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第十八章 『特殊な部隊』と偶然の視線
第49話 窓はスクリーン、偶然は段取り
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銀座の人波に紛れて歩く誠たちを見下ろす四つの目が近くのホテルの一室にあった。
「偶然とはいえ、面白いものが見られたな。桐野君、君は見ないのかね?君にも興味のある光景だと思うよ。こんな光景を見られるとは……。東和に滞在していて本当に良かったと私は実感しているよ」
階下の繁華街を見下ろす老人を見ながらコートの男は静かに酒を飲み続けた。
「そうですか……それならこのホテルを抑えた俺の努力の甲斐があったというものだ……まあ、実際に抑えたのは相棒ですがね」
そんなコートの男の不愛想な返答など気にしていないというように老人の笑顔は消えることが無かった。
「まああの西園寺の姫君が司法局実働部隊に所属している以上、この界隈で彼らに出くわしたとしても少しも不思議なことが無いとはいえるのだがね。それにしてもこんな街にも彼らに出会えるとは……私にも運が向いてきているようだ。そう考えると人生というものが面白く感じられるようになるよ」
東和の首都東都でも知られた格式高い、東和共和国ホテルの一室から老人は階下の誠達を眺めていた。
喜色満面で窓の下の光景から目を離し自分を見つめてくる老人に桐野孫四郎は口元にゆがんだ笑みを浮かべた。それまでの無表情から老人の顔に笑顔が突発的に浮かんだ。それを見てぎこちない桐野の無表情が崩れたことが桐野には気に入らなかった。
「神前誠ほどの有名人がこんなところで買い物とは。どうせ西園寺の姫君のお買い物に付き合わされての事なのだろうがね……なんなら今からここで君が彼の首を挙げてもいいんじゃないかね?衆人環視の下、『近藤事件』の英雄を斬殺する。君好みのシチュエーションだと思うのだが、どうだろうか?」
老人、ルドルフ・カーンはホテルの4階から見える神前誠とカウラ・ベルガー、二人の司法局の隊員を見下ろしながら窓辺で立ったままコーヒーをすすっていた。一方の桐野は部屋のソファーに腰かけてただ黙って横に置いてある製図用の筒にしては長すぎる黒い筒の方に目をやっていた。
「それは俺の意思だけでできることじゃない。陛下はまだあの若造には利用価値があるとお考えだ。それに俺にはあんな使えない若造の首なんぞには興味は無い。俺の興味があるのはあの若造の部隊の隊長の首だけだ」
桐野はそう言うと中に桐野の愛用の日本刀の入った筒から手を放しグラスに注がれた冷えた日本酒を煽った。
「なるほど彼の首を取るには君の飼い主の許可がいることなんだね。まだ彼には利用価値があるということは『廃帝』陛下もそれだけあの青年を買っているということか。それと言っておくと君では嵯峨君の首は取れないよ。剣の腕や法術師としての強さだけではあの男は倒せない。頭を使う必要がある。違うかね?」
そう言うとカーンはそのまま桐野が座っているソファーに向かって歩いてきた。それを不愉快に思っているのか、桐野は手にしたグラスに注がれた日本酒を一気に煽った。
「それよりあんたのほうが心配だな。東和に入国してもう一月あまり。嵯峨の茶坊主の情報網でもあんたの存在はつかめているはずだ。同じ戦争犯罪人として警告しておこう。これ以上この国にあんたが居るのは危険すぎる。とっととあの冷たいアステロイドベルトのアジトに帰った方が身の為なんじゃないか?あんたの行動は俺みたいな隠れて生きる戦争犯罪人から言わせれば目立ちすぎる。こんな高級ホテルにばかり選んで宿を取っていればあの男にも嫌でも目につくはずだ」
静かに座っている桐野孫四郎の隣に立つと軽蔑するような冷酷な表情がカーンに浮かんだ。
遼州系第四惑星のゲルパルトの『アーリア人民党』残党の影の支配者であるカーンの軽蔑するような冷たい視線に桐野は辟易したような表情を浮かべていた。
先の『第二次遼州大戦』で反体制分子に対する苛烈な摘発活動の結果、カーンは地球圏や遼州系同盟国に追われる身だった。
「人の心配より自分の心配をするのだね。なにより君は殺生が過ぎる。最近の君の趣味は私には理解できない。……あまりに度が過ぎる。私も殺人を否定する権利は無いのは確かだがね。人には使い道がある。生きている人間は利用する価値があるから存在するものだと私は考えているんだ。自分の快楽の為に簡単にそれを殺してしまうなど愚の骨頂だよ。しかも斬った女をその場で犯すというじゃないか……私には理解できない趣味だな」
カーンは桐野をとがめると静かにソファーに座り冷めたコーヒーをまずそうに飲んだ。
「確かに君の警告の通り遼帝家の武帝が仕組んだ情報網を掌握している嵯峨君だ。私の行動の一部は漏れているだろうし、それによって私の宿泊場所も数箇所に限定されていることだろう。そのことくらい私は分かっている。伊達に年を重ねてきたわけでは無いんだ」
余裕のあるカーンの表情に桐野はいまひとつその真意が読めないと言うような顔をした。
「だが、彼は自分の情報網で私の居場所をつかんだと言うことですぐにここに踏み込むことはしない。私はそう確信しているよ。彼は君が思うよりよっぽど複雑な男だ。単純に私を捕まえて地球圏でも私に特に恨みのあるアメリカやイスラエルに引き渡せば事が済むとは考えていない。むしろ私を泳がせておいて利用しようと考える。私が言うのも何だが彼は非常に狡賢い。見ているこちらが嫌になるくらいにね」
その老人の余裕をいぶかしげに眺めながら桐野は四合瓶に入った大吟醸を惜しげもなくグラスに注いだ。
「もし私の身になにかあれば遼州圏ばかりでなく地球圏にも投下した私の手にある資産が消えてなくなるんだ。そうなれば地球人の入植したすべての星系の経済がある程度の打撃を受ける。彼も経済学の博士号を持っているんだからそれからの経済や社会情勢のシミュレーションくらいできているはずだ。あおりを受けてこの東和の経済にもいささかの打撃が有り、それが同盟解体への引き金を引く原因にもなりかねない。そう考えれば、今、嵯峨君が私を捕まえる理由は無い。彼も同盟機構の職員である以上、同盟機構を守るために私の逮捕のタイミングくらい分かった上で行動を取るだろう。それに彼は今、彼自身が出来損ないと認めたシュツルム・パンツァー『武悪』の受け入れと言う地球圏の連中から目を付けられかねない危険な作業に従事している。私に地球圏の関心が分散してくれればそれこそ彼にとっては好都合だ。嵯峨君も意地の悪い男だ。こんな老人を囮にして何が楽しいと言うんだろう?」
そう言ってカーンは不味いコーヒーの入ったグラスをテーブルに置いた。そしてにやりと笑った。
そんな御託など桐野には興味がなかった。左手にある日本刀の入った製図用の筒を握る手に力を込めた。
突然ノックもなく部屋の扉が開いた。入ってきたのは革ジャンを着たサングラスの男、桐野の腰巾着として知られた北川公平、そしてそれに続いて長い黒髪に黒い質素なドレスを身にまとった女性が続いて入ってきた。桐野の視線は表情を殺している女性に向かった。
「北川、ノックぐらいはするものだな。客が居るんだ」
そう言って桐野は日本刀の入った筒から手を離した。革ジャンにサングラスの男はそれを見て大きく深呼吸をした。
「なあに気取ってるんですか?桐野の旦那?また斬ったらしいじゃないですか。しかもレディーを。いけませんよー、女性も立派な労働者です。彼らが社会を支えている。そんな労働者を簡単に自分の楽しみのために殺したら社会の敵になりますよ。どうせ殺すなら資本家にしなさい。連中の替えはいくらでもあるんだ。それなら俺も協力しますよ。こう見えても元学生活動家なんで。労働者の敵を皆殺しにするのが学生活動家の本分ですからね」
北川はにやりと笑うとそのまま老人の隣にどっかと腰を下ろした。そしてそのまま入り口で立ち尽くしている女性に顔を向けた。
「おい、姉ちゃん。こういう時は気を利かせてビールぐらいサービスするもんだぜ。気が利かないねえ……」
その言葉に女性はぶらぶらと下がっていた手を水平の高さまで上げた。
次の瞬間、その手に黒い霧が立ち込める。そしてその霧が晴れると彼女の手にはビールが握られていた。その一連の出来事に北川は思わず頭を抱えた。
「なんでこんなところで力を使うかなあ……そんなこと俺がいつ教えた?ここには関係者しかいないから良いけど、街角でそんなところを見られたら俺らは困るんだよ……わかる?ってわかりそうにないって顔だな」
あきれ果てたというように北川は女性から缶ビールを受け取った。
「ビールを出せと言ったのは貴様だ。どんな出し方をしようが私の勝手だ」
抑揚の無い言葉。仕方なく彼女が差し出すビールを受け取った北川は勢いよくプルタブを引くとそのまま缶ビールを飲み始めた。
「確かにこれでは役に立たないな。洗脳もやりすぎると日常生活も送れなくなってリハビリが必要になると言うことだろう。力のあるのが普通だと思い込み始めたら力を無制限に使うようになる。それではいざと言う時に役に立たない。その為の教育を俺達はしているんだ……北川。しばらくは貴様はしっかり教師の真似事に集中していろ」
桐野の一言にカーンは静かにうなずいた。
「教師の真似事ねえ……生徒に見込みが有ればやる気も出ますが……生徒がこれじゃあ……。所詮、養殖モノの法術師は駄目なんすよ。こいつなんてマシなほうだ。他の二人にいたっては怖くて隣の部屋から出せませんよ。潜在的に法術師の能力を持っているものを無理に覚醒させたことの反動って奴ですか?理性が法術に侵食されていて普通の人間のやるような行為がまるで思いつかないと来てる。自然覚醒した俺や桐野の旦那みたいな天然モノじゃないと戦力としてはねえ……まあ、買い手のファシストの旦那がそれで良いって言うんだからそれで良いんでしょうけど。そのこの商品をお買い上げになったファシストのお客様。アンタはどう思うかな?」
ひと心地ついたと言うように北川は缶をテーブルに置いた。視線は自然とカーンに向かった。
「むしろ私としては日常生活で我々力なき元地球人に依存してくれた方が扱いやすくて好都合だがね。君達のような身勝手な野良犬の飼い主になる自信はないよ。自分の事は自分でできるのは良いが、いつ飼い主の首元に嚙みついてくるか分かったものでは無い。あまりにリスクが高すぎるよ」
カーンは皮肉を込めた調子で北川を見つめた。その青い瞳には明らかに侮蔑の色が浮かんでいた。
「人を犬って!さすがファシズムを掲げるブルジョアは労働者を見下すのがお好きなようで!」
北川が立ち上がろうとするのを桐野は日本刀の入った黒い筒で止める。その筒の中身を知っているカーンの表情は一切変わらなかった。
「確かにあなたから見たら……と言うかほとんどの地球人から見れば遼州原住民は忌むべき不気味な存在だ。いっそのこと洗脳するか根絶するかしたい存在なのは分かってますよ。それまでの地球人が思いもつかない力を持った生き物が闊歩している。どう見たってフェアとは言えませんからねえ」
ビールを一口飲んだ北川はそう言って笑った。三人の間に走る緊張。だが、桐野はすぐに筒を床に置き、再びソファーに座りなおした。その様子を見て立ち尽くす女性の表情に一瞬浮かんだ殺気が消えた。
「君達と人道について語る必要は私には無い。あくまでも利害が一致したからここに居る。そうなんだろ?」
カーンはそう言うと女性に手招きした。桐野達を無視して表情が死んでいるような女性はそのままカーンからコーヒーカップを受け取った。彼女はそのまま流しのところまで行って半分ほど入っていたコーヒーを捨てた。
「こいつ等には俺等の再教育など必要無いんじゃないですか?……いっそのこと爺さんのオムツでも代える仕事が向いてるよ。なあアンタ!」
北川が声を掛けるが女性は反応を示さない。その様子を見ていた桐野の表情がこわばった。
「確かに彼女を介護士として養成するなら地球人にでも教育できそうだ。だがそれでは私が君達の飼い主に払った金が無駄になるな。地球圏に行けば私が提示する金額で応募して来る介護士候補などうんざりするほどいる。そんな連中に金を使うほど私は酔狂では無いよ」
カーンの言葉には桐野も北川も黙り込むしかなかった。いつまでとは指示は無かった。とにかくゲルパルトのアーリア人民党残党勢力の手元にある調整済み法術師を一般市民に混ざってもわからない程度の常識を教え込む。それが桐野達に与えられた指示だった。
「こいつ等が社会に出ても人ごみに紛れられるように調教するように躾ける仕事はする。ただその結果、自分の面倒を見られるようになった飼い犬に手を噛まれないように気を付けた方が良いな……それが力なき老人に俺からできる唯一の助言だ。力のある者と力の無い者……所詮、同じ空間に居るのは危険なことなんだと心得ておくと良い」
それだけ言うと桐野は再び大げさにグラスの酒を煽った。
「まったく面倒な仕事を押し付けられたもんだな。まあ、なんとかあと二週間でどうにかしましょう!普通の精神異常者程度のレベルにまでは持っていけると思いますよ。それ以上の教育は無理だってことは精神医学を専門にしてない俺から見ても分かる!」
北川はそう言うとビールを飲み干し、苦笑いを浮かべつつカーンをにらみつけた。
「偶然とはいえ、面白いものが見られたな。桐野君、君は見ないのかね?君にも興味のある光景だと思うよ。こんな光景を見られるとは……。東和に滞在していて本当に良かったと私は実感しているよ」
階下の繁華街を見下ろす老人を見ながらコートの男は静かに酒を飲み続けた。
「そうですか……それならこのホテルを抑えた俺の努力の甲斐があったというものだ……まあ、実際に抑えたのは相棒ですがね」
そんなコートの男の不愛想な返答など気にしていないというように老人の笑顔は消えることが無かった。
「まああの西園寺の姫君が司法局実働部隊に所属している以上、この界隈で彼らに出くわしたとしても少しも不思議なことが無いとはいえるのだがね。それにしてもこんな街にも彼らに出会えるとは……私にも運が向いてきているようだ。そう考えると人生というものが面白く感じられるようになるよ」
東和の首都東都でも知られた格式高い、東和共和国ホテルの一室から老人は階下の誠達を眺めていた。
喜色満面で窓の下の光景から目を離し自分を見つめてくる老人に桐野孫四郎は口元にゆがんだ笑みを浮かべた。それまでの無表情から老人の顔に笑顔が突発的に浮かんだ。それを見てぎこちない桐野の無表情が崩れたことが桐野には気に入らなかった。
「神前誠ほどの有名人がこんなところで買い物とは。どうせ西園寺の姫君のお買い物に付き合わされての事なのだろうがね……なんなら今からここで君が彼の首を挙げてもいいんじゃないかね?衆人環視の下、『近藤事件』の英雄を斬殺する。君好みのシチュエーションだと思うのだが、どうだろうか?」
老人、ルドルフ・カーンはホテルの4階から見える神前誠とカウラ・ベルガー、二人の司法局の隊員を見下ろしながら窓辺で立ったままコーヒーをすすっていた。一方の桐野は部屋のソファーに腰かけてただ黙って横に置いてある製図用の筒にしては長すぎる黒い筒の方に目をやっていた。
「それは俺の意思だけでできることじゃない。陛下はまだあの若造には利用価値があるとお考えだ。それに俺にはあんな使えない若造の首なんぞには興味は無い。俺の興味があるのはあの若造の部隊の隊長の首だけだ」
桐野はそう言うと中に桐野の愛用の日本刀の入った筒から手を放しグラスに注がれた冷えた日本酒を煽った。
「なるほど彼の首を取るには君の飼い主の許可がいることなんだね。まだ彼には利用価値があるということは『廃帝』陛下もそれだけあの青年を買っているということか。それと言っておくと君では嵯峨君の首は取れないよ。剣の腕や法術師としての強さだけではあの男は倒せない。頭を使う必要がある。違うかね?」
そう言うとカーンはそのまま桐野が座っているソファーに向かって歩いてきた。それを不愉快に思っているのか、桐野は手にしたグラスに注がれた日本酒を一気に煽った。
「それよりあんたのほうが心配だな。東和に入国してもう一月あまり。嵯峨の茶坊主の情報網でもあんたの存在はつかめているはずだ。同じ戦争犯罪人として警告しておこう。これ以上この国にあんたが居るのは危険すぎる。とっととあの冷たいアステロイドベルトのアジトに帰った方が身の為なんじゃないか?あんたの行動は俺みたいな隠れて生きる戦争犯罪人から言わせれば目立ちすぎる。こんな高級ホテルにばかり選んで宿を取っていればあの男にも嫌でも目につくはずだ」
静かに座っている桐野孫四郎の隣に立つと軽蔑するような冷酷な表情がカーンに浮かんだ。
遼州系第四惑星のゲルパルトの『アーリア人民党』残党の影の支配者であるカーンの軽蔑するような冷たい視線に桐野は辟易したような表情を浮かべていた。
先の『第二次遼州大戦』で反体制分子に対する苛烈な摘発活動の結果、カーンは地球圏や遼州系同盟国に追われる身だった。
「人の心配より自分の心配をするのだね。なにより君は殺生が過ぎる。最近の君の趣味は私には理解できない。……あまりに度が過ぎる。私も殺人を否定する権利は無いのは確かだがね。人には使い道がある。生きている人間は利用する価値があるから存在するものだと私は考えているんだ。自分の快楽の為に簡単にそれを殺してしまうなど愚の骨頂だよ。しかも斬った女をその場で犯すというじゃないか……私には理解できない趣味だな」
カーンは桐野をとがめると静かにソファーに座り冷めたコーヒーをまずそうに飲んだ。
「確かに君の警告の通り遼帝家の武帝が仕組んだ情報網を掌握している嵯峨君だ。私の行動の一部は漏れているだろうし、それによって私の宿泊場所も数箇所に限定されていることだろう。そのことくらい私は分かっている。伊達に年を重ねてきたわけでは無いんだ」
余裕のあるカーンの表情に桐野はいまひとつその真意が読めないと言うような顔をした。
「だが、彼は自分の情報網で私の居場所をつかんだと言うことですぐにここに踏み込むことはしない。私はそう確信しているよ。彼は君が思うよりよっぽど複雑な男だ。単純に私を捕まえて地球圏でも私に特に恨みのあるアメリカやイスラエルに引き渡せば事が済むとは考えていない。むしろ私を泳がせておいて利用しようと考える。私が言うのも何だが彼は非常に狡賢い。見ているこちらが嫌になるくらいにね」
その老人の余裕をいぶかしげに眺めながら桐野は四合瓶に入った大吟醸を惜しげもなくグラスに注いだ。
「もし私の身になにかあれば遼州圏ばかりでなく地球圏にも投下した私の手にある資産が消えてなくなるんだ。そうなれば地球人の入植したすべての星系の経済がある程度の打撃を受ける。彼も経済学の博士号を持っているんだからそれからの経済や社会情勢のシミュレーションくらいできているはずだ。あおりを受けてこの東和の経済にもいささかの打撃が有り、それが同盟解体への引き金を引く原因にもなりかねない。そう考えれば、今、嵯峨君が私を捕まえる理由は無い。彼も同盟機構の職員である以上、同盟機構を守るために私の逮捕のタイミングくらい分かった上で行動を取るだろう。それに彼は今、彼自身が出来損ないと認めたシュツルム・パンツァー『武悪』の受け入れと言う地球圏の連中から目を付けられかねない危険な作業に従事している。私に地球圏の関心が分散してくれればそれこそ彼にとっては好都合だ。嵯峨君も意地の悪い男だ。こんな老人を囮にして何が楽しいと言うんだろう?」
そう言ってカーンは不味いコーヒーの入ったグラスをテーブルに置いた。そしてにやりと笑った。
そんな御託など桐野には興味がなかった。左手にある日本刀の入った製図用の筒を握る手に力を込めた。
突然ノックもなく部屋の扉が開いた。入ってきたのは革ジャンを着たサングラスの男、桐野の腰巾着として知られた北川公平、そしてそれに続いて長い黒髪に黒い質素なドレスを身にまとった女性が続いて入ってきた。桐野の視線は表情を殺している女性に向かった。
「北川、ノックぐらいはするものだな。客が居るんだ」
そう言って桐野は日本刀の入った筒から手を離した。革ジャンにサングラスの男はそれを見て大きく深呼吸をした。
「なあに気取ってるんですか?桐野の旦那?また斬ったらしいじゃないですか。しかもレディーを。いけませんよー、女性も立派な労働者です。彼らが社会を支えている。そんな労働者を簡単に自分の楽しみのために殺したら社会の敵になりますよ。どうせ殺すなら資本家にしなさい。連中の替えはいくらでもあるんだ。それなら俺も協力しますよ。こう見えても元学生活動家なんで。労働者の敵を皆殺しにするのが学生活動家の本分ですからね」
北川はにやりと笑うとそのまま老人の隣にどっかと腰を下ろした。そしてそのまま入り口で立ち尽くしている女性に顔を向けた。
「おい、姉ちゃん。こういう時は気を利かせてビールぐらいサービスするもんだぜ。気が利かないねえ……」
その言葉に女性はぶらぶらと下がっていた手を水平の高さまで上げた。
次の瞬間、その手に黒い霧が立ち込める。そしてその霧が晴れると彼女の手にはビールが握られていた。その一連の出来事に北川は思わず頭を抱えた。
「なんでこんなところで力を使うかなあ……そんなこと俺がいつ教えた?ここには関係者しかいないから良いけど、街角でそんなところを見られたら俺らは困るんだよ……わかる?ってわかりそうにないって顔だな」
あきれ果てたというように北川は女性から缶ビールを受け取った。
「ビールを出せと言ったのは貴様だ。どんな出し方をしようが私の勝手だ」
抑揚の無い言葉。仕方なく彼女が差し出すビールを受け取った北川は勢いよくプルタブを引くとそのまま缶ビールを飲み始めた。
「確かにこれでは役に立たないな。洗脳もやりすぎると日常生活も送れなくなってリハビリが必要になると言うことだろう。力のあるのが普通だと思い込み始めたら力を無制限に使うようになる。それではいざと言う時に役に立たない。その為の教育を俺達はしているんだ……北川。しばらくは貴様はしっかり教師の真似事に集中していろ」
桐野の一言にカーンは静かにうなずいた。
「教師の真似事ねえ……生徒に見込みが有ればやる気も出ますが……生徒がこれじゃあ……。所詮、養殖モノの法術師は駄目なんすよ。こいつなんてマシなほうだ。他の二人にいたっては怖くて隣の部屋から出せませんよ。潜在的に法術師の能力を持っているものを無理に覚醒させたことの反動って奴ですか?理性が法術に侵食されていて普通の人間のやるような行為がまるで思いつかないと来てる。自然覚醒した俺や桐野の旦那みたいな天然モノじゃないと戦力としてはねえ……まあ、買い手のファシストの旦那がそれで良いって言うんだからそれで良いんでしょうけど。そのこの商品をお買い上げになったファシストのお客様。アンタはどう思うかな?」
ひと心地ついたと言うように北川は缶をテーブルに置いた。視線は自然とカーンに向かった。
「むしろ私としては日常生活で我々力なき元地球人に依存してくれた方が扱いやすくて好都合だがね。君達のような身勝手な野良犬の飼い主になる自信はないよ。自分の事は自分でできるのは良いが、いつ飼い主の首元に嚙みついてくるか分かったものでは無い。あまりにリスクが高すぎるよ」
カーンは皮肉を込めた調子で北川を見つめた。その青い瞳には明らかに侮蔑の色が浮かんでいた。
「人を犬って!さすがファシズムを掲げるブルジョアは労働者を見下すのがお好きなようで!」
北川が立ち上がろうとするのを桐野は日本刀の入った黒い筒で止める。その筒の中身を知っているカーンの表情は一切変わらなかった。
「確かにあなたから見たら……と言うかほとんどの地球人から見れば遼州原住民は忌むべき不気味な存在だ。いっそのこと洗脳するか根絶するかしたい存在なのは分かってますよ。それまでの地球人が思いもつかない力を持った生き物が闊歩している。どう見たってフェアとは言えませんからねえ」
ビールを一口飲んだ北川はそう言って笑った。三人の間に走る緊張。だが、桐野はすぐに筒を床に置き、再びソファーに座りなおした。その様子を見て立ち尽くす女性の表情に一瞬浮かんだ殺気が消えた。
「君達と人道について語る必要は私には無い。あくまでも利害が一致したからここに居る。そうなんだろ?」
カーンはそう言うと女性に手招きした。桐野達を無視して表情が死んでいるような女性はそのままカーンからコーヒーカップを受け取った。彼女はそのまま流しのところまで行って半分ほど入っていたコーヒーを捨てた。
「こいつ等には俺等の再教育など必要無いんじゃないですか?……いっそのこと爺さんのオムツでも代える仕事が向いてるよ。なあアンタ!」
北川が声を掛けるが女性は反応を示さない。その様子を見ていた桐野の表情がこわばった。
「確かに彼女を介護士として養成するなら地球人にでも教育できそうだ。だがそれでは私が君達の飼い主に払った金が無駄になるな。地球圏に行けば私が提示する金額で応募して来る介護士候補などうんざりするほどいる。そんな連中に金を使うほど私は酔狂では無いよ」
カーンの言葉には桐野も北川も黙り込むしかなかった。いつまでとは指示は無かった。とにかくゲルパルトのアーリア人民党残党勢力の手元にある調整済み法術師を一般市民に混ざってもわからない程度の常識を教え込む。それが桐野達に与えられた指示だった。
「こいつ等が社会に出ても人ごみに紛れられるように調教するように躾ける仕事はする。ただその結果、自分の面倒を見られるようになった飼い犬に手を噛まれないように気を付けた方が良いな……それが力なき老人に俺からできる唯一の助言だ。力のある者と力の無い者……所詮、同じ空間に居るのは危険なことなんだと心得ておくと良い」
それだけ言うと桐野は再び大げさにグラスの酒を煽った。
「まったく面倒な仕事を押し付けられたもんだな。まあ、なんとかあと二週間でどうにかしましょう!普通の精神異常者程度のレベルにまでは持っていけると思いますよ。それ以上の教育は無理だってことは精神医学を専門にしてない俺から見ても分かる!」
北川はそう言うとビールを飲み干し、苦笑いを浮かべつつカーンをにらみつけた。
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