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第69話 思い描いた幸福
しおりを挟むリアンはそのままサイラスと一晩過ごすことにした。自分が掘り起こした傷を放置したままの状態で元凶であるレイディエーレ侯爵の元に帰したくなかったからだ。とはいえ、アリエラの部屋を勝手に使うわけにはいかない。
「狭いけど我慢してね」
「わ、分かった」
普段はぐいぐい押すくせに歓迎されると怯むらしい。サイラスは戸惑いながらもリアンの自室に足を踏み入れた。質素で必要最低限の家具しか置かれていない、隅々まで掃除が行き届いた清潔感のある部屋である。
「遅くなっちゃったし、今夜は泊まっていって。朝ごはん用のパンと卵、一人じゃ食べ切れないからさ」
アリエラがいなくなったことで買い置きの食材が余っている。日持ちのする塩漬け肉や豆、芋以外は片付けておきたい。……という理由をつけ、サイラスを自宅に押し留めた。
想い合う者同士が一つ屋根の下で過ごすとなれば緊張して当然だが、リアンは完全に吹っ切れている。サイラスが望むのなら己の出来る範囲で尽くしてあげたいと考えていた。遠征の道中は何度も同じ天幕で寝起きをしたし、宿舎では同室だった。今さら同じ部屋で寝るくらいで照れてどうする、という境地に至っている。
「一人用にしては寝台が広いな」
「母様が手配してくれたんだけど、元々置いてあった家具と同じ大きさにしたみたい」
この家はゲラートが逢い引き用に使っていたため寝台だけは大きかった。床板に凹みが出来ており、小さな寝台では隠しきれないため同じ大きさの寝台を新たに運び入れている。故に、大人が二人で寝ても狭くはない。
「同じ布団で悪いけど」
「いや、リィが良いのなら」
机の上のランプを一つだけ残して消してから、先に寝台に上がったリアンが掛け布団を持ち上げて招く。ややドギマギしながらも、サイラスはリアンの隣に寝転がった。枕を並べて横たわる。
「僕、誰かと同じ寝台で眠るの初めてかも」
「そうなのか」
「実は母様から『一緒に寝ましょ』って何度も言われてるんだけど、成人済みの男が母親と寝るのは流石にどうかと思って断っちゃった」
「アリエラ様の場合は特にな」
アリエラの外見は十代後半。リアンとは同い年にしか見えない。仮に仲の良い兄妹だったとしても、十八の成人を過ぎて一緒に寝るとなれば心理的な抵抗がある。
「でもさ、僕には母様との思い出が全然ないから、恥ずかしがらずに挑戦してみても良いかもしれない」
「例えば?」
「買い物とか散歩とかかな。普通の親子って何をするんだろね? よく分かんないや」
サイラスにも『普通の親子』が分からない。身の回りの世話は全て使用人がしてくれて、親子が顔を合わせる機会は夕食の席だけ。食事中に話し掛けることは許されず、両親は食後すぐに退室していく。重苦しい空気と使用人からの哀れみの視線と態度。サイラスが知る親子関係は硬く冷たい氷のようなものだった。それすらも長くは続かなかったが。
ラドガンやヴェントの屋敷に招かれた際、家族仲が良く笑いが絶えない様子を目の当たりにして、初めて自分が置かれた環境がおかしいのだと気が付いた。その頃にはサイラスの母親は実家に帰っており、更に屋敷の空気は冷え切っていた。
「笑って話が出来るだけでもいいんじゃないか?」
「そっか。そうだね」
他愛のない話をしながら、リアンは体をサイラスへと向けた。枕と首の間に腕を差し込み、頭をぎゅうと抱え込む。
「一緒に寝るとあったかいね」
「……ああ」
まるで母親が我が子を抱き締めるかのようなぬくもりに包まれ、サイラスの目尻に涙がにじんだ。やはり自分の孤独を埋めてくれる相手はリアンしかいない。何もかも捨て、二人で生きていけたらどんなに幸せだろうかと考える。その度に不機嫌そうな父親の顔が浮かんだ。
「リィ」
「どうしたの? 寝にくい?」
「いや……」
サイラスは腕を伸ばし、リアンを抱きしめ返した。ちょうど肩口に顔を埋める姿勢となる。首筋から香る微かな匂いが好ましくて、思い切り吸い込んだ。今までなら羞恥で逃げ出していたであろうリアンは抵抗する素振りすら見せない。
もっと触れ合いたいと思いながらも、このあたたかな時間が無くなるのを惜しいと感じてしまう。サイラスはそのままおとなしく眠ることにした。
翌朝、外から聞こえてくる鐘の音で目を覚ますと、隣にいたはずのリアンがいなくなっていた。慌てて廊下に飛び出すと食欲をそそる匂いが漂っている。匂いにつられて食堂に入ったところで探し人の姿を見つけた。
「おはよう、サイ。先に顔を洗ってきてね」
寝間着から着替え、前掛けをしたリアンが台所に立っている。かまどではスープの鍋が火に掛けられ、立ち昇る湯気が家全体の空気をあたためていた。
サイラスが言われた通りに洗面所で顔を洗って食堂に戻ると、テーブルに朝食の支度が整えられていた。椀になみなみと注がれた野菜スープ、買い置きの丸パン、チーズ、焼いた卵と塩漬け肉の燻製などが並んでいる。庭に面した大きな窓からは朝の光が射し込み、食堂内を明るく照らしていた。
向かいの席に座り、今日の予定を話しながらパンをかじると軽く焼き直してある。小さな気遣いが嬉しくて、サイラスの表情がゆるんだ。生まれ育ったレイディエーレ侯爵家の屋敷で穏やかであたたかな食事をとった経験があっただろうか。求めていた幸せが具現化されたような光景に自分がいることが信じられず、言葉を詰まらせる。
「サイ、おかわりは?」
「……全部食べる」
「ほんと? 助かるよ」
差し出された空の椀を笑顔で受け取り、残りのスープを注いでくれるリアンの後ろ姿を眺めながら、サイラスは幸せを噛み締めた。
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