恋月花

月那

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「相楽、こないだはありがとうなー」
 にこやかに和巳に語り掛けて来るのは、本庄孝臣ほんじょうたかおみである。
 親が政治家なんてやっているせいなのか、やたらと顔が広く人当たりのいい男だが、クラスが六組ということで教室のフロアも違うため、物理的な接触が今までなかった。
 しかし、ここへ来て彼を利用するという流れになり、顔の広い中浦が当たり前にに紹介してくれて。

「親父、喜んでた。箕楽座の芝居ってなかなか入れないらしくてさ」
「いや、こっちもありがたいよ。市をあげて応援してくれるってのは、うちの座だけじゃなくてお世話になってる月屋旅館にとってもありがたい話だし」

 祐斗から旅館へ、そして旅館と座長との連携。
 中浦が本庄と和巳を繋いでくれたおかげで一介の旅一座というよりは既にかなり大きな公演になりつつある。
 おまけに本庄の父であるところの市長が、特に“加寿美”を気に入ったらしく、SNSを使って広めてくれているおかげで、次の公演についてのオファーも増えていると座長が喜んでいた。

「俺も、ああいうのは初めて観たけど、かなり驚いたよ」
 本庄はこの学校の生徒にしては珍しく綺麗な標準語を話す。
 将来を見据えているのもあるのだろうが、様々なことを冷静に見ているのがわかるから、既に手に職を持っている和巳とはまるで仕事の取引でもしているかのような顔つきになってしまう。

「相楽は二役している、ということか?」
「んー。一応、俺は俳優相楽和巳なんだけど、“加寿美”ってのはもう完全に別の女優なんだよね。だから、二役とは言え、あれは別物ってのが公然の秘密って言う、いわばお約束ってヤツ」
「相楽は、じゃあ将来はもう完全にそっちの道に進むのか?」
「本音を言えば相楽和巳で売りたいとこだけど、多分“加寿美”の方が悔しいかな、売れるんだわ、これが。ま、とりあえず“加寿美”で名前売って、将来的にはちゃんと相楽和巳で名を上げるってのが夢かな」

「かっけーな、相楽」
「おまえだってもう、後継者として動いてんだろ? 親父さん、おまえの扱いはなんか息子に対する感じじゃなかったし」
「本庄は俺しか息子いないからね。高校生の姉は完全に親父を嫌ってるし、妹はまだ小学生。なら、俺が後を継ぐしかないだろう?」
 仕方がない、なんて言いながらも、誰よりもそれを楽しんでいる口ぶりに、和巳は笑った。

 こんなことがなければこの男と接触することがなかったのかと思うと、逆に高柳に感謝したくなるくらい、現状和巳にとって本庄との時間は非常に心地の良い物で。
 表立って祐斗と接することができない今、目指すべき場所を決めている者同士、興味深い話ができる。
 中浦たちとくだらない話をして過ごす当たり前の“中学生”な生活もこの上なく大事だと思うけれど、この先を見据えて今何をすべきかを考えることは、それとはまた違った楽しさがある。

「今日も、この後仕事?」
 お互い、部活はしていない。
 本庄は既に県外の名門私立高校を目指す為に勉強しているし、和巳は当たり前に舞台がある。
 祐斗と行動を共にできない今、丁度いいからと一緒に下校しているのだ。

「仕事、っていうと聞こえはいいけどね。ま、俺の場合一公演ごと全部修行だからさ。本庄と一緒でただの“勉強”だよ」
 そう言うと、分かれ道で「じゃあな」と本庄とは拳を合わせて別れた。
 
 機が熟すまで、と斎藤や中浦がタイミングを計っているのだが、それまで祐斗とまともに会えないのは和巳にとってはかなり切ない。
 山口にいられる時間なんて限られているのに、その限られた時間の一番大切にしたい時間なのに。

 ――あのクソ野郎のせいで。
 和巳はギリ、と奥歯を噛みしめる。
 
 殺してやりたいくらいに、憎いと思う。
 その相手に祐斗が冷静に話をしているのを見るのは、はっきり言ってはらわたが煮えくり返る。
 そして祐斗もまた、総ての感情を押し殺していることだって、わかっているから。

 学校が終われば和巳は当たり前に「座員」の一人になる。
 プライベートのごちゃごちゃした感情なんて完全に封印しなければならない。
 和巳は制服を脱ぐと、軽く頭を振って総てを振り払い、舞台の準備にかかった。
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