【完結】吸血鬼は永遠の夢を見る

ひなこ

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 貧血が治れば、香梨奈は故郷に帰らなければならない。
 経過観察けいかかんさつという名目で通院でもさせない限り、彼女が自分から血や飛鳥の遺伝子成分を摂取せっしゅすることは不可能だ。それらが欠ければ、彼女は子孫ではないもう一つの滅び……テロメア欠損けっそんによる爆死、に向かってしまう。

 だが実家のある北海道東部には、飛鳥の頼みを聞いてくれるような、知り合いの医師はいない。もう少し手前の旭川、帯広……せめてそこまで遠出してくれるなら、どうにかアテは見つかる。香梨奈にも親を説得してもらえれば、話は簡単に進むかもしれない。

 そしてさっきあの声に言われた、香梨奈をねたむ者から守る方法。 

 狙われた場合に、相手の記憶を消す暗示を与えた。ほんの数分、記憶を奪うだけの暗示。香梨奈のことを、追うべき血の持ち主だと、わからなくなれば相手も襲えない。
 これは香梨奈には自覚のない、自動催眠の力だ。
 バンパイアには、緊急時に相手の記憶を消すことができる。何でも、とは言わないが、自分が吸血しているところを見られたりした場合に使える。自己の存在が危ぶまれた時に、発動はつどうを許すものだ。

 これが万全かは疑問だけど、今のところこれくらいしかない。今後もうそばにいられないのだから、この力を代わりにたてとして渡す。
 そうまでしても飛鳥は、テロメア・バンパイアの逃れられない特性……子供についての、は与えたくはなかったのだ。その問いに、まず自身が挑まなくてはいけないから。共に宿命に苦しみ、さまよう身にはしたくなかったから。

 ふと、この暗示を沢村響子や他の娘たちに、最初から与えていたら……。いや、今言ってももう仕方ないことだ。
彼女らのことは大事だったが、いずれ自分の正体を明かせはしなかったのだから。

「香梨奈、うちに帰ってもー」
 赤い目が、虚ろにこちらを見ている。
 
 反応が鈍い?もしや異常反応か?ベッドに駆け寄り、顔をのぞき込む。
「香梨奈……?」

 しばし沈黙の後、ゆるりと幼い笑みを浮かべ、彼女は応えた。

「おつきさま!」

 飛鳥は目を見張る。二の句が継げなかった。
 髪も、そして肌も異常に白く見えている。それに気づいて愕然がくぜんとする。

 これは飛鳥が接していた、精神体の香梨奈ではない。
 悪態あくたいをつく、頭のよい少女。いつも人を見透かすような、聡明そうめいで鋭い瞳をして……。
 もうそこに、彼女は見当たらなかった。赤い目は同じでも、これは人々が見ている精神遅滞せいしんちたいの……外側の、彼女の姿だ。

 まさか。香梨奈はもう。
 ふるえる手を押さえ、歩みよる。

「ほし、かりな、すきっ!」

 あの、見慣れたするどい瞳の光はもはやなかった。いや、輝きはますます澄んで、あどけなく無垢な魂を表していた。

「香梨奈!」

 飛鳥はとっさに抱きしめ、真実を確かめようとする。少女の中に隠れている、あの理知的な香梨奈を呼び覚まそうとして。

 お前はどこにいる?この身体の、うつわの中のどこに。
「香梨奈、応えて?」

 ……返事はない。

「おほしさま。かりな……、見たい、のっ!」
 悲しいほど無邪気な声が響いた。

 駄々だだをこねる、その振る舞いは皆が認める通常の香梨奈だった。カーテンを開けてやると、まだ明けぬ夜空にまたたく星を見て、歓喜かんきの声をあげた。
 彼女は、交信不能こうしんふのうの幼女に戻ってしまった。
 生死の境をさまよい、そしてテロメア・バンパイアの力を一部得て。命と引き換えにESP能力を失った。

「つみき。あそぶの。取って」
 表向きの香梨奈が好むおもちゃだった。さっき、叔母が持ってきたのを見ていたのか。 
 積み木のそばに、タロットカードの束があった。飛鳥は思わず、それをつかんで差し出す。
 
 お前の好きなものは、これのはずだろう?

「つみき!これちがうもん。いらないもん」
 突っ返した拍子に、カードはばらけて飛鳥の足元に散らばる。

 ”女神”のカードが一番上になっていた。
 飛鳥はしゃがみ、カードを拾う。これをつてにして、二人で母のところへ会いに行ったのだ。思い返すうち……なぜか、目の前がくもった。

「せんせい……泣いている?」
 とっさに目頭をぬぐう。見られたくはなかったのに。

 香梨奈はベッドを降りて、一緒にカードを集め出す。

「ごめんね、せんせい。かりな、悪い子」

 同じ声、同じ抑揚よくよう。なのに彼女はもう……。
 人を癒すことが、自分の存在意義だと言っていたのに。その力を奪ったのは、僕自身だ。

「せんせい、泣かないで。ごめんね、ごめんね」

 なぜお前が謝る。

 涙を止めようとしても無駄むだだった。なすがままにほおを伝い続けた。
 もうあの香梨奈には会えない。なぜこうも、別れは突然に訪れるのか。

「香梨奈」
 医師だとか、成人だとかいう分別ががれ落ちた飛鳥は、少女を思わず抱きしめる。
 無垢な子供そのままに、恥じらうこともなく香梨奈は腕の中に収まった。

 なぜ、お前は答えない?本当に、本当にもう……いないのか?

「せんせい、泣いちゃだめ」
 そう語りかけているのは、どっちの香梨奈だ?声も、言葉もまるで変わらないのに。消えてしまったのか。それともこの小さな体の中で、表現する方法をたれただけで、まだ存在しているのか。

 たとえ人が来ても、はばかる気はなかった。感情がもう、抑えられなかった。
 身体だけ助けても、中にいるべき精神を失ってしまったら……それはあまりに救われないではないか。
 あの香梨奈を、ここに、この世に、目の前に、自分と共にいるこの世界に。残したかった。……なのに。
 
 飛鳥は瞳を閉じて少女にすがる。
「……香梨奈、何か言って」

 中に、いるんだよな?……消えてなんか、ないよな?香梨奈。
 その声の中に、言葉に、お前がいると感じたい。

「せんせい……」
 そう言って、香梨奈も黙った。

 もうすぐ本当の別れが来る。
 血を与えるという役目がある以上、完全に絆が切れることはない。彼女の身体に自分の血が流れていて、この先同じ時をたぶん長く生きる。他の誰が滅んでも、彼女かりなだけは消えない。
 だから決してなげくことではないのだけど。

「もう少しだけ、……このままで、いて」
「だいじょうぶ?つらいの?……かりな、ずっとこうしてていいよ」
 赤い目が、本気で心配して見返した。

 力を失くしても、その優しさは変わらない。どうして、それでも悲しいのだろう。あの、香梨奈と会えないことが。肉体があって、ないような……まさに天使。心の君といつも対話してきた。

 温かな体、呼吸、そして肌の感触。そうだ、それでも香梨奈は生きている。それが守れたなら、何も悲しむことなんてない……。

 愛している。そう伝えたかった、あの香梨奈に。
 お前も、そうだったろうか……。それを問うてももう、この香梨奈はたぶん答えられない。

「助かって、良かったな」
 思いをこらえ、ようやくそう言った。
「たすけてくれたのは、せんせいだよね?」
 何を言う。お前が俺を助けたんだ。だから、助けたかった。
「ありがとう」
 かわいらしく、そう言った。
 それがなぜか、中にいるかもしれない香梨奈の声に思えた。
「……こちらこそ」

 そう言うのがやっとだった。
「えっ?」香梨奈は首をかしげる。

「……いや。わからなくてもいい」
「せんせい……」
 お前はきっと、この身体の中で生きているんだな。……だったら、それでいい。

 名残惜しげに、香梨奈の細い身体を再度抱きしめた。もうすぐ去って行く、そのぬくもりと感触を強く写し取ろうとして。
「せんせい?どうしたの」
「……元気でな」

 決して君のことを、忘れないから……。君も僕を忘れないでいて。たとえもう、会うことがなくても。血で僕たちはつながっている。永遠に。

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