遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』の初陣

橋本 直

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第三十章 『特殊な部隊』における様々な決意

第78話 英雄の帰還、階級は曹長

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 見慣れた菱川重工豊川工場。
 
 まだ朝の冷気が残る連絡道路を、この工場としては珍しい大型掘削機の鉱山用ドリルを積んだ大型トレーラーが、轟音を立てながら走っていく。油と鉄と土の匂いが混ざり合い、コンクリートの壁に反響するエンジン音が胸の奥まで震わせた。

 誠はその後ろにくっ付いてスクーターで走る。

 安物の小排気量エンジンが、トレーラーの咆哮に負けじと悲鳴を上げる。ヘルメット越しに風が頬を叩き、久しぶりの『通勤路』に戻ってきたのだという実感が少しずつ湧いてくる。

 昨日までは東和帰還後の休暇だった。
 
 誠にとっては初めての一週間の長期休暇が終わって、いつものように司法局実働部隊の通用口にスクーターを滑り込ませると、そこでは警備の担当の技術部員が直立不動の姿勢でパーラの説教を受けていた。
 
 通用口脇の詰所には、紙コップやトランプが散乱している。どう見ても『真面目に警備』というよりは『バレたサボり現場』の後片付け中だった。

 この『特殊な部隊』の警備任務中である。
 
 きっと花札でもしてサボっていたのだろうと想像しながら誠はそのゲートを通り抜けようとした。

「おはようございます!」

 誠の挨拶に、パーラが待ち焦がれたような笑顔で振り向く。
 
 休暇明けらしく表情はどこか柔らかい。だが、その奥にほんの少し言いにくそうな影が見えた気がした。

 サボっていたらしい警備担当者は、ようやくこの部隊ではレアな真面目で責任感のある隊員であるパーラから解放されて一息ついていた。
 
 『助かった』とでも言いたげに、誠と目が合うとそそくさと詰所の中へ消えていく。

「昇進ですか?おめでとうございます!」

 大尉の階級章をつけた司法局実働部隊の制服姿のパーラに、誠が心からの喜びの声を掛けた。肩の赤い線が朝日にきらりと光る。

「……ああ。そんなところだけど……いえ、何でもないわ!」

 誠に出会った時の笑顔はすぐに消え、パーラはあいまいな返事をした後、唐突に話題を誠の誕生日の話に移した。

「そう言えば神前君はこの前、誕生日になったんだわよね。いくつになったの?」

「ええ、7日で24になりました……でもなんでそんな話に?」

 普段ならこんな事をする人じゃない。
 
 パーラはこの部隊の隊員の中では、数少ない気遣いのできる女性である。その彼女が、目を泳がせるように別の話題を探している。

「いえ、いいのよ。ちょっと気になっただけ。誰かからプレゼントをもらった?」

 ここでパーラは、いつもの気遣いのできるパーラの顔に戻った。
 
 だがその眼差しには、どこか『先に謝っておきたい人』のような、奇妙な申し訳なさがにじんでいる。

「ええ、カウラさんがパチンコで買ったからと言って目覚まし時計をくれました。僕は眠りが深いんで、その点では気を使っていただいて助かります」

「それは良かったわね。でもごめんね、私はちょっと一人で旅行に行ってたから。じゃあお仕事頑張ってね!組織の不条理なんかに負けちゃ駄目よ!」

 最後の一言だけ、妙に力がこもっていた。
 
 誠はパーラの態度を不自然に思いながら、無言の彼女に頭を下げてそのまま開いたゲートをくぐった。

 『特殊な部隊』らしく、暇ができると小遣いを稼ぐために全員で栽培しているグラウンドの脇に広がるトウモロコシ畑は、もう既に取入れを終えていた。
 
 茶色く乾いた茎だけが、風に揺れてカサカサと寂しげな音を立てている。

 売り上げの大半をピンハネしている島田が、部下を動員して休みの間に収穫を終えたのだろうと一瞬思う。
 
 しかし次の瞬間、誠は『いや、今回は島田先輩もさすがにそんな余裕はなかったはずだ』と、整備班の徹夜残業を思い出して考え直した。

 誠はその間を抜け、本部に向かって走った。
 スクーターのエンジンを切ると、工場敷地独特の静けさ——遠くのクレーンの作業音と、風に揺れる鉄骨の軋みだけが耳に残る。

 そして駐輪場に並んだ安物のスクーター群の中に自分のを止めた。
 
 なぜかつなぎ姿の島田が眼の下にクマを作りながら歩いてくる。油じみた作業服には、徹夜で格闘した飛行戦車の番号が白チョークで走り書きされていた。

「おはようさん! 徹夜も三日目になると逆に気持ちいいのな」

 そう言うと島田は、誠のスクーターをじろじろと覗き込んだ。
 
 こちらの安物マシンまで整備対象にされそうな勢いだ。

「大変ですね」

「誰のせいだと思ってるんだ?上腕部、腰部のアクチュエーター潰しやがって。もう少しスマートな操縦できんのか?だからパイロットは嫌いなんだ。西園寺さんの機体なんてひでえもんだ……命がけなのはわかっちゃいるがなんとかならねえのかって、俺が言ってたのを伝えといてくれ」

 島田のぼやきは止まらない。
 
 その背後のハンガーの扉は半開きで、奥にはまだ分解されたままの05式のキャタピラや装甲板が積み上がっている。

「その点、偉大なるクバルカ中佐の機体……あれだけ暴れたのにビス一本緩んじゃいねえ。それでこそ『エース』ってもんだ。オメエにもそこまでなれとは言わねえが、まあなんとか俺達が仕事をした甲斐のあるような機体の使い方を覚えてくれよ」

 どうやらトウモロコシの取り入れをしたのは誠の予想通り島田達では無いらしい。
 
 島田達整備班が珍しく真面目に仕事をしていたところから考えて、今回の収穫の主役がアメリア達運航部の女性陣で、どうせアメリアがその売り上げをピンハネするのだろうと誠は察した。

 疲れた表情に無理して笑顔を浮かべながら、島田がわざとらしく階級章をなで始める。

「それって准尉の階級章じゃないですか?ご出世おめでとうございます!」

 以前までの曹長のラインの入っていない階級章に替わり、そこには赤いラインの入った准尉の階級章が輝いていた。
 
 徹夜明けの顔に似合わない、その『ささやかな栄光』が誠の目にまぶしく映る。

「まあな。その点オメエは……いや、これは聞かなかったことにしてくれ。それより早く詰め所に行かんでいいのか?西園寺さんにどやされるぞ……『新米の分際で長期休暇の後に遅刻しやがって!』とか言って」

 恐ろしい、すべてを銃で解決するかなめの名前を聞いて、島田に敬礼をした後、誠はあわただしく走り始めた。

「おはようございます!」

 気分が乗ってきた誠は、技術部員がハンガーの前で島田と同じように疲れた表情を浮かべながら徹夜明けの気分転換にキャッチボールをしているのに声をかけた。
 
 鉄骨の柱の間で交わされるボールは、どこかぎこちない。

 技術部員たちは誠の顔を見ると一斉に目を反らした。

 何か変だ。
 
 誠がそう気づいたのは、誠から目を逸らした彼等が誠を見るなり同情するような顔で、お互いささやきあっているからだった。

『……なんだ?僕、そんなに可哀想な顔してるか?』

 長期休暇の間、部屋に籠って買い込んだ戦車のプラモを作ることに熱中して十分に英気を養っていた誠は、元気よく一気に格納庫の扉を潜り抜け、事務所に向かう階段を駆け上がり管理部の前に出た。
 
 手すりの冷たい感触と、階段の踊り場から見えるハンガーの景色が、少しだけ現実感を取り戻させる。

 そこでは予想していた今回の事件『近藤事件』の間、部隊で留守番をしていたカウラのファンの『ヒンヌー教徒』菰田邦弘の怒鳴り声を聞く代わりに、かなめとアメリアが雑談をしているのが見えた。

 ガラス窓越しに見えるアメリアの勤務服が中佐のそれであり、かなめが大尉の階級章をつけているのがすぐに分かった。
 
 二人とも、休暇前より一段と『偉そうに』見えるのは、階級章のせいだろうか、それとも誠の心が弱っているだけだろうか。

「おはようございます!」

 元気に明るく。
 
 そう心がけて、誠は二人に挨拶する。

「よう、神前って……その顔はまだ見てないのか、アレを」

「駄目よ、かなめちゃん!その話は禁句だって隊長から言われてるでしょ!」

 そう言うとアメリアはかなめに耳打ちする。
 
 その横顔の糸目が、いつもよりわずかに引きつっていた。

「西園寺さんは大尉ですか。おめでとうございます!」

「まあな。アタシの場合は降格が取り消しになっただけだけどな」

 不機嫌にそう言うと、かなめはタバコを取り出して、喫煙所のほうに向かった。
 
 背中越しに、何か言いかけて飲み込んだような気配だけを残して。

「そうだ、誠ちゃん。隊長が用があるから隊長室まで来いって」

 アメリアもいつもと違う少しギクシャクした調子でそう言うと、足早にその場を去った。
 
 『自分からは言わないけど、巻き込まれたくもない』という、実にアメリアらしい逃げ足だった。

 周りを見回すと、ガラス張りの管理部の経理班の班長席でニヤニヤ笑っている嫌味な顔をした菰田主計曹長と目が合った。
 
 これ見よがしに、掲示板のほうへ顎をしゃくってくる。

 何も分からないまま誠は、誰も居ない廊下を更衣室へと向かった。

 実働部隊詰め所の先に人垣があるが、誠は無視して通り過ぎようとした。

 掲示板の前には、さっきまでたむろしていたらしい気配だけが残っている。

「あ!神前君だ!」

 肉球グローブをつけたサラが手を振っているが、すぐに島田の部下の技術部員たちに引きずられて詰め所の中に消えた。
 
 『今はまだ見せるな』という、誰かの配慮なのか、ただの野次馬根性なのかは分からない。

 他の隊員達は、それぞれささやき合いながら誠の方を見ていた。
 
 その視線は、『英雄を見る目』と『哀れな人を見る目』の、ちょうど中間あたりにあった。

 気になるところだが、誠は隊長に呼ばれているとあって焦りながらロッカールームに駆け込んだ。

 誰も居ないロッカールーム。
 
 金属ロッカーの並ぶ狭い空間に、洗い立ての制服の匂いと、ほんの少し汗と洗剤が混じった懐かしい匂いがこもっている。

 いつものように、まだ階級章のついていない尉官と下士官で共通の勤務服に袖を通した。
 
 まだ辞令を受け取っていないので、誠の制服には階級章が無かった。

「今回の件で出世した人多いなあ。それだけのことを僕達はやったんだ。凄い話だ」

 誠が独り言を言いながらネクタイを締めて廊下に出た。
 
 鏡に映った自分の顔は、思ったよりも疲れていて、そして思ったほど『英雄らしく』はなかった。

 先程の掲示板の前の人だかりは消え、静かな雰囲気の中、誠は隊長室をノックした。

「開いてるぞ」

 間抜けな嵯峨の声が響いたのを聞くと、誠はそのまま隊長室に入った。

「おう、すまんな。何処でもいいから座れや」

 机の上の片づけをしている嵯峨が居た。
 
 書類の山、飲みかけの缶コーヒー、灰皿、よく分からない土産物の置物が、机の上で小さな戦場を作っている。

 ソファーの上に置かれた寝袋をどけると、誠はそのまま座った。
 
 座面に薄く積もった埃がスラックスについて、思わずそっと払い落とす。

「やっぱ整理整頓は重要だねえ。俺はまるっきり駄目でさ、ときどき娘が来てやってくれるんだけど、それでもまあいつの間にかこんなに散らかっちまって」

 愚痴りながら嵯峨は書類を束ねて紐でまとめていた。
 
 その指先の手際の良さだけが、彼が本来は『できる男』であることをかろうじて証明している。

「そう言えば今度、同盟機構で法術捜査という組織が設立されるらしいですね」

 多少は組織の常識が分かってきた誠は、何気なく嵯峨にそう言って見せた。
 
 新聞の片隅に載っていた小さな記事を思い出しながら。

「ああ、俺の娘も俺と同じ『法術師』ってことは東和共和国のえらいさんにも同盟機構の関係者にもバレてたから首席捜査官にしようって話があんだ。ここだけの話だが、娘から相談受けててね。本人は結構乗り気みたいだからできるだろうが……」

 嵯峨は、ペン立ての中から一本だけちゃんとインクの出るボールペンを探し当て、くるくると指の間で回した。

「まあこれまでは『法術』って力はみんなで寄ってたかって『無かった』ことになっていた力だ。そうそう簡単に軌道に乗るとは思えないがな。まあ父親としてはフリーの弁護士時代は喧嘩ばかりで良い評判の無い警視庁のキャリア警察官僚よりは日陰者ではないおてんとうさまの下のお仕事につくんだ。歓迎してやらなきゃね」

 目の前のどう見ても若すぎる『不老不死の駄目人間』、司法局実働部隊隊長嵯峨惟基には娘がいる話は聞いていた。
 
 書類棚の隅には、さりげなく娘らしき人物と写った古い写真が立てかけてある。埃をかぶっているあたりが、彼の性格をよく表している。

 『近藤事件』と名づけられた甲武国のクーデター未遂事件に対する司法局実働部隊の急襲作戦により、法術と言うこれまで存在しない事にされてきた力が表ざたにされた。
 
 遼州同盟は加盟国国民や地球などの他勢力の不安感払拭のために、司法局直下に法術関連の事件のみを担当する『法術特捜』の設置を発表した。

 まるで用意していたような迅速な法術犯罪専門の特殊司法機関機動部隊の発足を決めたニュースは、すぐに話題となった。
 
 そしてその首席捜査官に嵯峨茜と言う、どう見ても『駄目人間』の身内の名前が挙がっていることは、誠も知っていた。

「それにしてもよくここまで汚しますねえ……僕、奇麗好きなんで。こういう部屋は嫌いです」

 誠がそう言いたくなったのは、ソファーの上の埃が手にまとわりつくのが分かったからだ。
 
 床にはもうしばらく掃いていないらしい砂埃と、クエ鍋のパックらしきゴミまで転がっている。

「そんなに軽蔑するような目で見るなよ。人には誰にも誰かに軽蔑されるような一面があるもんだ。俺はそれが片付けが出来ないという面だっただけ。ああ、そう言えばすっかり辞令の事忘れてたな。今渡すよ」

 そう言うと嵯峨は、埃にまみれた一枚の書類を取り出した。
 
 クリアファイルに入ってはいるが、その中身は明らかに放置されていた時間の長さを物語っている。

 誠は立ち上がって、じっと辞令の内容が読み上げられるのを待った。

「神前誠曹長は司法局実働部隊での勤務を命ず」

 嵯峨はそう言った。

『曹長?』

 誠は聞きなれないその言葉に、体の力が抜けていくのを感じた。

「あの、もう一度いいですか?」

 誠は確かめるために嵯峨に頼む。

「ああ何度でも言うよ。神前誠曹長」

 『曹長』と聞こえる。

「あのそうちょうですか?」

 誠は自分でも間抜けなのは承知でそう言った。

「まあそれ以外の読み方は俺も知らないが」

 そう言うと嵯峨はにんまりと笑う。
 
 その笑顔が、今だけは妙に腹立たしい。

「廊下に今回の事件での昇進者とお前さんの配属のお知らせが張り出してあったろ?掲示板見ていなかったのか?」

 そこで通用門から続いていた微妙な視線の意味が分かった。
 
 誠の視界がぼやけていくのを感じた。

「確かにお前さんはパイロットの幹部候補で少尉待遇でうちに入った訳だけど、一応適性とか配属部隊で見るわけよ。それを勘案しての話だ。まあ、お前さんには似合うんじゃないの?鬼の下士官殿」

 ガタガタとドアのあたりで音がするのも、誠には聞こえない。
 
 聞こえないと思い込みたかった。廊下の向こうで、誰かがこっそり聞き耳を立てている気配すらする。

「なんで僕だけ曹長なんですか!他の幹部候補で入った人達はみんな1か月以内に少尉に任官してますよ!なんで一番功績を上げた僕がそんな目に遭わなきゃならないんですか!」

 誠は嵯峨の非情な一言に思わずそう叫んでいた。
 
 ひどすぎる、あまりにひどすぎる仕打ちに、誠はこの部隊に無理やり入隊させた嵯峨の手口を思い出して、ここで大暴れしてやろうと言う気持ちにもなっていた。

「でもまあ曹長は便利だぞ。まず今住んでる下士官寮の激安な家賃。さらに朝食、夕食付きで五千円。士官になるとそこ出てここらあたりワンルームでも4万はする住処を探さにゃならんからな。お前さんが少尉に任官すると新たな住まいが決まるまでは置いてやるがそれ以降は出て行ってもらうことになる。寮長の島田が寂しがるだろ?そんな先輩の想いも察してやれよ」

 そう言われると誠も迷わないでもないが、階級がすべての軍での降格の意味は、この数週間で身にしみてわかっていた。
 
 『家賃』と『誇り』を天秤にかけさせるあたりが、いかにも嵯峨らしいやり口だ。

「でも寮にも何人か将校の男子もいますよ?技術士官の将校の人達。しっかり、寮の中庭にあるプレハブで好き勝手やってるじゃないですか!なんで僕だけ……これはひどい仕打ちですよ!」

 誠は休暇の間にも、いつもは任務で関わり合いになることが少ない情報系の男性大尉や、技術系の専門職の士官達とすれ違って、彼等が下士官寮にいることを不思議に思っていた。
 
 少尉に任官することになっても、この環境で過ごせるものだと信じ込んでいた。

「ああ、それぞれ事情があんじゃないの?あそこの全権は寮長の島田にあずけてあるから。あいつと『偉大なる中佐殿』ことクバルカ・ラン中佐の指導の下、人権を全面的にはく奪して立派な『おとこ』になるまで出さねえって方針でやってるみたいだよ、あそこ」

 誠は足元がおぼつかなくなってきているのを感じた。
 
 幹部候補で入った同期は例外なく少尉で任官を済ませている。
 
 しかし誠は候補生資格を剥奪されての曹長待遇。

 ただ頭の中が白くなった。

「ああ、確かに階級は曹長になるけど今回の実戦で法術兵器適応Sランクの判定が出たから給料は逆に上がるんじゃないかな。金銭的には家賃は格安、給料は資格手当で上がる。士官になると資格手当もつかないし、残業手当もつかない。何一ついいこと無いんだよ?うちだって島田が今回士官になったわけだが、アイツたぶん年収で100万円は実入りが減ると思うぞ。それに比べたら随分マシな処置だよな」

 そう言うと嵯峨は掃除の続きを始める。
 
 ほうきでゴミを集めながら、人の人生を軽いノリで片づけていく。

「でも原因は?なんで尉官任官ができないなんて……こんな前例、他に有るんですか?」

 誠はなんとか自分が曹長に降格される理由を聞き出そうと食い下がった。

「別に士官候補生が士官になれない前例なんていくらでもあるよ。それよりお前さん……本当に自分が士官になれなかった心当たりはないのか?……本当に?」

 嵯峨が困ったような顔をして誠を睨む。思いつくところが無く首をひねる誠に、嵯峨はため息をついた。

「お前……なにかっつうと吐くじゃん。あれ、問題なのよ、将校としては。他の将校の方々が一緒にされると迷惑なんだって。指揮官が何かというと吐くってのは管理職失格だって言うのが司法局の偉い人達の総意なんだ。俺はプライドゼロの男だからどうでもいいんだけどね……それと何度か逃げようとしただろ?それも普通に考えればマイナス要因になるわな。職場放棄なんて民間企業でも許されるもんじゃないよ。将校と下士官の壁はそのくらい厚いんだ。でも士官は管理職扱いで残業手当出ねえからな。結構これがでかいんだ……俺もほとんどこの隊長室で生活しているからそれが全部給料になるなら下士官になりたいくらいだね。仕事をするだけ給料が出るお前さんが逆にうらやましいくらいだよ。今回の出撃でも士官は出ない『危険手当』が付く。他にもいろんな資格手当は士官になると全部停止。それが下士官だと全部出る。今月振り込まれる給料が楽しみだろ?」

 嵯峨はそう言うと、本当にいい笑顔を誠に向けた。
 
 その笑顔が、かつて『特殊な部隊』に引きずり込まれたあの日と、まったく同じものだと気づいた瞬間、誠は心の底から『この人は信用してはいけない』と改めて確信したのだった。

 ……変わったのは世界のほうで、自分の立場は相変わらず下っ端のまま。
 
 そんな残酷な現実を、誠はようやく飲み込まされつつあった。
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