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1歳 人喰い狼と、大天才?

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 ローザを拾って一年がたった。
 初めは意味の分からない言葉しか話せなかったローザだが、最近は次第に意味のある単語を話せるようになってきた。

「ぱす、ぱす」
「うむ、そうだ。私はパステールだぞ。えらいな、ローザ」

 そう、なんと最近は私の名前まで呼べるようになったのだ。
 パステールという発音は少々難しいようで、まだ「パス」としか言えないがそれでも十分すごい。
 たった一年で言葉を話せるようになるなど、ローザは天才ではなかろうか。

「人間の子供は、大体一年もすれば単語くらいなら話せるようになるわよ」
「つまり、他の子に負けず劣らず成長しているわけだな。
 すごいぞ、ローザ」

 サラは呆れた様子だったが、産まれた時から既に他より劣っていた私から見れば他と同じように成長できているというだけで十分すごい。
 尻尾でローザの頬を撫でると、ローザはきゃっきゃと声を上げて笑った。

「ちゃんと反応もするし、ご飯も食べるし、言葉も話せて四つ足で移動も出来る。
 少し前まで寝返りも打てなかったのにここまで出来るとは、天才なんじゃないのか」
「あんたのそういう前向きなところ、私好きよ」
「……皮肉か?」
「馬鹿ね。本心よ」

 以前サラにいわれたことを思いだして尋ねると、そう返されてしまった。
 相変わらずサラの言葉は難しい。
 だが、本心ということは私の前向きなところを彼女が好いてくれているということだ。それは、素直に嬉しかった。

 思わずぱたぱたと尾を振ると、ローザが手足を同じようにばたつかせて「さら、うまうま」とサラに腕を伸ばした。
 「うまうま」というのは食事の意味だ。それから、食事がおいしい時やうれしい時に使用される。
 どの意味がどんなときに使用されるかは、ローザの気分次第だった。

「はいはい、ごはんね」

 私にはその使い分けがよく分からないが、サラには判断できるようで今回もすぐに食事を用意していた。
 精霊は竜種に次いで長く生きる故にその知識も深いとされる。これも経験と知識の差だろうか。
 魔法で浮かせたスプーンに細かく切った林檎をのせたサラが、それを口元に持っていく。

「うまうま」
「そうね、りんごはおいしいわね」

 大きく口を開けてスプーンをくわえたローザが、にここにとしながら口を動かした。
 両手を先ほどからぱちぱちと打ち鳴らしているので、どうやら気に入ったようだ。
 果物ならなんでも好きなローザだが、真っ赤に熟れたリンゴや木苺、花の蜜を掛けた赤スグリが特にお気に入りのようでそれらを食べると非常に機嫌がよくなる。
 今の時期はリンゴが豊富に採れる時期だから、当分の間ローザはご機嫌でいることだろう。

 用意した果物を食べ終わると、ローザはさっそく室内を探検し始めた。
 少し前に四つ足で歩けるようになってから、ローザはあちこちに行きたがる。
 行動範囲が広がったことで、目に映るもの全てが新鮮に見えるのだろう。
 マギアスに庇護されたばかりの頃、私もよく家の中を探索していたからその気持ちは想像できる。

 それはいいのだが、好奇心が行きすぎて私の食事を食べようとしたり、外に出ようとしたりするのでなかなか目が離せない。
 人間の赤ん坊は生肉を消化できないし、外にはローザにとって危険なものがたくさんあるのだ。
 幼い頃の私を世話していたマギアスやサラも、こんな気持ちだったのだろうか。

「ぱすー」

 幸い、今日のローザは少し室内を這い回った後は一直線に私に近寄ってきた。
 私の腹にほおずりをして、満面の笑みを浮かべている。
 毛皮の感触が心地いいのか、ローザは何かと私の腹を触りたがるのだ。

 好きなように遊ばせていると、小さな手が私の背や腰をぺちぺちと叩いた。
 痛みは全くないが、くすぐったくてならない。

 大人しくさせようと頬を舐めると、ローザは楽しそうに声を上げて床を転げ回った。
 どうやら、これも遊びの一種だと思ってしまったらしい。
 まあ、叩かれることはなくなったからこれも良しとしよう。

 しばらく頬や背中を舐めたり、尻尾でくすぐったりしているうち、ローザがうとうととし始めた。
 散々はしゃいで、疲れたのだろう。
 小さな身体を腹の上に寝かせてやると、すぐに寝息が聞こえてきた。

「朝食を食べた後にも眠ったというのに、よく眠るものだ」

 夜に眠り、朝に眠り、昼に眠り……思えば、食事をしている時と遊んでいるとき以外は常に眠っているような気がする。
 そういうと、近くで様子を眺めていたサラがくすくすと笑って空中で円を描いた。

「子供は寝るのが仕事。それで普通よ。
 あんたも、拾われたばかりの頃はそれくらい眠ってたわ」
「そうだっただろうか……忘れてしまったな」

 そう言うと、サラは「そういうことにしておくわ」とくすくす笑った。
 私が本当はしっかりと覚えていることを、分かっているのだろう。

 毎日お腹いっぱい食べては広い家の中を探索し、マギアスやサラに遊んでもらっては疲れて眠る。
 そんな日々を、あの頃はずっと繰り返していた。
 思えば、私の幸福はあの時から始まったような気がする。
 私の言葉に、サラは「懐かしいわね」と言って上下に揺れた。

「あの頃のあんたは、小さくてかわいかったわ」
「今はどうなんだ?」
「今のあんたを「小さくてかわいい」なんていう奴がいたら、そいつはきっとオークかオーガよ」

 呆れたように身体を上下させて、サラが私の頭の上に乗った。
 サラが乗っている部分が、まるで陽の光が当たっているようにぽかぽかと温かくなる。

「眠るのか?」
「そうね。ローザを見てたら、なんだか眠くなっちゃった。
 振り落とさないでよ。そんなことしたら、おしりの毛をつるつるに焼いてあげるから」
「勘弁してくれ……」

 恐ろしいことを言い残して、サラが口を噤んだ。
 この状態では様子を伺うことは出来ないが、きっと先ほどの言葉通り眠りに就いたのだろう。
 下手に動けばサラやローザを起こしかねない。
 少し考えた後、私も眠ることにした。






 次に目を覚ましたのは、窓から差し込む陽射しが大分傾いてからだった。
 いつものように身体を伸ばそうとしてサラやローザの存在を思い出し、慌ててそれを止める。
 サラは大体、有言実行なのだ。

 そっと視線を下にやると、ローザの安らかな寝顔が目に入った。
 何か食べる夢でも見ているのだろうか。むにゃむにゃと動く小さな口からは、よだれが垂れている。
 おかげで、その下にある私の毛皮はべたべただ。これは、ローザが起きた後に水浴びをする必要があるだろう。

「あら、もうこんな時間?」

 苦笑いしたことで、その振動が伝わってしまったのだろう。
 寝ぼけたサラの声が頭の上から降ってきた。
 視界の上で赤い光がちらりと動く。
 それを追って視線を動かすと、宙を漂うサラの淡い赤色が目に入った。

「ずいぶん寝ちゃったのね。少し気温が下がってきたかしら」
「うむ。もう少し温度が高くてもいいかもしれないな」

 炎の精霊であるサラや厚い毛皮に覆われている私は平気だが、ローザには少し肌寒いかもしれない。
 夏の盛りを過ぎて次第に日が短くなりつつあるこの頃は、昼はよくとも夜になるとぐんと冷え込むのだ。
 サラが魔法を使うと、冷え込んだ空気が少しずつ暖まりはじめた。

 と、その時眠っていたローザがもぞもぞと身体を動かした。
 出来るだけ声を抑えたつもりだったが、うるさかったのかもしれない。
 やがて、薔薇色の目がぱちりと開く。

「起きたか、ローザ」
「あーい」

 すっかりくしゃくしゃになった黒髪を毛繕いすると、ローザが元気よく返事をして笑った。
 先ほどまで眠っていたとは思えないほどの機嫌の良さだ。きっと、寝起きがいいのだろう。
 マギアスは寝起きが悪くて起こすのに一苦労だったから、ここは非常に楽だった。

 まだ身体が小さな頃は「もう少し寝ようよ」と言われて抱き上げられ、そのまま一緒に眠ってはサラにまとめて怒られたものだ。
 そんなことが出来ないほど身体が大きくなってからは、ベッドから起き上がったマギアスに枕にされて一緒に眠り、やはりサラに怒られた。

「時間もちょうどいいし、そろそろご飯にしましょうか」

 そういって、サラが貯蔵庫から赤スグリと数種類の木の実を持ってきた。
 これらを魔法で細かく切ったり、花の蜜を掛けたりしてスプーンに盛ったのがローザの食事だ。
 準備にそう時間が掛かる訳ではないのだが、大好物の赤スグリに待ちきれなくなったのだろう。
 ローザが目をきらきらとさせて手を伸ばした。

「はいはい。今切ってあげるから、もうちょっと待ちなさい。
 今のままだと、まだ酸っぱいわよ」

 赤スグリは酸味のつよい果実だ。
 以前何も掛けていない赤スグリを与えた時には、その酸味に顔をしかめて大声で泣いていた。
 マギアスはそのまま食べたりジュースにして飲んだりとその酸味を楽しんでいたのだが、それはローザには少し早すぎたらしい。

 その後はしばらく出していなかったのだが、赤スグリの美しい赤色に惹かれたのだろう。
 どうしても食べたがるのでサラが花の蜜を掛けて食べさせたところ、好物になったのだ。
 そのまま食べさせてまたローザが大泣きしないよう、サラが魔法で赤スグリをローザから遠ざけた。

 ただ、今日のローザはどうしても赤スグリがほしかったらしい。
 座ったまま、短い腕をいっぱいに伸ばした。
 もちろん、宙に浮かんでいるサラや赤スグリには手が届かない。

 そろそろ泣き出してしまうだろうか。
 気を逸らそうと尻尾を揺らしたとき、不意にローザが立ち上がった。

「ロ、ローザ?」

 時折支えなしで立つことはあったが、こんなにいきなり立ち上がるのは初めてだ。
 その上、一歩、二歩と歩いたのだ!
 結局三歩目を踏み出す前にバランスを崩して座り込んでしまったが、これは間違いなくローザが初めて歩いた瞬間だった。

「ローザ! すごい、すごいぞ! 歩けるようになったのか!」
「なかなか、早いじゃない。しっかりした足取りだったわ」

 座り込んだローザに駆け寄って褒めちぎると、ローザはきょとんとした顔で私とサラを見た後にこにこと微笑んだ。
 自分が褒められていることが分かっているのかもしれない。
 やはりローザは天才だ。
 誰がなんと言おうと、私にとっては大天才だ。

 その日の夕食に添えられた果物は、ローザが初めて歩いたことを記念して赤スグリにリンゴ、ブドウとローザの好きなものばかりだった。
 もちろん、ローザが終始ご機嫌だったことはいうまでもない。
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