ローズマリーと犬

無名

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後章

Side I 18

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日曜まで返事がなくて、何かあったのではといよいよ前のめりになりながら予定より3本くらい早い新幹線に飛び乗ったころにようやく「ごめん、疲れてたみたいで寝てた」と返って来てひとまず生存確認にほっとした。

「具合悪いの? お見舞い行こうか?」
「大丈夫。よく寝たから明日から普通に仕事行けるし」
「そっか。俺も今新幹線乗って帰るから何かあったら頼ってね」

そんなやりとりをしたのが、日曜の昼過ぎ。
久しぶりの実家はさすがに家事代行を頼んだらしいだけあってきれいでほっとした。
腐海になっているのではないかと本気で懸念してたから。
近況報告もまずまずで、特に突っ込んで聞かれなかったのも助かった。

さて、そして今、水曜の昼すぎの授業中。
俺は机の下で今日何度目かわからないスマホのチェックをした。
待ち受けに着信のポップアップはなし。
昨日の夜におかずを作っていっていいか、だとしたら何が食べたいかを送ったが既読はついたものの返事がない。
返事を強要するものでもないし、まだ生活がバタついているだろうことは想像ができたが、それはそれとして具合が悪かったのであれば心配もしてしまう。
お前はおれの母親か、と笑う声がする。
母親が他界している人が言うとしゃれにならないんだけどといつも思う。
自分が両親に恵まれていて、まあ、ちょっと放任主義すぎるところはあるにせよ、俺の意向をないがしろにしたりせず真面目に向き合って育ててくれたのでひねくれずに済んだ。
俺はあんな風に一言一言絞り出したり顔色を窺ったりすることはないから余計に踏み込みすぎる危うさを感じながらもなるべく助けてあげたい気持ちになってしまう。


授業はグループワークで簡単な作業を要する。
4、5人で一組となり計画を立てて、必要があれば材料の買い出しをする。
どういうわけか俺を含む3人が次の授業は空きコマだったので時間ももったいないし買い出しに行くことになった。
ホームセンターなんかで揃うものばかりなのでちょっと街中に出れば手に入るだろう。
放課後にだらだら行くよりは適当に切り上げやすくてちょうどいい。
夜に電話できたらしたいなと考えながら半分上の空で必要なものを買い物かごに突っ込みそのまま会計して外に出た。
電子マネーを送って割り勘。
他のメンバーにもレシートの画像を送付する。

さて解散かと思いきや夕飯を一緒に食べないかという話になってきた。
面倒なので適当に断ろうと口を開きかけたそのとき、視界の端で見知った人を見かけた気がして気づいたら走り出していた。

「ッ透さん!?」

距離にして2メートルくらいのところまで近づいて尋ねると、まだ暑い日だというのに、フードをかぶり、マスクをつけた透さんがびくりと肩を揺らして振り返った。
一瞬、怯えた目をしたように見えたのは気のせいだろうか。

「いつき? どうしてこんなとこに」

すぐにマスクをずらして顔を見せるとやっぱり透さんだった。
嬉しくなって、わーっと周りに花が舞うのが我ながらわかった。
会えた。嬉しい。本物だ。会いたかった。

「授業で使う道具の買い出しだよ。透さんこそ珍しい…。…ここ人多くない?」
「急ぎのお使いと、あとついでにおれも買い出し。
 普段はβの職員が出るんだけど生憎手がふさがってて…」

だから警戒してそんな暑い恰好してるんだ、と思った。
手には大きめのビニール袋。
人通りも多く、場所が場所だけに緊張しているのか、透さんはこれから帰るとこ、といつもより強張った声で小さく返す。

「いつきくんどうしたの!?」
「急に走るからびっくりしたよー」

後ろから走ってきた買い出し班の二人が甲高い声でそう言いながら追いついてきた。
支払いは済んでるしあそこで解散でもよかったのに、どうあっても一緒に食事がしたいんだろうなぁと内心でため息を吐きながら肩を竦める。
二人は俺の後ろから話しかけてきていて、たぶん俺の身体がでかいから小さい透さんが見えなかったんだろう。
彼の姿に気づくと、目を丸くした。

「わ、すごいかわいい…。いつきくんのお友達?」
「ほんとだ、かわいいー! 今からさあ、ご飯行こうって話してて、よかったら…」

そんなふうに、はしゃいだ声で彼に近づく。
…途端、自分でもびっくりするくらい身体からバチバチとなんか出た。
透さんを覗き込んだ女子たちだけでなく、通行人までうわっと声を上げて後ずさる。
しまった、と思ったときにはもう遅い。

Ωに対して執着するαの威嚇が無意識のうちに苛烈に漏れてしまったようで、平穏だった平日午後の空気は一転して殺伐としたものに変わる。
自分でもびっくりしてしまって、我に返ったもののこんなことをしたのは初めてでなんて言い訳したらいいかわからず言葉が出てこない。
通行人の一部はトラブルはごめんだとばかりに速足で逃げていき、また一部は通報が必要かとスマホを取り出し、残りの人たちは、目の前の女子たちも含めて怯えた顔で固まったままこちらを凝視していた。
どうしよう、と二の句が継げずに汗だけがこめかみを伝った、そのとき。

「…ふ、お前友達威嚇すんなよ…」

ぶわとローズマリーの匂いが広がった。
くくと含んだ笑い方で透さんが笑って、その場が一気に弛緩する。
女子たちもはあーと息を吐いて笑った。緊張のせいか、匂いには気づかないようだ。

「びっくりした…。そうか、いつきくんのパートナーだったか…」
「ちょっかいかけちゃってごめんね。いつきくんもごめん」

悪い人たちではない。
すぐにごめんごめんと謝るので、俺もそれはもう、平謝りした。
通行人たちの時間も動き出す。

「いつきくん、人気あるのに誰にも全然なびかないって噂になってたんだけど、
 そりゃこんなかわいいパートナーいたら他の人間には目もくれないよねー」
「ここまで結構遠かったのにダッシュが速い! よく見つけたよね」
「はは…」

からかわれて、仲直りだ。
そういう流れを作れる程度にはいい人たちなのに、よくもまああんな、と恥ずかしく思った。
じゃあ解散しようかと一人が言い、もう一人が荷物持って送ってあげなよと笑う。
それにお礼を言って、もう一度謝って、二人とは別れた。

「…お前…あれはないだろさすがに…」
「ねえ…? ほんとに…」

まだくすくす笑ってる透さんに苦笑いで返す。
暑さのせいではなく、恥ずかしさで顔が熱かった。
あんな一言二言声をかけられただけで威嚇とは。
αは普通の人より強いので、かなり弁えた言動が必要になる。
うちの両親は放任主義者だが、ともにαということもあって、そのあたりはすこぶる厳しく教育されて育ったのにこのざまだ。
はあーと今度は俺がため息を吐いた。
落ち込むというか、自分に対しての呆れがでかい。
そのまま透さんの荷物の入ったビニール袋をさらうとどっち、と聞いて二人で並んで歩き出した。
匂いが強いのがまた、たぶんちょっと喜ばれているのがわかって複雑だ。

「だって透さんに話しかけられるの嫌だったんだもん…。俺のだーってなっちゃった…」
「犬が吠えるのと一緒じゃねぇか。すごい嫌だったんだな」

そう言ってまた笑うので、うんすごい嫌だった、と真面目に返した。
透さんはさっきの強張った声ではなくいつも通りの口ぶりに戻っていて、それが唯一俺をほっとさせた。

「自分はモテるのに棚に上げて…」
「あなた以外からモテても意味ないよ」
「…飯行かなくてよかったの?」

そんなことを言うのでちらと顔を見ようとしたらフードとマスクに阻まれてほとんど見えない。

「ご飯はあなたとしか食べないよ。…今日は?」
「今日は、だめ。ちょっと、仕事が立て込んでるから」
「そっかぁ…」

露骨にがっかりした声が出た。
それにちょっと笑われる。

「明日も?」
「明日も」
「明後日も?」
「またおれから連絡するよ」
「…透さん、大丈夫?」

最後の質問には答えはなかった。
そのまま最寄り駅に着く。駅は空気の流れが速くてもう彼の匂いはしなくなっていた。
ビニール袋を返す。
透さんが乗るのは俺とは反対側の列車だ。

「電車嫌じゃない? 一緒に行こうか?」
「出たよ母親モード。心配しすぎ」
「…茶化されると悲しいよ」

透さんは黙った。
路線案内のアナウンスが流れている。
沈黙は長い。俺は待つ。
透さんが行ってしまわないなら、その口がなにかを伝えてくれるまでちゃんと待つ。
改札を出たところで立ち止まってるのは邪魔だろうな、と意識が外側に向いたころ、ようやく透さんはぽつりと口を開いた。

「…あんまり体の具合がよくなくて。
 たぶんαと一緒にいるのがよくないんだけど、お前のせいだと思いたくない。
 Ωの問題だから、方法探すし、ちょっと待って」

そんなことを言われて、俺は体の力が抜けた。
そっか、それなら確かに、俺の管轄外だ。
別居してよかったなとも思った。

「わかった。待ってるよ。できることがあったら言ってね」

俺は笑って言う。
透さんの伏し目がちの表情は変わらないように見えたけれど、小さく頷いたのはわかったのでとりあえずはよしとする。
「気を付けて帰ってね」と見送って、自分も駅のホームへ向かった。
ヴヴとスマホが着信する。
メールに一通り目を通しながら、反対のホームにいてもすぐわかる大好きな人へと目をやる。
…目が合って、悲しい顔をされたような気がした。
それにまた、胸がざわつく。

俺は俺にできることをしよう。
そう思いながら電話をかけた。
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