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第53話 ユニヴェール家の屋敷
しおりを挟む翌朝、ヒューリオン隊は王都へ向けて出立していった。
サイラスが拗ねるため直接言葉は交わさなかったが、リアンは宿舎の外まで見送りに出た。エルガーが気付いて軽く手を挙げ、そして背を向ける。堅苦しくて生真面目な性格だが優しく気遣いの細やかな人だった。隊長同士の仲が悪いこともあり、今後顔を合わせる機会はない。リアンはエルガーとの別れを少しだけ名残惜しく感じた。
ちなみに、捕まったゲラートはヒューリオン隊が護送している。彼がしでかした所業を全て記し、サイラスたちが署名した書状をエルガーに預けている。王都に到着次第すぐ裁かれることになるだろう。
レイディエーレ隊は通常の巡回任務につく。
「主な街道沿いに点在する集落を見て回ります。今日はエクソンの南門から出て、この辺りを中心に……」
東の国境周辺の地図をテーブルに広げ、副隊長であるラドガンが隊員たちに本日の巡回経路を説明する。幾つかある集落の中にリアンの生家であるユニヴェール家の屋敷がある。説明を聞きながら、リアンは緊張を抑え込むように服の胸元をギュッと掴んだ。
事前の打ち合わせ通り、レイディエーレ隊は街道を巡回していく。しかし、魔獣はどこにも見当たらない。今年は例年より数が多いはずだが、昨日からパッタリと姿を見なくなった。魔獣の森一斉掃討作戦がどれほど有効な手段だったかを隊員たちは改めて実感している。
どの集落も立派な柵や塀、深い堀などで囲まれており、しっかりとした魔獣対策が取られていた。民家だけでなく畑もあり、数日程度なら物流が滞っても飢える心配のない環境となっている。一年のうち魔獣の繁殖期である時期だけやり過ごせば、あとはそこまで警戒しなくて済むらしい。
集落の住人たちに話を聞くと、やはり昨日から魔獣を見なくなったという。
「サイラス隊長の判断は正しかったようですね」
「だね。普通に巡回して倒してたら、ここまで魔獣の数を減らすのにもっと時間が掛かっていたと思うよ」
ラドガンとヴェントから称賛されたサイラスは浮かない顔だ。リアンと相乗りする権利をヴェントに奪われたからではない。腑に落ちない、といった表情を浮かべている。
「おかしいとは思わないか? 一斉掃討作戦で確かにたくさん倒した。が、オレたちは魔獣の森に潜んでいた魔獣を倒しただけだ。地域一帯に散らばっていた魔獣はどこへ行ったんだ?」
「確かに」
サイラスは魔獣の減り方に疑問を抱いている。索敵担当のヴェントも尋常ではないと肌で感じていた。
エクソンを出て数時間後、巡回経路の折り返し地点に到着した。高い塀と深い堀に囲まれ、数十戸の家と畑で構成された小さな集落である。
隊員たちには休憩を取るように伝え、サイラスとリアン、ラドガンとヴェントの四人は徒歩で集落の奥へと進んだ。他の民家から少し離れた場所に屋敷が建っていた。三階建ての瀟洒な屋敷を囲む庭は雑草で埋め尽くされ、数年放置された空き家といった佇まいである。
「ここがユニヴェール家の屋敷で、住民に聞き込みをしたところ数年前から誰も住んでいないそうです。屋敷の所有権は現在遠縁であるウラガヌス伯爵家が持っていますが、集落の統治権自体はユニヴェール家が貴族で無くなった時点でヴァーテイル男爵家へと移っております」
聞き込みはアルカンシェル公爵家の間諜が情報収集のために行なったもの。ラドガンの解説を聞きながら、リアンは閉じられた門から敷地内の屋敷を眺めた。ひび割れた外壁に蔦が絡まり、昼間でも不気味な印象を受ける。庭の草は踏まれた形跡すらなく、子どもなら頭まで隠れてしまうくらいに伸びている。
「屋敷の鍵は持っています。入ってみましょう」
どこから調達したのか、ラドガンは鍵束を所持していた。まず錆びた鉄製の門扉の鍵を開ける。
「──切り裂け、“烈風”」
ヴェントの風魔法で門から玄関までの草を刈り、道を作ってから敷地内へと入った。玄関の鍵を開け、重い木製扉を押し開く。屋敷の中は多少の埃っぽさはあるものの、あまり散らかってはいなかった。大きな窓から射し込む昼間の陽光が漆喰の白い壁を照らしているおかげで暗くはない。
「我が家の間諜が一度中を検めたのですが、やはり今は誰も住んでいないようで、生活の痕跡は見つかりませんでした」
「空き家になって数年経ってる割には綺麗だよね」
「集落の治安が良いからでしょう。窓が割られたり室内が荒らされたりしていませんから」
ラドガンとヴェントの会話を聞きながら廊下を進み、ひとつひとつ部屋を確認していく。一階には玄関ホール、応接間、執務室のほか厨房や食堂、洗面室や浴室などがある。応接間には古びた肖像画が幾つか飾られていたが、描かれた人物はリアンの知らない人ばかりだった。
続けて二階へと上がる。客室や寝室が並んでおり、特に変わった様子はない。
「どうですリアンさん。見覚えはありますか?」
「いえ、全然……」
二歳から三歳くらいの頃に母親から引き離され、リアンはソルトンにあるウラガヌス伯爵家で暮らすようになった。それまではこのユニヴェール家の屋敷で生活していたはずなのだが、物心がつくかつかないかの年齢の記憶など残ってはいない。懐かしさを感じることもなく、どこか他人事のような気持ちで屋敷内を歩いていた。
しかし、とある部屋の前でリアンの足が止まる。
「どうした、リィ」
「分からないけど、この扉が気になって」
リアンが指差した扉はまだ確認していない部屋のものだった。ラドガンが所持している鍵束の中に該当する鍵がなく、唯一開けられなかった扉である。他の部屋と変わらぬ見た目の木製の扉が妙に気になってしまい、リアンは扉の前から動けなくなった。
「鍵が開かないんじゃ中は確認できないね」
「壊していいなら蹴破るが」
「あなたが荒らしてどうするんです」
廊下の真ん中で相談する三人の声はリアンには届いていない。まるで何かに魅入られたかのように足が前に出て、手が勝手に扉へと伸びた。
「やっぱ蹴破るしか……って、リィ!」
サイラスが気付いた時、リアンは閉じたままの扉に半分ほど腕を飲み込まれていた。扉に穴が開いていたわけではない。触れた箇所だけ硬度を失ったかのように柔らかくなっているようだった。
「リィ、しっかりしろ!」
肩を掴んで引き戻そうとするがびくともしない。ラドガンとヴェントも慌てて手や肩を掴むが、三人掛かりでもリアンの体は動かせなかった。そうこうしている間にもリアンはどんどん扉に飲み込まれてゆく。
「え、ちょ、どうなってんのコレぇえ!」
「分かりません。あちら側から強い魔力を感じます」
必死の抵抗虚しく、四人は扉をすり抜けた向こう側へと落ちていった。
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