運命の人

悠花

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ビジネス

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 それよりも……。

「あの、優人の寝室って?」

 咲久がそう聞くと、日向が当たり前のことのように言い出した。

「あの一番広い寝室が、椿さんの部屋なんですよね。いいですね、あの部屋。窓も大きく取ってあるし」

 知らなかった。自分の部屋が割り当てられていることを、咲久は聞いていなかったのだ。自分の部屋があるということは、寝室は別ということになる。どうして別にする必要が?
 ショックを受けた咲久が黙り込むと、隣にいる日向が小さく笑った気配がした。

「また、俺、何か余計なこと言いました?」
「え?」
「椿さんって、ホント顔に出るよな。今度は何ですか?」

 何と聞かれて、簡単に答えられる話ではないと思った。だけど、この流れで、何でもないと嘘を吐いても日向には通じないだろう。ここで隠すと、また振り出しに戻る。せっかく、友人になろうと提案してくれたことも無駄になってしまう。

「寝室が別だとは聞いてなくて……今初めて知ったから」

 日向の反応が気になり顔を向けると、うーんと唸るような声を出した。

「知ったから何ですか? その部屋じゃない方がいいってことですか? それとも、寝室はいらないって話? まかさな。ダメだ、まったくわかんねえ」

 咲久がショックに思う理由が理解出来ないらしく。

「リビングの他に3部屋もあるんだし、椿さんの部屋があるのは普通じゃないんですか。俺からすると、羨ましい話でしかないけどな。うちは1LDKだから諦めてるってだけで、他に部屋があるなら絶対別にするだろうな」

 ということは、今は寝室が一緒ということだ。日向と純が同じベッドで寝ているところ想像してみても、やはりしっくりこない。だからといって、羨ましいのも事実だ。

「僕は、日向さんたちの方が羨ましいです」
「俺たちがですか?」
「そうです。だって、ふたりとも自立してるっていうか……それでいて、考え方はちゃんと一致してるし、きっと優人もそういうことを望んでるんだと思います」

 たぶんそうなのだ。優人はけして咲久を甘やかさない。何かを任せようとするのも、そういうことだと思う。
 自分で考えて、自分で決める人間であって欲しいのだ。ただそれに、咲久が追い付いていないだけ。
 優人にすると甘えて欲しくないと思っているのに、甘えようとする咲久が煩わしい。咲久は咲久で、わかっていてもそれが上手く出来ないから、最低限、優人の足手まといにならないよう、黙っていることしか出来なくなる。
 そんなことを考えていると、足元に置いたビジネスバッグから何かを取り出した日向がカウンターで広げ出す。それはマンションの図面だった。

「ここ、この玄関に一番近い部屋が鬼塚さんの部屋だそうですよ」

 図面を指す日向が、次にその隣の部屋を指す。

「ここは、そのうちゲストルームにでもって」

 そう言って、最後にリビングに一番近い部屋を指し咲久を見た。

「ここが、椿さんの部屋らしいですよ。この話をしたとき、どうして一部屋挟むのか聞いたんです。別に隣でもいいんじゃないかと思ったから。そうしたら鬼塚さん言ってましたよ。自分は仕事が忙しくて不規則だから、深夜に帰っても椿さんが気にならないようにしたいって」

 日向の言いたいことはわかった。優人の気遣いも。だけど、咲久が求めているのはそんな優しさじゃない。疲れて深夜に帰ってくるのなら、温かく迎えたい。やっていられないという、愚痴のひとつも聞いてあげたい。もっと、傍にいさせて欲しい。必要とされたいだけなのに。
 そうは思っても、日向が元気づけようとしてくれているのもわかったから。

「そうですか。あの、よかったら、僕の寝室も日向さんに任せていいですか。寝室だけじゃなく、すべて任せます」
「すべて……ですか?」
「はい。あの店、僕が買い付けに行ってるわけでもなんでもないんです。本社から送られてくるのを並べているだけで、僕のこだわりなんて元々ないんです」

 最初から、咲久は何だってよかったのだ。優人がどう思うのかが、心配だっただけ。その優人が信頼して日向に任せるのなら、咲久が言うことなど何もない。

「まいったな……」

 困ったように呟く日向が、肘を付いた手で頭を抱え。

「どう扱っていいのか、まったくわかんねえ」

 そんなことないと咲久は思った。日向は嫌なことを言わず、親切にしてくれるいい人だ。咲久の気持ちの微妙な変化にも気付いてくれる。だからこそ、これ以上の面倒はかけたくなかった。

「すべて任せる……はダメですか?」
「いえ、いいですよ」
「じゃあ、それでお願いします」

 咲久が小さく頭を下げると、頭を手から離す日向が図面を片付ける。

「知り合いも無理、ビジネスモードもやりにくい、かといって、友達にもなれないってなると後はどうすればいいんだよ」

 それは上手くいかないと思いながらも、咲久と近づこうとしてくれている、ということだった。
 やっぱり羨ましいと思った。日向に愛される純は、きっととても幸せなのだろう。冷たくされることもなければ、いつも安定した温かさで愛してくれる。少しくらい上手くいかなくても、けして見捨てられたりなどしない。
 だからかと思った。それで、長年付き合って来られたのだろう。日向の見せる、細やかで大らかな愛が、ふたりを結び付けているのだろうと思うと少しだけ胸が痛くなった。
 羨ましいということは、羨ましく思う相手に、自分が成り変わりたいということでもある。

「でも、ちょっと懐かしいな」

 日向が何気なく言うので、何が懐かしいのかと思っていると苦笑いになり。

「椿さんといると、純と付き合う前のこと思い出す。ていっても、純のことじゃなくて、それより前のことだけど」
「それより前、ですか?」
「そう、まだ女と付き合ってた頃」

 女の人と付き合っていたことがあると、サラリと告白し。

「最悪なのに愛しい、あの頃の懐かしい気持ちを思い出すんだよな」

 最悪なのに愛しい……なんて相容れない言葉を使う日向が何を思ったのか優しく笑いながら、咲久の頭をクシャっと撫でた。

「大丈夫。あなたは愛されるべき人ですよ」

 そんなはずない。咲久がなにも出来ない人間なのは、自分が嫌ってほどわかっている。
 だけどもし、本気でそんなことを思っているのなら見せて欲しい。日向の温かで包み込むような愛がどういったものなのか、知りたいと思った。
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