遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』の初陣

橋本 直

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第三十章 『特殊な部隊』における様々な決意

第80話 『駄目人間』の逃走宣言と幼女の非情な恋愛禁止令

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 誠が出ていくと、嵯峨は閉まったドアをしばらくぼんやりと眺めてから、静かにため息をついた。

「新米社会人は『勝つ』ことしか考えねえんだな……勝つ?そんなの世の中じゃ最高でも二人に一人い与えられた特権だ。世の中ほとんどの人間は『負け』ばっかの人生を送る……それが人生の当たり前の話なのに……」

 くたびれたソファと散らかった書類、冷めた缶コーヒーの残骸。
 
 薄汚れた蛍光灯の白い光の中で、隊長室はいつも通りの『駄目な空気』を漂わせている。

「逃げることを前提に物事を行う実業界や官界を知らない夢と破綻する理論を振りかざすことだけが自慢の『アホ』が、偉いことを言う軍や警察の体質は……どこの国でも変わらねえかな?いつまでも」

 ぼやきながら、嵯峨はぎしりと音を立てる椅子にもたれ、机の引き出しに手を伸ばした。
 
 ガラガラと乱暴に引き出しを開けると、領収書とメモ紙とガムの包み紙の下から、一枚の写真を指先でつまみ出す。

「『廃帝ハド』……この宇宙の知的生命体すべてから『逃げ場』を奪うことを目的に復活した化け物『法術師』か……」

 写真に写っているのは、二十歳前後にしか見えない長髪の美男子だった。
 
 鋭く整った目元と、どこか人間離れした整いすぎた顔立ち。冷たく澄んだ瞳の奥に、底なしの虚無が沈んでいる。

 嵯峨もまた、そのくらいの年齢にしか見えない。
 
 幼なじみでもない、兄弟でもない。だが『死ねない』という一点だけで、二人は奇妙な『同類』に見えた。

「人間は逃げていいんだよ……そうだよ、嫌なことがあれば逃げればいい。それができない世の中は狂ってる。今の地球や俺の育った甲武……どちらも逃げられない地獄……義兄貴あにきが言う『甲武の身分制の問題』は逃げられないという現実を突き付けられることにある。だから俺は義兄貴の政治に力を貸している……逃げられない境遇……それは地獄だ」

 写真を指先で弾くようにしてから、嵯峨はぽつりとつぶやく。

「俺にはできねえけど、ランはいつでも逃げられるよ。アイツは『人類最強』そんな逃げないことで感じる責任感とも無縁だし、その資格もあるんだ。それに永遠に死なねえし、いつでも好きなところに『跳べる』からな。この宇宙の外でさえも『空気』と『水』と『食いもん』さえある場所ならアイツは普通に跳べる。そんなアイツがこの宇宙を見捨てずに鬼軍曹気取って生きてるんだ。この130億年かけて育った宇宙の外の、食い物と空気がある『別の世界』に逃げられるんだ……ランは、ね。そのこと分ってアンタはランと敵対しているのかね?」

 机に肘をつき、頬杖を突いた。

 天井の汚れたパネルを見上げながら、その面差しには少し寂しげな表情が浮かんでいる。

「でもな、ランはもう逃げたくないって言うんだ」

 口元だけが自嘲気味に歪む。

「あいつは、もう逃げるのはこりごりだって言うんだ。そのために『体育会系縦社会』のうちの伝統を作って、ぶっ叩いて部下を育てて、『逃げる必要のない』世の中を作りたいっていうんだよ……どう思う?すべてを支配しようとする『不死の王』さんよ……アンタには理解できないだろうな……力あるものが支配すればすべて解決する……確かに俺としてもそれに矛盾を見出すのは難しいが……いずれ歪みが来るぜ……そんな世界にも……」

 嵯峨はそう言うと、ポケットからタバコを取り出した。
 
 安物のライターをカチカチと二度三度鳴らし、ようやくオレンジ色の火がつく。

「力あるものとしてアンタに生きる資格を与えられているがそれを断固拒否するランも俺も死なねえんだ。死にたくても死なねえんだ。自分の犯した罪の責任を取って、あの世に逃げ出すっていう、人間本来の逃げ方すらできねえんだよ……地球人だったら……俺もランも地球人だったらよかったのに。俺は銃殺された段階ですべての責任を取ることができた。それはランを射殺すればすべてが解決した。でもそれができないことくらいアンタが一番よく分かってるんじゃないかな?」

 タバコに火をつけながら、嵯峨は煙を深く吸い込み、ふうっと長く吐き出した。
 
 紫煙が、書類とコーヒーのシミと共に染みついた隊長室の空気に溶けていく。

「俺もランも……そしてアンタも『不完全な生き物』だな。終わりがあるから生き物は生きているって言うんだ」

 天井に立ちのぼる煙を目で追いながら、嵯峨はゆっくりと言葉を紡いだ。

「この宇宙が始まって130億年。でも俺達遼州人は、どうやらその前に他の世界で生まれて、1億年前に『始まりのよろい』、古代『リャオ語』では『ダグフェロン』に導かれてこの宇宙に来てしまった、哀れな『死ねない』知的生物みたいなんだわ……死ねる命ばかりのこの宇宙。俺達は異物なんだよ。排除されるべき異物だ」

 口調は軽いが、その内容は重い。

「俺も、自分の犯した罪を償うという名目でアメリカ陸軍に『実験動物』にされている間、何回死んでるかわからねえくらい死んでるが……今でも死にきれずに、こうして『特殊な部隊』の隊長をやってるんだわ……アンタもその体験をすれば少しはその思想が柔らかくなるんじゃないかな?いや、強化されるかな?『力なきゆえに地球人は科学に頼って無意味に生きてるって』……」

 煙が隊長室に充満する。換気扇は回っているはずだが、まるで仕事をしていない。

 嵯峨はなんとも困った表情で、写真の若い男を見つめた。

「俺はたった四十六年しか生きてねえんだ……不死人としてはなりたてだ4億年は生きてるランとは年季が違う」

 自分の年齢を言うときだけ、ほんの少し照れたような笑みが混じる。

「『廃帝』さん……お前さんは俺が知ってる資料では200年以上生きてるらしいな……でもな、この宇宙のひ弱な生き物はそれ以下の寿命でも満足して死んでいけるんだ。俺やランやあんたみたいな『不完全な生き物』では無くて、ちゃんと死ねる生き物なんだ。確かに地球の金持ちはあらゆる科学を利用して150年近い寿命を手に入れたが……そんな年になったら地球人はただ生きてるだけの存在だよ。俺達遼州人のように20代の体力も精神力も精力の持ち合わせも無い。ただ長く生きてるだけの存在。地球人の金持ちもなんでそんなに無理をしてまで寿命を延ばしたいのかね?『人生50年』これは日本のある独裁者の最後に舞った『敦盛』という能の舞だが、戦国時代とその1000年後の今とで地球人が進化するとでも本気で地球の金持ち連中は思ってるのかね?」

 その声には、ねたみともあこがれともつかない感情が滲んでいた。

「うらやましいな、『死ねる』ってことは。終わって責任を次の世代に繰り越せるんだ。うらやましいんじゃねえのかな、あんたも。『人生50年』俺は後3年だ。でも十分生き切ったと言えるよ。人間が社会生活を営むにあたっては50年以上の寿命なんて必要ないんだよ……ただ、アンタのように永遠の支配を狙うのなら別だがね」

 嵯峨はそう言って、またひとつ、薄くほほ笑んだ。

 その微笑みに悲しみが混じっていることは、彼の『不死』の宿命からしてあまりにも当然の話だった。

「死ねてはじめて『人間』なんだ。俺が殺してきた人間を殺す瞬間に見せた笑みを見ればそれは分かった。奴等は勝者だ。生き延びた俺が敗者になったのは当然なんだ」

 灰皿に指先で灰を落としながら、ふと視線を机の端に移す。そこには、古ぼけた洋書の背表紙が積まれていた。

「昔、ゲーテとか言う詩人が、俺やランみたいに死ねなくなった『ファウスト』博士と言う人物を描いた詩を書いたんだ。俺も9歳の時ドイツ語の勉強のために言語で読んだが……多くの婆さんに読まされた外国語教師が教えた文学作品の中であれほど俺の心を打った作品は無いね。まるで俺の人生を読み切っているような作品だった」

 嵯峨は古い記憶を確かめるように目を細める。

「永遠の命を手に入れた博士はその命を与えたメフィストフェレスから言われた禁を破って『世界は美しい』と言えれば死ぬことができた。メフィストフェレスも随分と優しい奴だ。この苦界でしかない世の中を『美しい』と思えたら死ねるなんて言う最高の条件を博士に用意してやったんだから……そして、博士は望み通りに心からの言葉としてそう言って――死んだ。恐らく博士には後悔はなかったと思うよ。彼にとっては『世界は美しい』んだから。それ以上の幸せがあるかい?その記憶の中では『美しい世界』だけが固定された絵として残る。決して醜く変質することは無い。俺やランや……そしてアンタには信じられない話だ。いずれその『美しい世界』も居にくく爛れてみるに堪えないものに変質する。俺達不死人はそれを知っている」

 そう言うと嵯峨は静かに写真を目の前にかざした。

 写真には、野望の男『廃帝ハド』が写っていた。
 
 その口元の笑みは、写真であるにもかかわらず、今にも何かを語り出しそうに見える。

「『廃帝ハド』よ」

 嵯峨は静かに呼びかける。

「アンタも復活なんかしたくなかったんじゃねえかな……自分の起こした災厄で何人の犠牲が出たかを、もし気にする余裕があるなら、俺なら復活なんかしたくねえよ……醜く変わったみるに堪えない世界……そんなものをアンタはみたかったのか?」

 タバコの煙がゆらりと揺れ、写真の顔を一瞬曇らせた。

「俺もランも『不死人』だが、殺されて当然の罪を犯して、それを償うためだけに生かされてる……苦しい人生だぜ」

 言葉の端々に、疲労とも諦めともつかない重さが滲む。

「本当にアンタは『力ある者の世界』を実現しようとしてるのか?」

 嵯峨は写真の男をまっすぐに見据えた。

「それなら言っておくわ。そんな世界が実現するようなら、真っ先に俺とランの奴を殺してくれ。そんな世界を俺達は見たくねえんだ。そんな爛れた世界に生きている自分を生かせる精神の持ち合わせは俺にもランにもないんだ」

 嵯峨は諦めたようにそう言うと、写真を静かに机の上に置いた。
 
 薄い紙が、書類の山の上にぺたりと馴染む。

「俺も言いたいね、『世界は美しい』ってな。そして、静かに終わりたい……最高の人生じゃないのかい?俺は地球人は嫌いだがそんなことを考える地球人がいたことだけで地球には存在価値があったと言えるよ」

 嵯峨は、少しだけ遠くを見る目をした。

「世界が美しくない限り、生き物が逃げられる宇宙を作りたいんだ……そのためには神前の力がどうしても必要なんだ……」

 ついさっきまでそこにいた青年の背中が、思い浮かぶ。

「アイツの『光のつるぎ』が、400年前この星を地球から独立させたように、お前さんや『ビッグブラザー』の野望を阻む……だから俺は言いてえんだ……」

 嵯峨は静かに正面を見据えた。

「俺は逃げ場を作り続ける!」

 その声は、いつもの間の抜けた口調ではなく、珍しく指揮官のそれに近かった。

「永遠に撤退戦を戦い抜くつもりだ!そのためにこの部隊を作った!」

 書類と灰皿とコーヒー缶に埋もれた、この「駄目人間の巣」が、自分にとっての最後の持ち場だ。

「その血路を開く『光の剣』は手に入った!俺は……永遠に『逃げる!』」

 そんな嵯峨の宣言は、しかし次の瞬間、灰皿をひっくり返しかけて慌てて手で押さえる仕草とともに、隊長室の『駄目』な雰囲気に、あっさりと呑まれていった。

 ***

「逃げることは臆病じゃない。逃げないことが臆病なんだ」

 隊長室を出た誠は、その言葉を反芻していた。

 廊下には、安っぽいワックスの匂いと、どこかの部屋から漂ってくるインスタントコーヒーの匂いが混じっている。遠くから、工具のぶつかる音や、誰かの笑い声がかすかに届く。

 逃げることは『負け』ではない。

 むしろ、逃げる勇気を持つことこそが『強さ』なのかもしれない……。

 そんな嵯峨の思想に共感を覚えつつも、その『駄目人間』ぶり――散らかった机、仕事する気ゼロの態度……は、別種の不安を誠に与えていた。

「隊長の言ってることは立派ですけど……やってることは滅茶苦茶ですよ。ほっといて良いんですか?あの人、仕事する気ゼロですよ」

 隊長室からパイロットの詰め所に戻り、自分の席にどさりと腰を下ろすと、誠はそう言って前方の机に座るランに目を向けた。

 詰め所の窓からは工場の屋根と灰色の空が見える。机の上には、書類と整備マニュアルと、誰かが置きっぱなしにしたスナック菓子の袋が散乱していた。

「いーんだよ……あのおっさんも大人だからな。それよりオメーだ」

 ランは椅子の上で小さな脚をぶらぶらさせながら、そう言うと少し照れたように頬を掻いた。

「僕が……なにか?」

 戸惑ったような誠の問いに、ランは「仕方ねえな」と言わんばかりにため息をつき、真面目な顔つきに変わる。

「お前が生まれた時から全部わかってたんだ。オメーがあんな化け物じみた力を持ってることはな」

 ランの言葉は、半分は予想のついた言葉だった。

 こんなにパイロットに向かない自分に、わざわざパイロットをやらせる理由。
 
 そこに『何か』があることくらい、誠にも薄々気づいていた。

「母さんから聞いたんですね……僕が普通とは違う力を持ってることを」

 誠は、一語一語確かめるようにしてランにそう言った。

 誠が剣道を辞めたのは、竹刀で物を斬ってしまうという、自分でも信じられない現象を目の当たりにしたからだった。

 それは一回だけのことで、単なる偶然――そう自分に言い聞かせ、誠の記憶の奥底に押し込めていた。

 母に言われるままに庭木を竹刀で気合いを入れて叩いた瞬間、目の前の大木は、まるで剣豪が名刀で斬りつけたように見事に倒れてしまった。

 その光景は今でも脳裏にはっきりと焼き付いている。

「そーだ。オメーは実はかなり前から、遼州同盟の加盟国や地球圏の政府から目をつけられてたんだ」

 ランの声には、かすかな怒りと諦めが混じっていた。

「ひでー話だが、オメー、生まれた時からプライバシーゼロの環境に置かれていたんだ」

 少し悲しげなランの言葉に、誠は驚きを隠せなかった。

「考えてもみろ。たった一撃で戦艦を撃破できる能力や、ほとんどの攻撃を跳ね返して瞬時に移動できてしまう『干渉空間』を展開する能力。どっちも悪用しようとすれば大変なことになる」

 ランの低い声に、詰め所のざわめきが遠のく。

「だから、どの政府もその存在を公にせずに、ひそかにその能力者を監視していた……」

 確かにランの言うとおりだった。

 あのような力があちこちに野放しになれば、戦争どころの話ではないことくらい、誠にも考えがついた。

「オメーの親父がオメーに剣道を辞めさせたのが八歳。それを進言したのが隊長だ」

「隊長が?竹刀で物を斬ったりできる能力を使えば、余計目立つようになるからですか?」

 誠はそう言って難しい顔をした。

「まず第一に危ないだろ?気合で面を入れたら対戦相手が真っ二つになった、なんてのはシャレにならねーだろ?」

 ランはあっさりと言い放つ。

「今のオメーは05式乙の法術増幅装置無しではただの無能だが、いずれはそれなしに法術を発動できるようになる……」

 静かなランの言葉だが、誠にはその言葉の意味が分かりすぎるくらい分かった。

「実は、誰かが何かを目的として『法術師』を集めている……と言う噂がある……確定情報じゃねーけどな」

 ランの表情が、さらに厳しい色を帯びてくる。

「法術に関心があるのは軍や警察ばかりじゃねーんだ」

 その瞳には、戦場で見せる「人類最強」の冷酷さが、わずかにのぞいた。

「一つの勢力じゃねーな。実際、同盟司法局も『潜在的法術師』を集めていたのは事実だし……例えばオメーな」

 そう言ってランは腕組みをしながら、誠をじっと見上げた。

「そんな勢力の中で一番ヤベーのが……『廃帝ハド』だ」

「『廃帝ハド』?」

 誠は、その言葉に聞き覚えがあまりなかった。歴史の授業で聞いたような気もするし、ニュースで見たような気もする。だが、具体的なイメージは霧の向こうだった。

「かつて遼帝国建国後二百六十年の鎖国を解かせた暴君……」

 ランの声は淡々としているが、その中に強烈な警戒心が混じっていた。

「奴を遼州の大地に封じて国が開いたときは、遼帝国は見る影もなく荒れ果てていたという話だ。『不死人』すら平気で殺す『法術師』の天敵だ」

 誠の背筋に冷たいものが走る。

「そしてその力は、これまで遼帝国に生まれた帝家の血筋でも、遼帝国を開き、その『廃帝ハド』を大地に封じた遼帝国太宗、女帝遼薫、そしてアタシの国『遼南共和国』を滅ぼして後に遼帝国を再興した遼献をもしのぐ、最強の『法術師』だ」

 さらりと言っているが、それはつまり、「歴史に名を残した怪物たち」すら上回る怪物だということだ。

「アイツがオメエの覚醒を知って黙っているとは、とても思えねー。奴は間違いなく動きだす……近いうちにな」

 ランは確信を込めた言葉を誠に向けて吐いた。

「暴君……その野心ゆえに大地に封じられた『最強の法術師』……」

 ランの力強い言葉に、誠は息をのんだ。

「奴の理想は、力のあるものが力のないものを支配する帝国を作ること」

 ランの声が低くなる。

「当時はそれを遼帝国一国でしようとしてできなかったが、遼州圏や地球圏を巻き込んで、多くの国の利害の隙間を縫うように立ち振る舞えば、できねー話じゃねーんだ……」

 政治地図が頭の中に広がる。甲武、東和、遼帝国、西モスレム、ゲルパルト、国外惑星共和国連邦、ラップ共和国……それぞれの国の思惑。その隙間に入り込む『廃帝』という悪意の存在。

「そのために奴は法術師を集めてる」

 そんなランの恐ろしい言葉に、誠は身震いした。

「隊長はオメーには逃げろって言うかもしれねー。アタシもそれは当然だと思う」

 ランは一度、視線を机の上に落とす。

「しかし……アタシ等じゃ対処しきれねーこともある」

 その目が、再びまっすぐ誠を射抜く。

「だが、神前!力を貸してくれ!頼む!」

 かわいらしいランは、しかしその幼児体形からは想像できない強い眼力で、誠をにらみつけながらそう叫んだ。

「……僕は逃げません」

 誠は静かに、しかし確信を持って言った。

 逃げることは勇気。
 
 でも、今は「逃げない」と決める強さが必要だ。

 その時、ランがにっと笑った。

 誠は静かにうなずきながら、自分が持って生まれてしまった力の重さについて考えていた。

「中佐……」

 誠は、小さなランの真剣な表情に心打たれながら、思わずそう呼んでいた。

「なーに。オメーを簡単に死なせるようなら、アタシは『人類最強』なんて名乗ってねーよ」

 ランは肩をすくめる。

「それに……ヤバくなったら隊長がオメーの代わりに05式乙に乗る。あの人も一応『法術師』なんだ。ただ、伸びしろはゼロだけどな」

 ランはそう言って、にやりと笑った。

「でも……僕よりは役に立つんじゃないですか?僕はパイロット適性ゼロだし」

 そんな誠の言い訳に、ランは静かに首を横に振った。

「パイロット適性?オメーは運動神経はいーじゃねーか!大丈夫だよ!アタシが仕込んでやる」

 机をぽんぽん叩きながら、ランは楽しそうに続ける。

「胃腸の方も、慣れれば吐かなくなる。気にすんな!それにオメーが自分の持つ力を自在に操れるようになれば、向かう所敵無しだ!」

 満面の笑みで、ちっちゃな中佐殿はそう叫んだ。

「だがな、言っとくことがある」

 ランはそう言って、すっと真面目な表情を浮かべた。

「アタシは見た通り『八歳女児』だ」

 ここで誠は思わず椅子からずり落ちそうになった。

 飲酒が趣味の八歳児など聞いたことがない。それ以前に、ランの態度はどう見ても「おっさん」である。

「八歳女児の部下っていえば、当然上司に配慮するべきだな……うん、うん」

 なぜかここでランは大きくうなずいて、一人納得していた。

「どんな配慮をすれば……」

 誠は、どんな無理難題を押し付けられるかを気にしながら、ちっちゃな上官の顔色を窺った。

「そんなの決まってんじゃねーか!」

 ランはカッと目を見開いて誠を指さした。

「一人前になるまで『恋愛禁止』!八歳児の『好き』が恋愛感情を伴ってその先のエロに繋がる話を聞いたことがあるか?アメリアの作ってる『登場人物は全員18歳以上です』とどう見てもユーザーを変な方向に導いているエロゲとは話が違うんだ!確かにアタシは34歳だがそんなエロい展開を望んだことは一度もねー!」

 詰め所の空気が、一瞬だけ凍りつく。

「ちっちゃい子の前で変なことして教育上よくねーとか思わねーのか?」

 『自称34歳』とは思えない発言に、誠は唖然とした。

「今は相手がいないから問題ないですけど……でも結構うちは美人が多いじゃないですか」

 誠の情けない言い訳に、ランは全く耳を貸さなかった。

「すべては一人前の『おとこ』になってからの話だ。それまではひたすら技術を磨け、心を磨け、学べ、考えろ!『漢』になればすべてが解決する!今のオメーは『漢』じゃねー!」

 軍隊らしい説教と、八歳児の理屈が混ざった無茶苦茶な要求だった。

「そん時はアタシがオメーにふさわしい妻を紹介してやる。うちの女共はどーかしている。アタシのメガネにはかなわねえ!」

 もうこうなると、禅寺の修行の境地である。

「クバルカ中佐、無茶苦茶言いますね……でも隊長は一人前なんですか?駄目なとこだらけじゃないですか。あの人だって結婚してたんだから、僕が恋愛したっていいじゃ無いですか!」

 誠は腑に落ちないというように、そう口答えをしてみた。

「あの『駄目人間』を見てアタシは悟ったの!」

 ランは机をバンと叩いた。

「あーなっちゃダメなの!」

 即答である。

「それにあれでも一応アタシの上司だし、娘に管理されて何とか人並みの生活を送れているんだから……とても参考にはならねーだろ?」

 ランは鼻を鳴らす。

「『女好き』のお守は一人で十分!これ以上面倒は見られねー」

「それってマジですか?僕はもう24歳ですよ。いい加減彼女くらい欲しいので」

 誠は言っても無駄だと思いながらも、目の前の巨大な壁――のように立ちはだかっている、小さな『人類最強』の女傑に視線を向けた。

「おお、マジだ」

 ランは即答した。

「24歳?そんなの知るか!アタシがオメーを『漢』と認めた時がその時だ」

 そう言ってランは、勝ち誇るような笑みを誠に向けた後に、すくっと立ち上がった。

 彼女は静かに扉の所まで行くと、勢いよく扉を開いた。

 そこには当たり前のように、かなめ、カウラ、アメリアの三人が立っていた。
 
 扉のすぐ外で耳をくっつけていたらしく、三人とも、開いた勢いで少しよろめく。

「と言うわけだから」

 ランは何事もなかったかのような顔で言った。

「こいつにちょっかい出すのは加減しろよ、オメー等も」

 そう言って、すたすたと去っていくランの後ろ姿を見ながら、三人は顔を赤らめた。

「なんであんなこと言うんだ?神前はアタシの下僕なんだぞ?なんで下僕にそんな感情を持つんだよ」

 かなめは誠から目を逸らしながら、椅子に腰かけている誠に近づいてくる。頬をふくらませ、いつものようにぶっきらぼうだ。

「私は指導をしてやっているだけだ。神前に気があるとか……そういうことは絶対にない!」

 カウラは顔を真っ赤にしてそう断言すると、かなめに続いて部屋に入ってくる。
 
 言っていることと、耳の先まで染まった赤色が、これ以上なくちぐはぐだった。

「私は……面白ければ全部OKなんだけど!」

 一方、アメリアはいつもの笑顔を浮かべていた。

「誠ちゃん!改めてよろしく!」

 戸惑う誠に握手を求めて来るアメリアの手は、妙に暖かく感じられた。
 
 その暖かさが、何かよくない予感をはらんでいるような気がしてならない。

「よろしくお願いします……」

 誠は、まだ状況を飲み込めないまま、ぎこちなくその手を握り返した。

「つー訳だから……よろしく頼むぞ!神前」

 ランは詰め所の入り口から顔だけひょいと出し、そう言いながら、とてもいい顔で笑った。

 『特殊な部隊』での、誠の『特殊な戦い』が、今始まろうとしていた。

                                      了
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