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「あれ、ひかるくん一人なの? 朋くんは?」
いきつけの店は同じ場所に同じようにあり、ひかるはいつもと変わりなく徒歩で“うえの屋”へと向かい、一人でジョッキを空けていた。
いつものように奴と刺し盛をつまみながら飲んでいると、今ここにいる自分が異世界にいるのだという感覚は薄れてくるようだった。
「いないよ。俺一人」
「ええ? いいの? 拗ねちゃうよ?」
「俺はあきらじゃねーから平気だろ。とりあえず飲めよ」
紀子の言葉に、折角薄れていた感覚が現実へと引き戻される。
こっちの紀子が生ビールを注文する姿を見て、いつも「ビールは苦いから好きじゃないの」と言っていた紀子を思い出した。
「ビール、好きなんだ?」
「ん。アルコール好きだから何でも飲むよ。あ、あたし大根サラダ」
ひかるの刺身皿からひょい、とイカ刺しをつまみながら、紀子は店員から手渡された生ビールをぐいっと飲んだ。
見るからに男前である。
「おいし」
満面の笑み。
こんな表情をいつも見ていたくて、ひかるは紀子のいろいろなワガママを聞いてきた。
勿論“ワガママ”と言ってもこっちの紀子のようなとんでもないことではなくて、休みの日にどこかへ連れて行って、だとか、散々買い物に付き合わされた挙句にやっぱり最初の店に戻って「あれ買って」なんて言われたり。
そんな女の子特有のかわいらしいワガママに付き合うことも、ひかるには幸せで。
「やだ、ひかるくん。目が遠く見てるよ?」
目の前の紀子を通して、最愛の“紀子”を見ていたひかるに、紀子はお通しの豚キムチを食べながら言う。
「そりゃ、紀子だけど紀子じゃないからさ」
哀しいけれど、事実だ。
今ここにいる紀子は、同じ顔をして微笑むくせにひかるの愛している“紀子”じゃないのだ。
「そのコート、誰かに買ってもらったのか?」
「え、これ?」
この間も着ていた真っ白いコート。
元の世界で冬が始まった頃に買わされた。
クリスマスプレゼントのつもりだったけれど、やっぱりその日には宝石店に連れて行かれ、しっかりと指輪を買わされてしまったが。
「にゃ。自分で購入いたしましたわよ。ほんとは買わせるつもりだったんだけど、ちょっとしたオネダリ言ったら逃げてったの」
どんな“おねだり”したんだか。
ひかるは苦笑してジョッキに口を付ける。
「北海道、近いと思ったんだけどなあ」
「げ。“おねだり”ってこないだ朋之が言ってたあれか?」
「うん。ホテル行ってえっちしたらおなかすいちゃってさ、ラーメン食べたいって言ったのね。で、最初はいいよって言って店出たんだけど、タクシーに乗って空港に向かおうとしたら怒られた」
そりゃ、怒るだろう、普通。
「だーってさあ、前にそれ言ったらちゃんと連れてってくれた人がいたんだよ? そん時は博多行きたいつったんだけど、じゃあ空港行こうかって」
「どんな富豪だよ、それ!」
「え? なんとかって会社の社長さん」
ああ、“紀子”の爪の垢飲ましてやりてえ。
ひかるはビールを飲み干して、紀子を睨み付けた。
「おまえ、なあ。それは普通の一サラリーマンにきいてやれるワガママじゃねーの。ラーメン喰いたきゃ屋台で我慢しとけよ」
「屋台のラーメンは自分で行けるけど、ご当地ラーメンは人に連れてってもらわなきゃ行けないもん」
しゃあしゃあと言ってのけた紀子は、やってきた大根サラダに箸をつけた。
「……紀子に会いたい」
「会ってるじゃん」
「おまえじゃなーい!」
ひかるの怒声に、紀子はけたけたと笑い始めた。
「やーねえ、もう。なーにを怒ってんだか。ひかるくん、カルシウム足りてないんじゃない?」
笑いながらそんな気の抜けてくるようなことを言い、紀子はメニューを開いて眺め始めた。
「おまえ、どれだけ食うんだ?」
「え? 別に普通に、食べるよ?」
「まさか、ここぞとばかりに鬼のように食ったりしねーだろうな?」
おごりだ、と思ってごっそりオーダーしそうな気がしたひかるは、探るように紀子を見た。
「ははははは。しないってば。容量はあんまりないんだから」
言って紀子が注文したのは串盛とたこ天で、ひかるはほっとしたように息を吐いた。
「やあねーもう。ひかるくん相手なんだからお店もここにしたでしょ。同期なんだからキミの財布の中身くらい知ってます」
「さいですか。申し訳ありませんね、北海道にはいよって連れて行けるような甲斐性なくて」
ちょっと拗ねたようにひかるが言うと、
「そんな甲斐性があったらあたしだってとっとと結婚してるわよ、キミと」
と返された。
「そんな甲斐性なくても、俺の紀子は俺と結婚すんだよ、今度」
「やあねえ、その紀子さんってば。将来が心配じゃないのかしら?」
「……おまえも大概失礼だよな?」
「ほんとのこと言ってるだけだもん」
けらけらと笑いながら言う紀子に、ひかるは“この紀子とは絶対合わない”と確信していた。
いきつけの店は同じ場所に同じようにあり、ひかるはいつもと変わりなく徒歩で“うえの屋”へと向かい、一人でジョッキを空けていた。
いつものように奴と刺し盛をつまみながら飲んでいると、今ここにいる自分が異世界にいるのだという感覚は薄れてくるようだった。
「いないよ。俺一人」
「ええ? いいの? 拗ねちゃうよ?」
「俺はあきらじゃねーから平気だろ。とりあえず飲めよ」
紀子の言葉に、折角薄れていた感覚が現実へと引き戻される。
こっちの紀子が生ビールを注文する姿を見て、いつも「ビールは苦いから好きじゃないの」と言っていた紀子を思い出した。
「ビール、好きなんだ?」
「ん。アルコール好きだから何でも飲むよ。あ、あたし大根サラダ」
ひかるの刺身皿からひょい、とイカ刺しをつまみながら、紀子は店員から手渡された生ビールをぐいっと飲んだ。
見るからに男前である。
「おいし」
満面の笑み。
こんな表情をいつも見ていたくて、ひかるは紀子のいろいろなワガママを聞いてきた。
勿論“ワガママ”と言ってもこっちの紀子のようなとんでもないことではなくて、休みの日にどこかへ連れて行って、だとか、散々買い物に付き合わされた挙句にやっぱり最初の店に戻って「あれ買って」なんて言われたり。
そんな女の子特有のかわいらしいワガママに付き合うことも、ひかるには幸せで。
「やだ、ひかるくん。目が遠く見てるよ?」
目の前の紀子を通して、最愛の“紀子”を見ていたひかるに、紀子はお通しの豚キムチを食べながら言う。
「そりゃ、紀子だけど紀子じゃないからさ」
哀しいけれど、事実だ。
今ここにいる紀子は、同じ顔をして微笑むくせにひかるの愛している“紀子”じゃないのだ。
「そのコート、誰かに買ってもらったのか?」
「え、これ?」
この間も着ていた真っ白いコート。
元の世界で冬が始まった頃に買わされた。
クリスマスプレゼントのつもりだったけれど、やっぱりその日には宝石店に連れて行かれ、しっかりと指輪を買わされてしまったが。
「にゃ。自分で購入いたしましたわよ。ほんとは買わせるつもりだったんだけど、ちょっとしたオネダリ言ったら逃げてったの」
どんな“おねだり”したんだか。
ひかるは苦笑してジョッキに口を付ける。
「北海道、近いと思ったんだけどなあ」
「げ。“おねだり”ってこないだ朋之が言ってたあれか?」
「うん。ホテル行ってえっちしたらおなかすいちゃってさ、ラーメン食べたいって言ったのね。で、最初はいいよって言って店出たんだけど、タクシーに乗って空港に向かおうとしたら怒られた」
そりゃ、怒るだろう、普通。
「だーってさあ、前にそれ言ったらちゃんと連れてってくれた人がいたんだよ? そん時は博多行きたいつったんだけど、じゃあ空港行こうかって」
「どんな富豪だよ、それ!」
「え? なんとかって会社の社長さん」
ああ、“紀子”の爪の垢飲ましてやりてえ。
ひかるはビールを飲み干して、紀子を睨み付けた。
「おまえ、なあ。それは普通の一サラリーマンにきいてやれるワガママじゃねーの。ラーメン喰いたきゃ屋台で我慢しとけよ」
「屋台のラーメンは自分で行けるけど、ご当地ラーメンは人に連れてってもらわなきゃ行けないもん」
しゃあしゃあと言ってのけた紀子は、やってきた大根サラダに箸をつけた。
「……紀子に会いたい」
「会ってるじゃん」
「おまえじゃなーい!」
ひかるの怒声に、紀子はけたけたと笑い始めた。
「やーねえ、もう。なーにを怒ってんだか。ひかるくん、カルシウム足りてないんじゃない?」
笑いながらそんな気の抜けてくるようなことを言い、紀子はメニューを開いて眺め始めた。
「おまえ、どれだけ食うんだ?」
「え? 別に普通に、食べるよ?」
「まさか、ここぞとばかりに鬼のように食ったりしねーだろうな?」
おごりだ、と思ってごっそりオーダーしそうな気がしたひかるは、探るように紀子を見た。
「ははははは。しないってば。容量はあんまりないんだから」
言って紀子が注文したのは串盛とたこ天で、ひかるはほっとしたように息を吐いた。
「やあねーもう。ひかるくん相手なんだからお店もここにしたでしょ。同期なんだからキミの財布の中身くらい知ってます」
「さいですか。申し訳ありませんね、北海道にはいよって連れて行けるような甲斐性なくて」
ちょっと拗ねたようにひかるが言うと、
「そんな甲斐性があったらあたしだってとっとと結婚してるわよ、キミと」
と返された。
「そんな甲斐性なくても、俺の紀子は俺と結婚すんだよ、今度」
「やあねえ、その紀子さんってば。将来が心配じゃないのかしら?」
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「ほんとのこと言ってるだけだもん」
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