遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』の死闘

橋本 直

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第二十章 『特殊な部隊』の気遣い

第46話 悪内府、笑う……血判と作戦

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 まさに、苦虫を噛み潰したような顔だった。

 陸軍大臣・醍醐文隆は、無言で嵯峨惟基の隣に座っていた。上座、それも政敵・九条家の屋敷という最悪の場所だった。甲武政界における『官派』の牙城に、失態を犯した自分の意思で足を運んでしまった屈辱。その苛立ちは顔にありありと滲んでいた。

 つい先日の、バルキスタンでの米軍との共同作戦の失敗。逃げ道は、もはやない。

 しかもこの場には、九条家の当主・九条響子、そしてかつての『主君』嵯峨惟基もいる。

 『近藤資金』の流れに関与していると目される政府高官たちも、九条家の被官という名目で呼び出され、居並ばされていた。そんな彼らを、隣の嵯峨は涼しい顔で見渡している。それを横目に、醍醐の表情はさらに歪む。

「醍醐さん、そんな顔しないでくださいよ。せっかく貴重な会合なんですから。ほら、なかなかこれだけの日頃は忙しい人達が一堂に会せませんよ?笑ってください、ね?」

 からかうような口調で、嵯峨が微笑む。その目には、読み切れぬ計算の色が滲んでいた。

 響子もそれを感じたのか、言葉を発さず、じっと嵯峨を見据える。

 醍醐は、そんな響子の姿にわずかに救われた思いだった。西園寺首相による厳しい政策に反発する下級士族たちの支持を集める彼女の存在は、甲武の安定には不可欠だと感じていた。そうでなければ……かつての主君を隣に座らせ、黙って耐えてなどいられなかった。

「内府殿。自分の失態をかばってくれない主君を持った臣下の気持ち、少しはお察しいただいた方がよろしいのではなくて?」

 響子の声音は優しいが、棘を含んでいた。

「混乱を予見していたのであれば、陸軍大臣たる醍醐様に諫言するのが筋。そうした振る舞いゆえ、『悪人』と呼ばれるのではありませんか?」

 彼女は袖を揺らし、静かに微笑んだ。

 その声色の奥にある苦悩を、嵯峨は悟っていた。元は本家がわずかに与えただけの捨扶持で生きてきた分家の娘に過ぎなかった彼女が、このような政治の舞台に立たされている。その重さが、言葉の奥に滲んでいた。

「それを伝えなかった私の未熟さですな。本当に申し訳ない……が、結果が出てから評価してもらいましょう。ま、さすが響子さん。よくできたお人だ」

 嵯峨の口調は一転、からかうような口調に戻る。

「ただねぇ、米帝が裏切るとは思わなかった……なんて言ってた醍醐とっつぁんには、さすがに呆れましたよ。とはいえ、部下を信じるのも上司の美徳。教えなかった私が悪いんでしょうね、うん」

 嵯峨の皮肉に、醍醐は乾いた笑いを返す。下座の者たちは、嵯峨と響子を交互に見比べていた。嵯峨には『悪内府』と恐れられるだけの実績がある。一方、分家出身で若い響子に対しては、『官派』内でも不安視する声が多い。

 醍醐は、場違いにも思える自分の存在を意識しながら、西園寺派の高官たちに視線を送った。彼らが、自身の失敗を咎めているように感じたからだ。

『責任は、すべて私が取るべきだ……』

 そう言いたい衝動に駆られながらも、醍醐はただ黙って座しているしかない。

『『内府殿』は変わらん。いや、むしろ磨きがかかっている……』

 隣にいるだけで、意のままに操られている錯覚すら覚える。それほどまでに、嵯峨の言葉と『空気』には毒と魅力があった。

「では、『司法局実働部隊』に任せることで、この混乱は収束すると断言されるのですね?失敗は絶対にないと?」

 九条家の被官が、皮肉混じりに釘を刺す。司法局実働部隊には悪評も多く、失敗すればその責任を嵯峨一人に押しつける算段だろう。

「だから言ったでしょう、絶対に失敗しないと。血判でも書いて見せましょうか?失敗の際は切腹すると。ま、不死人の私が腹を切っても意味はないでしょうが……今回の作戦は、完璧ですよ。『近藤事件』の時の比じゃない。私の最高傑作です!」

 どこまでもふざけたような口調だが、その裏には確かな自信が見え隠れする。

 一方、嵯峨家や西園寺家の被官たちは静かだった。司法局実働部隊を用いて、バルキスタンの反政府勢力を制圧し、選挙期間中に停戦を実現する……そんな無理難題を本気で成し遂げるつもりなのかと、皆が不安を抱いていた。

「05式広域鎮圧砲。試験に一度だけ成功した新兵器を、実戦投入するおつもりか?」

 嵯峨家の被官の一人である海軍准将・前田恒厚が問いを投げた。その口調は嵯峨の表情の変化を探るような静かなものだった。

「『ふさ』一隻に特戦一個小隊。明らかに戦力不足です。結局、我が海軍の出番になるのでは?」

 その言葉に、周囲の軍属たちも小さくうなずいた。

 だが嵯峨は黙して語らない。

 沈黙を破ったのは、響子だった。

「内府殿の構想は、神前という一兵士の『一撃』に、遼州の未来を託すということなのでしょうか?」

 紫の着物を揺らし、黒髪を払いながら言う。

「確かに『光のつるぎ』で近藤中佐のクーデター未遂の鎮圧を成功させたとはいえ、そこまで彼を信じてよいのか、私には判断がつきません」

 嵯峨は照れたように頭を掻き、周囲を見回す。

「まあ、そう聞こえても仕方ないですな。でも、ちゃんと『保険』はかけてますよ。『ふさ』は既に展開済みですし、遼帝国軍にも準待機命令が出ていますから」

 何事もなかったかのように嵯峨はさらりとそう言った。

『『遼帝国軍』ですか……』

 九条派の下座から嘲笑が漏れる。遼帝国軍の無能ぶりは有名だった。20年前の『第二次遼州大戦』でも遼帝国軍の無謀な暴走や裏切り、寝返りによって煮え湯を飲まされた軍の高官たちは少なからずこの場に居た。そう言う嵯峨自身が、その戦力の無力さを身をもって体験しているのも誰もが知るところだった。

「大丈夫、最初の一撃で片をつけますよ。しかも……ねぇ、醍醐さん?」

 嵯峨は意地悪く笑う。

「忠さ……いや、赤松中将の第三艦隊。その背後に、アメリカ軍が待機してるんでしたよね?」

 一斉に場が静まる。

 醍醐は目を見開いた。

「……聞いていませんよ、そんな話は!」

 アメリカ軍は、甲武軍が共同作戦を辞退した時点で撤退するはずだった。だが、嵯峨の言葉は……つまり、甲武海軍の誇る虎の子の第三艦隊が、アメリカ軍とカント将軍率いるバルキスタンのキリスト教民兵組織と挟撃される危険すらあるということを意味していた。

「落ち着いてください、醍醐さん。うまくやれば、何事も起きません。私の主義は、有言実行、ですから」

 自信たっぷりに笑う嵯峨に、響子は静かに言った。

「では、そのお言葉を信じましょう。万が一失敗すれば、我が海軍の誇る第三艦隊が出動することになりますが……よろしいですね?」

 念を押すように響子は嵯峨に向けてそう言った。

「構いませんよ。ですが、おそらく出番はありません。私の『シナリオ』は、そんなリスクでは崩れませんから」

 これまで静かだった嵯峨の瞳に、生気が灯る。

 響子は、静かに頭を下げた。

「内府殿。くれぐれも、我々の信頼を裏切ることなきよう。我々の期待には、必ず応えていただきますので」

 その言葉に、座敷の空気が止まる。

 嵯峨は満面の笑みを浮かべ、ゆっくりと頭を下げた。

 響子のその言葉に九条側は納得したように次々と立ち上がり、そのまま襖を開けて廊下へと出て行った。それぞれに通信端末を手にしているところからして甲武政府や軍に嵯峨の作戦が一気に広まるだろうと思うと複雑な心境で醍醐は嵯峨に目をやった。

「良いんですか?今回の作戦は無茶がありすぎますよ」

 『民派』の重鎮の武家貴族である前田はそう醍醐に声をかけた。

「それに先ほどの言葉はどう見ても内府殿に不利に使われる可能性があります。『近藤事件』以降、連中は我々の揚げ足を取りたくて必死のはず……これ以上攻撃材料を与える必要はないように思うのですが?」 

 そう言って前田は嵯峨に詰め寄った。前田ばかりではなく西園寺派の武官達は暗い表情で嵯峨と醍醐を取り巻いた。

「そうは言うが……」 

 恨めしそうに醍醐は嵯峨を見つめる。だが当人はまるで二人の様子に関心が無いというように立ち上がった。

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