上 下
6 / 48

かすかな異変とポルボロン①

しおりを挟む
 シェリアにとってアンディは、一日に二回から三回ほど会話するだけの、互いに関心がない存在だった。
 血が繋がっているだけの他人といってもいいくらいだ。

 それは決して仲が悪いとか、嫌いだというわけではなく、ただ、互いの世界が重ならないだけ。

 きっと、アンディにとっても、当たらずといえども遠からずだろう、とシェリアは認識していた。


 ◆


「……アンディ、身体を温めないと風邪をひいてしまうわ」

 シェリアが宥めるように言い聞かせると、アンディはぶんぶんと首を横に振った。

「風邪なんてもの、ひかないよ? ……それより、何処へ行くの?」

 アンディを二階の浴室に案内したシェリアは、ミルクを用意すべく厨房に向かおうと、踵を返したところで、何故かアンディに引き止められてしまったのである。

「ミルクを用意しに厨房へ行くだけだから、すぐに戻ってくるわ。……それと、とりあえず湯船に浸かった方が良いと思うの。大丈夫だと思っていても、翌日体調を崩してしまうかもしれないもの」
 
 シェリアは自分の行動予定を明かしつつ、入浴の利点を説明したのだが、残念ながら、アンディは聞き分けてはくれないらしい。

 先ほどから掴んだままのシェリアの服の腕の裾を、一向に放す気配がない。

 アンディはシェリアを迷い子のように見つめた。

 アンディの瞳は、いつもは色鮮やかな草原を彷彿とさせるのに、今は、何故か深い夜に紛れ込んだ気分にさせる。

 それは、シェリアと同じ、エメラルドグリーンの色の瞳だったはずなのに。

「……アンディ。お昼頃にクッキーを焼いたの。お風呂が終わったら、一緒にどうかしら」
「……クッキー?」

 解放する気が全くなさそうなアンディに、シェリアが、苦し紛れに昼に焼いたクッキーの話をすると、アンディは僅かに反応してみせた。

 アンディが甘いものを好きだったかは記憶にないが、きっと好きだったのだろうと仮定したシェリアは、アンディをクッキーで釣ることにした。

「……王都で食べた異国のクッキーが美味しかったから作ってみたのだけど、アンディが湯浴みに行かないのなら、アンディの分も私が食べることにするわ」

 シェリアの言葉に、アンディは、暫しの逡巡のあと、
「…………浴室行ってきます」
 嫌々と、浴室へと向かっていった。

 その背中は、心なしかしょんぼりして見えて、無理矢理すぎたかもしれない、とシェリアは反省した。

 アンディは、暗い夜道で迷って帰ってきたのだ。
 きっと、心細かったのだろう。
 大人びた一面があったとしても、まだ十歳の少年なのだ。

 あとでアンディに謝ろう。

 アンディの背中を見送ったシェリアは、心の中でそう決意すると、くるりと向きを変えて階段を一歩ずつ下り、厨房へと向かう。

 用意するミルクは、カップ三つで良いだろうか。

 両親がまだ起きているなら、その分も……と、シェリアが歩きながら思案していたところで、サロンから明かりが見えるのと同時に会話が漏れ聞こえた。

「……………、他に方法は……」

 シェリアは気配を消し、厨房へと向かう。
 用意するカップは三つで良さそうだ。

 聞こえてきた会話の内容は、シェリアには上手く飲み込めなかった。
しおりを挟む

処理中です...