赤と青のヒーロー

八野はち

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第十三話 立秋の野球

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 夏休みが明け、また六時間授業にも体が慣れてきたある日の放課後。俺たちは学校指定のジャージに着替えて、学校から少し離れたところにある公園に来ていた。
 九月の上旬にもなると、暑く湿った空気も消え去り、外は涼しくなり始め、空気も乾き始めていた。
 季節は移ろい始め、秋が来ようとしていた。ジャージも着心地のいいくらいの気候だ。

「今日はなんでジャージなんだ?」
「そろそろ着くからそしたらわかるよ」

 公園の中に入り、星野に付いていくと、草で覆われている広場に着いた。広場はフェンスに囲まれていて、何やら草野球をしているようだった。

「あちゃー。もう始まっちゃってるよー。スコアどうなってる?」

 試合中のベンチの方に近づいていくと、どうやら中年のおじさんたちが野球をしているようだった。

「茜ちゃん!やっと来たか!待ってたよー。彼が君の言ってた助っ人かい?」
「そうだよ。おじさん、試合の方はどう?」
「それが木下商店街のやつら、とんでもない助っ人連れてきやがってよー。かなり負けてるんだよー。もう君たち頼みだよ」
 
 試合はどうやらかなり押されているらしい。高校生くらいのピッチャーがマウンドに立ち、投球する。打者のおっさんは大分遅れてバッドを振った。

「ストラーイク」
 
 相手チームはフィールドにいるメンバーもベンチも、みんなニヤニヤしながら退屈そうに一方的な試合を眺めている。スコアボードを見ると、日の丸商店と木下商店が試合をしているようで、もう5回裏で、スコアは5対0とかなり押されていた。

「まさか今日は野球か?」
「その通り!ヒーローは遅れてやってくるものだからね。任せておじさん!」
「おいおい、今更助っ人の登場かー?無駄なことを。それに一人は女じゃないか。情けない奴らだ。あっはっはっはっはー」
 
 木下商店と思しき四十代前半ほどの小太りの男が、隣のベンチからわざわざやってくると嫌味を言いに来た。

「現役の野球部を連れてくるなんて反則だろうが!このインチキ野郎が!そこまでして勝ちたいか!」
「なら初めにそう言うんだったなー。まあ残りの回もせいぜい頑張ってくれ」
 
 そう言い捨てると自分のベンチへと戻っていった。

「嫌なやつ。説明するね翼くん。まず、うちの町の商店街、日の丸商店街と、そこからすぐ近くの橋を渡った隣町にある対岸の商店街、木下商店街は隣接してるだけあってすごく仲が悪いの。それは知ってる?」
「競い合っているというのは聞いたことがある」
「それでね、今回あっち側から試合を挑んできて、負けたら日曜日を商店街の定休日にしろっていう無茶苦茶な条件をふっかけてきたんだよ。そして、向こうの町はちょっと治安が悪くて、商店街のバックには悪い人たちも付いてるみたいで、断るに断れなかったんだって。それでお互い助っ人ありってことで勝負になって、私が助っ人を頼まれてたんだけど、まさかこんなに点差が開いちゃってるとは…」
「なるほど。相手はそこに現役の野球部の助っ人を投入してきたというわけか。にしても気になるのが、なんでお前が商店街の人たちとつながりがあるんだ?」
「初めは私がうちの商店街にそっちゅう妨害しに来る悪い人たちを追っ払ったことから仲良くなったの。それ以来、私の張ったチラシを見て、何かあったら連絡くれたり、情報くれたりしてくれるんだよ」
「へーえ。お前ほんといろいろしてんのな」
「まあねー。そんなことより翼君!これから私と君とで悪い奴らをやっつけるんだよ!準備はいいかい?」
「準備も野球経験もねえよ。このピンチを俺たち二人で、野球部相手にどう切り抜けるんだよ。五対〇はさすがに無理があるだろ」
「大丈夫。私たち二人なら何とかなるよ!」
「はあ。まあやるだけやってみるが文句は言うなよ」
「良かった。いやもうおじさんは体力的に限界でね。この回からちょうど二人メンバーが不足してたんだ。それじゃあいきなりで悪いけど、さっそく次の打者やってくれるかい?けれど君大丈夫かい?茜ちゃんの運動神経の良さは知ってるが、相手のピッチャーの球は速すぎてうちのメンバーはだれも触れられもしないんだよ」
「大丈夫だよおじさん。うちの翼君はやるときはやる男だからね。頼りにしていいよ!」
「そうか!それなら良かったよ。頑張ってくれ。頼んだよ」
「おいお前。余計な事言って俺の株を勝手に上げるんじゃねえ。初心者だって言ってるだろうが」
 
 俺はバットを持ってバッターボックスに立つ。野球なんて体育の授業でしかやったことがない。そして俺の体育の成績は中学からずっと3だった。星野も日の丸商店街の人たちもみんな期待してくれているが、俺の実力なんて俺が良く知っている。

「おい、お前も高校生か?野球経験は?」
 
 同い年くらいの前髪ぱっつんのピッチャーが話しかけてきた。

「ないな。お前はなんで協力してるんだ?」
「金で雇われたのさ。それにしてもまた素人かよ。助っ人のくせに俺とは違ってただの雑魚か。悪いな。女の前で恥かかせちまうことになって。にしてもあの子可愛いじゃねえか」
 
 なんだこいつも似たようなやつか。どうやら相手チームは援軍も含めて全員嫌な奴らで構成されているらしい。

「…星野を見た目で甘く見ない方がいいぞ。そしてそんなに可愛いやつでもない」
「へーえ、なら俺が勝ったらデートに誘っちゃおうかなー」
「…好きにすればいいさ。だがお前じゃあ振られるのが目に見えているがな」
「なんだと。むかつくやつだ。大きな口を叩くのはこの俺の球を打ってからにしてもらおうか」
 
 俺はバットを強く握ると構える。味方チームのおじさんたちは期待の目で、敵チームは品定めするようにこちらを見てくる。一筋の汗が俺の額を流れ落ちる。
 ピッチャーが振りかぶって投げる。球はすごい勢いでキャッチャーのミッドの中に吸い込まれた。

「ストラーイク!」
「なんだー?偉そうな割には振ることさえできねえじゃねえか。助っ人が聞いて呆れるぜ」
 
 周囲の落胆した表情やバカにするような表情が容易に浮かんで見える。
 俺はそのあとがむしゃらにバットを振って足掻いてみたが、球をかすりもせず、スリーアウトで相手の攻撃へと移った。俺はなにもできずにそのままバッターボックスを出る。

 星野もこれで分かっただろう。俺が特別でもなんでもない、ただの凡人だということが。自分が期待している人間はただの冴えないありきたりな人間だということが。
 それにしてもなんだろうか。この煮え切らない感じは。俺らしくもない。こんなもんじゃないか。俺にこれ以上何ができるというんだ。何に納得がいかないというんだ。精一杯やったじゃないか。 

 ベンチに戻ると、商店街のおじさんたちは優しく迎えてくれ、「気にすんな坊主。あんなの打てなくて当たり前だ」「それより今日は来てくれてありがとうよ」など、励ましの言葉をかけてくれた。そして星野は励ますわけでも、落胆するわけでもなくただ一言だけこういった。
「私を見ててね」
 
 攻守が代わり、俺たちは守備となる。ピッチャーは星野だ。それを見た相手チームからヤジが飛ぶ。

「おいおい!女に投げさせんのか!どんだけ恥知らずなんだお前ら!」
「おっさんよりJKの方がましってかー?」
 
 しかし、星野が投げた瞬間、ヤジは一瞬で止んだ。先ほどのピッチャーにも引けを取らないスピードで球が吸い込まれていく。

「ストラーイク!」
「にっしっしー!ここからだよみんな!気合い入れていくよー!」
「おおー!さすが茜ちゃんだ!」
 
 おっさんたちから歓喜の声が湧く。
 星野は続けて三振を取ると、どこから持ってきたのか野球帽を被りなおした。

「おっしゃー!俺たちも気合い入れていくぞー!茜ちゃんに続けー!」
 
 星野の闘志が瞬く間にみんなに伝染していく。

「ちくしょう、かっこいいじゃねえか」

 セカンドから星野の後ろ姿を眺める。闘志でみなぎったその背中と、そこから広がった勝利に向かうチームの雰囲気の中、俺は先ほど腑に落ちなかった気持ちに合点がいっていた。
 俺はうちの商店街が不遇な目に遭うのに何もできないのが嫌だったわけでもなければ、星野がデートに誘われるのが嫌だったわけでもない。ただ、あのいけ好かない前髪野郎に言い返すこともできずコケにされたのが許せなかったのだ。俺はこう見えて負けず嫌いなのだ。

 素直な俺はそう結論づけると、気合いを入れるべく自分の両頬をパンっと叩くと試合に集中する。負けてたまるか。
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