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神殿にて
出会い或いは神なる者
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昔、本を読んだ。
其所には一人の人間の話が書かれていた。愚かだとも、残虐とも、特にそういったものはない普通の何処にでも居るような、そんな人間だった。その人間は神様にひとつの望みを告げた。
『幸せになりたい』
そう神様に願った。けれど、結果は即死。幸福を求めた人間はその望みを持ったまま死んだ。
人間にとって最高の幸福とは一に生まれないこと、次いではすぐ死ぬこと。それが神様の考えだったからという。私はそれを聞いて───なるほど、と幼いながらも首をひとつ振って、納得した。
本に描かれた神様───太陽神はどちらかといえば全能神と同じく女性関係にやや問題のある神様であったけれども、確かにその様は“神様”そのものであった。人間より人間らしくは見えたけれど、正しく“神様”であったのだ。
───自分勝手で、残酷でそれでいて無邪気。
それが私の思う“神様”であった。幸福を願った者に正しくそれを与えた太陽神は私の思う“神様”であったのだ。
けれど、ここで思うのは神様とはどのような存在か、というものだろう。
私の生きていた日本では神様は長らく大切に使っていた物に宿れば、その神様の残していった残りカスのような足跡が幾つも残っている。それに、八百万という程の数が居た。これだけ居てしまえばありがたみも薄れてしまうかと思いきや、各々細かく合った神様が居るのだと思えばあまりそうは思えない。それに、あらゆるものに神が宿り、全てを神として例えたのだからそう夢を見たのだと言っても過言ではないだろう。
話が少し逸れてしまったけれども、つまり神様とは───自然の具現化である。
あくまでこれは私の持論のひとつでしかないけれども、少なくとも私はこう思うし、神様はそう自然の一面を持った物が多くある。だから、それはそのひとつの面でしかない。けれど、それも結局は人の手に負えない、そんなものなのだろう。
古代の人にとって、人間ではどうにもならぬ“天災”とか“厄災”は、天の気まぐれに感じたのだと思う。もしくは、そう思おうとしたのかもしれない。それが多数の人の命を奪ったり、財産を壊したりしたのだから。それは、被害を受けた人間側からすれば、残酷で勝手でしかない。
特にギリシャ神話は、古代アミニズム的な一面と人間心理的な一面が他の例では見受けられないほど混ざっている。日本に古代からある古事記だなんて比べほどにならないほどに混ざっていた。或いは、理解できないものにそう名を付けることでどうにか折り合いをつけようとしたのかもしれない。
けれど、そんなのだから…一つの魅力でもあるのだと私は思う。恐れながら、理解が出来ないと割り切りながら、私は確かに其所に描かれる物語を愛し、そして共感した。自然の具現化の一面を持つ、神様に。
けれど、そんな神様の悪戯は多くあるらしい。神様の悪戯とは変えられない不幸の事を指す。人間にはどうしよもない、絶対的なまでの逆らえない力。それは、何回も容疑者扱いされたり、いつもは何事もなく終わる筈のものがそうでなかったり…。
「ふむ…、愛すか……殺すか」
そう、例えば───目の前に、神様と呼ばざるを得ないヒトが居たり…とか。
†
“死”とは唐突であり、そして身近にある。
そう言ったのは誰だったのだろう。何かのテレビで誰かが言っていたのか、本の登場人物が言っていたのか、はた又、私がそう思って考えた言葉なのか。
「固まっているわ。可哀想よ」
コココ、と笑った神様。そう、神様とやらは二人居た。いや、この場合二柱だろうか? 神様の数え方は“柱”なのだと誰かが教えてくれたような気がする。
…現実逃避は止めよう。私は今、きっと“生”と“死”の境目にいる。置かれいる状況も、此所が何処なのかも…何もかも分からない。それでも、目の前には神様が居て、私のすぐ側にひんやりとした“死”がぴたりと添い寄っていて離さない。
「フ、ククク。ならば、何も変わらぬではないか。儂らを見て人の仔は皆そうする」
性別は分からない。女神なのか男神なのかも分からない。ただ、二人居た。どんな絵画よりも、彫刻よりも尚美しい細工の施された完成された者だった。誰が教えてくれたわけでもない。けれど、分かるのだ。分かってしまうのだ。神様なのだと、そう。
雪のように白い髪に、小鳥の囀ずりのような声でちっとも「可哀想」だなんて思っていないような表情とで笑っている。きっと目の前の神様にとって、私は道端に落ちている少し色の不思議な石のようなものなのだろう。所詮、神様にとって私───人間などその程度でしかないのだとありありと見せられたようだった。
「あら、声が出ないの?」
「…む、そうだな。人の仔よ、何か答えて見せよ」
声を出さねばならない。声を、声を…。
「……ぅ、───あ」
震える。駄目だ。しっかりしろ、私。
何も分からない? そうだよ、何も分からない。前後の記憶が曖昧で、それでいてこの場が私がもともと居た世界ではないのだと分かってしまう。でも、生きないと。今、死ぬべきではない。だから…生きないと。
「…神、様」
ひどくつまらなそうな二対の瞳が私を見つめていた。人形のような、硝子をかちりと嵌め込んだ瞳。
嗚呼…それをばっちりと見てしまえば、身体が強ばる。声が堪らなく震える。思考が纏まらない。頭が真っ白でどうにかなってしまいそうだ。
「……私を…」
何を言いたいのか自分では分からない。何か答えないと、何か答えなければ…と、それだけが私の口を動かしていた。
「私を…───殺して」
ほんの少しだけ目の前の二対の瞳が色を持った。
対して、私は自分で言った言葉に驚いてすらいた。こんな言葉をいう筈じゃなかった。だったら何を言う筈だったのか、と問われても答えれないけれども、少なくともこんな言葉を吐き出すべきではなかった。こんな、こんな…言葉なんて。
「『私を殺して』…だと? それを望むのか。神である儂らに! たかが人の仔でしかないお前を儂ら直々に殺して欲しいのだと…不敬にもそう願うのか?」
「コ、コココ。ええ、ええ、そう願ったわ。私の耳にもそう聞こえましてよ」
「ならば、それが事実か!」
嗚呼、ほら駄目じゃないか。
色濃く“死”が目の前にあった。間違いなく私は間違えた。間違えて、間違えしまって…それでその後どうなるかなんて、目の前の突きつけられた“死”を見てしまえば、分かってしまう。
死にたい。…死にたい。死にたいけど───生きたい。誰かが私に生きろと言った。誰かなんて覚えてない。友達であった人かもしれないし、本の中の登場人物かもしれない。だけど、その言葉が、その言葉だけが私を“生”へと突き動かす。
始めから私はそうだった。私は始めから“死”を恐れていながら、その実恐れてなんていなかった。その言葉があったから踏みとどまっただけにすぎない。だから、私はいつだって欠落しているからこそ不格好で、落伍者であるのだ。
「ならば、何故それを望むか。許す。答えよ」
ひたり、と気が付けば目の前に神様が居た。
男神のようにも見える、神様だった。するりと私の前にまるで水場に勢いよく飛び込んだ時に飛ぶ滴のように私の前に当たり前のように立っていて、ばっちりとその絶対零度の美しい場所で凍った氷の欠片を嵌め込んだような冷え冷えとしながらも美しい瞳が私を写していた。
ゆるりと動けば絹のようになだらかな耳の辺りで切り揃えられた白の髪がふわりと舞った。風なんて吹いていないのに、ふわりと舞っていた。
「辛いなら…死にたい。辛い人生より、私は“死”を望む。私の幸福はいつだってそう。……私の幸福は、生まれないこと。そして、死ぬこと。だって…そうすれば、辛いも悲しいも、苦しいも…何も感じない。代わりに楽しいも嬉しいもないけれど…それでいいの。私は、苦しい思いをするならば…そんなものなんていらない」
私は昔、あの太陽神と人間との問答を聞いて、良いなぁ、と思ったのだ。
納得するのと同時に憧れた。それこそが私が知りたかったことで、ずっと何かが足らないのだと理解した瞬間だった。だからこそ、それこそが私の生きる上の道標となった。
───何故死にたいのか?
答えは簡単だ。私は何度だって同じ答えを返す。
───私の幸福がそうだから。一に生まれないこと、次いではすぐ死ぬこと。それこそが、私の唯一のしあわせ。
私は別に希死念慮ではない。死への衝動が常にあるわけではない。けれど、思うのだ。“死”こそが私の終着点なのだと。そう考えてみれば、案外神様に答えたのは間違いではないような気すらしてくる。それこそが私が神様に心から願うものだったのだから。
「………」
少しずつ感情の整理が出来て、心のゆとりが生まれた。いや、この場合はアドレナリンがどばどばと出ていて、所謂ハイになっているのだろう。形に見える“死”を今まで見たことがなかっただけに、それは新鮮な感情で、それでいて後先がないからこそ何もかもが怖くなくなっているのだとしか言えない。
「……」
「……」
「……………」
「……………」
神様は無言だった。
いっそ何か言ってくれれば、と願わずにはいれないほどその彫刻のように美しい顔を微動だにさせずに其所にただ存在していた。なるほど、これが“神様”なのか、と意味の分からないことを脳が考えてしまうほどに。
「フ、」
ふるり、とその白いけぶるような睫毛が動いて、冷たい藍の瞳が細められた。まるで爬虫類かのように割れた瞳孔はなるほど、人外だと思わずにはいられない。
「フ、クククッ! 聞いたか、聞いたか、お前!!」
「コ、コココ。聞きましてよ、聞きましてよ。しかとこの耳で聞いたわ!」
「フ、フフ…クク……フハハハハッ! 愉快! 愉快!! これを愉快と言わず何と言う!!」
神様は、笑った。
「…え、」
言葉が溢れる。けれど、単語にもならない短いその音は神々の笑いに忽ちかき消された。
冬の静かな水面に突然色とりどりの華々が咲き誇ったような、そんなものだった。細められた藍の瞳に、弧を描く唇。ひとつ、笑い声を溢す度にそれは彩りとなって世界を満たしているようで…。それがあまりに現実味がなくて、それがあまりに現実だと受け入れられなくて、まるで私一人だけ世界に置いていかれたような、絵画の向こう側を見てしまっているような、そんな感覚に陥られた。
「フ……ククッ、なるほどなァ。嗚呼…愉快、愉快」
ひんやりとしたものが私の頬をなぞるように撫でる。
瞬間、冷たい…極寒の水の中に投げ込まれたかのように意識の覚醒をする。無理矢理目覚めさせられた。
「──…あ、」
目の前には神様が居た。さっきまでの距離は瞬きをする間もなく詰められていて、密着するように物珍しげに白く長いまるで彫り出したばかりのような指を滑らして私の頬を撫で、肩を滑り、脚を触れる。 まるで盲目の人がそうやって形を知るかのように、ゆっくりとそれは続けられる。
「───…」
覆い被さるように私に触れるから、神様の肩まである白い髪が頬にかかる。質量があるのかすら疑いたくなる程の細く軽い髪は僅かに私をこそばゆくさせたけれど。美しく然りとて恐ろしいまでの完璧な貌が見えてしまって───その、一度見てしまったら決して逸らせないような■■しい藍の瞳から私は、私は───…
「そこまでにしておきなさい。可哀想よ、この子狂いきって死んじゃうわ」
どれだけ時間が過ぎたのかは分からない。そんな事を考えることも思うこともできないまでに───私は魅入られてしまっていた。
風が吹き、神様達と私の衣服と髪を揺らして通って、背中から首にかけてあたたかな感覚がしたから、ようやっと私はハッ、と息をする事を思い出し、一気に吸い込んでケホリと少しだけ咳き込んだ。息の仕方を忘れてしまって、どうやって息をするのか、なんて…そんな事を考えていた脳を置き去りに私の身体はいつもの生命活動を続けた。
「ね、怒らないでちょうだい。それは貴方の望むことではないでしょうに」
「フ…、ククク。お前が言うか!」
「あら、私だからこそよ」
前には喉を震わせ笑う肩までの短い髪を持つ神様が居て、後ろには背中に届くまでに伸ばした髪を揺らして笑う神様が居た。何も理解ができない私を置き去りに、神様達は間に挟まる私を時折撫で上げながら言葉の掛け合いをする。
「何、この程度では死なぬよ。気にするな。コレは中々愉快なモノ持ちだ」
くい、と緩やかに上げさせられて合わされたその視線の先の顔を見て、人間なんて下等で浅薄な生き物だと心底思っているようないっそ嘆くような笑みを間当たりにする。瞬間、また引き込まれる。魅入られる。この神様にいつまでも見ていて欲しい、絶対的なそれを甘受されたまま生きたい、愛されたい、「死ね」と言われたならば直ぐ様首を掻っ切ってしまえるような───そんな感情に包まれて、そうしてまるでとてつもなく大きな渦潮の中に投げ込まれたかのような感情の濁流の中で、私は息を吸う。か細い、ほんの少しでも乱れれば止めてしまいそうな生命活動をどうにかする。
嗚呼、だって私は知っている。これに引き込まれた先に何があるのかを私は知っている。唄を聴き、伝承から読み取り、本の文字として並び伝えられたそこから。美しく飾り立てられたその結末を。
じわじわと侵食されてしまうような中で、五月蝿いくらいに警告を出す脳の片隅の事だけを信じてどうにか手繰り寄せる。ヒュッ、と喉から聞こえる音を聞いて、どうにか抗えているのだという安心を覚え、私は強くしがみつく。
「あら、」
何故ならばその先にあるのは…その結末は───破滅なのだから。
それはどれだけ強く、聡明な英雄であろうとも決して逃れられない終末。死にたい私は、それでも駄目だと叫ぶ私の事を信じて、それに抗おうとする。ちっぽけな人間の、僅かな抵抗。まるで犬猫が甘噛みをするかのような、神様にとっては掃いて捨てられるような、或いは気にも止めないようなそんな事。だけど、人間の私にはそれが精一杯だった。
「嗚呼…惜しいな」
だろう、と私の後ろに居る一柱に手持ち無沙汰とでも言うように喉を撫で上げ笑う神様は噛みつくように言う。いっそ悪魔のようなその囁きは耳を、脳をぐちゃぐちゃに蹂躙してやまない。
「ええ、惜しいわね」
「ならば、」
死にたいのに、それなのに底無しの沼のように先が見えない破滅が怖い臆病な私は、それに抗おうとする。身を任せてしまえば楽なのに、きっとそれこそが私の望んでいた“死”なのに、何故なのだろうか。“死”を恐れるものとは違って、だけど、ほれは正しく私が求めていた“死”で。
嗚呼、…分からない。分からなくて、頭がどうにかなってしまいそうで、だけれど狂いきれない。あまりに絶対的な存在である神様が、肌の体温を分け与えるかのように密着するから、それが可笑しなストッパーになっているのかもしれない。
「嗚呼、ならば───拾ってみようか」
何処までも冷たい頭の中に広がる水面を揺らされる。ぽたり、と一滴落ちた僅かな波紋は、けれど私を確実に私に影響を与えている。
其所に立つ私はそれ以上水面を波立たせぬように、立ちすくんだまま言葉にできない音を口から漏らす。嗚呼…、神様の声が随分と遠くに聞こえる。
††††
アイスキュロスという人を知っていますか?
古代アテナイの三大悲劇詩人のひとりであり、ギリシア悲劇の確立者です。因みに代表作はオレステイア三部作。そんな彼はこう言っています。
────辛い人生より死を選ぶ。
つまり、そういうことです。この話の主人公はそんな人間です。
かなり面倒な性格かもしれませんが、誰よりも人間らしく、神の影響を受けながら生きる…そんな話にしていきたいのです。
嘗て、吟遊詩人が広めた神々の物語。あったかもしれない、居たかもしれない、そんな曖昧で神と人間の距離が今よりずっと近かったそんな時代。それがこの話の舞台です。魔法もあれば、ファンタジー生物も闊歩する、ギルドだって大繁盛しているし、勇者が居たりするかもしれないし、もしかしたら神々の悪戯に頭を悩ます人間だって多く居るかもしれない。これはそんな話です。
因みに一話一話が長いです。できたら短く纏めようとは思っているし、区切りにしよう、とは思ってはいるのですが…何故か長くなるし、自分が始めに決めた所まで書かないと気に入らなくなるんですよね。なので、短く区切っていこうとは思いますが、長くなっていくと思います。多分、一話分の量は文字にして5000くらい以上になるかと。まァ、時間がある時にずずいっ、と読んでくださいまし。
其所には一人の人間の話が書かれていた。愚かだとも、残虐とも、特にそういったものはない普通の何処にでも居るような、そんな人間だった。その人間は神様にひとつの望みを告げた。
『幸せになりたい』
そう神様に願った。けれど、結果は即死。幸福を求めた人間はその望みを持ったまま死んだ。
人間にとって最高の幸福とは一に生まれないこと、次いではすぐ死ぬこと。それが神様の考えだったからという。私はそれを聞いて───なるほど、と幼いながらも首をひとつ振って、納得した。
本に描かれた神様───太陽神はどちらかといえば全能神と同じく女性関係にやや問題のある神様であったけれども、確かにその様は“神様”そのものであった。人間より人間らしくは見えたけれど、正しく“神様”であったのだ。
───自分勝手で、残酷でそれでいて無邪気。
それが私の思う“神様”であった。幸福を願った者に正しくそれを与えた太陽神は私の思う“神様”であったのだ。
けれど、ここで思うのは神様とはどのような存在か、というものだろう。
私の生きていた日本では神様は長らく大切に使っていた物に宿れば、その神様の残していった残りカスのような足跡が幾つも残っている。それに、八百万という程の数が居た。これだけ居てしまえばありがたみも薄れてしまうかと思いきや、各々細かく合った神様が居るのだと思えばあまりそうは思えない。それに、あらゆるものに神が宿り、全てを神として例えたのだからそう夢を見たのだと言っても過言ではないだろう。
話が少し逸れてしまったけれども、つまり神様とは───自然の具現化である。
あくまでこれは私の持論のひとつでしかないけれども、少なくとも私はこう思うし、神様はそう自然の一面を持った物が多くある。だから、それはそのひとつの面でしかない。けれど、それも結局は人の手に負えない、そんなものなのだろう。
古代の人にとって、人間ではどうにもならぬ“天災”とか“厄災”は、天の気まぐれに感じたのだと思う。もしくは、そう思おうとしたのかもしれない。それが多数の人の命を奪ったり、財産を壊したりしたのだから。それは、被害を受けた人間側からすれば、残酷で勝手でしかない。
特にギリシャ神話は、古代アミニズム的な一面と人間心理的な一面が他の例では見受けられないほど混ざっている。日本に古代からある古事記だなんて比べほどにならないほどに混ざっていた。或いは、理解できないものにそう名を付けることでどうにか折り合いをつけようとしたのかもしれない。
けれど、そんなのだから…一つの魅力でもあるのだと私は思う。恐れながら、理解が出来ないと割り切りながら、私は確かに其所に描かれる物語を愛し、そして共感した。自然の具現化の一面を持つ、神様に。
けれど、そんな神様の悪戯は多くあるらしい。神様の悪戯とは変えられない不幸の事を指す。人間にはどうしよもない、絶対的なまでの逆らえない力。それは、何回も容疑者扱いされたり、いつもは何事もなく終わる筈のものがそうでなかったり…。
「ふむ…、愛すか……殺すか」
そう、例えば───目の前に、神様と呼ばざるを得ないヒトが居たり…とか。
†
“死”とは唐突であり、そして身近にある。
そう言ったのは誰だったのだろう。何かのテレビで誰かが言っていたのか、本の登場人物が言っていたのか、はた又、私がそう思って考えた言葉なのか。
「固まっているわ。可哀想よ」
コココ、と笑った神様。そう、神様とやらは二人居た。いや、この場合二柱だろうか? 神様の数え方は“柱”なのだと誰かが教えてくれたような気がする。
…現実逃避は止めよう。私は今、きっと“生”と“死”の境目にいる。置かれいる状況も、此所が何処なのかも…何もかも分からない。それでも、目の前には神様が居て、私のすぐ側にひんやりとした“死”がぴたりと添い寄っていて離さない。
「フ、ククク。ならば、何も変わらぬではないか。儂らを見て人の仔は皆そうする」
性別は分からない。女神なのか男神なのかも分からない。ただ、二人居た。どんな絵画よりも、彫刻よりも尚美しい細工の施された完成された者だった。誰が教えてくれたわけでもない。けれど、分かるのだ。分かってしまうのだ。神様なのだと、そう。
雪のように白い髪に、小鳥の囀ずりのような声でちっとも「可哀想」だなんて思っていないような表情とで笑っている。きっと目の前の神様にとって、私は道端に落ちている少し色の不思議な石のようなものなのだろう。所詮、神様にとって私───人間などその程度でしかないのだとありありと見せられたようだった。
「あら、声が出ないの?」
「…む、そうだな。人の仔よ、何か答えて見せよ」
声を出さねばならない。声を、声を…。
「……ぅ、───あ」
震える。駄目だ。しっかりしろ、私。
何も分からない? そうだよ、何も分からない。前後の記憶が曖昧で、それでいてこの場が私がもともと居た世界ではないのだと分かってしまう。でも、生きないと。今、死ぬべきではない。だから…生きないと。
「…神、様」
ひどくつまらなそうな二対の瞳が私を見つめていた。人形のような、硝子をかちりと嵌め込んだ瞳。
嗚呼…それをばっちりと見てしまえば、身体が強ばる。声が堪らなく震える。思考が纏まらない。頭が真っ白でどうにかなってしまいそうだ。
「……私を…」
何を言いたいのか自分では分からない。何か答えないと、何か答えなければ…と、それだけが私の口を動かしていた。
「私を…───殺して」
ほんの少しだけ目の前の二対の瞳が色を持った。
対して、私は自分で言った言葉に驚いてすらいた。こんな言葉をいう筈じゃなかった。だったら何を言う筈だったのか、と問われても答えれないけれども、少なくともこんな言葉を吐き出すべきではなかった。こんな、こんな…言葉なんて。
「『私を殺して』…だと? それを望むのか。神である儂らに! たかが人の仔でしかないお前を儂ら直々に殺して欲しいのだと…不敬にもそう願うのか?」
「コ、コココ。ええ、ええ、そう願ったわ。私の耳にもそう聞こえましてよ」
「ならば、それが事実か!」
嗚呼、ほら駄目じゃないか。
色濃く“死”が目の前にあった。間違いなく私は間違えた。間違えて、間違えしまって…それでその後どうなるかなんて、目の前の突きつけられた“死”を見てしまえば、分かってしまう。
死にたい。…死にたい。死にたいけど───生きたい。誰かが私に生きろと言った。誰かなんて覚えてない。友達であった人かもしれないし、本の中の登場人物かもしれない。だけど、その言葉が、その言葉だけが私を“生”へと突き動かす。
始めから私はそうだった。私は始めから“死”を恐れていながら、その実恐れてなんていなかった。その言葉があったから踏みとどまっただけにすぎない。だから、私はいつだって欠落しているからこそ不格好で、落伍者であるのだ。
「ならば、何故それを望むか。許す。答えよ」
ひたり、と気が付けば目の前に神様が居た。
男神のようにも見える、神様だった。するりと私の前にまるで水場に勢いよく飛び込んだ時に飛ぶ滴のように私の前に当たり前のように立っていて、ばっちりとその絶対零度の美しい場所で凍った氷の欠片を嵌め込んだような冷え冷えとしながらも美しい瞳が私を写していた。
ゆるりと動けば絹のようになだらかな耳の辺りで切り揃えられた白の髪がふわりと舞った。風なんて吹いていないのに、ふわりと舞っていた。
「辛いなら…死にたい。辛い人生より、私は“死”を望む。私の幸福はいつだってそう。……私の幸福は、生まれないこと。そして、死ぬこと。だって…そうすれば、辛いも悲しいも、苦しいも…何も感じない。代わりに楽しいも嬉しいもないけれど…それでいいの。私は、苦しい思いをするならば…そんなものなんていらない」
私は昔、あの太陽神と人間との問答を聞いて、良いなぁ、と思ったのだ。
納得するのと同時に憧れた。それこそが私が知りたかったことで、ずっと何かが足らないのだと理解した瞬間だった。だからこそ、それこそが私の生きる上の道標となった。
───何故死にたいのか?
答えは簡単だ。私は何度だって同じ答えを返す。
───私の幸福がそうだから。一に生まれないこと、次いではすぐ死ぬこと。それこそが、私の唯一のしあわせ。
私は別に希死念慮ではない。死への衝動が常にあるわけではない。けれど、思うのだ。“死”こそが私の終着点なのだと。そう考えてみれば、案外神様に答えたのは間違いではないような気すらしてくる。それこそが私が神様に心から願うものだったのだから。
「………」
少しずつ感情の整理が出来て、心のゆとりが生まれた。いや、この場合はアドレナリンがどばどばと出ていて、所謂ハイになっているのだろう。形に見える“死”を今まで見たことがなかっただけに、それは新鮮な感情で、それでいて後先がないからこそ何もかもが怖くなくなっているのだとしか言えない。
「……」
「……」
「……………」
「……………」
神様は無言だった。
いっそ何か言ってくれれば、と願わずにはいれないほどその彫刻のように美しい顔を微動だにさせずに其所にただ存在していた。なるほど、これが“神様”なのか、と意味の分からないことを脳が考えてしまうほどに。
「フ、」
ふるり、とその白いけぶるような睫毛が動いて、冷たい藍の瞳が細められた。まるで爬虫類かのように割れた瞳孔はなるほど、人外だと思わずにはいられない。
「フ、クククッ! 聞いたか、聞いたか、お前!!」
「コ、コココ。聞きましてよ、聞きましてよ。しかとこの耳で聞いたわ!」
「フ、フフ…クク……フハハハハッ! 愉快! 愉快!! これを愉快と言わず何と言う!!」
神様は、笑った。
「…え、」
言葉が溢れる。けれど、単語にもならない短いその音は神々の笑いに忽ちかき消された。
冬の静かな水面に突然色とりどりの華々が咲き誇ったような、そんなものだった。細められた藍の瞳に、弧を描く唇。ひとつ、笑い声を溢す度にそれは彩りとなって世界を満たしているようで…。それがあまりに現実味がなくて、それがあまりに現実だと受け入れられなくて、まるで私一人だけ世界に置いていかれたような、絵画の向こう側を見てしまっているような、そんな感覚に陥られた。
「フ……ククッ、なるほどなァ。嗚呼…愉快、愉快」
ひんやりとしたものが私の頬をなぞるように撫でる。
瞬間、冷たい…極寒の水の中に投げ込まれたかのように意識の覚醒をする。無理矢理目覚めさせられた。
「──…あ、」
目の前には神様が居た。さっきまでの距離は瞬きをする間もなく詰められていて、密着するように物珍しげに白く長いまるで彫り出したばかりのような指を滑らして私の頬を撫で、肩を滑り、脚を触れる。 まるで盲目の人がそうやって形を知るかのように、ゆっくりとそれは続けられる。
「───…」
覆い被さるように私に触れるから、神様の肩まである白い髪が頬にかかる。質量があるのかすら疑いたくなる程の細く軽い髪は僅かに私をこそばゆくさせたけれど。美しく然りとて恐ろしいまでの完璧な貌が見えてしまって───その、一度見てしまったら決して逸らせないような■■しい藍の瞳から私は、私は───…
「そこまでにしておきなさい。可哀想よ、この子狂いきって死んじゃうわ」
どれだけ時間が過ぎたのかは分からない。そんな事を考えることも思うこともできないまでに───私は魅入られてしまっていた。
風が吹き、神様達と私の衣服と髪を揺らして通って、背中から首にかけてあたたかな感覚がしたから、ようやっと私はハッ、と息をする事を思い出し、一気に吸い込んでケホリと少しだけ咳き込んだ。息の仕方を忘れてしまって、どうやって息をするのか、なんて…そんな事を考えていた脳を置き去りに私の身体はいつもの生命活動を続けた。
「ね、怒らないでちょうだい。それは貴方の望むことではないでしょうに」
「フ…、ククク。お前が言うか!」
「あら、私だからこそよ」
前には喉を震わせ笑う肩までの短い髪を持つ神様が居て、後ろには背中に届くまでに伸ばした髪を揺らして笑う神様が居た。何も理解ができない私を置き去りに、神様達は間に挟まる私を時折撫で上げながら言葉の掛け合いをする。
「何、この程度では死なぬよ。気にするな。コレは中々愉快なモノ持ちだ」
くい、と緩やかに上げさせられて合わされたその視線の先の顔を見て、人間なんて下等で浅薄な生き物だと心底思っているようないっそ嘆くような笑みを間当たりにする。瞬間、また引き込まれる。魅入られる。この神様にいつまでも見ていて欲しい、絶対的なそれを甘受されたまま生きたい、愛されたい、「死ね」と言われたならば直ぐ様首を掻っ切ってしまえるような───そんな感情に包まれて、そうしてまるでとてつもなく大きな渦潮の中に投げ込まれたかのような感情の濁流の中で、私は息を吸う。か細い、ほんの少しでも乱れれば止めてしまいそうな生命活動をどうにかする。
嗚呼、だって私は知っている。これに引き込まれた先に何があるのかを私は知っている。唄を聴き、伝承から読み取り、本の文字として並び伝えられたそこから。美しく飾り立てられたその結末を。
じわじわと侵食されてしまうような中で、五月蝿いくらいに警告を出す脳の片隅の事だけを信じてどうにか手繰り寄せる。ヒュッ、と喉から聞こえる音を聞いて、どうにか抗えているのだという安心を覚え、私は強くしがみつく。
「あら、」
何故ならばその先にあるのは…その結末は───破滅なのだから。
それはどれだけ強く、聡明な英雄であろうとも決して逃れられない終末。死にたい私は、それでも駄目だと叫ぶ私の事を信じて、それに抗おうとする。ちっぽけな人間の、僅かな抵抗。まるで犬猫が甘噛みをするかのような、神様にとっては掃いて捨てられるような、或いは気にも止めないようなそんな事。だけど、人間の私にはそれが精一杯だった。
「嗚呼…惜しいな」
だろう、と私の後ろに居る一柱に手持ち無沙汰とでも言うように喉を撫で上げ笑う神様は噛みつくように言う。いっそ悪魔のようなその囁きは耳を、脳をぐちゃぐちゃに蹂躙してやまない。
「ええ、惜しいわね」
「ならば、」
死にたいのに、それなのに底無しの沼のように先が見えない破滅が怖い臆病な私は、それに抗おうとする。身を任せてしまえば楽なのに、きっとそれこそが私の望んでいた“死”なのに、何故なのだろうか。“死”を恐れるものとは違って、だけど、ほれは正しく私が求めていた“死”で。
嗚呼、…分からない。分からなくて、頭がどうにかなってしまいそうで、だけれど狂いきれない。あまりに絶対的な存在である神様が、肌の体温を分け与えるかのように密着するから、それが可笑しなストッパーになっているのかもしれない。
「嗚呼、ならば───拾ってみようか」
何処までも冷たい頭の中に広がる水面を揺らされる。ぽたり、と一滴落ちた僅かな波紋は、けれど私を確実に私に影響を与えている。
其所に立つ私はそれ以上水面を波立たせぬように、立ちすくんだまま言葉にできない音を口から漏らす。嗚呼…、神様の声が随分と遠くに聞こえる。
††††
アイスキュロスという人を知っていますか?
古代アテナイの三大悲劇詩人のひとりであり、ギリシア悲劇の確立者です。因みに代表作はオレステイア三部作。そんな彼はこう言っています。
────辛い人生より死を選ぶ。
つまり、そういうことです。この話の主人公はそんな人間です。
かなり面倒な性格かもしれませんが、誰よりも人間らしく、神の影響を受けながら生きる…そんな話にしていきたいのです。
嘗て、吟遊詩人が広めた神々の物語。あったかもしれない、居たかもしれない、そんな曖昧で神と人間の距離が今よりずっと近かったそんな時代。それがこの話の舞台です。魔法もあれば、ファンタジー生物も闊歩する、ギルドだって大繁盛しているし、勇者が居たりするかもしれないし、もしかしたら神々の悪戯に頭を悩ます人間だって多く居るかもしれない。これはそんな話です。
因みに一話一話が長いです。できたら短く纏めようとは思っているし、区切りにしよう、とは思ってはいるのですが…何故か長くなるし、自分が始めに決めた所まで書かないと気に入らなくなるんですよね。なので、短く区切っていこうとは思いますが、長くなっていくと思います。多分、一話分の量は文字にして5000くらい以上になるかと。まァ、時間がある時にずずいっ、と読んでくださいまし。
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