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第9話

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 アステアが目を開けると、天井が見えた。
 もちろん自分の家の寝室のものではない。

 手を動かすと、動いた。
 少し縛られていた箇所は痛むが、自由に動く。もう拘束は解かれているようだ。
 なぜか服も着ている。

「起きましたか。おはようございます」

 体を横に向けると、すぐ目の前に勇者レグルスがいた。
 彼もきちんと服を着て、ベッド横で小さなスツールに座っていた。

「手が自由なのだが。紐はどうした?」
「外しましたよ」
「……お前は俺がここに何のために来たのか忘れていないか? お前を斬るためだぞ」
「忘れていませんよ。でも、僕もこれで晴れて罪人になりました。お仲間です」

 彼は立ち上がると、背筋を伸ばした。
 そしてアステアに向かって深く頭を下げた。

「あそこまでやってしまうつもりはありませんでした。あなたを見ていることしかできなかった年月が長すぎたのかもしれません。我慢ができなくて申し訳ありませんでした」
「……」
「おかげで伝えたいことが伝えられていませんでした。あらためて申し上げたいと思います」

 そこまで言って、一度頭を上げた。

「二人で一緒に魔王討伐へ行きましょう。あなたには形式上で結構ですので、僕のパーティメンバーになっていただきたいのです」

 アステアが黙っていると、勇者は続けた。

「あなたは名家の生まれです。名誉や誇りのことも考えなければならない立場なのは、僕も重々承知しています。ですので、僕は案を用意しています」
「案?」
「はい。出発するときは僕が勇者であなたはパーティメンバーですが、帰りはあなたが勇者になってください」
「どういうことだ」

「一緒に魔王討伐を成功させたら、僕は国には帰りません。僕は討伐前に逃げたか、戦死したことにしてほしいのです。あなただけが凱旋してください」
「……!」
「あなたが抜群の実力を持っていることは、騎士団はもちろん、王都民でも知る者は多いです。一方、僕のほうは突然出てきた元無名騎士。疑われることはないでしょう」

 二人で行きたいというのは、夜中にも聞いていたこと。それ自体は驚きではない。
 だがそれに続くこの提案は、アステアにとっては予想だにしない提案であった。

「それはお前に何のメリットがある? 自分を斬りに来た奴と一緒に魔王討伐に行き、名誉はすべてそいつに渡し、自分は消える? 話が滅茶苦茶だ」

「僕はあなたがいなかったら騎士団には入っていません。夜中にも申し上げましたが、僕にとってはあなたと一緒に旅をして、あなたと一緒に戦えることが一番なのです。あなたと違って僕は庶民の生まれ。親もすでにいません。守るべき名誉はありません」
「……」

「勇者として魔王討伐、それは言ってみれば暗殺の仕事です。軍を使って攻めても魔王軍には勝てないので、誰かを選抜してこっそり忍び込んで寝首をかいてきましょうというのが実情だと思います。だから人数は少ないほうがいいでしょう。僕の個人的な想いは抜きにしても、魔法も一流で万能なあなたと二人で行くことは理にかなっています」

 朝日に照らされ輝く、金髪と碧眼。
 今まで眼中になかった相手であり、きちんと見たことはなかった、その顔。
 娼婦が「陰を感じない」と言っていた、その顔。
 アステアの目にも、たしかに純粋で陰りはないように見えた。

 彼の行動原理にはまったくのブレがない。
 もちろんアステアとしてはどうしようもないようにも思える行動原理だが、それを突っ込ませない雰囲気があった。

「乱暴を働いた身であつかましい頼みであるというのはわかっています。どうか、お願いします」

 言葉が出ないアステアに対し、また勇者は深々と頭を下げてきた。



(続く)
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