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39話・大暴走[スタンピード]
しおりを挟む「私は昔、騎士団に所属していた。遠征任務の道中、近くの村のダンジョンで大暴走が起きたとの報せを受けて急遽モンスターの討伐に向かった」
無言でチラリと隣を見れば、ゼルドさんは自分の左頬の傷を確かめるように指先でなぞっていた。
精悍な顔に残る痛々しい傷痕。
彼が周りから恐れられる要因の一つ。
「現場に到着した時には大暴走の発生から数時間経っていて、村はほぼ壊滅していた。……酷い有り様だった」
淡々と語っているのに、どこかやりきれないような感情を言葉の端々から感じる。今も彼の脳裏に焼き付いているであろう凄惨な光景を思えばそれも仕方がないのだと理解できた。
だって、その光景は僕も見ている。
「私たちが助けられたのは、結局ただ一人……幼い少年だけだった」
ドクン、と大きく心臓が跳ねた。
身体が強張り、手足が微かに震える。
今の話は僕の故郷、辺境の村スルトのことだ。
そして、唯一の生き残りは僕。
十年前のあの場所で僕たちは既に出会っていた。
「モンスターを殲滅する際に負傷し、怪我の後遺症で聴力が落ちたため騎士団を辞した」
「そうだったんですか」
「ああ。しばらく治療に専念したおかげで多少回復はしたが、どうにも号令や指示が聞き取りにくくてな。仲間に迷惑を掛けたくなかった」
今の状態はまだマシになったほうだという。ならば、怪我を負った当時はほぼ聴こえなかったんじゃないか。そんなに酷い怪我だったのか。
思わずゼルドさんの袖を掴む。不安そうな表情で覗き込む僕に気付き、ゼルドさんは眉間のシワを消し、フッと口元をゆるめた。
「もうどこも痛くはないし、この耳にも慣れた。だから心配しなくていい」
「……、……はい」
ゼルドさんの大きな手のひらが、うなだれる僕の頭を何度も撫でる。優しい手付きが心地良い。目を細める僕を眺めながら、ゼルドさんは話を続けた。
「ダンジョンの大暴走は非常に珍しい災害だ。本来あるべき下階層への道が何らかの理由で塞がり、冒険者によってモンスターが間引きされないまま過剰に増え過ぎた場合に稀に起こるとされている。当時スルトのダンジョンは発見されたばかりで探索がほとんど進んでいなかった。辺境という立地もあって、そもそもダンジョンに潜る冒険者自体が少ないのも原因だった」
説明してくれる声をぼんやりと聞きながら、十年前のことを思い出す。
あの日、友だちと森で遊んでいたら、突然地響きと共にモンスターが真っ黒な濁流のように押し寄せてきた。異変に気付いた友だちはすぐに村まで走り、大人たちに知らせに行った。
僕は近くにあった一番大きな木に登り、眼下を走り抜けていくモンスターの大群を眺めることしかできなかった。村のある方角から聞こえてくる獣の咆哮と悲鳴に耳を塞ぎ、固く目を閉じ、震えながらやり過ごした。
しばらくして、生存者を探しに来た大人たちによって僕は助け出された。
モンスターが全て討伐されたのは異変が起きてから数日後。広場に並べられた遺体には全て布が掛けられていた。食われ、踏みつけられた遺体はとても直視できるような状態ではなく、目を背けたくなるほどの惨状がそこかしこに広がっていた。
結局、僕以外の生存者は見つからなかった。
村は全ての家屋が半壊、内部は血まみれだったため、取り壊して新たに村を作り直すことに決まった。スルトにはダンジョンがあり、探索の拠点となる冒険者ギルドを設置する必要がある。元いた村人が死に絶えても復興させなくてはならない。
騎士団の帰還と共に王都に連れてこられ、僕は孤児院で暮らすことになった。スルトに残っても身寄りもなく、一人で生きていくにはまだ幼かったからだ。
唯一の心残りは友だちのこと。
発見された遺体の数は村人の総数とは合わず、どこかに僕以外の生存者がいるのではないかと期待した。もし生存者がいるとしたら、村で一番強くて身軽だった彼しかいない。そう信じていたかっただけかもしれない。
あきらめきれなかった僕は孤児院の院長先生を通じ、新たに設置されたスルトの冒険者ギルドにお願いした。もし生き残りが見つかったら教えてください、と。
王都にこだわり、逃げ出した今も孤児院との繋がりを持ち続けているのは、望みを捨て切れなかったからだ。
「動けるようになってから、私は冒険者として各地のダンジョンに異常がないか調べることにした。スルトの悲劇を繰り返さないように」
騎士団に所属できるのは貴族の子息のみ。つまり、ゼルドさんは貴族出身。彼の立ち居振る舞いから滲み出る育ちの良さはそういうことかと合点がいった。報酬にこだわらないのは、やはり金銭で困窮した経験がないから。
聴力を損なうほどの怪我さえ負わなければまだ騎士団に所属していただろう。ゼルドさんほどの実力ならきっと上位の騎士になれた。それに、もし騎士団を辞めたとしても、根無草の冒険者より安定した仕事が他に幾らでもある。何より、貴族が冒険者になるなんて周りがすんなり許すとは思えない。
そもそも、こんな大事な話を僕なんかに教えていいのかな。
「王都には……ご実家には戻らないんですか」
「家督は弟が継いでいる。戻る気はない」
弟が家督を継いだと聞いて首を傾げる。
騎士団に所属できるのは貴族の子息、それも次男以下の男子が基本。嫡男が騎士団に入ることはまずない。ゼルドさんは何故兄でありながら騎士団に入ったのか。
疑問に思ったけれど聞く勇気はない。
既にここまでの話で頭が混乱している。
僕の人生を変えたあの出来事は、同時にゼルドさんの人生も大きく狂わせていた。
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