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第20話 母親の行方
しおりを挟む生活の基盤が整い、リアンは新しい家での暮らしに慣れていった。
ドロテアには生活能力が全くなく、数日おきに通いの家政婦(恐らく公爵家から寄越されたベテラン)が掃除や洗濯をしにやってくる。食事は基本的に外で済ませているが、リアンが一緒に住むようになってからは食材や調理道具が充実した。リアンが買い揃えたわけではなく、知らぬ間に増えていくのだ。最初の頃はその都度驚いてしまったが、数日で慣れた。
そして二人暮らしが軌道に乗った頃、ドロテアから大事な話があると切り出された。食事をとる際に使うテーブルに向かい合わせに座り、ドロテアは改まった様子で言葉を選んでいる。何か大事な話をされるのだと悟り、リアンは膝の上に置いた拳に力を込めて握った。
「貴方のお母様の件でお話があります」
「……はい」
ドロテアの家に住むことになった時、リアンはまず母親のことを説明した。今まで名前や素性は伏せていたが、もうウラガヌス伯爵家の名誉を気にする必要はない。居場所を探してもらうのだから、知り得る限りの情報を開示する必要がある。ただ、リアンも最近になって初めて名前や生まれを知ったばかりのため、話せる情報は少ない。
リアンの母親はウラガヌス伯爵グラニスの妹アリエラであること。当時の王子との婚約話が持ち上がっている時期に身籠ったこと。父親は不明であること。遠く離れた地に移され、未婚で出産したこと。リアンは物心ついた頃にウラガヌス伯爵家に引き取られたことなどを伝えてある。
「ウラガヌス伯爵にアリエラさんの居場所を尋ねたところ、どうもハッキリしないのです。数年前までは確かに国境付近にある屋敷に住んでいたと証言も得られたわ。でも、今はそこには誰も住んでいないらしくて」
「えっ?」
予想外の話に、リアンは茫然とした。グラニスがアルカンシェル公爵の部下に嘘をつくとは思えないからだ。
「グラニス様は母が今どこに住んでいるか把握していないってことですか」
「ええ、そのようですわね」
椅子から浮きかけた腰を下ろして座り直し、話の続きを促す。
「不思議な話だけれど、誰も住んでいない空き家状態の屋敷に手紙を持った遣いの者が着くと、どこからともなく現れた使用人らしき人が手紙を受け取って、代わりにアリエラさんからの手紙を渡してくるそうなの」
「……ちょっと、意味が分からないです」
「奇遇ね、わたくしもですよ」
母親の居場所を見つけるどころか更に遠い存在になったような気がして、リアンは泣きたい気持ちに駆られた。
「屋敷がもぬけのからとなった後も手紙のやり取りは続いているのだから、アリエラさんはきっと別の場所で暮らしているのでしょうね」
それでも、リアンは納得できない。
「どこか遠くの地でグラニス様に閉じ込められているのなら仕方ないって思ってました。でも、グラニス様も知らない場所にいるのなら、母はいま自由なんですよね。だったら、どうして僕に会いに来てくれないんだろう」
口に出して、初めてリアンは自分が母親に対して怒っているのだと気付いた。
幼い頃に引き離され、決して恵まれているとは言い難い環境で育てられた。平民でも貴族でもなく、中途半端でどうしようもない存在となった。自分がウラガヌス伯爵家から逃げ出さなかった理由は母親との繋がりを維持するためだったというのに、当の母親は手紙のやり取りだけを残して行方をくらませている。
「きっとやむに止まれぬ事情があるのでしょう」
「……」
せめて手紙で居場所を知らせてくれればと思いもしたが、中身は毎回グラニスが検めている。差し障りのある内容が書いてあれば破棄または塗り潰されるかもしれない。
「公爵家から何人か調査に出しております。情報が掴めましたらすぐに教えますから、どうか泣かないでくださいな」
「……泣いてません」
「ふふ、そういうことにしておきましょう」
それでもまだ納得できないリアンの様子に、ドロテアは困ったように微笑んだ。
「あ、そうですわ。ウラガヌス伯爵邸から良いものを見つけたので運んでもらいましたの!」
いつのまにか食堂の壁に布に包まれた包みが立て掛けられていた。大人が両手を広げてやっと抱えられるくらいの大きさがある。ドロテアが布を取り払うと、中には額縁に飾られた肖像画が入っていた。昔一度だけ見た、十代後半頃のアリエラの肖像画である。
「絵が描かれた頃から二十年近く経っているそうですから、今はもっと大人っぽくなっているでしょうね。優しそうな顔立ちがリアンさんによく似ています」
「……そうでしょうか」
栗色の長く艶やかな髪を巻き、美しく着飾って微笑みをたたえた若き日の母親の似姿を見て、やはり自分とは髪の色が違うとリアンは思う。どこの誰かも分からない父親がきっと翡翠色の髪をしているのだろう。
もしかしたら、消えた母親は父親の元に身を寄せているのかもしれない。ならば、なぜ自分は放っておかれているのだろう。なぜ迎えに来てくれないのだろう。再び不満が湧き上がり、胸の中を占めていく。
やっぱり一度直接会って文句のひとつも言ってやらなくては、とリアンは強く思った。
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