境内の方に届くようにやや大きめの声で、はっきりと言ってみた。神様からの返事など、もちろん聞こえない。
「おう、任せろ。たまには店に来てくれよ。多少ごちそうしてやってもいいぜ」
自信たっぷりにヤマオが答えた。
「次はちゃんと払うよ。あ、店に見慣れない子供が来たら親切にしてやれよ」
「ああ?何だよ?オレは誰にでも親切丁寧に、がモットーなんだよ」
そう言ってヤマオは腰に手を当ててふんぞり返った。俺はやれやれと思いながら、こいついいやつなんでぜひお願いを聞いてやってくださいと念じてみた。

 穏やかな風が境内を巡り、ふわり、とたんぽぽの花が揺れた。


(おわり)

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