【改稿版】凛と嵐

みやこ嬢

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5話・強面男と怯える小動物

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 安藤は『呻き声を何とかしてほしい』と、藁にもすがる気持ちで依頼を持ち込んできた。

 事故物件が現場のため、凛ではなく嵐の管轄となる。故に聞き取りは嵐が担当すべきなのだが、愛想のない彼には向かない。チンピラ然とした嵐に対し、安藤が怯えているからという理由もある。仕方なく凛が引き続き相手をした。

 駅周辺地域の地図をテーブルに広げ、場所の確認をする。そして、安藤がスマホで撮影した自宅の外観写真を見せてもらった。家の前の道路から撮ったもので、大人の胸の高さほどのブロック塀に囲まれた小さな平屋が映っている。

「問題のお庭は?」
「建物の裏にあります」

 庭と言っても非常に狭いらしい。背の高い庭木が一本、あとは物干し台があるだけ。件の自殺はこの庭木の枝にロープを引っ掛けて行ったという話だ。呻き声を聞いて以来、安藤は庭側のカーテンを閉め切って庭にも出ていない。

 室内から庭木を映した写真を見た嵐は眉間にシワを寄せ、口元に指を当てて何やら考え込んでいる。

「呻き声は今までに三回聞こえました。夜中の一時くらいに」

 今は四月下旬。彼が事故物件に入居してからまだ一ヶ月も経っていない。たまたま夜中に起きていたから気付いただけで、実際は毎晩聞こえているのかもしれないし、住人である彼が起きている時を見計らって幽霊が聞かせているのかもしれない。

「呻き声以外に問題はありますか」
「いえ、他は何も。近所の人も優しいし、家自体は割と綺麗だし、駅や大学からも近くて便利です。安いスーパーが遠いのだけが難点かな」

 前の住人の自殺は近隣住民も当然知っている。うっかり事故物件を借りてしまった哀れな大学生に同情しているのか、親切に接してくれているらしい。

「ただ、僕、怖くて」

 答えながら、安藤は自分の身体を抱きしめる様にして震えている。小心者の彼には微かな家鳴りや風の吹く音すら恐ろしく感じてしまうのだろう。実際眠れぬ日々を送っているようで、目の下に濃いクマが浮かび上がっていた。

「怖いなら引っ越しゃいいだろが」
「で、でも、お金ないし、不動産屋さんとの契約で、一年以内の退去はダメって」
「嘉島社長なら言いそうだな」

 事故物件には告知義務がある。殺人や自殺があれば心理的瑕疵物件となり、次に住む者に対して真実を伝えなくてはならない。もし短期間のうちに住民が出ていく事態に陥れば評判が悪くなり、不動産価値が下がる。嘉島が安藤に約束させた『一年』は悪評を回避するための手段だ。年単位で住み続けた実績があれば次の借り手も安心できる。

「本来なら不動産屋が勝手につけた条件なんざ蹴っちまえって言うとこだが、嘉島社長は元ヤクザだからなぁ」
「や、ヤクザ!?」
「勘違いすんなよ。今はカタギだ。だが、ああいう系の人間は義理人情と約束を何より重んじる。逃げたらどうなるか」
「ひぇぇ!!」

 怯える安藤が小動物みたいで楽しくなったのか、いつになく嵐がよく喋る。流石に不憫に思えてきて、凛が途中で「いい加減にしなさい」と助け舟を出した。

「では、一度お宅にお伺いさせてもらいます」
「お願いします!」

 凛から微笑まれ、安藤はホッとしたように表情をゆるめた。同時に、この少女が自宅に来てくれるのかと期待する。ところが、安藤の淡い期待は次の瞬間裏切られた。

「嵐、今日このあと様子を見に行けば?」
「え~俺がぁ?」
「あたし門限あるもん」
「もうそんな時間か。じゃ、そうすっか」

 現在の時刻は十九時半。陽はとっくに落ちている。女子高生が用事もなく出歩いていい時間ではないし、例え大事な用事があるとしても男二人と行動を共にするには抵抗がある時間帯だ。

 目の前で交わされる会話を聞きながら、まさかこの見た目も態度も恐ろしい男と二人きりで行動せねばならないのか。果たして実体のない幽霊と生身のチンピラではどちらがより怖いだろうか、と安藤は気が遠くなった。


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