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第十三章 『特殊な部隊』の竹馬の友
第28話 甲武の奥座敷で語られる真実
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甲武国・鏡都・六条町……。
殿上会の中でも、三位以上の高位貴族だけが居を構える一角にあって、ひときわ威容を誇る『嵯峨屋敷』。その広大な正門を、リンの運転する車が静かにくぐる。
玄関前では、すでに三人の使用人が並んでいた。だが、車を降りた嵯峨惟基は、ぼさぼさの髪を無造作にかき上げながら、気の抜けた笑みを浮かべる。
「俺みたいな駄目当主に頭を下げる必要はねえっての。……で、忠さんはもう来てるのか?」
無言でうなずいたロマンスグレーの執事に軽く会釈すると、嵯峨は迷いなく玄関の中へと進んだ。廊下の奥には、甲武海軍第三艦隊司令官・赤松忠満中将が待っているという。
客間へ向かう途中、出迎えに立つのは赤松の側近、別所晋一大佐だった。
「へぇ、別所まで来てるのか……これはいよいよ本腰ってわけだな」
軽く手を挙げるようにして通り過ぎ、嵯峨は百メートルはある廊下を迷いなく進む。庭を横切り、別棟にある静かな和風の広間へと入っていった。
そこには、あぐらをかいて静かに茶をすする恰幅の良い赤松の姿があった。
「……ああ、上がらせてもらってるで」
湯飲みを静かに置いた赤松忠満は、懐かしげに目を細めた。
「忠さんも人が良いというかなんと言うか……やっぱりバルキスタンがらみか?しかし、醍醐のとっつぁんも暇なんだねえ。高倉の次は忠さんかよ。いくら忠さんの頼みでも聞けるものと聞けないものがある。今回ばかりは俺一人の意志じゃあどうにもならないんだ」
そう言うと赤松の前に置かれていた座布団に嵯峨は腰掛けた。
「まあ、それだけこの問題が重要ってことなんちゃうか?ワレの立場は分かっとる。だがワシにも立場ちゅうもんがあるわけや。そこんとこ考えといてんか?おい、新の字。お前の頭でなんとかならんのか?お前は頭が良いのが自慢やったやろ?ここは甲武も立てる、同盟も立てる、そしてついでにアメリカのアホの面子もなんとかする。そんな策の1つも立ててくれへんやろか?」
そう言うと再び茶を赤松は啜った。嵯峨が甲武に来て初めて出会った同い年の少年。それが今の赤松だった。高等予科時代も一匹狼で通してきた嵯峨にこの国で友と呼べる者で今生き残っているのは赤松くらいしかいない。赤松もいくら嵯峨が耳を貸す男である自分が動いたところで嵯峨が決意を変えないことは十分分かった上でここに居ることは、その時からの付き合いで二人とも分かっていた。
「失礼します」
そう言うと初老の女性の使用人が静かに嵯峨の分の煎茶を入れ始める。
「俺にはアメリカさんにはバルキスタン問題だけが念頭にあるとは思えないんだよな。それに今回の醍醐のとっつぁんの作戦の目的は……それだけが目的にしちゃあ規模が大きくなり過ぎてる。一失敗国家の後始末だけだったら俺の策でどうにかできるかもしれないが、それ以上の意図があるとなると……忠さん。俺も神様じゃ無いんだ。出来ることと出来ない事が有る」
そう言うと嵯峨は手元に置かれた灰皿に手を伸ばした。そしてそのままタバコをくわえると安物のライターで火をつけた。
「醍醐陸相の事か?ワシも同じこと考えとった。陸軍の連中はようワシに事実を教えてくれへんからな。しかし、ワシには新の字の考えの方がようわからんわ。あの失敗国家の独裁者の椅子の上でふんぞり返ってる将軍様の身柄をアメリカから引き剥がすのがなんで遼州同盟の利益になんねん。カント将軍のおかげで肥え太った腐れたこの国の官僚の首を守る義務があるとは思えんのやけど……司法局も司法局や。『遼州の事は遼州で裁く』そんな原理原則ばかりに囚われて思考停止しとるんちゃうか?新の字。ワレからも言ったってくれ」
赤松は新しく入れなおした茶を静かにすする。嵯峨は引きつるような笑みを口に浮かべた。
「それは状況にもよるだろ?膿を出すのにはタイミングと状況、そして方法を考えるべきだっていう話だよ。忠さんは昔から真っすぐすぎる。まともな軍人ならそれでも許されるだろうが、俺はそんなまともな任務に就いたことなんていっぺんも無いからね。今回はタイミングもそうだが、組んだ相手も悪い。アメリカとだけは組むなってのが俺の意見だ。これは俺の事をあの国が人体実験のおもちゃとして弄んだと言う個人的な理由から言ってるわけじゃ無いんだ。あの国はヒュドラだ。多頭の蛇だ。『自由と民主主義』を自国内でも実現できないのに他国に押し付ける押し売りだ。そんな奴等と組むのは愚の骨頂。遼州同盟司法局もそう理解してるってことだ」
静かに目の前に置かれた湯飲みを手の上で転がすようにして嵯峨は言葉を紡いだ。
「ワレがアメリカに恨みを持っとるのは知っとるで。でもそれも過去の話やないか?ええ加減許してやれや。寛容も人の上に立つ者には必要なもんやと思うで?生体解剖。確かにまともな人間のやることや無い。でも、それはあの国の一部の頭のおかしな科学者の気まぐれやろ?その科学者連中はワレの法術が起こした次元断層に巻き込まれてもうこの世にはおらんようになっとる。それでもあの国を信じるなとワレは言うんか?」
赤松の言葉に嵯峨は表情1つ変えなかった。
「……お前さんも俺と同じように手術台に固定されて何100回となく心臓をえぐり取られてもそのセリフを吐けるかね?忠さん。俺の連中への恨みはたぶん永遠に消えることは無いだろうね。それにそれを許可した軍の高官さんは今頃年金生活で俺の事なんか忘れて幸せな老後を送ってる。それを許せと?だが、それはそれとして地球圏は遼州には干渉しないって建前が有るんだもん。俺も遼州同盟機構の役人として今回の件のアメリカの介入を黙って見過ごすわけにはいかないんだ。お願いだから分かってくれよ」
そう言って嵯峨は力ない笑みを浮かべた。
「アメリカ軍。しかも陸軍に新の字がトラウマ抱えとるのはよう知っとるが、それは私情なんと違うか?昔から『政治に私怨を入れたらあかん』ちゅうのがお前の主義やろ?軍人は時に私を捨てて非情にならねばならん時がある。今がその時何とちゃうやろか?」
赤松は上目遣いに嵯峨を見上げてくる。だが、ゆっくりと嵯峨は首を振った。
「遼州同盟司法局の実力行使部隊というのがうちの看板だぜ、頭越しにそんなことを決められたら同盟の意味がなくなるじゃないの。アメリカは昔からあそこに手を出したがっていた。何度も言うがそれを抑えてきたのは遼州の犯罪は遼州が裁くと言う原則を貫いて来たからだ。それを遼州の有力国家である甲武が宰相麾下一斉にその原則を潰そうとするというのが俺には理解できないよ」
嵯峨はそう言って笑って見せるが、赤松はその笑いがいつも嵯峨が浮かべている自嘲の笑いとは違うものであることに気づいていた。明らかに悪意を持っている笑み。まだ嵯峨が遼帝国の亡命貴族として出会った時からその独特の表情をよく知っていた。
「それにパルキスタンで小銭を稼いだ近藤さんが起こした『近藤事件』はもう終わったことだ。それを今更どうこうしてもはじまらないよ。甲武の『官派』の残党が近藤さんからいくら金をもらってたかしらないが、慎重な奴は決起の段階でその証拠は隠滅済みだったよ。アメリカがどうバルキスタンの独裁官の職にあるエミール・カント将軍の口から兄貴の政敵を追い詰められる材料を拾えるかってところだが、まず俺は期待はできないと断言できるね……あの将軍様は原料生産までがお仕事。それを加工して店に出してたのは近藤の旦那だ。自分の作ってる作物を食ってる客の顔なんか見てる農家は居るかってえの」
嵯峨は赤松をにらみつけたまま煎茶を啜り、その香りを口の中に広げていた。
一瞬、風の温度が変わった。都市近郊に設置された気温制御システムが夜のそれへと変わったのだろう。開いたふすまの向こうに広がる池で三尺を超える大きな金色の錦鯉が跳ねた。
「ほうか。じゃあお前さんはこのまま黙っとれ言うつもりか?汚れた金を使うて正義面しとるアホ共がぎょうさんおる言うのがわかっとるのに。ワシは黙っとれん!正直、そんなアホを全員どつきまわさな気が収まらん。そんなワシの性分を少しはわかってんか?」
赤松の眼が鋭く光る。湯飲みを口にする嵯峨の手元にそれは突き刺さる。茶を勧める老女が赤松から湯飲みを受け取る。中の冷めたお茶を捨て、新しく茶を入れていた。
「忠さん、私情を入れるなと言ったアンタが私情を入れてるぜ。誰もそんなアホを庇ってやるなんてことは一言も言っちゃいねえよ。いつかは連中にもけじめをつけてもらう予定だ。だが、けじめをつけるメンツにはアメリカ軍人はいらないな。いや、アメリカだけでなく遼州圏の住人以外はいちゃいけないんだよ」
嵯峨の言葉、そして赤松を見つめるその目はいつもの濁った瞳ではなく、殺気をこめた視線だった。赤松はようやく自分の説得が無駄に終わったことを感じた。
「ほうか、わかった。全部新の字が片を付けるから甲武には手を出すないうことやろ?それなら『人斬り新三』の手並みいうのを見せたってくれ」
赤松はかつて嵯峨と最初に友になった時と同じくすべてを飲み込んだという表情でそう言った。
「……それと、今日はもう一つ頼みがあってな。貴子が、お前に会いたいって言うとる」
赤松が不意に笑みを浮かべる。
嵯峨の表情も、どこか肩の力が抜けたように緩んだ。
「……貴子さんか。あの頃の俺は、そりゃまあ、今よりもっと駄目だったな」
そう言って相好を崩す赤松に嵯峨の瞳もいつもの濁った緊張感のない表情に変わった。貴子。赤松貴子。かつて軍の高等予科に所属していたときに憧れの美人と嵯峨も赤松も一緒になって盛り上がっていた女性だった。その貴子は結局は赤松家に嫁ぎ、嵯峨はそのまま振られた未練を引きずっていた時期もあった。そんな甲武の軍人を目指す貴族出身の若者たちのあこがれの的だった美女だった。
「貴子さんか。お前さんはあの人には相変わらず頭が上がらないらしいなあ。まああの人は昔からきつかったから。俺を振った時のセリフもきつかったなあ……まあ俺の場合は自業自得なんだけど」
嵯峨はそう言って笑った。貴子は今は亡きかつて二人の共通の親友の姉である。稀代の美女にして女傑と言われた彼女が赤松を尻に敷いていることを思い出して嵯峨は下品な笑みを浮かべた。
「叔父上」
そう言って静かに廊下から入ってきたかえではそのまま嵯峨のそばに寄って内密な話をしようとした。
「いいぜ、別に。甲武海軍第三艦隊司令赤松忠満中将殿に内緒ごとなど無駄なことだよ。なあ!」
そう話を振られて少しばかりあわてて赤松がうなずいた。
「では失礼して、ベルルカンの馬加大佐からの報告書が届いておりますが」
かえでの言葉に赤松は少しばかり頬を引きつらせた。
現在、ベルルカン大陸には約3万の甲武軍の兵士が駐留していた。しかし、それはどれも二線級の部隊であり、馬加の指揮する下河内特科連隊のような陸軍の精鋭部隊が動いていると言う話は海軍の赤松には初耳だった。しかも下河内特科連隊は陸軍内部でも嵯峨の被官の多い泉州鎮台府に所属している。醍醐陸相に内密に嵯峨がこれを動かしてることは間違いないと赤松は気づいた。
「ああ、後にしろよ。時間はまだ来てはいないみたいだからな。それに仕事の話はもう済んだ。俺は面倒ごとは後に回す主義でね」
そう言うと嵯峨は立ち上がった。お互い年を取った。二人がかえでの報告で嵯峨が感じたのはそう言う実感だけだった。
「かえで坊もまあ……べっぴんはんにならはってまあ……新の字!なんどもいうとるけど貴子も久しぶりに新の字の顔が見たい言うとんねん、ワレが甲武に折るうちにうちに来てや、な?」
そう言うと赤松は立ち上がる。そして少し下がって控えているかえでを見て赤松は何かがひらめいたとでも言うように手を叩く。
「ああ、そうや。かえでも来いへんか?貴子も喜ぶ思うねん。それとうちの久満も……」
赤松忠満の次男、赤松久満海軍中佐は本部付きのエリートであり、何度と無くかえでに無駄なアタックを続ける不幸な青年士官だった。かえでは男女ともに好みがうるさい。彼女の眼鏡に赤松に似た小太りでメガネの小男である久満は叶うものでは無かった。
「あの、お申し出はうれしいのですが、お断りさせていただきます。僕には心に決めた人がいますから……」
そう言ってかえではその細い面を朱に染める。
「ああ、姉さんか!しかし、女同士……しかも姉妹ちゅうのはどないやろなあ?まあワシのおかんの例もあるいうてもなあ!」
赤松の母、『甲武の虎』と呼ばれた女猛将、赤松虎満は女性当主だった。彼女は典型的なレズビアンで、家督相続の後に妻を迎え遺伝子操作によって三人の息子を妻に産ませた。その三男坊が忠満だった。
「俺に聞くなよ……それより……いつものは?」
嵯峨はそう言って右手を赤松に差し出した。嵯峨愛用の軍用タバコ『錦糸』は甲武海軍でしか支給されない珍しい代物だった。月3万円の小遣いで暮らしている嵯峨にとって、竹馬の友である赤松から送られるタバコはその喫煙生活を支える重要な資源となっていた。
「タバコか?ええ加減自分の金で買えや。なんでもあの物価の高い東和でも小遣い東和円3万円で暮らしとるようやないか。いっそのこと禁煙したらどやねん」
そう言いながら赤松は隣に置いてあった箱を嵯峨の目の前に置いた。
「俺は吸い慣れてる銘柄じゃねえと気が済まないの。俺はこの『錦糸』と決めてるんだ……甲武の軍用タバコなんて東和じゃ手に入らないからな。専門店で扱っている店もあるとは噂には聞いてるがプレミアがついててとても手が出せる代物じゃ無いよ。それに俺にとってタバコの無い人生は価値が無い。俺にとってタバコのない人生なんて、辛気臭いだけだ。三流でも四流でも、せめてもの俺の価値はこれで保たれてるんだよ」
そう言って嵯峨はタバコのカートンの入った段ボールを叩いた。赤松は嬉しそうな顔の嵯峨を見て大きな声で笑い始めた。かえでがそれを見て少し呆れたように溜息をつく。
けれどもその光景には、確かに『平和』の匂いが漂っていた。
先ほどまでの殺気立った政治向きの話は消え去り、世間話に花を咲かせる時間が訪れた。
殿上会の中でも、三位以上の高位貴族だけが居を構える一角にあって、ひときわ威容を誇る『嵯峨屋敷』。その広大な正門を、リンの運転する車が静かにくぐる。
玄関前では、すでに三人の使用人が並んでいた。だが、車を降りた嵯峨惟基は、ぼさぼさの髪を無造作にかき上げながら、気の抜けた笑みを浮かべる。
「俺みたいな駄目当主に頭を下げる必要はねえっての。……で、忠さんはもう来てるのか?」
無言でうなずいたロマンスグレーの執事に軽く会釈すると、嵯峨は迷いなく玄関の中へと進んだ。廊下の奥には、甲武海軍第三艦隊司令官・赤松忠満中将が待っているという。
客間へ向かう途中、出迎えに立つのは赤松の側近、別所晋一大佐だった。
「へぇ、別所まで来てるのか……これはいよいよ本腰ってわけだな」
軽く手を挙げるようにして通り過ぎ、嵯峨は百メートルはある廊下を迷いなく進む。庭を横切り、別棟にある静かな和風の広間へと入っていった。
そこには、あぐらをかいて静かに茶をすする恰幅の良い赤松の姿があった。
「……ああ、上がらせてもらってるで」
湯飲みを静かに置いた赤松忠満は、懐かしげに目を細めた。
「忠さんも人が良いというかなんと言うか……やっぱりバルキスタンがらみか?しかし、醍醐のとっつぁんも暇なんだねえ。高倉の次は忠さんかよ。いくら忠さんの頼みでも聞けるものと聞けないものがある。今回ばかりは俺一人の意志じゃあどうにもならないんだ」
そう言うと赤松の前に置かれていた座布団に嵯峨は腰掛けた。
「まあ、それだけこの問題が重要ってことなんちゃうか?ワレの立場は分かっとる。だがワシにも立場ちゅうもんがあるわけや。そこんとこ考えといてんか?おい、新の字。お前の頭でなんとかならんのか?お前は頭が良いのが自慢やったやろ?ここは甲武も立てる、同盟も立てる、そしてついでにアメリカのアホの面子もなんとかする。そんな策の1つも立ててくれへんやろか?」
そう言うと再び茶を赤松は啜った。嵯峨が甲武に来て初めて出会った同い年の少年。それが今の赤松だった。高等予科時代も一匹狼で通してきた嵯峨にこの国で友と呼べる者で今生き残っているのは赤松くらいしかいない。赤松もいくら嵯峨が耳を貸す男である自分が動いたところで嵯峨が決意を変えないことは十分分かった上でここに居ることは、その時からの付き合いで二人とも分かっていた。
「失礼します」
そう言うと初老の女性の使用人が静かに嵯峨の分の煎茶を入れ始める。
「俺にはアメリカさんにはバルキスタン問題だけが念頭にあるとは思えないんだよな。それに今回の醍醐のとっつぁんの作戦の目的は……それだけが目的にしちゃあ規模が大きくなり過ぎてる。一失敗国家の後始末だけだったら俺の策でどうにかできるかもしれないが、それ以上の意図があるとなると……忠さん。俺も神様じゃ無いんだ。出来ることと出来ない事が有る」
そう言うと嵯峨は手元に置かれた灰皿に手を伸ばした。そしてそのままタバコをくわえると安物のライターで火をつけた。
「醍醐陸相の事か?ワシも同じこと考えとった。陸軍の連中はようワシに事実を教えてくれへんからな。しかし、ワシには新の字の考えの方がようわからんわ。あの失敗国家の独裁者の椅子の上でふんぞり返ってる将軍様の身柄をアメリカから引き剥がすのがなんで遼州同盟の利益になんねん。カント将軍のおかげで肥え太った腐れたこの国の官僚の首を守る義務があるとは思えんのやけど……司法局も司法局や。『遼州の事は遼州で裁く』そんな原理原則ばかりに囚われて思考停止しとるんちゃうか?新の字。ワレからも言ったってくれ」
赤松は新しく入れなおした茶を静かにすする。嵯峨は引きつるような笑みを口に浮かべた。
「それは状況にもよるだろ?膿を出すのにはタイミングと状況、そして方法を考えるべきだっていう話だよ。忠さんは昔から真っすぐすぎる。まともな軍人ならそれでも許されるだろうが、俺はそんなまともな任務に就いたことなんていっぺんも無いからね。今回はタイミングもそうだが、組んだ相手も悪い。アメリカとだけは組むなってのが俺の意見だ。これは俺の事をあの国が人体実験のおもちゃとして弄んだと言う個人的な理由から言ってるわけじゃ無いんだ。あの国はヒュドラだ。多頭の蛇だ。『自由と民主主義』を自国内でも実現できないのに他国に押し付ける押し売りだ。そんな奴等と組むのは愚の骨頂。遼州同盟司法局もそう理解してるってことだ」
静かに目の前に置かれた湯飲みを手の上で転がすようにして嵯峨は言葉を紡いだ。
「ワレがアメリカに恨みを持っとるのは知っとるで。でもそれも過去の話やないか?ええ加減許してやれや。寛容も人の上に立つ者には必要なもんやと思うで?生体解剖。確かにまともな人間のやることや無い。でも、それはあの国の一部の頭のおかしな科学者の気まぐれやろ?その科学者連中はワレの法術が起こした次元断層に巻き込まれてもうこの世にはおらんようになっとる。それでもあの国を信じるなとワレは言うんか?」
赤松の言葉に嵯峨は表情1つ変えなかった。
「……お前さんも俺と同じように手術台に固定されて何100回となく心臓をえぐり取られてもそのセリフを吐けるかね?忠さん。俺の連中への恨みはたぶん永遠に消えることは無いだろうね。それにそれを許可した軍の高官さんは今頃年金生活で俺の事なんか忘れて幸せな老後を送ってる。それを許せと?だが、それはそれとして地球圏は遼州には干渉しないって建前が有るんだもん。俺も遼州同盟機構の役人として今回の件のアメリカの介入を黙って見過ごすわけにはいかないんだ。お願いだから分かってくれよ」
そう言って嵯峨は力ない笑みを浮かべた。
「アメリカ軍。しかも陸軍に新の字がトラウマ抱えとるのはよう知っとるが、それは私情なんと違うか?昔から『政治に私怨を入れたらあかん』ちゅうのがお前の主義やろ?軍人は時に私を捨てて非情にならねばならん時がある。今がその時何とちゃうやろか?」
赤松は上目遣いに嵯峨を見上げてくる。だが、ゆっくりと嵯峨は首を振った。
「遼州同盟司法局の実力行使部隊というのがうちの看板だぜ、頭越しにそんなことを決められたら同盟の意味がなくなるじゃないの。アメリカは昔からあそこに手を出したがっていた。何度も言うがそれを抑えてきたのは遼州の犯罪は遼州が裁くと言う原則を貫いて来たからだ。それを遼州の有力国家である甲武が宰相麾下一斉にその原則を潰そうとするというのが俺には理解できないよ」
嵯峨はそう言って笑って見せるが、赤松はその笑いがいつも嵯峨が浮かべている自嘲の笑いとは違うものであることに気づいていた。明らかに悪意を持っている笑み。まだ嵯峨が遼帝国の亡命貴族として出会った時からその独特の表情をよく知っていた。
「それにパルキスタンで小銭を稼いだ近藤さんが起こした『近藤事件』はもう終わったことだ。それを今更どうこうしてもはじまらないよ。甲武の『官派』の残党が近藤さんからいくら金をもらってたかしらないが、慎重な奴は決起の段階でその証拠は隠滅済みだったよ。アメリカがどうバルキスタンの独裁官の職にあるエミール・カント将軍の口から兄貴の政敵を追い詰められる材料を拾えるかってところだが、まず俺は期待はできないと断言できるね……あの将軍様は原料生産までがお仕事。それを加工して店に出してたのは近藤の旦那だ。自分の作ってる作物を食ってる客の顔なんか見てる農家は居るかってえの」
嵯峨は赤松をにらみつけたまま煎茶を啜り、その香りを口の中に広げていた。
一瞬、風の温度が変わった。都市近郊に設置された気温制御システムが夜のそれへと変わったのだろう。開いたふすまの向こうに広がる池で三尺を超える大きな金色の錦鯉が跳ねた。
「ほうか。じゃあお前さんはこのまま黙っとれ言うつもりか?汚れた金を使うて正義面しとるアホ共がぎょうさんおる言うのがわかっとるのに。ワシは黙っとれん!正直、そんなアホを全員どつきまわさな気が収まらん。そんなワシの性分を少しはわかってんか?」
赤松の眼が鋭く光る。湯飲みを口にする嵯峨の手元にそれは突き刺さる。茶を勧める老女が赤松から湯飲みを受け取る。中の冷めたお茶を捨て、新しく茶を入れていた。
「忠さん、私情を入れるなと言ったアンタが私情を入れてるぜ。誰もそんなアホを庇ってやるなんてことは一言も言っちゃいねえよ。いつかは連中にもけじめをつけてもらう予定だ。だが、けじめをつけるメンツにはアメリカ軍人はいらないな。いや、アメリカだけでなく遼州圏の住人以外はいちゃいけないんだよ」
嵯峨の言葉、そして赤松を見つめるその目はいつもの濁った瞳ではなく、殺気をこめた視線だった。赤松はようやく自分の説得が無駄に終わったことを感じた。
「ほうか、わかった。全部新の字が片を付けるから甲武には手を出すないうことやろ?それなら『人斬り新三』の手並みいうのを見せたってくれ」
赤松はかつて嵯峨と最初に友になった時と同じくすべてを飲み込んだという表情でそう言った。
「……それと、今日はもう一つ頼みがあってな。貴子が、お前に会いたいって言うとる」
赤松が不意に笑みを浮かべる。
嵯峨の表情も、どこか肩の力が抜けたように緩んだ。
「……貴子さんか。あの頃の俺は、そりゃまあ、今よりもっと駄目だったな」
そう言って相好を崩す赤松に嵯峨の瞳もいつもの濁った緊張感のない表情に変わった。貴子。赤松貴子。かつて軍の高等予科に所属していたときに憧れの美人と嵯峨も赤松も一緒になって盛り上がっていた女性だった。その貴子は結局は赤松家に嫁ぎ、嵯峨はそのまま振られた未練を引きずっていた時期もあった。そんな甲武の軍人を目指す貴族出身の若者たちのあこがれの的だった美女だった。
「貴子さんか。お前さんはあの人には相変わらず頭が上がらないらしいなあ。まああの人は昔からきつかったから。俺を振った時のセリフもきつかったなあ……まあ俺の場合は自業自得なんだけど」
嵯峨はそう言って笑った。貴子は今は亡きかつて二人の共通の親友の姉である。稀代の美女にして女傑と言われた彼女が赤松を尻に敷いていることを思い出して嵯峨は下品な笑みを浮かべた。
「叔父上」
そう言って静かに廊下から入ってきたかえではそのまま嵯峨のそばに寄って内密な話をしようとした。
「いいぜ、別に。甲武海軍第三艦隊司令赤松忠満中将殿に内緒ごとなど無駄なことだよ。なあ!」
そう話を振られて少しばかりあわてて赤松がうなずいた。
「では失礼して、ベルルカンの馬加大佐からの報告書が届いておりますが」
かえでの言葉に赤松は少しばかり頬を引きつらせた。
現在、ベルルカン大陸には約3万の甲武軍の兵士が駐留していた。しかし、それはどれも二線級の部隊であり、馬加の指揮する下河内特科連隊のような陸軍の精鋭部隊が動いていると言う話は海軍の赤松には初耳だった。しかも下河内特科連隊は陸軍内部でも嵯峨の被官の多い泉州鎮台府に所属している。醍醐陸相に内密に嵯峨がこれを動かしてることは間違いないと赤松は気づいた。
「ああ、後にしろよ。時間はまだ来てはいないみたいだからな。それに仕事の話はもう済んだ。俺は面倒ごとは後に回す主義でね」
そう言うと嵯峨は立ち上がった。お互い年を取った。二人がかえでの報告で嵯峨が感じたのはそう言う実感だけだった。
「かえで坊もまあ……べっぴんはんにならはってまあ……新の字!なんどもいうとるけど貴子も久しぶりに新の字の顔が見たい言うとんねん、ワレが甲武に折るうちにうちに来てや、な?」
そう言うと赤松は立ち上がる。そして少し下がって控えているかえでを見て赤松は何かがひらめいたとでも言うように手を叩く。
「ああ、そうや。かえでも来いへんか?貴子も喜ぶ思うねん。それとうちの久満も……」
赤松忠満の次男、赤松久満海軍中佐は本部付きのエリートであり、何度と無くかえでに無駄なアタックを続ける不幸な青年士官だった。かえでは男女ともに好みがうるさい。彼女の眼鏡に赤松に似た小太りでメガネの小男である久満は叶うものでは無かった。
「あの、お申し出はうれしいのですが、お断りさせていただきます。僕には心に決めた人がいますから……」
そう言ってかえではその細い面を朱に染める。
「ああ、姉さんか!しかし、女同士……しかも姉妹ちゅうのはどないやろなあ?まあワシのおかんの例もあるいうてもなあ!」
赤松の母、『甲武の虎』と呼ばれた女猛将、赤松虎満は女性当主だった。彼女は典型的なレズビアンで、家督相続の後に妻を迎え遺伝子操作によって三人の息子を妻に産ませた。その三男坊が忠満だった。
「俺に聞くなよ……それより……いつものは?」
嵯峨はそう言って右手を赤松に差し出した。嵯峨愛用の軍用タバコ『錦糸』は甲武海軍でしか支給されない珍しい代物だった。月3万円の小遣いで暮らしている嵯峨にとって、竹馬の友である赤松から送られるタバコはその喫煙生活を支える重要な資源となっていた。
「タバコか?ええ加減自分の金で買えや。なんでもあの物価の高い東和でも小遣い東和円3万円で暮らしとるようやないか。いっそのこと禁煙したらどやねん」
そう言いながら赤松は隣に置いてあった箱を嵯峨の目の前に置いた。
「俺は吸い慣れてる銘柄じゃねえと気が済まないの。俺はこの『錦糸』と決めてるんだ……甲武の軍用タバコなんて東和じゃ手に入らないからな。専門店で扱っている店もあるとは噂には聞いてるがプレミアがついててとても手が出せる代物じゃ無いよ。それに俺にとってタバコの無い人生は価値が無い。俺にとってタバコのない人生なんて、辛気臭いだけだ。三流でも四流でも、せめてもの俺の価値はこれで保たれてるんだよ」
そう言って嵯峨はタバコのカートンの入った段ボールを叩いた。赤松は嬉しそうな顔の嵯峨を見て大きな声で笑い始めた。かえでがそれを見て少し呆れたように溜息をつく。
けれどもその光景には、確かに『平和』の匂いが漂っていた。
先ほどまでの殺気立った政治向きの話は消え去り、世間話に花を咲かせる時間が訪れた。
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天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
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