遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』の初陣

橋本 直

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第十三章 『特殊な部隊』を抜けられない理由

第37話 逃げ出して、それでも自分で戻ると決めた日

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 朝の出勤時間帯を過ぎた豊川駅のバスターミナルは、真夏の昼前の白い熱で揺れていた。
 
 黒く灼けたアスファルトが蜃気楼の薄膜を立ちのぼらせ、ベンチの金属は触るとやけどしそうに熱い。電光掲示板は定刻を無表情に刻み、売店の冷蔵ケースが規則正しく唸っている。

 誠は一人、休日に一度だけ降り立ったことのあるこの駅で、記憶より少しだけ広く見えるロータリーを前に立ち尽くした。

 汗は襟足にまとわりつき、ワイシャツの背は汗染みで地図のように濃淡を作っている。

『もう二度と来ないだろうな……この駅には。僕は決めた。除隊する。……英雄なんて、まっぴらだ。事実を曲げて、平然としていられるような人たちの中で生きていけるほど僕は無神経じゃない。死体の山に囲まれても平然と笑えるような地球人が尊重する戦士の魂なんて遼州人の僕には絶対持てない。僕が『特殊な部隊』にいる限り何かが起きると死体の山を作って、それに適当な理由を付けて世間を欺いてそれで平然として日常を送るような仕事が続く日々を送るんだ。そんなことが繰り返されることになる……そうしてなった英雄なんて何の意味があるんだ』

 高架駅舎へ続く階段に足を向けたそのとき、背後からバイクの爆音と、場違いなほど甲高いクラクションが連打された。

 ベッドタウンらしく通勤時間帯を過ぎたこのロータリーには歩行者の姿と言えば就学前の幼児を連れた母親やベンチに座って談笑する老婆たちの姿が目に付くくらいで、通勤バスの途切れるこの時間帯には車の音はむしろ珍しい。音の鋭さに、誠は反射的に振り返った。

「西園寺さん……」

 目に飛び込んで来たのはビッグスクーター……ボディはつやのある黒く光っている。ライダーは言わずと知れた、黒髪ボブの女サイボーグ……西園寺かなめ中尉だった。
 
 歩道脇に車体を寄せるや、彼女はひらりと降車し、片手でヘルメットを外した。
 
 強い日差しの中で、眉間を射抜くような眼差しがこちらを射る。その怒りに震えるような鋭い視線に誠は思わず身をすくめた。

「神前!止まれよ!」

 短い号令で空気が変わる。
 
 かなめはためらいなく歩幅を詰め、誠の襟首を掴んだ。生地越しにもわかる力強さ。金属製の腕時計が日光を反射し、目に痛い。

 かなめの殺気を含んだ視線に、誠はおもわず顔をそらした。
 
「おい、返事をしろ!都合が悪くなると人の話は無視か!良い度胸だな!アタシの顔を見ろ、この薄情者!」

 のど元を締め付ける怒りの熱。誠はまず、つかまれた手を外し、歪んだ襟を直してから、真正面からその視線を受け止めた。

「そんな隊にいたときみたいに暴力で脅したって無駄ですよ。僕は……もう決めたんです。こんな出鱈目だらけの部隊なんてまっぴらです。除隊して実家に帰ります。西園寺さん。僕はもう『特殊な部隊』とは関係ない人間なんですよ。『特殊な部隊』のルールはもう僕には通用しませんから」

 誠は真正面から自分を見つめて来るかなめに向けてひねた笑みを薄く乗せる。弱弱しい笑みで自分が使えない新人だとアピールすればかなめも諦めるだろうという誠なりの計算もあった。
 
 かなめはそんな誠を一度殴りかねないほどの怒りの表所を浮かべた後、短く息を吐いた。そして一瞬自分を落ち着かせるためのような笑みを浮かべた後、再び怒りの表情で誠をにらみつけた。

「関係ないだと?ふざけたことを言いやがって。いつアタシがオメエが除隊して良いって許可した?アタシはそんな許可をした覚えはねえぞ!アタシが除隊を許可するまではオメエはアタシの部下なんだ。アタシがそう決めた。だから辞めるなんて認めねえ。『僕は決めた』?そんな権限はオメエにゃねえ!部下は上官に従う。それが軍の常識だ!アタシは軍人だ。オメエも一度は東和宇宙軍に籍のあった人間だ。その理屈が軍ではすべてなんだ!そんなことも東和宇宙軍は教えてねえのか!そんな自分の好き勝手で入ったりやめたりできるような軍隊がこの宇宙には存在するなんて話はアタシは聞いたことがねえぞ!」

 言葉は拳より重い。かなめは再び襟首をつかみ、ずるずるとスクーターの方へ引きずる。
 
「なにを……離してください!僕は帰るんです!」

 抵抗の足を踏ん張るが、サイボーグの腕力は理屈抜きだった。誠の高校野球で鍛えた脚も、地面の砂を空しく掻くだけでかなめの戦闘用サイボーグの怪力の前では無力だった。

「事実を曲げたのが気に入らねえから止める?そんなのは自分の弱さを隠すためのいいわけだろ?一回ひどい目見たくらいで臆病風に吹かれやがって!そのたるんだ根性、叩きなおしてやる。アタシと一緒に本部に来い!」

 シート下のラゲッジを開け、かなめは躊躇なくスペアのヘルメットを誠に投げた。
 
「何度も言わせないでくださいよ!僕はもう西園寺さんとは関係ない人間です!無茶はやめてください!」
 
 誠はヘルメットを押し返そうと、胸倉の手にそれをぐいと押し当てる。

 かなめは手を離し、両手で頭をがしがしとかいた。灼けた息をひとつ吐き、もういちど襟をつかむ。

「オメエの『決めた』なんて意志なんてアタシには関係ねえ。アタシは自由人、そして上官だ。アタシが『来い』と言ったら来る。理屈はその後でいい。オメエは常にアタシの言うことを聞く。それはアタシが決めたことだ。それはこの宇宙じゃ絶対に覆らねえルールなんだ。オメエは良いおつむを持ってるんだろ?アタシの言うことを理解できねえほど言語力が無いわけじゃねえよな!」

 誠の手荷物をひったくり、シート下に乱暴に押し込む。
 
「そんな……無茶苦茶な。言ってる言葉の意味が分かるのは事実ですけど、理屈がまるで通ってないじゃないですか!西園寺さんにとっては僕の意思はどうでもいいんですか!」
 
 何よりも順序と妥当性を重視する誠の理系脳が悲鳴を上げる。それでも、かなめという台風に、正面から理屈で挑むのが最も非効率だと誠はよく知っていた。

 誠は感情に駆られて行動するタイプのかなめには何を言っても無駄だと抵抗をあきらめ、後部座席にまたがった。
 
 いまは彼女の気が済むようにすればいい。落ち着いて話せば、自分の『情けなさ』と『決意』を理解して……きっと、諦める。
 
 そう決めて、誠は細い腰にそっと腕を回した。

「行くぞ」

 短い合図の直後、スクーターは矢のように飛び出した。
 
 黒い車体が陽炎を切り裂き、風が耳鳴りを連れてくる。
 
 誠は唇を結び、黙ってしがみついた。

「神前。無茶な女だと思ってるだろ?済まねえ……こういう性分なんだ、アタシは。……お願いだ、神前。オメエがいなきゃ、アタシは……」

 右手で軽く誠の腕を叩く。振動に混じって、声はすこしだけ震えていた。
 
「オメエがいなきゃ、何かが変わっちまう。アタシの勘だ。勝手なのは分かってる。いま言えるのは、それだけだ」

 バイクが加速するエンジン音に混じってそれまでにないか細いかなめの声がヘルメット越しに誠の耳に響いた。誠は、そのかなめの『勘』が自分の身より部隊の未来を案じていることを、本能的に悟った。

「無茶苦茶ですよ……」
 
 吐き出しながら、自分が反抗できない弱さにため息が混ざる。

「オメエに『話』があるんだ。これもアタシなりのオメエの事を考えての話だ。機械好きのオメエなら、きっと気が変わる……間違いねえ。きっとオメエの気は変わる……アレを見たら変わらねえわけがねえ……アタシをシミュレータの模擬戦で格闘戦限定とはいえ倒した男がアレを見て気が変わらねえはずがねえ」

 スロットルがさらに開き、景色が帯になる。やがて国道を抜け、『菱川重工豊川工場』の正面ゲートを抜けた。見慣れた廃工場のように見える建物の群が迫る。
 
 スクーターは開いたままの実働部隊のゲートをくぐり、格納庫のスロープを駆け上がった。

 ブレーキ。足が地面をとらえ、エンジンを切る。
 
 かなめは誠の腕を掴んだまま、ずるずると引きずり下ろす。
 
 そのまま、鉄の匂いと油の匂いが混ざる大空間……シュツルム・パンツァー・ハンガーへ。

「やっぱ連れ戻したんすね、西園寺さん。さすがっすねえ。神前の馬鹿も駅まで行って多少外の空気を吸えば気が変わるでしょ……まあ、遅かれ早かれ神前の奴は危ない思いをすれば逃げ出すとは俺も思ってたんですが……まあ今日がその日だったということですかね?」

 整備班が一列に並び、軍手を腰に挟んだ島田がにやけ顔で敬礼まがいの手振り、誠を引きずってくる様子を見守っていた。
 
 天井クレーンの鈍い駆動音。鋼鉄の巨人が三機、睡眠中の獣のように固定されている。

「オメエも前に見たろ?オメエの乗る同型のシュツルム・パンツァー05式だ。オメエの好きなメカだ。それも、タイマン勝負に特化した世にも変わった設計思想を持ったこの隊でしか運用していない人型機動兵器……理系の……機械を弄ってきた人間の血が騒がねえか?」

 かなめは先ほどの殺気をさっと引っ込め、営業スマイルのように明るく笑う。
 
「別に……好きとか嫌いとか、もうどうでもいいじゃないですか。僕にはもう、関係ないことですから」

 言いながら、右腕の痺れをぶんぶん振ってほぐす。視線は自然に、オリーブドラブの標準色をまとったカウラの機体へ吸い寄せられていた。
 
 パネルに墨のような影を落とす恐らくECM攻撃用と思われる特製アンテナ。脚部の装甲に走る擦り傷。痕跡は全て、戦うための生まれだと語っている。

「ああ、カウラさんのなら、神前でも『動かせる』んじゃないっすかね。姐御のはシート小さすぎてデカい神前にはそもそもシートに座るのも無理だし、西園寺さんのは……小脳直結デバイスが要るんで、生身じゃただの狭い箱の中の椅子でしかないんで」

 島田が見上げながら言う。
 
「ああ、別にアイツも神前の奴をうちに引き留めるために使うってことなら文句も言わねえだろうよ。カウラは『自分の専用機』って意識が薄いからな。おい、神前……乗ってみるか?実機に。オメエが05式に乗るのはこれが初めてだろ?東和宇宙軍の教習用のシュツルム・パンツァーは89式を教習用にデチューンしたのを使ってるが、アレは飛行に特化した機体で軽武装だから武器の操作系やなんかはまるで別もんだぜ。あんな旧式の飛べるのが売りのただの的じゃねえ本当の戦う機械だ。そいつに乗れるんだ……嬉しいだろ?」

 かなめが唐突にふる。誠の喉が、わずかに鳴った。

「え、いいんですか?クバルカ中佐の許可とか……」

 言いながらも誠の胸は早鐘を打っている。シミュレーターの座り心地は知っている。だが実機は別格だ。誠は自分の心が少し揺らいでいるのを感じていた。
 
 島田はにやにやのまま、かなめに視線で合図を送る。

「叔父貴に許可は取ってある。今逃したら、一生コックピットに触れねえぞ。しかも05式は東和陸軍も採用を諦めた機体だから、基地祭なんかで展示されて簡単に乗れるような機体じゃねえんだ。こんな機会はもう二度と来ねえかもしれねえぞ」

「そうだぞ、巨大ロボは漢のロマンだ」

 かなめと島田の軽口を背に、誠は鉄の巨体を見上げた。
 
 失敗作と揶揄され、量産もされなかった05式……それでも、重装甲のフォルムは理屈抜きに胸を打つ。
 
『これと同じのが来るはずだった……僕の機体……しかもこの電子戦用と誰でも乗れる機体の『甲型』と違って、僕のはこの僕の知らない『力』がある人間が乗ってこそ意味があるという『乙型』……僕専用のなんだ……それが僕を待っているんだ……』

 誠は思った。辞めるのは『見てから』でも遅くない。いつでもできる。なら乗るしかない。
 
 抑えにくい好奇心が、足を自動でエレベータへ導いた。

 足場がぎぃと鳴り、コクピットハッチの高さまで上がる。
 
「すげえだろ?燃えてくるだろ?」
 
 かなめの声が、いつになく素直だ。

「『燃える』って柄じゃないですが……凄いのは確かです。……開きます?コックピット」

 誠の心臓が目の前の重厚な装甲板を見て自然に高鳴ってくる。そんな誠の様子を察したかのように笑顔のかなめは背後に向けて叫んだ。

「島田!」

「了解」

 ピンロックが外れる乾いた金属音。厚い装甲が重たげにスライドし、わずかな油と金属の匂いを伴って暗がりが口を開ける。

「メカですね……当たり前のことですけど」

 誠は体を横にして狭い開口から滑り込み、肩をすぼめながら座席へ腰を落とす。
 
 全周囲モニタは今は黒。パネルの縁取りは緑の独特な艶が静かに起動の時を待っている。スロットルとレバーの配置は最初にかなめとの模擬戦をした時に乗ったシミュレータ準拠している……だが、実機特有の『密度』が違う。明らかに『実戦』を前提とした特有の雰囲気が誠を包み込む。

 実機の持つ圧倒的な迫力に誠は息を飲んだ。そして同時にこの『現場の手ざわり』だけで、誠の中でさっきまでの決心が少しずつ形を崩していくのを、自分でも苦笑した。

「うちのシミュレータは05式を完全再現してる。そんなの当たり前だろ?ああ、オメエのは『乙型』のコックピットでそのカウラの『甲型電子戦用』には電子戦を行うECM発生装置のスイッチ類や高感度レーダー、あと指揮官用の指向性赤外線通信機なんかがあるから微妙に違うかもな」
 
 かなめの声が上から降ってくる。

「こいつは『05式特戦甲型・電子戦仕様』。小隊長機だ、通信系が盛り盛り。指向性ECMのおかげで、マニュアル要素の薄いシュツルム・パンツァーや飛行戦車は一撃でお釈迦になるという代物だ。東和宇宙軍以外でそれだけ強力な指向性ECM発信装置を積んでるのはこのカウラの機体だけだ」

 パネルをなでる指先に、誠の視線が吸いつく。
 
 シミュレータで見たことのない追加モジュール。波形の粗い表示。隣接するレバーの戻りバネの硬さ。

「東和の『お家芸』、電子戦ですか。これ、同盟司法局の持ち物ですよね?東和宇宙軍、よく配備許しましたね……あの技術って東和宇宙軍の独占技術でしょ?なんでうちなんかにそんな技術の提供をしてくれたんですか?」

 東和宇宙軍と言えば紛争の拡大が東和共和国にまで及ぶ可能性があるとみるといち早く飛行禁止宙域を設定して電子戦専用機を飛ばして参戦国に警告を与え、それを無視するような行動をとれば問答無用で指向性ECMによりその機体のすべての機能を停止させる電子戦を行うことで知られていた。そんな任務は落ちこぼれのパイロットである誠には無関係の事と諦めていた機能を搭載した機体に、今誠は乗っている。

「うちは軍事警察機構。警察任務に必要なら、東和に断る理由はない。東和の国是は『中立不可侵』。理想のためなら、悪魔にも技術を売るってわけだ」

 かなめは笑い、指でコクピットのフレームを軽く叩いた。
 
「どうだ、気に入ったか?これの『法術師専用型』形式名称『乙型』が……オメエの機体になる」

「それは……」

 背後から気配がした。振り返ると、嵯峨とランが立っていた。
 
 いつものだらしない隊長服。だが目だけは笑っていない。ランは夏服のスカートの裾を少し指で押さえ、視線を落としている。

「別に出ていってもいいさ。それも人生。お前さんの乗るはずだった機体には、俺が乗る。……俺も一応『法術師』だ。『素質』はお前ほどじゃない……いや、『最弱の法術師』って言った方がいい程度の力しかないがね……『乙型』の能力は俺が考えていたのとは違った使い方をする事になるが……もしお前さんがここを出ていくのなら関係のない話だしな」

 嵯峨はさりげなく機体の脚へ歩き、装甲板の継ぎ目に手を置く。
 
「それじゃ困るんじゃないですか。『廃帝ハド』とかいう厄介を止めるのに」

 誠が返すと、嵯峨はちらりとだけこちらを見て、再び鋼鉄を撫でた。
 
「うちの戦術パターンは減るね。それに俺は『力』の制御が苦手だからもし出動があって『乙型』の性能を生かそうとしたら敵さんの被害がかなりとんでもないことになるんだけど、仕方ない。他に適任もすぐは来ない。……それに、『ハド』やろうとしていることが本当に悪いことだってお前さんには言い切れるのか?」

 嵯峨は問い詰めるようにそう言った。

「『力ある者の支配する世界』ってやつ、ですよね。でもそれは『力のない人は死ぬ』ってことじゃないですか。悪いことに決まってるじゃないですか。それは間違いなく厄災です。厄災を止めるための戦力を減らす……」

「厄災が起きるかは別として、実力者が上に立つのは自然でもあると俺は思うよ。実際世の中はそうして動いてるじゃん。奴は『力があるのに虐げられてきた遼州人』に、たぶん希望をくれる。……結果、力のない地球人がどうなるかは『天下を取ってから』決まる。……それ自体が厄災だと言われれば、そうかもしれないがね」

 嵯峨の言葉を隣で聞いていたランはその言葉に嫌な顔を一つした後肩をすくめる。誠は唇を噛み、うなずくしかない。
 
「俺は思うんだよ……『力』はね、『責任』なんだよ。それを理解していない時点で『廃帝ハド』は排除されなければならない存在だと俺は思ってる」

「責任?」

 咄嗟に鸚鵡返しになる。
 
 ランが横目で嵯峨を見る。

「隊長の言うことは正しい。アタシには『力』があるが、使い方を間違えてたのを、隊長が正した。その恩は、一生かかっても返せねえ」

 そのかわいらしい言葉にはいつもには感じられない決意のようなものが籠っていた。

「『力』を生かすなら、正しく使う責任を負う。なんか俺の言葉が曖昧みたいで分かって無いような顔してるから分かりやすく言うけど……神前、お前、免許持ってるだろ?」

「ええ、まあ」

 そこでなんで運転免許証の話が出て来るのか理解できずに誠は嵯峨にそう言った。

「免許を持てば道交法に従う。事故を起こせば罪を問われる。……それが力と責任の関係。俺たち遼州人の『力』も同じだ。力は権利じゃない。乱用する奴は罰せられるべき。……俺は前の戦争じゃあいろんなことをやらされたが、最後にやったのは『憲兵』って言う仕事だった」

「憲兵?」

 誠の目に、短く驚きが走る。
 
 東和の軍には憲兵と言う専門の部局はない。ただ甲武の憲兵が前の戦争で行った『悪行』は、世間に疎い誠でも知っている事だった。

「憲兵の任務の一つには指示された地域の治安維持と言う仕事がある。そこにいる武装なき庶民を、武力で支配する。背後に正義がなければ、ただの『暴力機械』だ。いや、正義なんてものがあっても武力に勝る訓練された憲兵隊が貧弱な武装の民間のゲリラ相手の掃討戦なんてことになればまさに憲兵隊は『暴力機械』そのものだ。だから俺はそのことを骨身に染みて知ってる。力には責任が伴う。……憲兵の話が聞きたいって顔だな、その顔は。やめとけ。行使する側にとっても、される側にとっても、地獄だ……アレは地獄でしかないんだ……本物の地獄を俺はあそこで作った……それ以上は言わせないでくれよ」

 嵯峨の瞳は、いつもの腑抜け顔からは想像できないほどに鋭かった。誠は、隊長の『駄目人間』としての顔の奥に、初めて触れてはいけない何かを見た気がした。
 
 誠は息を飲む。

「……じゃあ、僕が残れば」

 嵯峨の言う『力は責任』だという言葉に突き動かされた誠はそんなことを口にしていた。

「そりゃあ歓迎するさ。お前さんは『最後の希望』かもな。うちの『特殊な部隊』って汚名、返上できるかもしれない」

 何かが弾ける。胸の中心で小さなガラスが割れる音がした。

「僕は……残ります!ここに、……『特殊な部隊』に!」

 宣言した瞬間、格納庫の空気がわずかに緩む。島田が『よっしゃ』と小さくガッツポーズをした。
 
 だが嵯峨は、困ったように片眉を上げた。

「本当にいいのか。面倒は山ほど押し付けられる。場合によっては『人殺し』をするかもしれないよ」

 嵯峨は乱暴に分けられた髪をかき上げながらそう言った。

「人殺し……?僕が?」

 喉がからん、と鳴る。
 
 先日の拉致。冷たくなった肉体。血の色。匂い。
 
 『兵器』を動かすとは、つまり……。

「そうだ。兵器は人を殺すための道具だ。こいつを動かすってことは、最悪、人が死ぬ。それでもいいのか。覚悟はあるのか?そこだけはしっかり心に決めてからここに残ってくれ。その気持ちが揺らいでいるようじゃあそれを使う俺の指揮官としての良心が許さない……俺は覚悟の無い兵士は兵士として使いたくない。だから徴兵された兵士が俺の隊に来た時は配属された時点でそいつの太ももに『粟田口国綱』を突き立てて『負傷兵で役に立たない』ということで追い返した。そいつの顔には覚悟が無かった。覚悟の無い兵士には戦場より野戦病院のベッドがお似合いだ」

 嵯峨の声に、いつもの『駄目人間』の影はない。大人の男の声だった。
 
 誠は目を閉じ、短く息を吸う。

『本当にこれでいいのか?ついさっきまで『英雄なんてまっぴらだ』と思っていたのに。……人を殺す覚悟があるのか?……でも、僕が戦わなかったら、誰かが代わりに戦う。誰かが撃ち、倒れ、失われる。僕が逃げたせいで、誰かが『人殺し』を背負う。……それを一生、見ないふりで生きる?そんなのは、もっと御免だ』

 誠は一度覚悟を決めるために閉じた目を開いた。
 
「それで……平和が守れるなら。『廃帝』の『厄災』を防げるなら」

 言葉に、震えは乗っていなかった。
 
 自分には『力』がある。嵯峨も、かなめも、ランも口を揃えて言う。ならば、その力を正しく使う責任を負うべき人間は、他ならぬ自分だ。

「いいんだな?後悔しても知らないよ。乗りかかった舟の先には嵐が待ってる。命の保証はできないよ」

 嵯峨の念押しに、誠ははっきりとうなずいた。
 
「僕にしかできないなら……僕がやる。隊長の目に狂いはなかったって、後でうならせてみせます!」

 背後でかなめが、ほっと息を吐いた気配がした。
 
 ランは短く『了解』とだけ言い、踵を返す。
 
 誠は最後に、コクピットのフレームにそっと指を当てた。
 
 冷たい金属は、思っていたより滑らかだった。
 
 ここから先は、責任の温度で熱くなる。

『……僕は、戻ってきた。そして僕の意志でここに残ることにした。これは僕が決めたことなんだ……』

 ハッチが重い音を立てて閉まる。
 
 外の光が細くなり、やがて一筋に収束する。
 
 呼吸の音と、遠い格納庫の風の唸りだけが、静かに響いた。

 こうして、誠は『翻意』した。
 
 逃げる代わりに、立つことを選んだ。
 
 英雄の道を選んだのではない。……責任の道を、選んだのだ。

 外で、かなめの笑い声が一瞬だけはしゃいで、すぐに咳払いに化けた。
 
 嵯峨の足音は、どこか満足げに遠のいていく。
 
 ランのヒールの規則正しい音が、ハンガーの床で拍を刻む。

 誠は、息をひとつ、深く吸い込んだ。
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